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ティーチングレター

エルサレムの心臓部、ダビデの町

文:ピーター・ファスト(BFPカナダ局長)

旧市街の南に位置する「ダビデの町」は、エルサレム発祥の地。
今も発掘が続けられており、重要な遺跡が幾つも見つかっています。

ダビデの町の入り口に飾られている竪琴
Photo by Kobi Harathi/City of David Archives

神殿の丘の南、エルサレム旧市街のふもとにあるダビデの町。ここは、世界で最も考古学上の発掘調査が行われている場所です。このダビデの町こそ、エルサレムの原点です。旧市街を歩き、ありとあらゆるエルサレムの遺跡を目にしながら、ダビデの町に行かないとしたら、聖書の中心地、ダビデ王が築いたエルサレムを見逃すことになるでしょう。

古代の町エルサレム

「ダビデの町」という言葉は聖書に46回出てきます。この町は、もともとはエブス人(カナン人)の要害で、エブス(エルサレム)と呼ばれていました。そこを攻略したのがダビデです。歴代誌第一11章4〜9節には、ダビデの軍の将ヨアブがダビデ軍のために門を開いた話が載っています。ヨアブは水路を通って町に入ったと言われています。

ダビデがエブス人の要害エルサレムを攻略した時、ここは既に古代都市でした。イスラエル人考古学者エイラート・マザールは、次のように述べています。「紀元前10世紀初頭、カナン人(エブス人)の町エルサレムはダビデに攻略され、新たな王国の首都となり劇的に変化した。ダビデが町を攻略する2千年以上前から、そこには定住民がおり、千年にわたり王都として堂々たる城壁に守られてきた」

ダビデがエブス人の都市エルサレムを占領した理由は、この町が明らかに戦略的な場所に位置していたからでしょう。ここには高台がそびえ、急峻な渓谷もあり、戦略的に有利な場所でした。それ以上に重要なポイントは、この地が他国の飛び地であり、イスラエルのどの部族にも属していなかったことです。

一方、ダビデが王権をヘブロンからエルサレムに移すと決断したのは、モリヤ山(創22:1〜19)、つまり後の神殿の丘(Ⅱ歴代3:1)が大きな決め手となりました。後にダビデは、エブス人アラウナから打ち場を購入し(Ⅱサム24章)、そこに主の祭壇を築きます。その後、同じ場所にソロモン神殿(Ⅱ歴代3:1)が建てられ、モリヤの山から統治するようになるのです。

契約を守られる神の誠実さ

エルサレムを征服したダビデ王は、古代カナン人(エブス人)の首都エルサレムをイスラエル人の都市につくり変えました。イスラエルの例祭の時期には、イスラエルの全部族がそこに集い、主を礼拝するようになりました(申16:16、ルカ2:41〜47など)。

ダビデの町は、君主制の中心地であるだけでなく、霊的にも中心地となりました。アブラハム、イサク、ヤコブの神の御名が永遠に置かれ、神の栄光(シェキナー)が神殿を満たしました(Ⅰ列王8:10)。エルサレムは、契約を守られるイスラエルの神の誠実さを象徴しています(創15章、詩105篇)。このお方はご自分の民の間に住まわれ、イスラエルの王朝に力を与えられるのです(Ⅱサム7章)。

エルサレムは別名シオン(Ⅱサム5:7)とも呼ばれます。この言葉は旧約聖書に161回、新約聖書に7回出てきます。この名は、エルサレム礼拝の中心的な山、シオンの丘を指すようになりました(Ⅱ列王19:31、詩2:6)。19世紀になると、シオンという名はユダヤ民族の運動であるシオニズムとして使われるようになります。シオニズムとは、預言者が預言した通り(イザ11:12、エゼ36章など)、ユダヤ民族を古代の祖国に再び集めることで、ユダヤ民族が自ら決意して祖国を目指すことを目的としています。

紀元前10世紀、ダビデが遭遇したエブス人の都市エルサレムは決して大きな町ではありませんでした。学者たちが記した地図では、当時の占領地は50ドゥナム(東京ドームぐらいの大きさ)です。ダビデが存命の間、町の大きさはエブス時代とほぼ変わりませんでした。ソロモンの時代に入り、エルサレムの行政区と人口は倍増し、分裂王国時代にさらに増大します。ヘロデ大王の時代に、エルサレムの面積、富、名声は頂点に達しました。

ダビデの王宮

ダビデがエルサレムを征服すると、フェニキア(ツロ:シリアの一角)の王ヒラムはダビデの力を認め、王宮建築の際ダビデに敬意を表します。「ツロの王ヒラムは、ダビデの王宮を建てるため、ダビデのもとに使者と、杉材、石工、木工を送った」(Ⅰ歴代14:1)。これに対しダビデは「主が自分をイスラエルの王として堅く立ててくださり、主の民イスラエルのために、自分の王権が高く上げられていること」(Ⅰ歴代14:2)を知り、神を賛美しました。

発掘で発見されたダビデの王宮跡は、イスラエルの考古学者たちによって王宮だと確認されました。ダビデの町を訪れた観光客は、聖書に登場するフェニキア王ヒラムの職人たちが建てた王宮跡を楽しむことができます。

考古学的活動

ダビデの町は、1世紀以上にわたり考古学活動の中心地となっています。1838年にアメリカ人聖書学者エドワード・ロビンソンが行った調査に始まり、1867年にイギリスのチャールズ・ウォーレンが発見した「ウォーレン・シャフト(竪坑)」まで、注目に値するさまざまな発掘があります。1880年にはシロアム碑文が発見されました。この碑文には、ヒゼキヤ王の時代にギホンの泉から町に水を引くために水路を掘った2組の坑夫たちが、アッシリア人に気付かれないようノミで石を砕いた様子が記されています。

この場所の歴史を理解する上で最も素晴らしい二つの発見は、(04年に再発見された)シロアムの池に流れるヒゼキヤの水道(Ⅱ列王20:20)と、シロアムから神殿の丘へと続く巡礼の道です。

ダビデの町の上水道

第2神殿時代のエルサレムの模型(イスラエル博物館)
Photo by Jenna Solomon/bridgesforpeace.com

ダビデの町の給水設備は興味深く、エルサレムが戦争や包囲の危険の中でどのように水を維持し、町の機能を保ったのかが分かります。古代エルサレム研究家のヒレル・ゲバは、命を保つためのこの水源を素晴らしい描写で説明しました。

「古代エルサレムにおける唯一の水源は、城塞都市の外、キデロンの谷の洞窟内にあるギホンの泉である。この泉は、一定の水量を維持しているわけではなく……洞窟の底の割れ目から断続的にわき出る地下水を水源とする。ギホンの水は、洞窟内か、その近くの岩盤に掘られた小さな池からくみ上げることができる」

ギホンの水を蓄え、守るために、三つの地下給水システムが別々の時代に建設されました。最初は「ウォーレン・シャフト(竪坑)」です。これにより古代エルサレムの住民はギホンの泉の水をくめるようになりました。二つ目はシロアムの水路です。「この水路は、ダビデの町の東側斜面の底部に沿って引かれ、近隣のキデロンの谷の農業地帯に水を供給した」

三つ目の最も洗練された給水システムは、全長533mに及ぶヒゼキヤのトンネル(水道)です。アッシリアの脅威が迫る中、ヒゼキヤは「泉からのわき水を受け取るトンネルをつくり、唯一大きな貯水池を建設できた場所に迂回させた。この貯水池にためた水のおかげで、間欠的に流れる泉とは関係なく水の供給を調整できるようになった」。このようにしてヒゼキヤは、アッシリア軍にからくりを知られることなくエルサレムに水を供給することができました。

ヒゼキヤのトンネルから水を引いた貯水池で最も有名なのは、イエスが盲人を癒やされたシロアムの池です(ヨハ9:7〜11)。この池は、巡礼の道を通って神殿に上る巡礼者たちがユダヤ教の儀式として水に浸かった場所でもありました。キリスト教のバプテスマはこの儀式から採られています。全身を水に浸すきよめの儀式であり、祈りと犠牲を献げる準備として行われました(創35:2、出19:10)。祭司たちも、浴槽で繰り返し水に浸かり、ミクバオットと呼ばれる儀式的きよめを行いました(レビ16:4〜24)。

シロアムの池とギホンの泉は、ソロモン王の就任に使われたことで注目されるようになり(Ⅰ列王1:33、38、45)、後にメシア時代や聖霊の注ぎなどのテーマを象徴するものとなりました。巡礼の道は、シロアムの池から神殿の丘に上る主要道路であり、ヘロデ時代に多くの巡礼者が利用した道です。

今日、考古学者たちによって巡礼の道の3分の1以上が発見されています。2千年前は地上にあった巡礼の道も、現在は石の天井があるトンネルになっています。天井は鋼鉄製の強化柱で支えられ、約18m上にある住宅や現代の道路を保護しています(巡礼の道の参考動画:https://www.youtube.com/watch?v=HS-SXuoFKgE)。

未来を垣間見る

巡礼の道の発掘調査
Photo by Sarah Yoder/bridgesforpeace.com

最近BFPのリーダーたちがダビデの町を訪れ、巡礼の道を案内してもらいました。この道は、イエスや弟子たち、そして数え切れないユダヤ人たちが、シロアムの池から神殿に上る際に通った道です。2千年前と同じ敷石の上を歩きながら、私たちは驚異の念に打たれました。

しかし、私たちの注意を最も引いたのは、ダビデの町のガイドが指摘した驚くべき事実です。「巡礼の道は、単に後世に残すための考古学的な発掘品ではありません。未来において実用的にも霊的にも役立つものです。ゼカリヤ書14章では、王なるメシアがエルサレムから統治するようになる時、諸国の民はエルサレムに集まり、仮庵の祭りを祝うと預言されています。そのためには巡礼の道とシロアムの池を整備し、国々を迎えられる状態にしておかなくてはなりません」。ガイドが発した次の宣言は、私たちの心に深く刻み込まれました。「これは私たち全員のものなのです!」。何と素晴らしいことでしょう!

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