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ティーチングレター

神のともしび、人類の光 -メノラーの神秘-

BFP編集部 2003年12月

先月に引き続き、この「イスラエル・ティーチング・レター」シリーズに、ゲストを招待します。今月は、ジョン・D.・カル博士です。哲学・神学博士であるカル氏は「RestorationFoundation(レストレーション・ファンデーション)」という団体の設立者であり、『Restore!(再建せよ!)』誌の編集者でもあります。聖書的シンボルである7枝の燭台「メノラー」について、すばらしい学びが展開されます。

ジョン・D.・カル博士のメノラーに関する学び

聖書には数々のシンボル(象徴)が出てきますが、中でもメノラーは特別です。その流れるような線を描いて左右対称を成す優美な姿……。美的見地から言っても芸術品としてすばらしいものですが、その域をはるかに超えて、聖なる神を表す存在であることを、見る人々の心に呼び起こします。それは、地上の職人がいかに想像を働かせても造ることができない、天が与えたデザインだからです。

クネセット(イスラエル
国会)前に立つメノラー

もともとは、荒野に造られたイスラエルの幕屋の聖所内を照らす明かりとして、神がモーセに命じて作らせたものです。ユダヤ人にとっては単なる道具以上に、シンボルとして大きな意味をもつものとなりました。1900年という長い空白の時を経て、イスラエルが現代によみがえった際も、国家の再生を記念し、ユダヤ人の共通意識の中にその重要性をとどめるために、メノラーが最高のシンボルとして選ばれ、今も重んじられています。

メノラーの製作については、聖書の中でも特に細部にわたって記録されています。「また、純金の燭台を作る。その燭台は槌で打って作らなければならない。それには、台座と支柱と、がくと節と花弁がなければならない。六つの枝をそのわきから、すなわち燭台の三つの枝を一方のわきから、燭台の他の三つの枝を他のわきから出す。」(出エジプト25:31-32)

現代イスラエルの記章となったメノラー

メノラーは、光の源であられる神ご自身を表す実物的な象徴でした。その中心の燭台を「ネル・エロヒーム(神のランプ)」とユダヤ人たちは呼んでいます。ダビデは神を次のように賛美しました。「主よ。あなたは私のともしび。主は、私のやみを照らされます。」(IIサムエル22:29)。それゆえイスラエルの民は、メノラーの中に、暗闇を照らし出される光としての神を見いだすようになりました。詩篇の記者は神を「あなたは光を衣のように着、……」(詩篇104:2)と表現しています。神の威光は、神殿の中で燃え輝く、メノラーの光の中に豊かに表されていたのです。

古代のオイルランプ

聖なるみことば、神のともしび

ダビデが「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119:105)と言ったのは、単なる自己発想ではありません。月明かりのない真っ暗な闇の中、見知らぬ道を歩く際にたいまつの明かりをともすように、神のみことばは、人類が歩む狭い道に光を与え、永遠の命の門へと導いてくれます。神のみことばの中に明らかな啓示を見いだそうとしない限り、人は滅びます(箴言29:18)。神のみことばは、人間の存在の中にある根源的な暗闇、混沌、無知、恐れ、疑い、危険を打ち払います。行く手にあるさまざまな未知の要素を乗り越えさせ、命へ至る道へと人を導きます。この道を歩む人は、つまずくことがありません(イザヤ35:8)。

メノラーの光は、トーラー(聖書、おきて)、神のみことばの象徴でもあります。ソロモンは、人類におきてを与えた神の恵みを、次のように言い表しています。「命令はともしびであり、おしえは光であり、訓戒のための叱責はいのちの道であるからだ。」(箴言6:23)。神のおきては明らかに“人の目を明るくする”のです(詩篇19:8)

時が満ちて、神はただ一人の御子、イエス・キリストをイスラエルのメシアとして、世界の救い主として世に遣わされました。そして、この方の内にご自身の本質と栄光を完全に表されました。神の栄光は、イエス・キリストの中に表されたのです(IIコリント4:6)。自らがメノラー、神のともしびであるイエス・キリストは、地上に天国の香りをもたらしました。このイエスは、人類の光として、すべての民族に栄光の衣を着せ、永遠の命を与えるという約束をしてくださいました。そして、聖なるお方である神のもとへと導き出してくださったのです(ヨハネ1:4-5)。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8:12)

光に込められたテーマ

「光よ、あれ。」(創世1:3)。神が発せられたみことばにより、突然暗闇から光が出現し、まだ形もない混沌とした宇宙を照らしました。天地創造で神が最初に生み出されたのは光であるということは、とりわけ重要なことです。その光は、神がご自分の存在そのものから取り分けられたのです。神がみことばを発せられると、そこに常に光が生み出されます(詩篇119:130)。

聖書の中で、光は知識に例えられます。メノラーに象徴される知識の光は、人生を意義深い、充実したものにします。神殿の中にあるメノラーが何ピースかの部品が結合して組み立てられたものではなく、一つの単体の純金でできているという事実は「すべての知識は一つの源からくる」ものであるということを表しています。

メノラーはまた、知識が一部の特権階級に占められるものではなく、社会のすべての人々にもたらされるものであることを表しています。メノラーのともしびが七つに分かれているのは、光の源が一つに限定されてはいないこと、またその光を受ける対象が一つに限定されてはいないことを示しています。すべての人間は光を受け、自らも輝くことができるのです。そのために必要なのは、生きたメノラーであられる神とのつながりをもつことです。

命の木

メノラーの、中心の軸から何本も枝が伸びているその形は、まさに木そのものです。ユダヤ人は、メノラーは本来、命の木を表していると長い間信じていました。ダビデが「私の足のともしび」(詩篇119:105)と言った通り、メノラーは明らかに神のみことばの象徴です。そして命の木は、知恵である神のみことば、聖書を表しています。ソロモンは知恵を「命の木」と言い表しました(箴言3:18)。黙示録では、ご自分の命令を守る人は誰でも、命の木に至る権利が与えられると神は仰せられています(黙示22:14)。

モーセがシナイ山で見た“決して焼け尽きることのない燃える芝”は、実はメノラーの先駆けのイメージとして現れたものです。この芝の中から語られる神の聖なる御声を聞き、モーセは預言者としての任命を受けました(出エジプト3:2)。モーセの人生でこれが初めての神との出会いでした。メノラーもまた、その黄金に輝く木の姿に込められた、神のみことばを通して光と命がもたらされることを人々に伝えています。

オリーブの木・・切り株からも新芽が生えてくる

メノラーはまた、“復活を通して得られる永遠の命”を表しています。メノラーのともしびのために使われる油はオリーブ油のみ、と聖なる法で定められていました。古代の人々は、オリーブは枯れることがなく永遠に生き続ける木と信じていました。それゆえ、オリーブの木は永遠の命に例えられていました。オリーブ山にあるゲッセマネの園には、樹齢2000年を超えるオリーブの古木が今も生きています。例えその幹が切り倒されても、残された根から新芽が生えてくるのです。

イスラエル――神の光

ユダヤ人は、メノラーにともる七つのともしびを、世界を照らす神の光として選ばれたイスラエルの、魂の集合体と見ています(イザヤ42:6)。神がこの民族をご自分の民として選び出された時から、彼らに“世界の光”となるよう命じられました。「これ(おきてと定め)を守り行ないなさい。そうすれば、それは国々の民に、あなたがたの知恵と悟りを示すことになり、これらすべてのおきてを聞く彼らは、『この偉大な国民は、確かに知恵のある、悟りのある民だ。』と言うであろう。」(申命4:6)。イスラエルは、神の教えによって支配される生き方を示すために、諸国民の前にモデルとなるように定められたのです。彼らが神のみことばに従うことで繁栄し、祝福を受ければ、その姿を見た異邦の民たちも啓発されて、神に立ち返るであろうということです。

イザヤ書では、イスラエルが神の証し人であることが明示されています。「あなたがたはわたしの証人、――主の御告げ。――わたしが選んだわたしのしもべである。これは、あなたがたが知って、わたしを信じ、わたしがその者であることを悟るためだ。わたしより先に造られた神はなく、わたしより後にもない。」(イザヤ43:10)。神のおきてに従う生活を送ることで祝福を受け、豊かに栄える国民となる――イスラエルのこの姿を通して、世界の人々は永遠なる神の存在を信じる――イスラエルはこの真実を目撃する証人として選ばれたのです。イスラエルが神に対し忠誠を尽くすことで祝福を受けることは、諸国民にとっての輝かしい例となり、自身が光輝くだけでなく、光の源である神に光をお返しすることになるのです。

光としての役目

イスラエルは、超人的なエリート集団となるべく選ばれたのではありません。全世界に神の光を放つという目的のために、世界の諸国民の中から選ばれたのです。「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。」(申命14:2)

イスラエルの人々は、メノラーの聖なる光の中に、神の生ける証しとその輝かしい威光を見いだしていました。彼らは、自分たちが選ばれた民として放つ光、そしてメノラーの光そのものも、ただ、神という源があるからこそ発することができることを理解していました。預言者が言う通りです。「起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。」(イザヤ60:1)

イザヤは、世界を照らすために神がイスラエルを選ばれたことについて、さらに言及しています。「わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握り、あなたを見守り、あなたを民の契約とし、国々の光とする。」(イザヤ42:6)「ただ、あなたがわたしのしもべとなって、ヤコブの諸部族を立たせ、イスラエルのとどめられている者たちを帰らせるだけではない。わたしはあなたを諸国の民の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする。」(イザヤ49:6)。この二つのみことばは、メシアに関する預言であると共に、諸国民のためにメノラーの光となり、地の隅々まで神の救いをもたらすために選ばれた、証し人の集団としての、イスラエルにも当てはまるものです。すべての民族は、この神の仲介者である選びの民を通して、光を放つ神のみことばの不思議に触れることができるようになったのです。

「あなたがたは世界の光です」

イエスがご自分の弟子たちを「あなたがたは、世界の光です。」(マタイ5:14)と言われたのは、ご自分のユダヤ的背景を踏まえてのことで、当時、決して独創的な発想でも、革新的な概念でもありませんでした。イエスは古代イスラエルの民が受けた「世界の光」となるべき使命を、弟子たちを任命される際に託されたのです。

最初、イエスはご自身を“光”として現されました。「わたしは、世の光です。」(ヨハネ8:12)。イエスは、まだ生後間もない時点で、イスラエル人の定めとして母マリヤの手に抱かれてエルサレムの神殿を訪れました。メシアの到来を待ち望んでいた、敬虔なシメオン老人は、幼子イエスを抱き上げてこう叫びました。「私の目があなたの御救いを見たからです。御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」(ルカ2:30-32)。この、生きたメノラーであられるお方は、イスラエルと諸国民の両方に光をもたらされるために来られました。人としてのイエスは、ただ、完全な聖なる者とは何か、ということだけでなく、完全な人間とは何かを証しするために来られました。アダムの創造以来初めて、完全な人間性の神髄が、このイエスに表されているのです。こうなると、イエスは神のメノラーそのものであるということに、何の不思議があるでしょうか。「わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」(ヨハネ9:5)。主はこう力強く宣言されたのです。

伝道生活の後半で、イエスは“個”としてのこれまでのご自分から、ご自分を信じる人々が集合して一致する形での、ご自分の御体のことを、弟子たちに教えられました。メシアの御体として、彼らは“世界の光”となるようにされたのです(マタイ5:14)。「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。――光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。――そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。」(エペソ5:8-10)。ペテロは、異邦人もまた暗闇を抜け出して、神のすばらしい光の中へと入れること、それゆえ、神の選びの国民の一部となり、イスラエルと共に「神の大いなる御業を宣言する者とされ」(Iペテロ2:9)ることを語っています。

「『わたしの霊によって。』と万軍の主は仰せられる。」

メノラーはまた、聖書預言の中に現れる数々のしるしの中でも最も強力なものとして、ゼカリヤ書4章に描かれています

ユダヤ人たちが、バビロンの捕囚から解放されて70年ぶりにエルサレムに帰ってきた際、完全に荒廃しきった祖国の状況が目に入りました。栄華を極めた神殿もまた、瓦礫が積み重なり、荒れ果てていました。この弱りきった民が、資源も人材もなく、ソロモンの時代に得られたような国際的な援助もない状態で、どうやって神殿の再建を立案し、実行することができたでしょうか。バビロンに捕われていたユダヤ人のうち、実に80パーセント以上の人々が、イスラエルに戻って再建の苦難を味わうよりも、異国の地に残ることを選びました。彼らの中には、最も優れた知識人たち、また職人たちも含まれていました。

ハヌカーの祭りの時にともされる
“ハヌキヤ”と呼ばれる燭台。
「メノラーが8日間明かりをともし続けた」という
奇跡にちなんで、9本のろうそく立てがある
(うち1本は種火)。ハヌカーの期間中、
1日に1本ずつろうそくがともされていく。

この時、預言者ゼカリヤのもとに天使が現れ、彼の目に壮大な幻を見せました。「私が見ますと、全体が金でできている一つの燭台があります。その上部には、鉢があり、その鉢の上には七つのともしび皿があり、この上部にあるともしび皿には、それぞれ七つの管がついています。」(ゼカリヤ4:2)。天使はゼカリヤに、この幻について、「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』と万軍の主は仰せられる。」(ゼカリヤ4:6)と宣言しました。

このゼカリヤが見た幻を通して、ユダヤ人たちは、自らの民の生存と繁栄はすべて、神の支えによるものだということを悟りました。この意識のゆえに、差別、迫害、暴力というおびただしい戦いの中でも、彼らは神に仕える民であるがゆえに、一つの民族として存続し続けてきました。征服者たちは彼らに同化を促す法律を何度も課しましたが、彼らは独自性を保ち続けました。なぜなら神は決して変わらないお方であり、彼らにくださる賜物と召命もまた、存続し続けるからです(ローマ11:29)。イスラエルは己の権力でもなく、能力でもなく、ただ、神の霊によって今日まで生き続けているのです。

捧げることを通して生み出された光

ユダヤの例祭の一つ“ハヌカー”は、ユダヤ人たちが、ユダヤ教と、聖書的信仰の心と魂を守るべく、決意をもって戦った末に勝利したという史実がもとになっています。この話の中心となるのがメノラーです。それゆえにこの祭りは「光の祭り」とも呼ばれ、ユダヤ人たちによって12月にお祝いされています。

ユダヤ人とユダヤ教にとって「唯一神信仰」と「全体的世界観」は、特に中心的な要素です。紀元前2世紀、ユダヤはギリシャによって征服されていました。征服者アンティオカス・エピファネスは、剣をもってユダヤ人たちをヘレニズム信仰に改宗させようとしました。恐怖政治が始まったのです。これに対し、ついにユダヤ人たちは蜂起しました。マタティアスの息子ユダがリーダーとなり、ゲリラ戦法をもって、征服者であるセレウコス朝の軍隊をユダヤから駆逐しました。この成功により、ユダには「マカビー(鉄槌)」というあだ名が付けられました。

勝利に満ちて凱旋したマカビーらの目に入ったのは、異教によって汚された神殿でした。彼らは神殿での礼拝復興に着手しました。メノラーをともすために必要な清いオリーブ油は、たった一瓶だけ、たった一日分にしか満たない量で見つかりました。神殿での礼拝に使うための最上のオリーブ油を精製するには7日間を要します。ユダヤの伝承は「ここで奇跡が起こった」と、次のように伝えています。メノラーに再び明かりがともされたとき、このわずかな量の油では、火は24時間しかもたないはずなのに、さらに7日間(計8日間)、火を保ち続けたのです。これは、異教に対して勝利を成し遂げ、神の聖所を清めるために、ユダヤ人たちが払った捧げ物と犠牲を、神が受け入れてくださったことの証しでした。

イエスの時代には、アンティオカスに対するユダヤ人の勝利を記念して祝うようになったハヌカーは、年中行事として、ユダヤ地方に住むユダヤ人の間で重要なものとなっていました。イエスご自身もまた、この祭りを祝うためにエルサレムに上ってこられました(ヨハネ10:22)。今日、さまざまなユダヤの例祭の中で、ハヌカーはペサハ(過越の祭り)に次いで最も人気のあるものとなっています。

メノラーに明かりをともす

闇がすべてを覆う深い夜の中でも、メノラーは最も強い光を輝かせるものです。同様に、世界が最も暗黒の時代にある中でも、神に選ばれた人々であるイスラエルと教会は、最も強い光をもって輝く必要があります。これこそ、パウロが、すべての信じる者たちが、邪悪でよこしまな国の中にあっても、「世界の光」として輝くことを強調するゆえんでもあります(ピリピ2:15)。イスラエルの神である主を信じる一人ひとりが、今もなお小さなメノラーとしての役割を担っているのです。

残念なことに、歴史の中で悪が力を増したとき、イスラエルと教会が光を世界にもたらす役割に何度も失敗しているという悲しい現実があります。光輝くための完璧なマニュアル(聖書)を与えられていながら、イスラエルは分離主義、排他主義、エリート主義のわなに陥りました。教会もまた、絶えず過ちを犯し続けました。

しかし人間の不忠実は、人類に対する神の変わることのない忠実を消し去るものではありませんでした。「神の賜物と召命とは変わることがありません。」(ローマ11:29)「彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。彼は衰えず、くじけない。ついには、地に公義を打ち立てる。」(イザヤ42:3-4)。ここでの“いたんだ葦”とは、燭台が壊れてしまった状態を表します。預言的な見地から言えば、これは、火が消えそうになるほど台無しにされた、神のメノラーとしてのイスラエルを指します。この選びの民は傷を受けましたが、滅びることなく、その光は弱まったかもしれませんが、消え去ることはありませんでした。

このみことばは、失敗を犯し続けた教会にも等しく該当することですが、しかし神は、教会とイスラエル、この両者を“いたんだ葦”として折ることもなく、くすぶる燈心として消されることもなさいませんでした。主は次のように宣言されています。「シオンのために、わたしは黙っていない。エルサレムのために、黙りこまない。その義が朝日のように光を放ち、その救いが、たいまつのように燃えるまでは。」(イザヤ62:1)。神ご自身が力強く輝いてくださるとともに、この地上に置かれたメノラー――神によって啓発された個人、イスラエル、そして教会もまた、神の真実の光を豊かに輝かせるのです。

やがて時は満ち、神はメシアを再びこの地上に遣わされ、死者を復活させてくださるでしょう。そして次のことが起こります。「思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。」(ダニエル12:3)。神の明かりである人々は、生きたメノラーとして、世界全体に光を放つようになり、海が水で満ちているように、主の知識がこの全土を覆うようになる時代がやって来るのです(イザヤ11:9)。

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