イスラエルのよいところも、悪いところも知ってとりなすために・・・
一般的にイスラエルは、平和に暮していたアラブ人を追い出してできた急ごしらえの国と思われがちですが、現実には国連総会の承認によって建国されました。18世紀末、イスラエルの土地は大半が不毛な荒地か、伝染病のはびこる沼地で、荒廃しきっていました。そのような土地をユダヤ人は、オスマントルコの不在地主たちから大金で少しずつ購入し開墾していきました。流浪の民として多くの場合、土地を持つことを許されなかったユダヤ人にとって、慣れない農業への従事は過酷でした。大勢が沼地で発生するマラリアで命を落としました。
それでも、ユダヤ人にとって安住できる場所は祖国の地以外にないと考える勇敢な開拓者たちや、ヨーロッパでの迫害から逃れてやってくる人々によって、シオンの地は少しずつかつての繁栄を取り戻していきました。農場ができると、仕事を求めて周辺の土地から移民(多くの場合アラブ人)が集まり始め、人口も爆発的に増えていきました。
1948年、独立と同時にアラブ連合軍が攻めてくると、イスラエル政府は、国内に住んでいたアラブ人に生命と財産の保障をしとどまるよう説得しました。しかしアラブ人たちは「イスラエルに勝ったら市民権を与える」という連合軍の言葉を信じて、一部を除きイスラエルを出ました。結果として、圧倒的に優勢であったアラブ連合(トランスヨルダン、エジプト、シリア、レバノン、イラク)は敗北し、イスラエルは奇跡的な勝利を収めました。
その後約束が守られることのないまま、イスラエルを出たアラブ人は難民となりました。同規模のユダヤ人難民がアラブ諸国から追放されましたが、このユダヤ人難民はイスラエルに吸収されました。これが今日のパレスチナ難民問題の始まりです。現在に至るまで、周辺のアラブ諸国はこの難民を自国に吸収せず、難民としてとどめています。やがて彼らの中から、テロやロケット攻撃でイスラエルに犠牲を与えるテログループが活動を始め、いつの間にか「パレスチナの独立・解放運動」として世間に認識されるようになっています。このことは、今なおイスラエル、アラブ双方にとって重い石となっています。
「ユダヤ人は金持ち」―これが世界的な認識ですが、事実は、一部のユダヤ人が経済的に成功しているだけであり、現実には多くのユダヤ人が貧困にあえいでいます。
資源のないイスラエルは、農業、ハイテク産業、ダイヤモンド産業(研磨)、そして観光業によって収入を得ています。しかし、テロや紛争の勃発などで、いつ何時、経済が圧迫されるか予断を許さない状況にあります。観光業が圧迫を受けると、人口788万の小さな国ですから、影響はあっという間にあらゆる分野に及びます。
一方で、テロの取り締まりと国防のため、多くの軍事費を費やさざるを得ない現実があります。国として存続していくだけでも危機的な状況にありながら、イスラエルは、「世界にただ一つ、ユダヤが安心して暮らせる国」という信念に基づいて、ロシアをはじめとする百カ国以上の国々から、今なお移民を受け入れています。そのため貧困層の割合も高く、国民の25%が日々の糧さえままならない貧しさの中に生きています。
貧しさや不況、テロと同等かそれ以上にイスラエルの人々が苦しんでいるのは、誰も彼らの抱えている現実を分からないことではないでしょうか。誤った報道がまかり通り、むしろ憎しみのまなざしを向けられている、という悲しみが国中に満ちています。
残念ながら世界のメディアは、イスラエルに対して偏った報道を行っていると言わざるを得ません。結果として、世界中でイスラエルに対する非難の声が高まっています。イスラエルと結び付けて、世界のユダヤ人たちもまた、反ユダヤ主義の標的となっています。世界のメディアによる偏見と誤解を受けて苦しむイスラエル、そして、貧困と政情不安の中に沈むパレスチナのために、私たちにできることがあります。それは実際的な物資支援と、霊的支援、すなわち「とりなしの祈り」です。
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