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ティーチングレター

神の御名を聖とする

文:レベッカ・J・ブリマー(BFP国際会長)

この世はますます神の価値観から遠く離れていっています。
そんな世界において、神ご自身を表していく使命が神の民には与えられています。

Photo by chayanuphol/shutterstock.com

現代社会には失望が蔓延(まんえん)しています。イスラエルでは、多くの愛する人々がハマスという敵に虐殺され、国民の間に動揺が広がっています。信じ難い残虐行為が明らかにされるのを、私たちは恐怖の中で見ていました。反ユダヤ主義は増大し、絶望する家族は増えるばかりです。私たちはユダヤ人の兄弟姉妹と共に悲しみを覚えています。

クリスチャンは間もなく再臨されるイエスに希望を抱いていますが、多くの人々は、神が今この地で働いておられるという希望を見失いつつあります。本当は私が今回書きたかったのは希望のメッセージでした。ところが、主の御心を求めていた時、主が違う方向に導いておられることを感じました。それは神の視点で見ることの大切さです。私たちがこの困難な時代を生きる時、主にとって何が大切でしょうか。

私たちは、聖書の記述にしばしば一定の形式を見ます。今回は以下の形式について考えてみましょう。「①状況の描写」「②神がその状況をどう感じておられるかについての説明」「③多くの場合、その結果の説明」「④最後に脱出の道と救いの道」という形式です。

まず忘れてはならないことは、神はあわれみ深いお方だということです。出エジプト記34章6〜7節で神がご自身についてモーセに説明された時、そのほとんどがあわれみに関することばでした。ユダヤ思想では、この聖句を「あわれみの13の特質」と呼びます。

一方、神が裁かれるお方であることも忘れてはならない大事な点です。ただし、神のあわれみは神の裁きをはるかに上回ることを、友人であるラビが教えてくれました。彼は出エジプト記34章6〜7節を引き合いに出し、「神の赦し(恵み)は千代(何千年)にも及ぶが、神の裁きは三代から四代に限られている」と言いました。

この原稿はハマスとの戦争前に執筆したもので、決して神の裁きの解説ではありません! 激しい痛みを味わう時こそ、神がご自分の民と共におられること、神の御そばに近付く必要があることを私たちは知ります。私たちは、イスラエルの民がこの困難な時にイスラエルの神に立ち返り、力を得る姿を目にしてきました。兵士たちは祈りを要請し、神の守りの下にあることを覚えるためツィツィート(祈りの衣服に付けられた房)を身に着けています。

では、主にとって大切なことをイザヤ書1章から見てまいりましょう。

イザヤ書1章

この章の預言は手厳しいものです。イザヤは、民が神に背を向けたことを指摘し、イスラエルが主を捨てた罪深い国だと描写しました。「どこを打たれようというのか」と語るほど状況はひどく、「……頭は残すところなく病み、心臓もすべて弱っている。足の裏から頭まで健全なところはな(い)」(イザ1:5〜6)。これは対照的な言葉を使った修辞法で、全身が影響を受けていることのたとえです。頭は思考を表し、心臓は肉体だけでなく感情や精神も表します。文化全体が損なわれた社会の姿です。

燃え上がるソドムとゴモラ(ジェイコブ・デ・ウェット2世)
Photo by Daderot/wikimedia.org

とりわけ9節では強い非難が記されています。「もしも、万軍の主が私たちに生き残りの者をわずかでも残されなかったなら、私たちもソドムのようになり、ゴモラと同じになっていたであろう」。神が全住民を滅ぼされることが、ごくまれにあり、ソドムとゴモラはその一つでした。そのためソドムとゴモラの町は、反逆し堕落した罪深いものすべての象徴となっています。

堕落、罪深い行い、反逆、殺人のさなかにあっても、民は神殿に捧げ物を捧げ続けていました。そんな民のうわべだけの敬虔(けいけん)さに神は惑わされませんでした。「わたしは、不義と、きよめの集会に耐えられない」(13節)と語り、民の「価値のないささげ物」を退けられました。「価値のない」という言葉は「むなしい」とも訳されています。確かに、不正でありながら宗教儀式や宗教的行いをしても何の役にも立たず、むなしく、価値はありません。

その結果、神は何と語られたでしょうか。「あなたがたが手を伸べ広げて祈っても、わたしはあなたがたから目をそらす。どんなに祈りを多くしても聞くことはない……」(15節)。神が民の祈りを聞いてくださらないとは、考えるだけでも恐ろしいことです。

神は偽善を憎まれます。偽善とは言葉と行いがかけ離れていることです。私がBFPのリーダーになった時、思慮深い相談役からこう教えられました。「ベッキー、あなたがどこへ行くにもBFPのリーダーという肩書きは付いて回るよ」。つまり、私が出会う人は皆、私の行いや品性を見て組織を判断するということです。同様に、人々は神の民の姿を見て信仰と神を評価します。神の民は、希望のない世界に対して神の本性(ほんせい)を反映する者です。だからこそ、神は偽善を憎まれます。神はご自分のことばに対して真実であり、偽りがありません。しかし、信仰のない人々は神に従う者たちを見て神を判断するのです。

ユダヤ思想では、神を反映させる方法として二つの言葉があります。キドゥシュ・ハシェムとヒルル・ハシェムです。最初は、神の御名を聖なるものとすること、二つ目は神の御名を冒涜(ぼうとく)することです。この二つの言葉は次の聖句に由来しています。「あなたがたはわたしの命令を守り、これを行わなければならない。わたしは主である。わたしの聖なる名を汚してはならない。イスラエルの子らの間で、わたしは聖であることが示されなければならない。わたしはあなたがたを聖別する主である」(レビ22:31〜32)。つまり、神の御名と評判を輝かせるために意識的に行動する必要があるということです。

イザヤの時代の民は、外面は宗教的でありながら行いは邪悪でした。そのため神は激怒され、祈りを聞かないとまで語られたのです。ところが、話はここで終わりません。恵み深い神はいつも逃れの道を与えてくださいます! イザヤ書にこんなことばが記されています。「洗え。身を清めよ。わたしの目の前から、あなたがたの悪い行いを取り除け。悪事を働くのをやめよ。善をなすことを習い、公正を求め、虐げる者を正し、みなしごを正しくさばき、やもめを弁護せよ」(1:16〜17

イエスは何と言われたのか?

周囲を照らす明かり
Photo by Udo/Pixabay

では、イエスは何と語られたでしょうか。「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです」(マタ5:16

いったん主との関係が築かれたなら、自らの言動を通してその事実を表していくことは特権です。それにより、絶望し傷ついている人々が「神は真実で、あわれみ深いお方だ」と知るようになります。クリスチャンの人生に闇の行いが見えてはなりません。

ユダの手紙

次に、書簡に移りましょう。イザヤ書1章とユダの手紙には類似点があります。最も明確なのはソドムとゴモラが引用されていることです。反抗的で罪深い人類が神の裁きにさらされていることが即座に分かります。専門家によると、ユダの手紙が書かれたのは、ネロがローマを支配していた紀元60年ごろで、不道徳で危険な時代でした。

ユダの短い手紙は「信仰のために戦うよう」(3節)勧めています。会衆の中に不敬虔な要素が忍び込んでいたようです(4節)。ユダは最後に「彼らは、ぶつぶつ不満を並べる者たちで、自らの欲望のままに生きています。その口は大げさなことを語り、利益のために人にへつらいます」(16節)と締めくくりました。

さらに、読者に使徒たちの言葉を思い起こさせています。「『終わりの時には、嘲る者たちが現れて、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう。』この人たちは、分裂を引き起こす、生まれつきのままの人間で、御霊を持っていません」(18〜19節)。神はこのような偽善を憎まれます。社会が、教会の行いを見て神を見下すようになるからです。

ユダはイザヤ書の形式に倣って、読者に指示を出しました。「……あなたがたは自分たちの最も聖なる信仰の上に、自分自身を築き上げなさい。聖霊によって祈りなさい。神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに導く、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい」(20〜21節

ヤコブの手紙

ヤコブの手紙は誰もがもっと頻繁に読んだほうがいいと私は確信しています。とても分かりやすく実用的です。ヤコブは、ただ信じるだけでなく、信仰は行動で表さなくてはならないという事実を述べました。「みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません」(1:22

今日の世界

イザヤの時代やローマ帝国時代と同様、今の世界も深い悩みのうちにあります。多くの人々は唯一真の神を求める代わりに、自分の欲望を満たすことを選び、神と神のことばをあざけっています。現代社会はソドムとゴモラに類似していると、多くのクリスチャンリーダーたちが指摘する通りです。

神が喜んでおられないことは明らかですが、神はそのあわれみにより別の選択肢を与えてくださるお方です。神の光の中を歩み、善を行うことを選ぶかどうかは私たち次第です。神が弟子に求めておられることは、希望のない世界に対し、「神に従う希望の道」という代替案があることを示すことです。

私たちが神の御名を聖なるものとし、神の栄光を表すことができるように祈ります。イスラエル国家と国民のためにも祈り続けてください。イスラエルと共に立つ時、私たちはアブラハム、イサク、ヤコブの神の心に耳を傾けることになるのです。

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