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えっ? イスラエルってこんな土地? Part-2

BFP編集部 2002年7月

イスラエル…「神の創造の箱庭」とも言えるほど、四国ほどの大きさしかないこの小さな国には、世界のありとあらゆる自然、またこの地でしか見られない珍しいものがたくさん詰まっています。先月より、イスラエルの土地についての興味深い事実を3回シリーズで連載しています。

18.死海の水

死海は全長78キロメール(南北)、最大幅は18キロメートル(東西)あります。そして湖面から湖底までの深さは310メートルで、地球の表面上で最も深い、天然の裂け目です。死海の水は25パーセントが塩分と、あまりにも塩辛いため、生物が生息できない、文字どおりの死の海です。

水は透明ですが、含有する塩化マグネシウムのため苦みと吐き気を催す味がし、また、同じく含まれる塩化カルシウムのため、滑らかで油のような感触です。

19.イスラエルの隠れドル箱

北海の塩の価値は何兆ドルとされ、どんな油田にも劣らない評価をもっています。これらの富は、死海南端のソドムで企業よって採掘され、肥料やその他の科学製品の原料に使われます。220億トンの塩化マグネシウム、110億トンの塩化ナトリウム、70億トンの塩化カルシウム、20億トンの塩素酸カリウム、そして1億トンの臭化マグネシウムなどが、この死海から取り出されるのです。

これこそが、やがてイスラエルに攻撃をしてくるという、ゴクが魅了される富と略奪品の一部なのでしょうか?(エゼキエル38:10-13)

ここには、ゴクが、預言された日に、イスラエルを攻撃する計画を立てることが書かれています。ゴクは「城壁のない町々の国」「安心して住んでいる平和な国……城壁もかんぬきも門もない所に住んでいる。」(11節)ところを攻撃すると書かれています。ちょうど現代のようですね。そして神は、ゴクに次のように問いかけています。「あなたは物を分捕るために来たのか。獲物をかすめ奪うために集団を集め、銀や金を運び去り、家畜や財産を取り、大いに略奪をしようとするのか。」(13節)

死海のほとりに立つ塩の柱

20.古代でもドル箱だった死海

古代、人々は死海を塩の海と呼びました。(創世14:3,申命3:17、民数34:3)ローマ時代には、ラテン名で「ラクス・アスファルティティス」(アスファルト湖)と呼ばれていましたが、それは湖底から、石油を豊富に含んだアスファルトや瀝青の大きな固まりが、湖面に浮き上がってくるからでした。それらは燃料として収穫され、周囲の国々へ輸出されました。

シッディムの谷とも呼ばれた死海の谷は、アブラハムの昔から、燃料を産するところとして知られ、創世記にも登場しています。「シディムの谷には多くの瀝青の穴が散在していた。」(創世14:10)

ローマの歴史家ヨセフス・フラヴィウス(紀元37-93)は、死海について、次のように記しています。「その多くの場所から、大きさと形が、頭のない牡牛のように見える瀝青の黒い固まりを浮かべ、それらが水面を漂っている。専属の労働者たちが、息をそろえてそれらをつかみ、彼らの船に引き上げる……瀝青は船の修理に用いられるだけでなく、人間の体の薬としても用いられ、用途に従って、多くの薬に混ぜられる。」

今日においても、死海南端域の地面からは石油が染み出し、クリスチャンが経営するテキサスの石油調査会社が、採掘権を所有しています。

21.どうして塩辛いの?-理由その1-

死海の水が塩辛いのは、高い水分蒸発率のためです。周り一帯から流れ込んでくる何トンもの水が塩分を運んできます。砂漠の真ん中にあるため、湖面は1年あたりおよそ1.5メートルという著しい高さで蒸発し、後には凝縮された塩分が残ります。ヨルダン川の水が農業用水として、死海へと注ぐ前にあちこちで使われているため、1960年以降、死海の湖面の高さ約10メー下ルも下がってしまいました。1870年代、英国探検家協会のメンバーが死海を訪れたとき、エイン・フレシュカ近くの崖に、ボートから水位の印をつけました。今日その印は、イスラエル側の死海湖岸を南北に走る現代の道路から14メートルも上に見ることができます。

22.どうして塩辛いの?-理由その2-

死海が塩辛いのは、水を受け取るだけで、砂漠の気候で蒸発する以外、水の出口がないからです。ガリラヤ湖が甘いのは、水が流れ込んでまた出て行くからです。

ですから、こういう風に言われています。ガリラヤ湖が甘いのは受け、そして与えるから。死海が辛いのは受けるだけで決して与えないから。死海には富がたくさん詰まっているかもしれないけれど、そこには宿る命がない。

貴重な霊的教訓ではありませんか?

23.最終決戦の地・ハルマゲドンの谷

もう一つイスラエルの有名な谷は、ハルマゲドンの谷です。これは黙示録16章16節に、主ご自身と世界の国々との、最後の戦いが行われる場所の名として書かれたことに由来します。1799年にナポレオンがこの一帯を征服した時、彼はこの谷を「世界に2つとない最高の戦場」であると評価しました。それはここが山々に囲まれ、東西南北に入り口が備わっているからです。

この谷はまた、地形上の名エスドラエロン、あるいはこの谷南端の大きな2つの町の名に由来するメギドの谷、またはエズレエルの谷としても知られています。

この谷は北のガリラヤ地方と南のサマリヤの山々や、地中海沿いの海岸平野の地方の境界線ともなっています。

24.交易の要所

ハルマゲドンの谷は、地中海沿岸の町ハイファを指す矢尻のような形をしています。ベテシャンの谷はヨルダン渓谷にまで伸びる、長い矢の軸の部分にあたります。これらの谷は旅をするのに容易であったため、中東の主要な交易路もここを通っていました。

25.海の道

その一つがローマ人の呼ぶヴィア・マリス、すなわち「海の道」(イザヤ9:1)です。この道は北のヨーロッパ、メソポタミヤと南のエジプト、アフリカを結ぶ、主要な交易路でした。ダマスカスから南西へ下ってハゾルを通り、さらにガリラヤからメギドの谷に入り、さらに地中海沿岸に沿って海岸平野をエジプトに向かいます。メギドの谷からこの道に沿って南に行けば、ヨセフがエジプトに向かうミデヤンの隊商に売られた場所、ドタンの谷を通過します。

26.王の道

もう一つの南北を結ぶ交易路は「王の道」と呼ばれ、ヨルダン=アラバ地溝帯の西側にある山々の台地を通って南に向かいます。ダマスカスからサウジアラビア半島に入り、ヘジャズを通り、ラッバス・アンモン(現代のアンマン)へ。東洋の香辛料などを世界に売るため地中海沿岸を目指す交易者たちは、ベテシャンの谷を通ってメギドの谷に向かう、東西の主要交易路を取りました。

27.イスラエルを制する者は世界を制す

旅行や交易の多くを陸路に頼っていた古代世界では、これら主要な道路の支配がその時代の覇権を握る決め手でした。すべての野心的な支配者たちは、これらの道を自分の支配下に置こうとねらいました。古代イスラエルの地を属国とすることは、主要交易路が集まる場所を押さえたと同じことでした。こうして、イスラエルの地は数え切れない軍事衝突や歴史的戦いのきっかけとなったのです。エジプトのファラオ、アッシリア、バビロン、ペルシャ、アレクサンダー大王、プトレマイオス王朝、セレウコス王朝、ローマ、ビザンチンの皇帝たち、アラブ人、十字軍、マムルーク朝、トルコ人、そして第一次世界大戦ではアレンビー将軍指揮下のイギリス人。これらすべての人々が、この小さなイスラエルの国を、自国の治安上、不可欠で魅力的存在であるからと争ったのです。

28.道路を分断するカルメル山

ヨルダン渓谷の西に連なる主要山脈はカルメル山から始まりますが、これらの「丘々」は900メートル級で、この山脈が南北に走っているため、この山脈から走り出る谷の裂け目は東西に伸びます。そのため南北間を旅するには、西の海岸平野か東のヨルダン渓谷を通るか、あるいはこの山脈の尾根伝いに進むしかありません。

29.聖書時代から続く町々

これらの山々は聖書でいう「イスラエルの山々」です。(エゼキエル6:2-3、33:28、36:8他)この尾根伝いの道沿いに聖書に登場する有名な町々、シェケム、サマリヤ、ティルザ、エルサレム、ベツレヘム、そしてヘブロンなどがあります。こうした聖書の舞台となった町々、そして何千年もイスラエル人たちが住んできた多くの地域(聖書で言うユダヤ、サマリヤ)は、パレスチナ自治政府の管理する、ヨルダン西岸に入ります。

雪を頂くヘルモン山。

30.見てゴラン!-あれがヘルモン山だ-

イスラエル最高峰(標高2841メートル)のヘルモン山は、ゴラン高原の北、イスラエル北東部に位置します。ガリラヤ地方で最も高いのは1219メートルのメロン山。南にそびえる2300メートル級のシナイ山脈では、一番高いのはシナイ山・ホレブ山と並ぶ標高2537メートルのカタリナ山です。これは、モーセがシナイ山で主から神の律法を受けたことを記念し、この山の麓に建てられた、サンタ・カタリーナ修道院に由来しています。ヨルダン川とアラバ渓谷の東には、1560メートル級の山々があります。

31.祝福を産み出すネゲブの山々

死海だけでなく、これらイスラエルの山々からも豊富な鉱物資源が採掘されていて、聖書でも随所で記録されています。それらは肥料に使われる燐酸塩、ウラニウム、硝砂、陶磁器の原料のカオリン粘土、赤や黄の絵の具の原料になるオーカー、石膏、硫黄、瀝青、アスファルト、銅、鉄鉱石、マンガン、長石、水晶、めのう、玄武岩、大理石、そして花岡岩。そして、エイラット・ストーンは独特の美しい青緑の石で、宝石として用いられます。これらの鉱物のほとんどがネゲブ地方で発見されています。

ティムナという場所では、3000年前に、エジプト人、そしてソロモン王が所有していた大規模な銅鉱山が、その精練所跡とともに発見されています。エイラットのすぐ北の山々には、10万トンもの銅鉱石が眠っていることが、ベルギー人の技師たちによって確認されています。約束の地について、モーセは、「その地の石は鉄であり、その山々からは青銅を掘り出すことのできる地」(申命8:9)であると約束しています。

32.多種多様の気候

現代のイスラエルも、聖書時代に人々が居住したイスラエルと同じく、たったの8000平方マイルくらい(四国より少し大きめ)の広さです。それなのに、そこには信じ難いほど多様な景色が存在します。地中海沿岸の東から山々がすぐに盛り上がり、それからヨルダン渓谷へと海面下に低く落ち窪んでいく地形と、そこを吹く優勢な西風が変化に富んだ気候と地勢を作り出しているからです。

33.すべてにおいてコンパクトなイスラエル

イスラエルでは、しばしば山地と平野、肥沃な野原と砂漠などがわずかな距離で隣り合っています。イスラエルの幅は、西の地中海から東の死海までが約50マイルで、車なら1時間半で行ける距離です。ユダの山地にあるエルサレムから、海岸のテルアビブまでは車で1時間かかりませんし、また、最北のメトゥラから、紅海に面する最南端の町・エイラットまでは約9時間のドライブです。

エルサレムは海抜835メートルなのに対し、死海は海抜マイナス400メートルで、その間を、車で1時間足らずで移動できます。事実、エルサレムの私の家周辺からは、西に地中海、東に死海とモアブの山々を見ることができます。ここは本当に小さな国です。

34.3つの地理的要素

イスラエルの地の性格を決定付ける、3つの基本的な地理的要素があります。

  1. まず地中海沿岸であること。
  2. 3つの大陸と2つの大洋に挟まれていること。(エイラット湾はインド洋、そして地中海は大西洋に続いています。)
  3. そしてここが、乾いた砂漠と、耕作可能な土地とに分かれる境界線上にあること。

35.変わり目の早い雨季と乾季

イスラエルには基本的に、雨の多い冬と暑く乾燥した夏の、2つの季節があります。天気は通常、暑い夏日から寒い冬日に一晩で変わり、春までずっとそのままです。それから涼しく快適な春となり、そして再び、大体1日で、暑く乾燥した夏日に取って代わります。

エルサレムの町には、毎年オランダから何千ものチューリップの球根が贈られます。それが、満開になると、一日にして冬から夏となるのが常で、その花びらはあっという間に散ってしまいます。

36.気候の多彩なバリエーション

一般に、イスラエルの気温は、8月の平均最高気温が39℃になるエイラットから、平均気温が4℃まで下がる北のサフェド(ツファット)までと、変化に富んでいます。

北端のイスラエル最高峰、ヘルモン山では、毎年多くの人々がスキーを楽しむことができる、リフトを完備した立派なスキー場があるほど、寒く十分な積雪があります。ゴランの山々でも毎年雪が見られ、またガリラヤ、サマリヤ、そしてエルサレムを含むユダ地方でも、2、3年に1回は雪が降ります。

イスラエルの最高気温は、1921年にヨルダン渓谷で記録された54℃です。

37.天の恵に頼る土地

神がヘブル人たちを連れてきたのは、それまで彼らが慣れ親しんできたエジプトのようではない、雨の地でした。

「あなたがたが行って取ろうとする地は、あなたがたが出てきたエジプトの地のようではない。あそこでは、青物畑でするように、あなたがたは種をまき、足でそれに水を注いだ。しかし、あなたがたが渡って行って取る地は、山と谷の多い地で、天から降る雨で潤っている。」(申命11:10-11/口語訳)

この聖書箇所の、「足でそれに水を注いだ」という表現は、ナイル川に沿って穀物を育てたエジプトでは、足こぎ水車で灌漑水路から畑に水を引いたことを指します。イスラエルでは、神が雨を降らせて畑を潤すというのです。

38.神は与えたもうお方

「神はイスラエルの地に落ちる雨の供給者である」-この点はその地に入る前に、イスラエル人たちにはっきり伝えられました。

「もし、きょう、あなたがたに命じるわたしの命令によく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心をつくし、精神をつくして仕えるならば、主はあなたがたの地に雨を、秋の雨、春の雨ともに、時にしたがって降らせ、穀物と、ぶどう酒と、油を取り入れさせ、また家畜のために野に草を生えさせられるであろう。あなたは飽きるほど食べることができるであろう。(申命11:13-15/口語訳)

39.ウキウキ!雨季の到来

私たちの暦では、11月から翌年2月までがイスラエルの雨季です。その中でも、秋の雨と春の雨、あるいは初めの雨と後の雨として、聖書に特筆されている雨があります。初めの雨とは秋、9月末に降る雨を指し、そして後の雨は春、3月末から4月に降る雨を指します。これらの雨は、雨季の中でもいつも特別な祝福なのです。

40.ユダの荒野

中央山地があるおかげで、地中海から東に吹く湿った空気が、山を登るにつれスポンジが絞られるように収縮し、雨を降らせます。しかしその空気が、エルサレム、ベツレヘム、ヘブロンなどがある山域を超えると、今度は海抜Oメートルに近いヨルダン渓谷へと下りつつ膨張していきます。スポンジが元の大きさに戻ったときと同じように、もう空気の中の湿気は雨となって地に落ちることがありません。その結果、中央山地の西斜面は雨で潤って緑が滴り、逆に東斜面は、年間平均降雨量がほんの50ミリ程度です。この東斜面は、エリコなどの町が点在する、ユダの荒野です。

41.激しい降水量の差異

雨季である冬の間、イスラエルの雨の量は地域によってさまざまです。北西へ進むほどより多く降り、反対に南西へ進めば進むほど、より乾燥していきます。

雨がまばらであることから、イスラエルでは1年のうち40-60日しか、雨降りの日がありません。しかし、最南端のエイラツトでは、平均降雨量が年に12.5ミリ、また死海やエリコでは年間25-50ミリ以下です。

42.エルサレムとロンドンの降水量が同じ?

エルサレムとロンドンの年間平均降雨量が同じ550ミリであることは注目に値します。異なるのは、エルサレムではそれが50日ぐらいに集中して降るのに対し、ロンドンでは300日以上かけてゆっくり降ることです。

43.植物はどうやって生きているの?

こんなに雨が少ないのに、イスラエルの木々や野の植物はどうやって生きているのでしょうか?

海岸平野や山地の西斜面には、毎晩海から湿気を多く含む空気が上ってきて、豊かな露を落します。露は年間260日にわたって降り、平均225-275ミリもの水を、雨の降らない夏の間(4月から11月)供給します。

大地にたくましく根ざす若木。

イスラエルではほとんど毎夜、9時から10時ごろになると、岩や駐車している車から露が地面に滴り落ちます。これは、畑の作物の間に小さな岩を残す農夫たちの知恵を証明しています。

乾燥したこの地で、露は主からの大きな祝福です。

44.気候の違いは「乳と蜜」の違い

ある学者が、イスラエルの潤った西北地域と、乾いた東南地域のはっきりとした違いについて、聖書のみことば「乳と蜜の流れる地」と重なるのでは、と語っています。

ジェームズ・フレミング博士は、「乳の流れる地」とは乾燥した南と東の地方、つまりヤギや羊、ラクダが生息し、ミルクやチーズを供給する、ユダとネゲブの荒野を指すのではないかと言っています。この地は静かで寂しく、先のことが予測不能で何もかも干からびさせる場所です。しかし、神はこの地において、より頻繁に人々に語りかけました。たぶんそれは、これらの地域で神の助けをより必要とした人々は神に求め、神がそれに応答されたからではないでしょうか。

もう一方の「蜜の流れる地」は、より湿潤で花咲く木々が生育できる西と北の地方、肥沃な海岸平野とガリラヤ地方にあたるとしています。これらの地域にはより多くの人々が居住し、町々が開けています。ここでの生活は先のことが見え、騒々しく忙しく、そして楽です。これでは神の声を聞き逃しやすく、またあまりにも満ち足りているため、神に求めようとする心を失ってしまいます。

国土の右側の乾燥地帯に住む人々が雨や収穫の心配をするかたわら、左側では貯水池いっぱいの水と豊かな泉で、50倍、75倍、100倍の収穫をあげていたのでした。

豊かに満たされていることは神に感謝すべきことですが、もしそれが日々神により頼む歩みから人々をそらせ、自己の関心事に注意が集中していくならば、繁栄も偶像となってしまいます。

いかがでしたでしょうか。イスラエルは本当に興味深い土地です。一つひとつの事実の背景に、神の深い摂理を感じ取ることができます。来月は、この学びもいよいよ最終回です。

エルサレムよりシャローム

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