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『放蕩息子』に見る神のご性質

BFP編集部 2004年1月

「さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。『この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。』」(ルカ15:1-2)

当時のユダヤ教組織からつまはじきにされている人々に福音を伝えることは、主イエスの喜びでした。なぜなら、神はあらゆる人が救われることを望んでおられるからです。しかし、イエスが収税人などいわゆる“罪人たち”に語り掛けておられることに対し、パリサイ人は非常に批判的でした。パリサイ人は、罪人と判断する人々とは会話や食事はもちろんのこと、他の交流も一切しませんでした。彼らは世の中の人間を、神の国(イスラエル)“内部の人々”と“外部の人々”の2種類に分類しました。そして、この両者が互いに行き来し合うことはありませんでした。

イエスはパリサイ人の批判を耳にして、『放蕩息子』の例え話をされました。神はご自分の下から迷い離れてしまった人々を探し出し、立ち直らせたいと願っておられることを伝えるためです。また、己の義を振りかざすパリサイ人の態度に対し、誰一人として、神の愛と恵みからもれることはない、ということを教えたかったのです。神の御国の奥義を知り、人々を導く役目を負っている彼ら宗教指導者に対し、イエスの例え話を通して、罪の人生を生きる人々を愛し、あわれみ、神の御国へと立ち返らせる道を教えようとされました。

今月は、この例え話から語られる神のご性質について学びたいと思います。その際、現代の私たちに深く浸透しているギリシャ的思考から離れていただきたいと思います。ギリシャ的視点では、ある物や人物について、「これはいったい何なのか」「誰なのか」など、その形や姿に着目しがちです。しかし、ユダヤ的視点は、その物や人が「いかなる機能・役割をもっているのか」に注目します。イエスが語られた例え話はユダヤ的思考に基づいています。残念なことに、放蕩息子の例え話は、このネーミングゆえに、焦点が弟息子の方にばかり行ってしまい、他の重要な登場人物たちを見逃してしまいがちです。この息子が家庭や社会との関係を回復できるようにと奔走する、慈しみ深く情けに満ちた父親、プライドと自己義認のゆえに、弟を許すことがない兄息子にも注目しながら読んでいただきたいと思います。

まずは聖書を開き、ルカ伝15章11節から31節までお読みください。

舞台背景

この物語には、二つの舞台が登場します。一つは放蕩息子の生まれ故郷、もう一つは彼が旅立ったギリシャ風の異教の町です。

彼の故郷はガリラヤ湖の南、海抜0メートルよりも下にあるヨルダン渓谷の、ペレヤ地方の小さなユダヤ人村です。ここは乾燥地帯で、人々は農耕のために天然の泉を利用していました。ユダヤ人の村々は10〜15世帯で構成されており、お互いに協力し合って生活していました。村全体が一つの家族のようであり、何かが起これば、他の人々にも影響を及ぼしました。

放蕩息子が旅立った“遠い国”(13節)とは当時のデカポリスで、ガリラヤ湖の南東部に位置していました。デカポリスとはギリシャ語で“10の町”を意味し、ギリシャの支配下にあり、ギリシャ的な慣習に染まっていました。こうした慣習は、ユダヤ本来の聖書的な文化とは相いれないものでした。実際に、信仰深いユダヤ人たちは、これらの町々に一歩も足を踏み入れようとしませんでした。アレクサンダー大王がこの地域を紀元前332年に征服した時、彼は町々をギリシャ文化の下で発展させようと計画しました。以来、ローマ時代になってからも、そのギリシャ的な慣習が引き継がれ、偶像崇拝の文化が聖書的なユダヤ文化を追い落とし、争いが各地に起こり続けました。

なぜ、放蕩息子がデカポリスに行ったことが分かるのでしょうか。彼は財産を使い果たし、豚小屋に住んで豚の餌をあさるまでに身を落としたと書かれているからです。デカポリスの外にあるユダヤ人の村や町では、豚が飼われることは決してありませんでした。若者の目に、刺激的で世俗的なデカポリスの町々はとても魅力的に映りました(偶然ですが、ルカ伝8章26節から38節で、イエスが追い出したレギオンと呼ばれる悪霊の集団が豚に乗り移り、ガリラヤ湖でおぼれ死んだのは、東岸のゲラサという町で、デカポリスの一つでした)。

こうしたポリス(ギリシャの町)での生活とはどんなものだったのでしょうか。

表面的には何ら害がないように見えます。しかし、聖書教育を受けたユダヤ人の若者にとって、ポリスでの生活は誘惑の連続でした。

ポリスに入ると、そこは町の外周部で、映画『ベン・ハー』に出てきたヒッポドロム(戦車競技場)や、剣闘士たちによる競技が行われたコロシアムがありました。単なるスポーツと言えば聞こえがいいでしょう。しかし戦車競技や剣闘競技では口汚い言葉が飛び交い、豚肉などのユダヤ教の食物規定に合わない、汚れた食物が売られていました。コロシアムでは、剣闘士はどちらかが死ぬまで戦わせられました。このように、ギリシャ人やローマ人は、人間の命の価値を認めていませんでした。

町の中心部には、フォーラムと呼ばれる大広場があり、行政関係の建物、青空市場、ギリシャの神々が祭られた神殿、訓練場、劇場やファストフードのレストランがありました。

市場では、ユダヤ教の食物規定に反する汚れた食物、また聖書の教えに反する偶像やお守りが売られていました。異教の神が祭られ、神殿娼婦たちが控えており、神への礼拝行為の一つとして、参拝者は彼女たちと性交渉をもちました。いわゆるスポーツ・ジムのような場所であるギムナジウムは一見無害ですが、建物に入る際、アポロン神の偶像におじぎをしなければなりませんでした。また、ここで人々は裸体となって格闘技などを行っていました(ギリシャ語で「ギムノス」=裸)。劇場で上演されていたのは、偶像の神々にまつわる悲劇や喜劇でした。ファストフードのレストランは、現代の私たちが利用するものとあまり変わりがありません。ただし、ここで出される料理は、偶像に捧げられたものを客用に下ろしたもので、ユダヤの食物規定に反するものでした。放蕩息子にとって、この町は見かけ以上に危険な場所だったのです。

言い換えれば、町にあるものすべてが罠だったのです。放蕩息子の行動は、現代の若者が都会へ逃げ出すのと変わりありません。ポリスは、聖書に従って生きる人々をおびき寄せ、誘惑する、ありとあらゆる罪深い物事で満ちた場所でした。

次男――放蕩息子

この次男坊は、ただ単に外の世界を見たくてうずうずしている若者ではありませんでした。彼は反逆児であり、無分別でした。彼は、財産の一部を分けてもらいたいと父親に要求しました(ルカ15:12)。父親は彼の要求通りに行いました。この一家は使用人と畑を持っていたことから、地域でも名の知られた、裕福な一族であったことが分かります。若者は自分の家族だけでなく、地域社会全体を困らせることになりました。他の父親たちは、自分の息子も同じことを言い出すのでは、とはらはらさせられたからです。ルカ伝には、この若者が財産を分与されてすぐに旅立った、とは書かれていません。おそらく彼の要求によって、家族や地域社会との関係に軋轢が生じたのでしょう。それが煩わしくて息子は故郷から出て行ったものと考えられます。

故郷を出て“遠い国”にやって来た若者は身を持ち崩し、財産を浪費してしまいます。当時のポリスの現状を考えると、彼が豚小屋で生活するにまで堕落するのも納得できます。汚れた家畜である豚との生活、しかもその餌まで食べる――ユダヤ人にとってこれほど最悪な屈辱的結末はありません。

幸い、若者は正気に返り、父の下で働いている使用人でさえ、今の自分よりはるかによい生活をしていることを思い出しました。彼はプライドを金繰り捨て、家に戻る決心をしました。そして、父親、家族、社会に戻る前に、まず罪の赦しを請わなければならないことに気が付きました。

若者は家に戻る途中、父への詫びの言葉を考えました。「……父のところに行って、こう言おう。『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。』」(ルカ15:18-19)。ここには[1]神に反抗したこと、[2]父に反抗したこと、[3]その罪のゆえに息子としての立場に戻らないこと、[4]代わりに召使として家に迎えてもらうというポイントがまとめられています。

父は、家からまだずっと離れた場所にいる、憔悴し切った息子を見つけ出しました。息子の身を案じて悲しんでいた父は、彼の姿を見て駆け寄りました。彼は父親に悔い改めの言葉を語りながら、思いがけない父の反応に、どれほど驚いたことでしょう。

父親

この父親こそ、愛に満ちた天の父なる神そのものを表す存在です。

父親の心は、息子が家に戻ってくる姿を見て、あわれみでいっぱいになりました。彼は息子に走り寄り、抱きしめ、口づけし、生きて帰ってきたことを喜びました。父親は、まだ息子が悔い改めを告白している最中に召使を呼びつけ、四つのことを命じました。それは、一番上等の上着を持ってくること、息子の指に指輪を付けさせること、足にサンダルを履かせること、そして太った子牛をほふることでした。

この四つは、何を意味しているのでしょうか。

上着を与える。これは、長い衣で腰ひもを締めて着るものでした。サンダルは息子としての地位の象徴でした。召使たちはこれらの着用を許されていませんでした。息子にのみ与えられるものだったのです。

また、父親は息子の手に指輪をはめさせました。指輪は当時のクレジット・カードのようなものでした。指輪があれば、息子は町へ行って、商人たちから自由に品物を買うことができました。ただ、買い物の記録が書かれた粘土板の上に、その指輪を押し付けて印を残せばよかったのです。あとで父親がその清算を行いました。

考えてみてください。この若者は、ただの使用人となるべく父の下に戻りました。しかし父親は何も言わず、彼を息子の地位に戻しました。息子は一度父にひどいことをして、その財産を浪費したのです。しかし父はただただ、息子に信頼の情を表し続けたのです。

これこそ、罪を告白し、赦しを請い続ける私たちに対して、神がとられる行動の縮図です。

最後に、父親は太った子牛をほふり、町中の人々を招いて祝宴を開きました。若者は父親だけでなく、地域社会とも和解を行う必要があったのです。これは単なる夕食会ではありません。家族だけでなく、この宴会に出席したすべての人々と若者との間に、完全な和解がなされたのです。聖書では、敵同士が共に食事をすることは“契約の食事”として、和解を意味するものでした。ですから、祝宴に出席すること、それは「この息子を赦し、受け入れる」という意思表示そのものでした。

息子を立ち直らせるために父親が取った数々の行動には、単なる言葉以上の意味がありました。父親は自らの言葉を実行することで、息子の反逆の罪を赦し、問題が解決したことを公に示したのです。

興味深いことに、この放蕩息子の物語は、当時のラビもよく例え話として使っていました。ラビの話では、父親は戻ってきた放蕩息子を召使として取り扱い、自分の行いに対する報いを刈り取らせるという結末になっているため、情け深い父の側面は見えてきません。ですから、イエスが語られた例えは、人々にとって新しい放蕩息子物語だったのです。ここで表されている父親像は情け深く、完全な赦しを与える人物です。まさに、関係を取り戻そうと私たちに手を伸ばしてくださる愛のお方、父なる神のご性質そのものです。

兄である息子は、パリサイ人を表しています。イエスは彼らの“この人は収税人や罪人たちと付き合っている”というつぶやきを耳にし、この例え話を通して、罪人を救う神の愛を語るとともに、彼らの高慢と自己義認、失われた魂の救いに無関心な心の状態を取り上げたのです。

兄は畑に出ていました。家に戻ると、音楽が聞こえ、人々がダンスをしていました。召使の一人が彼に何が起こっているのかを告げました。「お喜びください、あなたの弟さんが家に戻ってこられました、だんな様はこれを祝って、牛を一頭ほふられました。」と。

これを聞いた兄の耳からは、怒りのあまり湯気が立っていたに違いありません。父は自分の結婚式の時にも、太った子牛はほふってくれなかった。しかしあの弟には衣装棚から一番上等の長衣を選んで着せ、サンダルを与えている。兄は怒りでいっぱいになり、宴への出席を拒否しました。つまり、彼は弟と和解するつもりもなければ、偽善者ぶるつもりもなかったのです。

そこで父親がやって来て、兄息子も宴に参加するよう促しました。しかし怒り心頭の彼は、心を傷つける言葉を父に浴びせました。長い間反抗することなくあなたに仕えてきた自分を、ただ奴隷のように扱った。あなたは私が友人たちと祝えるようにと、ヤギ一匹くれるような配慮も示したことがなかった、と。彼は自分の弟を、「すべてを浪費したあなたの息子」と第三者扱いし、自分は父のために奴隷のように働いてきた、それなのに父は何も自分に報いなかったと口走りました。怒りのあまり、彼は心で思ってきたことを露呈してしまったのです。

長男に対し、この愛情深い父親は何と言ったのでしょうか。「おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。」(ルカ15:31)。兄は、本来苦々しく思う必要のないことに対して、苦々しい思いを抱いていたのです。彼は、父親が公平でないと言った時点で、自分の態度を改めるべきでした。イエスは次のお言葉を通して、人間は自分の心に抱いていることを口すものであると語られました。「良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです。」(ルカ6:45)。父親は二人の息子、その両方に対してあふれんばかりの愛を抱いていました。しかし、兄は自分の本心を表しました。彼は父親と弟、その両者に腹を立て、弟を赦そうとしませんでした。

その後、兄が平常心を取り戻し、家族や友人と共に宴会の席に加わったのか、加わらなかったのか、その結末は書かれていません。恐らくイエスはパリサイ人に、神の愛と赦しは彼らが罪人ととらえている人々にも注がれていることを知らせ、罪人に対する自らの態度について考えさせるために、あえて物語の結末を語らなかったのでしょう。

では、私たちにとってこれらは何を意味するのか?

罪人に手を差し伸べるイエスを、パリサイ人は批判しました。主のお心は、どんなに痛んだことでしょう。イエスはこの例え話を通して、失われた魂に向かおうとする父なる神の心を表されました。

神は、詩篇23篇で描かれている、羊飼いなる主です。迷った羊(魂)を救うべく、その後を追いかける神、これは自らを捧げる姿そのものです。

最後に、この例え話に登場する人物が、私たちにどんな関連があるのかを見てみましょう。

私たちは、この放蕩息子の次男坊のようではないでしょうか。私たちに愛を注いでくださる父なる神に逆らって逃げ出しながらも、結局この世は自分たちが思い描いていたようなものではなかったことに気付くのです。そして、神から逃亡することをやめ、御許に立ち返ることを願います。もし、私たちが罪と背きを告白するなら、父なる神は、私たちを正しく取り扱ってくださる上に、祝福を注いでくださるのです。教会で行われる聖餐式を思い出してください。あれは、十字架で死んでくださった主が私たちの罪を赦し、受け入れてくださることを覚えて行われる和解の食事なのです。

パリサイ人のように高慢な、兄のことを思い出してください。私たちの中にも、彼のような性質が潜んではいないでしょうか。なかなか人の罪を許すことができず、和解できずにいるのではないでしょうか。兄はいつも家で父親のそばにいて、父の物はすべて彼の物となることが決まっていました。それでもなお、この兄のように、私たちも、兄弟姉妹の誰かが神から祝福を受け取ると、それをねたましく思うことはないでしょうか。神の祝福は、私たちすべてに注がれているにもかかわらずです。ヤコブはこう言っています。「あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。」(ヤコブ4:2-3)

この兄のように、私たちも天の父を、あれもしてもらっていない、これもしてもらっていない、と責め立てることはないでしょうか。私たちの人格の中に神の霊の実が豊かに表され、プライドが打ち砕かれて姿勢が改められない限り、私たちは多くの祝福を見失うことになります。「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」(ガラテヤ5:22-23)。私たちは、己の口から出てくる言葉を吟味し、己の心に何があるのかを探る必要があります。

もう一度言いますが、神はこの例え話に出てくる父親のようにあわれみ深いお方です。二人の息子はそれぞれに悪く、父にひどい態度をとりました。それでも、父は両方に愛と理解とあわれみを示し続けました。この父の誠実な愛と抱擁に応えた弟は、和解に入ることができました。兄が果たしてどうなったのか、私たちは知りませんが、彼が心を取り戻し、宴会の席へ戻っていったことを心から願うばかりです。

この例え話から学ぶことは、私たちは放蕩息子の弟のようであろうが、兄のようであろうが、天の父の呼び掛けに応え、自らの反抗的で高慢な、自分の正しさゆえに決して人を赦そうとしない態度を改めて、神と、他の人々との和解の宴会に加わる必要がある、ということです。神はいつも、私たちに慈しみを注ごうとしておられます。天の父にとって、私たちはそれだけのことをする価値のある存在なのです。神からの祝福を受け取り損なうことがないようにしましょう。

エルサレムからシャローム

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