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ハヌカ -神がもたらした光の奇跡-

BFP編集部 2002年12月

クリスマスの季節になりました。聖地では、聖書と結びついた祭り『ハヌカー』の時期でもあります。

聖書における数々の奇跡を記念して、『過越の祭り』『シャブオット(7週の祭り)』『仮庵の祭り』などが行われます。しかし、神のすばらしい奇跡を記念する祭りの一つであるハヌカーに関しては、旧約聖書の正典化が終わったのちの出来事だったので、直接的には記述されていません。しかし、ユダヤ暦にも祭日として記載され、主イエスご自身もこれを祝われました。

ハヌカーには、「奉納」「献堂」という意味があり、「献堂祭」(新約聖書では「宮きよめの祭り」)と呼ばれます。この祭りは、紀元前165年、ユダヤ人の家系であるマカベア家の一党が、ギリシャ系シリア人に対して勝利したことを記念したものです。当時、イスラエルは、アンティオカス四世が君臨していたセレウコス朝(ヘレニズム時代にシリア=イランを支配した王朝)による支配を受けていました。アンティオカスは、イスラエルの神を汚し、ユダヤ人の信仰を侮辱する目的で、エルサレムの神殿を偶像の宮に造り変えました。マカベア家の一党がこうしたシリア人に勝利し、ユダヤの統治権を奪回したことにより、神殿は清められ、再度、イスラエルの神の宮として献堂されました。

神殿がユダヤ人の手に戻ったその日、メノラーと呼ばれる燭台のために用意されていた聖なる油は、1日分しか残されていませんでした。しかし、そのわずかな油が、なんと8日間にもわたって燃え続けたのです。この出来事から、ハヌカーは「献堂祭」のほか、「光の祭り」とも呼ばれています。マカベア家による反乱以来、ユダヤ人たちはこの奇跡を記念して、8日間にわたってろうそくをともし、この祭りを祝ってきました。

ハヌカーのさまざまな楽しみ

ハヌカーでは、「ハヌキヤ」と呼ばれる、特別な燭台に火がともされます。ハヌキヤには9本のろうそくを立てます。そのうちの一つを「シャマシュ」と呼び、ほかのろうそくに火をともすための種火として用います。この種火から、ハヌカーの第1日には1本目、第2日には2本目と、日ごとにろうそくがともされ、これが8日間にわたって続くのです。イスラエルでは今でも、マカベア一族の出身地であるモディームからエルサレムまでの道のりを、若者たちが聖火をともしたたいまつを携えて走ります。運ばれた火は、旧市街の嘆きの壁前に設置された巨大ハヌキヤヘと点火されます。

子どもたちが遊ぶコマ『ドレイドル』
ハヌカーのお菓子を
ほおばる子ども

ハヌカーは、子どもたちにとって特に楽しみな祭りです。ろうそくをともし、歌を歌い、毎晩のようにプレゼントをもらい、おいしい食べ物を食べ、「ドレイドル」と呼ばれる特別なコマのおもちゃで遊ぶなど、楽しみがいっぱいです。

聖書VS世のシステム

ハヌカーの物語は、シリア一帯を支配していたギリシャ人の支配者、アンティオカス四世から始まります。

まず、アンティオカス四世よりさかのぼること170年前、イスラエルに初めてヘレニズム文化をもたらしたアレクサンドロス(アレクサンダー大王)の時代から、歴史をたどっていきましょう。

紀元前334年、強大なペルシャを敗北させたアレクサンドロスは、古代の東方・ヨーロッパ世界(イスラエルを含む)の覇者となります。そして、領土内をヘレニズム化するため、多様な手段を用いましたが、それらは、近代のさまざまな勢力が用いた方法と似ています。征服した国々に対する、貿易を通じた文化の流入、ゲームやそのほかの文化的イベントの促進、また、配下の兵士たちを定住させ、現地の女性をめとらせるなどです。当初、ユダヤ人はこの新体制にそれほど脅威を感じていませんでした。むしろ、アレクサンドロスのエルサレム入りを歓迎し、彼の支配の1年目に生まれた男子には、彼の名が付けられました。

アレクサンドロスの死後、彼の帝国は、2人の将軍―セレウコスとプトレマイオスに引き継がれました。敵対し合っていた彼らによって、帝国は2つに裂かれ、セレウコス朝(小アジアとシリア)とプトレマイオス朝(エジプト)の王国が誕生。イスラエルは、エジプトのプトレマイオス朝により、1世紀以上にもわたる支配を受けました。この王朝は莫大な税金を徴収する代わりに、ユダヤ人にかなりの自由を保障したのです。

こうして、プトレマイオス朝時代には、厳格なヘレニズム化政策を受けることはありませんでしたが、それでもその影響は徐々にイスラエルに浸透していきました。ユダヤ人は、自国がダビデ王国のようになることを望んではいたものの、ギリシャ人のように装い、会話し、食事し、振る舞い、そしてギリシャ人のように思考し、ギリシャ文化を受け入れていきました。しかしながら、二足のわらじ履きとはいつも容易なものではなく、このためユダヤ社会も、ギリシャヘの適応を受け入れるグループと、これを恐れ、反対するグループの2つに分裂したのです。

その後、政治の流れが大きく変わり、シリアのセレウコス朝が実権を握りました。おりしも、ローマの勢力が次第にギリシャを追撃し始めていた時だったので、セレウコス朝は帝国内の支配権を強化しました。

アンティオカス四世が歴史の表舞台に登場するのは、紀元前175年です。この人物はおそらく、人類史上最悪の反ユダヤ、反イスラエル、反創造神を掲げる支配者の一人であったと言っても過言ではありません。セレウコス朝には、何人かのアンティオカスと呼ばれる王が存在しますが、彼は己にギリシャ語で「エピファネス(神の現れ)」という名を付けて、他と自己を区別しました。これは明らかに、唯一の存在であるイスラエルの神に対する、アンティオカスの傲慢さの表れです。これに対して、アンティオカスに敵対した者たちは、彼をその残虐さのゆえに「エピマネス(狂人)」と呼んであざけりました。

アンティオカスは力の弱まりつつあったセレウコス朝の勢いを取り戻すため、領土のヘレニズム化を強力に推し進めました。特に、イスラエルと、その神に従う人々に対しては、非常に残酷なやり方でそれを押し付けました。彼はイスラエルに自分とゼウス神の像を建造しました。さらに、割礼や安息日、トーラー(聖書)の学びの廃止を強要しました。

ところで、ゼカリヤ書9章13節には、「シオンの子ら」、つまりユダヤ人たちが「ギリシャの子ら」によって混乱に陥ることが預言されています。「望みを持つ捕われ人よ。とりでに帰れ。わたしは、きょうもまた告げ知らせる。わたしは2倍のものをあなたに返すと。……シオンよ。わたしはあなたの子らを奮い立たせる。ヤワン(ギリシャ)はあなたの子らを攻めるが、わたしはあなたを勇士の剣のようにする。」(ゼカリヤ9:12-13)

紀元前165年に何が起こったのか?

それでは、1世紀のユダヤ人歴史家であるヨセフスが書いた、アンティオカス・エピファネスに関する記述を見ていきましょう。

「アンティオカス王は、神殿の秘宝も持ち出し、何一つ残さなかった。唯一、悲嘆に暮れるユダヤ人だけが残された。律法に従って神に日々の捧げ物を捧げることが、禁止されたからである。

町中が略奪されていたころ、ある者たちは殺され、またある者たちは妻子ともども生け捕りにして連れて行かれた。捕らわれた人々の数は1万人に膨れ上がった。また、エルサレムで最もすばらしい建築物を焼き払い、町の城壁を打ち壊し、町の低いところに、神殿を見おろすことができるほど高い要塞を建設した。

アンティオカスは、イスラエルの神の祭壇の真上に偶像を据え、そこで豚をほふって捧げた。……また、ユダヤ人に対し、彼らの神に対する信仰を捨てさせ、アンティオカス自身が神と認めている神々を崇めるよう強制した。さらに、すべての町や村に偶像の神々の神殿を建て、毎日豚を捧げるように命じた。父親が息子に割礼を施すことを禁止し、掟に背いた者は誰でも罰すると脅かした。そして、これらの命令を民が守るよう推し進めるため、監督官を任命し、派遣した。

多くのユダヤ人がかれの掟に従った。ある者は自由意思で、ある者は罰を受けることを恐れて。しかし、最も正しい人々、最も高貴な魂をもつ人々は、王の命令に従うことなく、違反した場合に受ける罰を恐れることよりも、祖国の慣習を守ることを重視した。

このため、彼らは毎日大変なみじめさと苦痛の中を通らされた。ある者は鞭打ちの刑を受け、また身体を八つ裂きにされた。ある者はまだ息のあるうちに十字架刑にかけられた。男たちは自分の妻や、また自らが割礼を施した息子たちを締め殺すよう強いられた。王は、まだ十字架にかけられたままの子どもたちの首に、縄を結んで縛り首にするよう、父親に命じた。

ユダヤ人の聖典である律法の書は、見つかり次第破棄された。これの所有者たちもまた、惨めな死に方をした。しかし、ユダヤ社会の人々は、迫害によって沈黙するどころか、逆にさまざまな違いを超えて一つとなっていった。信仰のために命を失うことはより崇高な行為であると、人々は鼓舞されたのである。

神に忠実なユダヤ人たちの戦い

この時代、イスラエルは物理的にも霊的にも、極度の暗黒の中にありました。

アンティオカスは、配下のギリシヤ系シリア人の兵士をユダヤ全土に派遣し、町や村に偶像の神々を祭る祭壇を作らせ、その場所で豚をいけにえとして捧げるなど、数々の宗教儀式を普及させました。これはユダヤ教の信仰にとっては大変な屈辱であり、ユダヤ人にとって、忌まわしさ極まりないものでした。

この段階に入り、やっと変化の兆しが見え始めました。兵士が、現在のベングリオン国際空港の近くに位置する村、モディームに入ったときのことです。ここの村人は、アンティオカスの命令に従おうとしませんでした。彼らの中には、ハスモン家の人々――マタティアス(マタイ)と彼の5人の息子、ヨハナン(ヨハネ)、シモン、ユダ、エレアザル、そしてヨナタンがいました。マタティアスは豚をほふることを拒絶し、こう言いました。「われわれを本来の信仰から遠ざけようとするような王の命令には、従うことはできない。」

その時、マタティアスに代わって、もう一人の村人が豚をほふって儀式を取り行うことを申し出ました。義憤に駆られたマタティアスは刀を抜き、この村人を祭壇の前で殺しました。そして、彼と5人の息子たちは、今度はシリア人の指揮官と兵士に向かい、彼らを皆殺したのです。マタティアスはこう叫びました。「神の側に立つものは誰でも私に続け!!」彼と息子たち、彼らにくみする者たちは山地へと逃亡し、ゲリラ戦法でシリア軍と戦いました。

マタティアス自身は、この反乱の1年目に亡くなり、息子の一人であだ名がマカベア(鉄づち)と呼ばれるユダが後を継いでリーダーとなりました。このあだ名は、ユダ自身の強さと粘り強さ、あるいはシリア人に対して数々の打撃を与えたことにちなんで付けられたものと言われています。さらに、戦いで彼が掲げた旗に記されたヘブル語のアクロスティックが由来とも言われています。これは、「ミ・カモハ・バエリーム・アドナイ(主よ、神々のうち、誰かあなたのような方があるでしょうか)」という、出エジプト記15章11節のみことばです。この一文の各一文字をつなげると「マカベア」となります。この一族は、歴史上ではマカベア家、もしくはハスモン家の両方の名前で知られています。

エルサレムの解放と神殿の清め、聖書的信仰をよみがえらせるため、マカベア家一党には、急速に味方が集まりました。神殿がユダヤ人の手に取り戻されるまで、4つの重要な戦いが起こりましたが、最後の戦いは、新約聖書にも登場するエマオで展開しました。ここでシリア・ユダヤ両軍は激突し、マカベア家一党率いるユダヤ人が勝利したのです。

エルサレムヘの道が彼らの前に開かれました。しかし、豚が犠牲獣として捧げられ、ギリシャの神々が祭られていた神殿が目に入った瞬間、ユダヤ人の喜びは苦々しさへと変わりました。彼らは神々の祭壇を取り壊し、宮を清めました。ユダヤ暦でいうキシュレイ月の25日、神殿はイスラエルの神の宮として再献堂されました。そして、神殿内の巨大なメノラーに火をともすことになったとき、専用の油はほんのわずかしか残されていませんでした。しかし、ユダヤ人は次のみことばを覚えていました。「あなたはイスラエル人に命じて、燈火用に上質の純粋なオリーブ油を持って来させ、ともしびを絶えずともしておかなければならない。」(出エジプト27:20、レビ24:2)。そして、たった1日分の油で、奇跡的にも8日間もの間、メノラーのともしびが輝き続けたのです。

ハヌカーのもつ意味

ハヌカーを祝うユダヤ人の一家。

こうして、「献堂」という意味をもつハヌカーは、光と解放を祝う祭りとなりました。ハヌカーは、ユダヤ人の軍事的な勝利、また霊的な勝利を記念するものです。

ハヌカーの出来事は、ユダヤ社会が二百年にもわたるヘレニズム文化(世のシステム)の波を受けた結果起こりました。これは、以後続くことになる「シオンの子ら」と「ギリシャの子ら」の戦いの原点となったのです。異教文化への同化によって、ユダヤ民族は滅亡への道をたどるか否かの瀬戸際にありました。

私たちクリスチャンも、周囲の世俗的環境に順応し、世のシステムをキリスト教信仰に適応させることによって、偶像礼拝や罪に対して、神経がまひ状態になってはいないでしょうか。

古代ギリシャの栄光はすでに遠い過去のものとなりましたが、ギリシャの哲学の影響は、現代に生きる私たちを今も侵しています。ギリシャ的世界観は、人間を賛美する考え方と、人間のイメージに合わせて作られた神々を造り出しました。ギリシヤの神々の神格は、弱点をもった人格そのものであり、また彼らと人間とのかかわり合いは、お互いに知力をぶつけ合う駆け引きのようです。

聖書の神とギリシャの神々はなんと対照的なことでしょう。アブラハム、イサク、ヤコブの神である私たちの主は、

  1. この世界が創造される前から栄光と威厳の中に臨在された神であり、
  2. ご自身の言葉をとおして秩序ある宇宙を創造され、
  3. よき父親として、ご自分の子どもたちを訓練し、導かれるお方です。

このお方は、ギリシャ人にとっては未知なる存在でした。また、現代の多くの人々にとっても、目に見える形ではその存在を知られていません。

ハヌカーの史実をとおして、ユダヤ人、そしてクリスチャンという、神の名を負った創造主の子どもたちは、世の異教文化の中に埋もれ、同化していくことはできないことがわかります。この「シオンの子らとギリシャの子らの戦い」は、現在も続いています。神は、世の暗闇の中で神の光を輝かせ、他の人々にその光を分け与えることのできる働き手を求めておられます。どんなに犠牲が伴うものであっても、正義のために立ち上がり、奇跡を行われる神を信じ、神への礼拝と奉仕のために自らの生き方を清め、捧げることのできる人々を、神は世界中で探しておられます。そのために、私たちは祈っていく必要があります。

もし、マカベア一族が、神に仕える生き方を守るために戦わなかったら、主イエスの肉の両親であるマリヤやヨセフ、洗礼者ヨハネの両親であるゼカリヤやエリサベツ、メシアを待望していた、シメオンやアンナのような義人たちが育まれるようなユダヤ社会が、果たしてその160年後に成立していたでしょうか。私たちの未来は神ご自身しか知りえませんが、自分がどう選択するかによって、後々に与える影響が異なってくることを覚えておくことは、とても大切なことです。

イスをモチーフにした特殊なデザインのハヌキヤ。
一晩ごとに一本ずつ、ろうそくに明かりが灯されていく。

献堂、そして光

ハヌカーの史実は、旧約聖書の中でもさまざまな形で言及されています。

最初に出てくるのは、家の棟上や落成、祭壇、幕屋、神殿などの献堂についての記述です。また、民数記7章でも数回使われています。この聖書箇所は、この祭りの期間、シナゴーグでの礼拝中に朗読されます。これは、モーセとイスラエルのリーダーたちが幕屋の建物と家具に油を注いで清めるという内容です。また、ソロモンが神殿を献堂する記述のある第2歴代誌7章9節においても、エズラによる神殿の再献堂とネヘミヤによるエルサレムの城壁の再建においても、ハヌカーという言葉は使われています。

ハヌカーの動詞形「ハナー」には、「狭める、絞る」「訓練する」「教授する」という意味があります。箴言22章6節には、この言葉が用いられています。「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。」

これらの聖書箇所から学ぶ第1のレッスンは、神を信じる人間の身体は「聖霊の宮」であり、神が備えられた道に従って歩むための教育と訓練を受けるため、自らを整えなければならないということです。

第2のレッスンは、「光」についてです。一部のクリスチャンは、ハヌカーはユダヤ人にとっては、クリスマスの代わりのようなものだと考えています。しかし、クリスマスとハヌカーの間には、歴史的に何の関連もありません。しかし、「光」というテーマにおいて、両者の間にはかかわりがあります。

ハヌカーは、イスラエルとユダヤ人に悪しき生き方を押し付け、神を憎んだ異教徒によってつくり上げられた邪悪な世の暗闇を、追い払ったことを記念しています。この暗闇が取り去られたことは、神の奇跡によって8日間燃え続けた、メノラーの小さなともしびに象徴されています。この奇跡によって、当時のユダヤ人は、マカベア一族が始めた清めの仕事が完了したことを確認し、励ましを受けました。

クリスマスは、ハヌカーの165年後に起こった出来事を祝うものです。神は、世界全体を重苦しく包んでいた暗闇を追い払う光として、御子を遣わされました。「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。……この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。(ヨハネ1:1、4-5)

聖書では、「善と悪」を表現するために「光と闇」という言葉が用いられています。聖書においては、物理的にも霊的にも、この光と闇との間に戦線が存在します。神に対する信仰と行いを弱らせようと働く世の力に対し、しっかりと立って対抗するため、マカベア家の人々がもっていたような霊的な洞察と勇気を、私たちも備える必要があります。神に忠実であるかぎり、世の暗闇を払いのけるために、神は私たちをとおして光を放たれることでしょう。

エルサレムよりシャロ-ム

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