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ティーチングレター

クリスチャンがトーラーやタルムードを学ぶ大切さ

ジム・ソンベルグ/BFPアメリカ支局長

読者の皆様は、今回のタイトルにきっと困惑されたことでしょう。聖書を信じるクリスチャンが、なぜユダヤ人のラビや学者、賢者たちの見識に注目しなければならないのでしょうか。皆様がユダヤ人の書き物を学び始めたと知ったら、クリスチャンの友人はあなたのことをおかしいと思うかも知れません。そこで、今回は聖書を信じるクリスチャンにとって、トーラーとタルムードの学びが非常に貴重である「4つの理由」を述べさせていただきたいと思います。

聖書全体をよく理解できるようになるために

「トーラー」という言葉は、「ヤーラー」という語根から発生したものです。古代へブライ語では弓術に関連した言葉で、「的を真っすぐに射抜く」という意味でした。また、「教える」とか「指図を与える」という意味もあります。ですから聖書的には、「トーラー」とは、愛に満ちた神から与えられた「的を射た」人生を歩むための「指針」ということになります。クリスチャンとユダヤ人の共通した呼び方は「モーセ五書」です。

しかし「トーラー」は、英語圏ではほぼ一貫して「律法」と訳されます。新アメリカ標準訳では、「律法」という言葉が全体で505回、「愛」という言葉が572回用いられています。「律法」と「愛」とがほとんど同数であるなら、私たちは「愛」の教えに注目するのと同じように、「律法」にも注意を払うことが重要です。

聖書で「律法」と訳されている多くの聖句を、私たちは誤解しているのではないでしょうか。例えば、次の二つの聖句を見てください。

「いかに幸いなことでしょう。まったき道を踏み、主の律法に歩む人は。」(詩119:1新共同訳)

「耳をそむけて律法を聞かない者は、その祈でさえも憎まれる。」(箴28:9口語訳)

この二つの場合と同様に、聖書全体の多くの箇所で「律法」と訳されている言葉は、原語のヘブライ語では「トーラー」となっています。つまり、ある特定の戒めや命令を意味するのではなく、むしろモーセ五書全体を指しているのです。

そのうえ、ギリシャ語で「律法」を意味する言葉「ノモス」は、新約聖書では158回用いられています。これらの一部分は、トーラー全体の広い概念、あるいは聖書全体の教えを指している可能性があります。

例えば、マタイの福音書5章17節でイエスは言われました。「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。」(新改訳)

イエスの時代も今日も、ユダヤ教では旧約聖書は三つの部分に分かれていると理解されています。

  1. 律法――「トーラー」と呼ばれるモーセ五書
  2. 預言者――「ネビイーム」と呼ばれる「ダニエル書」などの預言書
  3. 諸書――「ケトゥビーム」と呼ばれる詩篇などの詩歌の書
イエスは「律法」や「預言者」を
廃棄するために来たのではない、
と言われた

ですから、イエスがマタイの福音書で「律法」や「預言者」を廃棄するために来たのではない、と言われたのは、トーラーを廃棄したり、その内容と矛盾することを教えるために来られたのではないということです。主は聖書を正しく解釈するために来られました。ですから、私たちがトーラーを学ぶべき第一の理由は、聖書全体をさらによく理解するためなのです。

イエスとその弟子たちをさらによく理解するために

トーラーを学ぶべき第二の理由は、イエスとその弟子たちを、さらによく理解するためです。イエスとその弟子が学び、引用したのは、今日の旧約聖書です。彼らはそれを「タナハ」と呼びましたが、それは「トーラー(律法)」、「ネビイーム(預言者)」、「ケトゥビーム(諸書)」という三つのヘブライ語の頭文字をつなぎ合わせて造られた造語です。古代のユダヤ教も現代のユダヤ教も共に、「トーラー」は「タナハ」の中で最も重要な部分であり、最も深く学ぶ必要のある箇所だと見なしています。例えば、イエスが荒野で悪魔の誘惑を受けたとき(ルカ4章)、応答したすべての言葉は、「トーラー」の中の申命記から引用されました。

イエスの時代、サドカイ人はトーラーだけを聖書とし、「タナハ」全体を聖書としていたパリサイ人とは区別されました。この時代の少年たちは、最初にレビ記を学び、それから申命記を学びました。典型的に、まず重要な部分を暗記することから始めました。

少年時代、レビ記のいけにえの儀式や、祭司に関する規律を学ぶにつれ、イエスはどのような思いをもたれたことでしょう。イエスはご自分に与えられた、いけにえとしての使命が成就することを知っていました。また、「私たちの『偉大な大祭司』」となることを理解していました。

聖霊は、使徒パウロを他の誰よりも多く用いて、新約聖書を書かせました。パウロは自分の背景を以下のように述べています。

「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。」(使徒22:3)

パウロの著書を最善に理解するためには、彼が受けた教育や引用した旧約聖書の聖句、その著書の中で数多く引用しているユダヤ人の文書などを理解する必要があります。パウロは律法に反論を加えている者であるかのように見られていますが、ローマ人への手紙の聖句に注目してください。

  • 「それでは、私たちは信仰によって律法を無効にすることになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、律法を確立することになるのです。」(3:31)
  • 「それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が『むさぼってはならない。』と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。」(7:7)
  • 「ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。」(7:12)
新約聖書の執筆に
誰よりも用いられたパウロ

パウロが引用している「律法」の内容とその意味を、旧約聖書の文脈から理解しないなら、パウロの書簡を本当の意味で理解することは困難です。

紀元70年に神殿が破壊されるまで、ユダヤ人はその教えと注解を言い伝えの形で残してきました。一人の教師が一人の人を弟子として、暗唱と対話を繰り返すことで、順にその教えが言い伝えられてきました。しかし神殿の崩壊後、それら何世紀にもわたって言い伝えられてきた教えや対話や議論の内容は、書き留められて今日「タルムード」と呼ばれる文書になりました。

タルムード(口伝律法)が実際に書き留められたのは、ほぼ紀元100年から500年の間でした。タルムードには、イエスの時代に広く知られていた聖書に関する多くの教えや議論の内容が含まれていました。例えば紀元一世紀、ヒレルとシャンマイという有名なラビがいました。タルムードには、ヒレル学派に属する者たちと、シャンマイ学派に属する者たちとの間で戦わせた議論の内容が残されています。その議論はとても有名で、イエスの時代には議論の土台ともなっていました。一般的に言えば、ヒレルのほうが自由で、シャンマイのほうが保守的な立場に立っていました。

タルムードの中のページ

イエスは、ある場合にはその一方に賛成し、また別の場合には他方に賛成されました。例えば、マタイの福音書22章36節において、イエスは一人の律法の専門家から、「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」と尋ねられました。そのときイエスが答えた内容は、ヒレルによってタルムードの中に書き残されている解釈と、ほとんど同じものでした。

新約聖書には、このラビ的教えや議論が多く引用されています。例えば、第一コリント10章4節でパウロは、「みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。」と言っています。

皆様は、これがどんな「岩」について述べているか、疑問に思われたことがありますか。タルムードには、「モーセがホレブで岩を打って水を出したときから、ミリアムが死んだときまで、水を注ぎ出す岩が荒野を渡っていたイスラエルの民に同行し、毎日彼らに水を供給した」(タアニス9a、メティズィア86b)と記されています。使徒パウロが、タルムードの中に記されている、この物語を引用しているのは明らかです。

もし、私たちがタルムードに関して無知であり続けるなら、新約聖書において語られている多くの概念や、引用されている事柄に関しても、理解が弱くなります。

みことばの最も深い意義を探り求めたユダヤ人教師たちの見識を学ぶことにより、皆様も祝福を受けることでしょう。これらの文献を学び始めると、ある場合は賛成でき、ある場合には絶対に賛成できないと思われることにぶつかるでしょう。しかし、神が与えた指針を正しく解釈するために、良い点も悪い点も含めてこれらを学んでおくことは、非常に有益です。

自分が教える内容を実行できるようになるために

第三番目の理由は、私たちが旧新約聖書全体を神のことばと信じ、他の人に教えていることを、自らが実行するためです。クリスチャンは創世記から黙示録まで、聖書全体の権威を信じると告白しています。聖書の権威に関してどのように宣言されているか、プロテスタント大教派の二つの教会からその例を挙げてみましょう。米国南部バプテスト教会の公式な「信仰と信条」は次のように謳っています。

「聖書は聖霊の霊感を受けた人々によって書かれており、人に対する神ご自身の啓示である。聖書は神の指図の完全な宝である。神ご自身がその著者であり、その目的は救いと真理であり、そこに記されている事柄には誤りがない。よって、聖書は完全な真理であり、信頼できるものである。そこには、神が人類をさばく基準が記され、世界の終わりまで、クリスチャンの中心であり、すべての人間の行動の最高の基準を示し、すべての信条や宗教的な意見を試すものである。聖書はすべてキリストを証しし、キリストご自身こそ、その神の啓示の焦点であられる」

アッセンブリー・オブ・ゴッド教団の公式見解は次のようになっています。

「私たちは信じる。……聖書がすべて神の霊感を受けており、人類に関する神の設計図とご計画を宣べている」。

聖書の最初から最後まで全体が神のことばであるなら、時間を割いて、聖書を学ぼうではありませんか。皆さんが祝福を受けるだけでなく、さらに深い意味において聖書の権威の下に生きることを味わうことができるはずです。皆さんは、イエスとその最初の弟子たちへの理解を深め、神が啓示してくださった真理の泉から、豊かに飲むことができるようになるのです。

ユダヤ人の友人たちとの有意義な対話のために

第四番目の理由は、ユダヤ人の友人たちと意義深い対話を行い、彼らと意味のある関係を築き上げる準備をするためです。

私たちがユダヤ教に対して抱いている誤解や偏見こそ、反ユダヤ主義の偽りや偏見に手を貸す原因となります。何も知らない人と対話をすることはた易いことではありません。ましてや意味のある関係を築き上げることは、非常に困難です。私たちが彼らに関して知っていることと言えば、その大部分が誤った情報に基づくものです。

讃美歌を歌うことや聖書朗読、洗礼式、子どもたちに神について教えることまで、そのすべてはまず、ユダヤ教の中で行われていたことです。私たちの聖書、霊的遺産はすべてユダヤ的なものであり、私たちの救い主イエス、また、弟子や使徒たちすべてはユダヤ人でした。そろそろ私たちの信仰のルーツ(根幹)を探り、これを発展させた先人である彼らを正当に理解するときが来ているのではないでしょうか。

バビロニア捕囚後、一年間でトーラー全体を読み通す聖書通読計画を立てました。クリスチャンが発展させてきたいろいろな種類の聖書通読運動は、その考え方をユダヤ教から採用したのです。初期の時代には、ユダヤ教会堂での通読の方法は、地方によって異なっていました。しかしタルムードが記録されるころになると、通読計画は標準化されました。そして今日では、世界中のユダヤ教の会堂で、トーラーから共通の箇所が読まれ、議論されているのです。

人類に対する神のみことばの始まりである、トーラーとタルムードを学ぼうという計画に、皆さんもどうぞ参加してください。一緒に私たちのヘブル的遺産を探り出し、それを通して神からどのようなことを学ばせていただけるのかを見てみましょう。

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