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2019年3月に、フードバンクで1週間の奉仕をさせていただきました。初めは旅をして見るだけでなく何か現地でしたい、仕えてみたいと思い問い合わせました。例え短くても奉仕する側も受け入れる側も実りはあると言っていただき、申し込んでみることにしました。しかし、特にまだ支援などにも参加しておらず、イスラエルについての知識もとても乏しかったので、このような自分が奉仕に参加させていただいて大丈夫かと、随分心配するようになっていました。
事前オリエンテーションで、ユダヤ人の傷んだ歴史を知り、BFPの思いを知り、またBFPを通してずっとサポートを続けておられる方々の思いも背負って参加するのだと思いました。
初めに本部での、皆さんの温かい笑顔の歓迎に安心しました。メディアで伝えきれない本当のイスラエルの情報を伝えるために仕えておられる皆さんが、生き生きと働いておられるのが印象的でした。
フードバンクでは、スタッフ全員でのディボーションから始まり、フロアスタッフ全員の近況をシェアし、その日の仕事の指示を受けてスタートします。家族のように温かく、とてもチームワークが良かったです。また、ゼラス4期生の若い世代の方々が共に働いていて、たくさん教えていただきました。若いうちに母国を離れてイスラエルの地で学び仕え練られている姿がとても頼もしく思いました。
スタッフ皆で手分けして、食料などパレット積みし、完了後にスタッフで囲み、支援先の方々の祝福を祈って送り出します。また、個人手渡し用の食料も流れ作業で小分けにしていきます。どの作業も手際よく流れました。
直接食料を受け取りに来られるユダヤ人の方々には、入り口で袋に詰めたものを手渡しました。ある日は、近くに住むホロコーストサバイバーの老婦人が受け取りに来られて、足が悪いのでスタッフが荷物を運び、老婦人の手を取り一緒に家まで運ばせていただきました。ヘブライ語で「ありがとう」としか言うことができませんでしたが、その老婦人が私たちを信頼してくださり、心を開いてくださっていることがとてもうれしかったです。
また、エルサレムから少し離れたコミュニティーへ配達にも行かせていただきました。ケア施設、エチオピアやロシアからのアリヤー(帰還)の方々などいろいろな団体がありました。彼らとBFPのお互いの信頼関係が積まれていっていることを思いました。移動の車中で、イスラエル人スタッフの兄弟がどうやって救われたか、どのように神さまが命を守ってくださったか証ししてくださいました。また、今は奇麗に花咲き緑あふれるこの街並みが、荒れ地で何もなかったイスラエルに木を植え、親の世代が朝から晩まで働き、どれほど労してきたか、また、度重なる戦争時に銃で狙われた恐ろしい当時の悲惨さを忘れないために、道沿いに残されている戦車の事なども聞かせていただきました。改めてユダヤ人の方々の迫害と戦いの歴史を思いました。
週末には近くの教会の礼拝に足を運んだり、旧市街を散策しました。
Wi-Fiがなかったため、標識を見つつ、道行く人に尋ねていかないとたどりつけませんでした。神さまはいつも天使を送って助けてくださいました。イスラエル人は一見とっつきにくそうに見えるけれど、一度話し始めると、とても親身になってくださり親切で優しかったです。また、出会ったユダヤ人の方の中には、その後どうされているだろうかと気になり考えていたら、その週末に偶然教会で再会し、主にある交わりができた不思議な出会いもありました。その後も、心に思いがあり考えているとバッタリ会うことが続きました。
アリヤーで帰ってこられた方々が、主の不思議な導きで帰還して来られた証しを聞きました。政府からの支援は短いので、BFPの働きの大きさを改めて思いました。
また、BFPスタッフの皆さんもお一人おひとりに主の導きの証しがあり、母国を離れてそれぞれがさまざまな状況の中を、将来の道も主の御手の中に委ねて、主に用いられる器としてイスラエルの地で仕えておられる姿に、とても学ばされ励まされました。
また皆さんが温かく迎え入れてくださり、短い1週間の奉仕の期間の間に、できるだけ現地のユダヤ人の方々に直接届ける機会をつくってくださり、皆様の配慮に本当に感謝しています。また、週末も教会や観光に声を掛けてくださり、何度も励ましてくださり、共に時間を過ごしシェアできたことも大きな恵みでした。滞在していたアパートの南アフリカの姉妹が、「あなたは短い期間の間にとてもたくさんの方々に出会ったね」と言ってくださいましたが、本当にそうだと思いました。
私たちは、主に使っていただく「通り良き器」であるけれども、その器とは、とてもシンプルなタッパーのような物をずっと想像していました。帰る前に神殿博物館の展示を見ている時に、キラキラした金や銀の、主に供え物をするための綺麗な器(vessel)を見ました。自分たちもこのキラキラ輝く空の器として、神さまが光を当て喜び、そして使ってくださっているのだなと思いました。また、何が出来るか、何をするかでなく、ただイエスさまについていくことを何度も教えられました。
また、今回のイスラエル訪問、ボランティアを通して、自分が神さまの子どもであり愛されていること、日本人であるということ、アブラハム・イサク・ヤコブの木に接ぎ木された同じ家族になったということ、そしてこれからイスラエルと私たち異国の民が一つになっていくということ、それぞれをバラバラに受け止めていたことが、一本につながったように感じました。
このボランティアを通して出会えた方々、お一人おひとりに感謝します。
また、もう少し長い期間、仕えに行きたいと願っています。
私たち夫婦は三つの目標をもってイスラエルに2カ月と1週間行ってきました。一つ目は、ユダヤ人・ユダヤ人家族と親しくなる。次にBFPの奉仕を通してユダヤ人に仕える。最後に城壁を始めイエスさまの歩まれた足跡を歩いて聖書が立体的に分かるようになる。
BFPの奉仕が1カ月、ツアーが1週間、そして自由に地図と弁当と水を持って歩き回るのが1カ月でした。
毎日不思議な出会いがあり、主の臨在を濃厚に味わいました。イスラエルは行かなければ分からない。行ってみて分かるという神が選ばれた国、神が愛され住まわれる町ということを、肌で感じる場所でした。
エルサレムに着いた日からそれが始まりました。auショップでサムカードを交換すると、店員がポストオフィスに行ってこいと言うのです。意味が分からず、たどたどしい英語で「どうしてだ」と聞いても、「いいから行ってこい」とのことでしたので、言われるままに電車に乗り、やっとの思いで到着しました。ところが局員の方も何のために来たか意味が分からず、来る必要はないと言うのです。疲れがどっと出てしまいました。すると局員の方が、「お前はクリスチャンか」と言うので、「そうです」と答えると、私もクリスチャンでロシアからのアリヤーであること、母もクリスチャンであることが分かりました。「神さまがこの出会いを導いてくれたのですね!」と言うと大変喜んでくださりメール交換をし、後ほど訪ねることができました。
4日目、城壁に行こうとして歩きながら地図を見ていると、家の門に来て、「お前たち迷ったのか、助けることないか」と、一人のジェントルマンが声を掛けてくれました。「城壁の西壁に行きたいんだ」と言うと、門をあけて近道を示してくれました。そして「どこから来たのか」と言うので、「日本から」と言うと、「よく来たな」と言って「クリスチャンか」と聞くので、「そうだ」と言うと、私もクリスチャンでアメリカからのアリヤーだということでした。「えっ、私たちは2年間祈って、イスラエル来たんだよ!神さまが合わせてくださったんだね!」と言うと顔を赤くして喜んでくれました。
それから交流が始まり、四度も安息日に招かれました。集会にも参加し、その家に集まる何十人ものお客様とも知り合いになりました。今では兄弟と呼ぶ関係になりました。
今度イスラエルに来る時は、その家に泊まってもいいと約束してくれました。滞在半ば、BFPで奉仕をしている時、ラビの方から安息日に招待されました。この家族に1年間BFPを通して支援していたのです。この家族の方々に会いたい、直接プレゼントを渡したいと願っていました。ご主人は聖書写本をしている方で正統派ユダヤ人です。
異邦人を家庭に招くことはないと思っていたのですが、BFPでも30年間の中で初めてのことですと言われました。
実際に招かれて家に入ると決して裕福ではないことが分かりました。しかし私は、深い感動を覚えました。両親が5人の子どもたちを愛していること、子どもたちが両親を尊敬していることが雰囲気で伝わってくるのです。神をおそれることを生活の中で表していることが分かりました。奥様はがんを患っており転移するのではないかという状況でした。その中で手作りの7品の料理を準備しておられました。この一日で心も体もいっぱいに満たされました。小さな子どもたちの明るく無邪気な振る舞いに慰められました。
BFPのシャーリーさん宅にも安息日に招待を受けました。まずシナゴーグで礼拝をし、その後食事を頂きました。またシャーリーさんのユダヤ人の友人の家にも、安息日に招かれて行くことができました。共にシナゴーグで歌い踊り、祈祷書やトーラーを読むのを聞くことができました。このような方から招かれて、安息日を十度も体験させていただきました。神さまは私たちの思いを超えて準備してくださっていました。
私はリペアチーム(大工)、妻はフードバンク(食料パック)で奉仕しました。
今回のリペアの奉仕は、ユダヤ人の家に行くことは二度三度で、ほとんど本部とフードバンクのリペアでした。毎日朝の8時30分からディボーションが始まります。礼拝をして各担当の仕事に就くのです。ちょうどリーダーの交替があり、それに伴って部屋の模様替え、清掃 ペンキ塗りが繰り返されました。毎日このように材料を買いに専門店に行き、車に積み込んで現場に行っていたので、エルサレムの町の様子が分かりました。BFPの奉仕は結構きつかったです。
ベッキーさんが初めてBFPの奉仕をする人に、ビジョントークといってBFPの精神を私たち2人に話してくださいました。「ユダヤ人の心は長い歴史の中で迫害を受け、どこにいても見つけ出されて改宗を迫られていた。拒むと殺されることもあり、堅くその心が閉じている。ちょうど駐車場のコンクリートが長い年月のうちにヒビが入り、そこに草が生えてくるように、ユダヤ人の心にひびを入れることが大切なのです。彼らを愛して関わり、食物や必要な支援を続けることで、彼らに愛を示していくことです。ユダヤ人に接してつまづくこともあるでしょう。その時、その喜びと輝きで関わることが証しなのです」と語られたことが強く心に刻まれました。主よ、あなたの愛と霊に満たしてくださいと毎日祈り続けました。
私は奉仕期間中に何人かの方(BFPスタッフ・それ以外の外部の方にも)に、ユダヤ人を愛することについて教えていただきました。
でした。分かるようで分かりませんでしたので、「尊敬するとはどういうことですか?」と聞きますと、「光男は結婚しているな、まず奥さんを愛すること。5人の子どもを愛し育てること。神さまをおそれることを態度で示すことだよ。ユダヤ人はどんな言葉で伝えてもだめ、行動をしなければだめだよ。そして、キリストの愛を笑顔でキリストの命と希望で輝いていることが大切。」と言うことでした。
私はラビの家庭に招かれた時、そのことの意味が示されたように強く感じました。またベッキーさんの言われたことが思い出されました。
ツアーではカイザリヤ、カルメル、ナザレ、ガリラヤ湖畔、死海、マサダ、クムラン、エン・ゲディ、エルサレムのコースを回りました。ガイドの享子さんによる広く深い説明で、しかも日本人の感性に合う説明で、とても分かりやすかったです。
私たちは、ツアーの説明をすべて日本語で聞き満足していましたが、後のフリーで歩いたところは、すべて英語で、理解度は20%ぐらいだったと思います。
毎日地図と弁当と水をリュックに入れて、エルサレムを中心に歩き回りました。道に迷った分、人の親切を味わい、土地の様子も知ることができました。目的地に到着した時は本当にうれしかったです。
私は方向音痴でよく誤って引き返すことがありますが、妻は一度歩いた道は忘れません。それに怖いもの知らずで、イケイケです。行くと言ったら到着するまで諦めません。
水を飲むのも、弁当を食べるのも忘れてしまうことがあります。歩きながらよく口論になりました。到着すると何もなかったかのように感動を共有していました。
エルサレムは、時間があり健康なら歩くのが一番ですし、疲れたら祈りの家で静まり祈るのが一番ですね。本当にぜいたくな2カ月と1週間でした。家内とビジョンを共有し新しい道を示されたのも感謝でした。
毎日新しい発見と主の御業の中でワクワクして生活して1カ月、BFPのボランティアを始めて2週間がたった5月5日(土)の夜のこと、その日はクライストチャーチのバザーに行き、その後集会に出席して歩いて帰っている時、ラインに留守を守っている末娘から「いつでもいいから電話ください」と入っていました。とっさに変な予感がしたので電話をすると、次女の娘婿が電話に出て「これから話すことを冷静に聞いてください。いいですか?実は2時間前に泥棒が入り、それから放火して逃げました。今、火は消えています。しかし中には入れません。明日朝10時に実況見分があります。それに立ち会いますので明日報告しますね」。
頭の真ん中が真っ白になりましたが、すぐに、「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな(ヨブ1:21)」ということばが来ました。「あぁ始まったな」と確信めいた思いで、妻とその場で祈りました。妻もやっと吹っ切れたと、新しい主の道を知らされました。次の日、長男から電話があり警察は窃盗放火と決断したことを告げてくれました。そして、「札幌に帰ってこなくてもいいよ、最後まで使命を全うしてきてください。処理に関わることは私がすべてやっておくし、新居も3、4つぐらい、父さん母さんの条件に合うものを探しておきますので心配しなくてもいいから、今みんなで集まって祈っています」ということでした。本当に頼もしいなと思いました。もう1カ月イスラエルに滞在してBFPの奉仕を最後までやり通すことができました。日本のBFP のスタッフ、イスラエルのスタッフを始め多くの方々が祈り支えてくださったことを、心から感謝いたします。
大学の春休みに24日間BFPのボランティアプログラムにお世話になりました。今回のボランティアを通して、多くのことを学ぶことができました。
自分が今回イスラエルのボランティアに行こうと思ったのには幾つかの理由があります。まず、小さい頃から読んできた聖書の世界に実際に自分で行きたいと思ってきました。二つ目に約束の民であるユダヤ人の人たちと実際に会いボランティアすることによって聖書の大きな流れの一つであるユダヤ人とクリスチャンの関係性についてもっと知ることができるのではないかと思ったことです。
今回の旅行は自分の初めての一人での海外旅行だったので、とても心配でした。しかし、BFPスタッフの松尾さんをはじめ多くの人の助けのおかげで良き準備をすることができました。
イスラエルでの滞在は平日の日中はフードバンクで食べ物をトラックに乗せて運ぶためにパッキングする作業をしていました。週に1、2回実際に食べ物を届けるのを手伝わせていただきました。そこでは実際にホロコーストサバイバーの人々など多くのユダヤ人の人々と会うことができました。配達の途中にスタッフの方が通る町の名前が載っている聖書箇所を教えてくださり、とても勉強になりました。配達が良いツアーになりました!ボランティアの方々もとても良い人ばかりで、拙い英語しか喋れない自分にも優しく接してくださって、あまり問題なくボランティアをすることができました。
仕事の後はホテルが旧市街近かったこともあり、毎日のように自分で旧市街内を探索しました。エルサレムは見るものが多すぎて回りきれませんでしたが・・・。土日はゼラスのメンバーとネゲブ砂漠に行ったり、日本人ボランティアのあいさんと観光をしたりなど、とても充実した時間を過ごすことができました。また、プリムの時期がちょうどかぶったので、ボランティアの人たちとシナゴーグに行き、ユダヤ人の人たちとともにエステル記の朗読を聞いたりすることもできました。
3週間はとても短く、飛ぶように過ぎて行きました。日本にいてはできない体験やイスラエルに行かないとわからない聖書のことがわかった気がします。行けなかったところも多くあるので是非また行きたいです。
イスラエルでの滞在期間を振り返ると、今までの自分には全く想像すらできなかったことばかりが起きたと、無限に恵み深い主をほめたたえずにはいられません。
私はフードバンクのフロアスタッフとして3カ月間奉仕をさせていただきました。
出発の前日、39度の熱が出て、とても楽しみだった気持ちがなえて、不安と恐怖にかられました。私が信頼する牧師に会いに行くと、こう言われました。
「イスラエルに行ったら、日本に帰ってきた後も受ける祝福が大きいから、行かせないようにしている力が働いているだけですよ。大丈夫、何も心配いりません。この扉(BFPで奉仕をすること)を開かれた主は、イスラエルで待っているのではない、いつも共におられますから」と。
イスラエルに着くと、私の不安な思いはすべて吹き飛ぶようなことばかりが待っていました。しかしそれでも、普段の自分とは思えないほど、なぜか前向きになれず、英語でのコミュニケーションにちゅうちょしてしまっていました。そんな中でも、いやそんな時だからこそ、主は私に「もっと自由に楽しみなさい」と、日本では絶対にできない経験と多くの出会いを、感動と共に与え続けてくださいました。
何よりも素晴らしかったのは、ブリッジーズの神の家族、一人ひとりの豊かな個性と信仰心でした。私は彼らの言葉一つ、表情一つ、祈りの姿、また悔い改めの心・・・そのすべてから、主を愛することは、人として究極的に美しいものだということを学びました。
実際に霊的にも肉的にも、私よりはるかに年を重ねられた兄弟姉妹たちの燃えるような真剣な信仰から、「人は神さまによってしか、その人本来の輝きを真に放つことはできないんだ」ということを強く感じました。同時にキリストが、彼らの内に住んでいるからこそ、その内側からにじみ出る美しさは、柔らかく温かく、そして力強い存在感があるのだと思いました。それは、若さや外見で測られている日本や世界の美徳意識をはるかに凌駕(りょうが)する、神の子の魅力であると感じました。
イエスキリストを模範として、謙遜であるからこそ勇敢に生きる彼らを見て、純粋に「こんな風に私も年を重ねたい」と思えたことは、本当に本当に大きな励ましとなりました。
またZealous Projectの若い彼らの存在は、同世代の私にとって、とっても刺激的で希望となりました。こんなに堂々と「イエスさま大好き!私の人生捧げる!」と非常に熱烈に楽しそうに語る彼らから、主は私たちの世代に希望とご計画を用意してくださっている!だからこそ、私ももっと学びを深めたいと望む思いが強まりました。
このすべての兄弟姉妹と過ごした滞在の時間は、これまでの人生、我武者羅に走ってきた私にとって癒やしであり、また主によって一新された私への励ましとなる時間でした。
「主は私をあわれみ、尊んでくださっている。」それを日々感じるたびに、感謝で涙しました。
イスラエルのことを知ったのは、BFP主催の聖地旅行を通してでした。最初の聖地旅行では、私はまだクリスチャンですらなく、聖書や聖地については何も知らない者でした。しかし、やがて変えられ、2度目の聖地旅行の際、ヨルダン川で受洗するに至りました。その後、どうしてもエルサレムで主に仕えたいという思いが頭から離れず、受洗から数カ月を経て、BFPボランティアとしてイスラエルに渡りました。
生まれたばかりのベビークリスチャンとして、エルサレムでの生活が始まりました。共に働く人たちは、全員が世界中から主に召され集められた敬虔なクリスチャンたちです。当時の私は、祈り方も知らず、聖書理解もほんの少しで、イスラエルのことについては無知も同然でした。何しろ、主がくださった「思い」だけでエルサレムまでやってきたのです。「なぜイスラエルのために祈るのですか?」「ユダヤ人とは、どういう人のことをいうのですか?」など、突拍子もない質問をしては周囲を驚かせていたものです。どなたも、イスラエルのことをよくご存知で、何年も祈ってやっとエルサレムにやって来た、というような熱心な方が多かったからです。文化の違い、私の英語力不足からくる誤解など、不作法極まりないことも多々ありましたが、その都度「赦し」をいただいていました。私は、フードバンクでボランティアたちによって、クリスチャンとしての成長を与えられたのです。
私の仕事は、フードバンクのフロアで、支援先団体や家族への支援物資を梱包したり、袋に詰めたりすることでした。力仕事でしたが、不思議と体調を崩したことは一度もありませんでした。楽しかったのは、仕事の合間に賛美をしたり祈ったり、一日中、クリスチャンとして過ごせたことです。イスラエルでは、金曜の日没から土曜の日没まで安息日になりますが、安息日の夕べには、よくボランティアで集まったものでした。聖地エルサレムにいるというだけで胸が踊り気分が高揚するのですが、主がお定めになった「安息日」に「エルサレムで」信仰を分かちあうということの意味、素晴らしさは、言葉にならない喜びです。
過ごすうちに、イスラエルやユダヤ人に対する「愛」も芽生えました。1年を過ごしたので、イスラエルの年中行事をすべて経験することができました。聖書に出てくる「主の例祭」が、今も忠実に守られていることにも驚きましたが、もっと驚いたのは、聖地を知れば知るほど聖書への信頼が深まっていくことでした。聖書を読んで検証するのではなく、聖地を見て歩いて確かめて、聖書で確信を得るのです。また、現代イスラエルを知ることで、聖書預言の確かさも実感しました。聖書を片手に、自分の足で聖地を歩いてめぐる興奮と感動は、どう表現したらよいのでしょうか。
BFPでの尊い働きに参加させていただいただけでなく、神さまは、イスラエルに暮らすことでたくさんの祝福を与えてくださいました。多くの素晴らしい人たちとの出会いもありました。今では、出会った全員が私のイスラエルでの「家族」だと感じています。このような体験を与えてくださった神さまに心から感謝すると共に、これからも絶え間なく日本からボランティアが送られるよう祈ってやみません。それが日本の祝福となるからと聖書に書いてあるからです。
すべてのことに感謝して。シャローム!
イスラエルは聖書の舞台でありながら、私にはちょっと遠い存在でした。しかし教会で祈り会(ハイナイト)が始まり、BFPの働きを知ると現地で働きたいという強い思いが心に迫ってきました。その後、神さまは祈りに答えてくださり三度にわたる短期ボランティア、そして4年の長期ボランティアとして働くことができました。イスラエルは、今ではまるで恋人のように大切な存在です。
ボランティア体験は、①異文化での冒険、②イスラエルと聖書について学び、③現地の人と同じように生活し、④愛の架け橋となる働きを担うものでした。
入国からすぐに冒険は始まります。滞在中、神さまに守られた数多くの経験から、自分は決して一人ではなく、日本で祈りによって支えてくれる神の家族があって、働きができるのだと学びました。
世界中のクリスチャンの献金が、食べ物や生活用品となって人々の手に渡されます。フードバンクを訪れるのは、里子や支援を受ける人以外にも、その日の食べ物に困った人がほぼ毎日やって来ます。片言のヘブライ語を覚えてあいさつをすると、中には目に涙を浮かべてハグしてくれる人もいました。
私たちがキリストの愛をもって行動する時、イスラエルの人々の心に種をまくのだと思います。春が来ると氷が溶け、土から芽を出して植物が育つように、まかれた愛の種が良い実を結ぶことを願っています。そのためにも、この働きは多くの人によって継続する必要があるのです。
イスラエルでは不思議な出会いが幾つもあり、今では顔を思い出しながら具体的に人々の祝福を祈れるようになりました。私はこれからもイスラエルを祝福し、自分にできる方法で関わっていきたいと思います。皆さんもぜひ現地ボランティアを体験してみてください。心からお勧めします。
僕は半年間、BFP大工チームの一員として働きました。この半年間の大工チームの主な働きは、BFPで管理しているアパートのメンテナンスや、貧しいエチオピア系ユダヤ人の老廃したアパートの修繕などでした。大工チームの一員として働くことができた日々は僕にとって大きな喜びでした。スーパーバイザーのロビーをはじめ、素晴らしいメンバーに恵まれました。そして何よりユダヤ人の家を直接訪問し、自分たちの技術を通して彼らを手助けできること、祝福できること、これは本当に特別な経験でした。
僕がよく任された仕事は、水漏れ修理やペンキ塗りなどです。僕の父は水道工事店を営み、長男の僕は幼い頃から工事現場に一緒に行って、父の仕事を手伝ってきました。家業を継ぐために、工業高校も卒業しました。また、以前約一年間ペンキ塗りの仕事をしていた経験もありました。このような経験が生かされ、イスラエルの地で働くことができたのは、決して偶然ではなく、すべては神の計画なのだと確信しています。
僕たち大工チームは、7月にエチオピア系ユダヤ人から、アパートのキッチン修繕の依頼を受けました。このキッチンはかなり古く、何箇所かひどく破損していました。シンクの中にも、いくつかひび割れがあって、水漏れも起こしていました。あまりにも状態がひどかったため、修繕不可能ということで、キッチンユニットをすべて新品に交換する工事をすることになりました。
エルサレムの多くのアパートは5階建てや6階建てです。古いアパートには当然エレベーターなどなく、重い工具やペンキを持って狭い階段を昇り降りするのは楽ではありません。その日も、真夏の40度近い炎天下、古いキッチンを少しずつばらしていき、階段を何往復もして外に運び出しました。
シンクを取り外すと、その後ろから数千匹のゴキブリが出てきました。周りのアパートメントにまで大量のゴキブリが入っていってしまって、近所から苦情が来るほどでした。これにはメンバー全員苦笑でした。大工チームには、このように逃げ出したくなるような汚い仕事もあります。ですが、仕事が終わり、キレイになったところを見ると、満足感でいっぱいになります。
古いキッチンユニットを取り外した後、床や壁をキレイに掃除し、新しいユニットを一つずつ組み立て取り付けていきました。そして最後にタイルを張り完成。完成したキッチンを見た奥さんと子どもたちは、うれしそうな顔をして「トダ(ヘブライ語で〔ありがとう〕の意)」と何度も繰り返していました。このように彼らと直接触れ合うことができるのも、大工チームの特権だと思います。
僕は大工チームとして働き始めたばかりの頃、「この人たちは、僕たちクリスチャンのことをどう思っているのだろう。」また、「どういう態度で接していけばいいのだろう。」と不安に思っていました。しかし実際には、ほとんどのエチオピア系ユダヤ人たちは、フレンドリーで僕たちのことを笑顔で迎えてくれます。休憩中にはコーヒーを出してくれるし、仕事が終わると笑顔で握手してくれます。
僕たちは言葉が違うので、あいさつ以上の会話はほとんどできませんが、この半年間、僕は数え切れないほどのユダヤ人の笑顔を見ることができました。そして数え切れないほどの「トダ(ありがとう)」を聞くことができました。この一つひとつが、僕にとって大切な宝物です。
僕は半年間の現地ボランティア期間を終え日本に帰りますが、これからもBFPファミリーとして、この大工チームの働きが、さらに多くの貧しいユダヤ人の元に届くように、そのために必要なボランティアスタッフ、経済的な必要が満たされるよう祈り続けていきたいと思います。
私は約7カ月間、エルサレムにあるBFP国際本部の人事部でボランティアをしていました。国際本部での働きはフードバンクと違って、実際に現地の人たちと触れ合う機会の少ない職場です。しかし国際本部は、世界7カ国の国際支部(アメリカ・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・イギリス・南アフリカ・日本)とイスラエルをつなぐ大変重要な役割を果たしています。また、フードバンクでの働きも本部の働きなくしては成り立ちません。人事部の働きは、イスラエルの民に支援をするボランティアの方々を陰で支える働きだと思います。普段はパソコンに向かっての仕事でしたが、それが間接的にでも確実に支援先のユダヤ人につながっていて、私のする一つ一つの小さな業務を、主は恵みと変えて人々の心に届けてくださったと思います。また、イスラエルで奉仕をするボランティアの方々と、人事の働きを通して関わる機会が与えられ、それぞれの人生に大きく働かれて、彼らをイスラエルの地に導かれた主を見ることができました。
ボランティアに来る方々は決して経済的に余裕があるわけではない中で、主に信頼して主の召しに応答しておられました。ボランティア一人が故郷や家族を後に遠く離れた国、イスラエルに仕えに来る。それ自体が主の御業であり、奇跡だと思います。まさしくイザヤ49章22節の預言の成就に携わる喜びと恵みを体験させていただききました。
「見よ。わたしは国々に向かって手を上げ、わたしの旗を国々の民に向かって揚げる。彼らは、あなたの息子たちをふところに抱いて来、あなたの娘たちは肩に負われて来る。」
「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」という主の教えをどのように実践したらいいのかということを、イスラエルにいる間深く考えさせられました。そして出た一つの答えが、全力で主の教えに従い、主が愛されるものを全力で愛し、主が持っておられる壮大なご計画に全力で携わっていくことでした。主が情熱を持って今も愛されるイスラエルのために祈るようにという召しに応えたとき、与えられる恵みは私の想像と期待をはるかに超えた何にも変えられないものでした。そしてそれは、これからも続くものです。そして、私自身これからもこの召しに応え続けていきたいと思います。
2006年春、初めて出会った女性に「イスラエルに琴を弾いてくれる人がいたら」と言われ、お琴の教師をしている私は、それが私のことなのですか?と神さまに聞き始めました。
それまではクリスチャンであってもイスラエルは遠い存在でしたが、主はどんどん私をイスラエルに導かれました。2008年に初めてイスラエルへ行き、エルサレムで開かれた「祈りの祭典」では、一人で琴で賛美させていただき、続く2009年には、タンバリンチームと一緒に琴で賛美しました。このとき、私は持って来た琴を主に捧げたいという思いでいっぱいになり、オリーブ山にある「祈りの塔」に置いて帰りました。日本に帰って来ても、いつも心の中ではイスラエルのことを思い、いつかユダヤの方々に接して仕えてみたいという思いがあふれるようになりました。そんなとき、2010年3月号の「オリーブライフ」で石本良恵さんの証しを読みました。彼女の証しに圧倒されながら、もしかしたら私もボランティアができるだろうかと真剣に考え、応募することにしました。
自分のありのままをただ主に委ね、導きを求めましたが、2011年11月 主が道を開いてくださり、約3週間フードバンクでボランティアをさせていただきました。この時期は私以外に4人の日本人がエルサレムでボランティアしていました。一人でイスラエルに行くことに大きな不安を抱えた私を、空港まで迎えに来てくださった良恵さん。いろいろな不安を優しく聞いてくださったサティさん。初めてのオリエンテーションでの通訳や、住まいからフードバンクまでの道案内をしてくださった恵さん、フードバンク2階で里親の仕事をされ、仕事帰りに一緒にショッピングに行ってくださった詩恵さん。この4人の女性たちは主が私に備えてくださった宝物です。
フードバンクでの奉仕の他に今回、全く考えてもいなかった琴の演奏は、BFPのスタッフの方々の手助けがなければ実現しませんでした。良恵さんが声をかけてくださったことによって実現した琴の演奏は、実に計6回にもなりました。小学校や荒野に行って琴を弾いたのは大きな喜びでした。また、2009年に置いて来た琴との再会は、私の思いを超えた主の恵みでした。あっという間の3週間でした。どんなに不安でも、主に「はい」と答えて踏み出したら、主はすべての必要を満たして溢れんばかりの祝福を与えてくださる、それを体験できました。またきっと、ユダヤの方々のところに戻って行きます。
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