スティーブンス・栄子 2002年5月
今朝のニュースで、シャロン首相が「私たちイスラエルは、切に平和を求める国です。」と語っていました。一体、誰がこの言葉を信じるでしょう。世界中の人々が、「イスラエルは平和を欲しがっていない……」と言っています。はたしてどちらが本当なのでしょう。これに関して、どうしても皆さまにお伝えしなければならないと思い、ペンを取りました。
いつ戦いが始まったのか
エルサレムに住んでいると、毎日のようにテロによって人々が亡くなり、負傷しているというニュースが耳に飛び込んできます。そしてその現場が伝えられるたびに、最近自分が訪れたばかりの場所であることを思い起こします。一昨年の9月から始まった『エルアクサ・インティファーダ(神殿の丘の反乱)』ですが、よくよく振り返ってみれば、この戦いはすでに何年も前から始まっていたのです。私は12年前の1月10日、主人と2人でイスラエルに引っ越してきましたが、当時から爆発で死ぬ人々、刺し殺される人々、そしてバスの爆発などがニュースになっていました。
さらに、私たちが来て間もなく、湾岸戦争が始まりました。イラクがクウェートに侵攻するという、イスラエルとはなんの関係もない事件にもかかわらず、イスラエルに39発ものミサイルが打ち込まれたのです。湾岸戦争中のある日、主人と2人で聖書研究会を終え、サイレンが鳴る前に人々をそれぞれの家に送って行こうと必死に道を急いでいると、途中でサイレンが鳴ってしまいました。ミサイルが炎を上げて目の前を飛来しました。するとすぐに「わ一!」という喜びの叫び声が、アラブ人部落から聞こえたのです。これはすでに毎晩のこととなっていましたが、「科学兵器かもしれない」と恐れて、そばにあった病院に駆け込み、密封された部屋に入り、防毒マスクをつけました。その後、ラジオで「大丈夫」と発表されるまで、じっと静かに待たなければなりませんでした。
39発ものミサイル攻撃を受けながら、ミサイルにじかに当たって死んだのは、たった1人でした。大きなアパートやショッピング・センターが直爆を受けているにもかかわらずです。これはまさに奇跡であり、イスラエルの神がお守りくださったとしか考えられません。この時ほど、主の守りに感謝して過ごした日々はありませんでした。
この後、間もなく故ラビン首相とアラファト議長の間で、『オスロ協定』の話し合いが始まりました。イスラエルの人々にとっては、どんなに待ち焦がれた瞬間だったことでしょう。和平協定にサインが交わされ、インティファーダ(パレスチナの民族蜂起運動)によるテロの終息が約束されました。イスラエルはテロの終息を見届けながら、「5年間にわたって土地を返していく」とパレスチナ側に約束をしました。
しかし、この『オスロ合意』と同時に、アラファト議長はアラブ諸国に向けて「これは『74コード』の最初のステップである」と発表しました。74コードとは、「イスラエルの土地を少しずつ占領していく」という意味で、アラブ人なら誰でもわかる隠語です。このとき、イスラエル人の80%が「もしかしたら本当の平和を獲得できるかもしれない。やるだけやってみよう!」と言いました。しかし、アラブ人にとって、イスラエルとの和平協定とは、「ヨルダン西岸を自分たちのものにすれば、戦いの準備は簡単にでき、イスラエル人を地中海に押し出すことが可能になる」という意味をもつにすぎないものでした。これは、彼らがラジオをとおしていつもはっきりと主張していることです。現在もその主張は変わっていません。
イスラエルの現状
現在、いつも買い物客でにぎわっていた、エルサレムの銀座通りとも言うべきベン・イェフダ通り、キング・ジョージ通り、そしてヤッフォ通りには、ほとんど人が見られなくなってしまいました。ショッピング・センターへ入るのにも、空港と同じ安全検査を通過しなければなりません。子どもたちがデートするときにも、親は「無事に帰って来られるように」と祈りながら送り出しています。女性をデートに誘う男性は、「命がけで彼女を守りますから、どうか心配しないでください」と約束して、テロリストが狙わないような、人があまり行かないレストランを選びます。そして、テロリストが来る前に食事を終わらせられるだろうか……と、心配しつつあたりを見回しながら食べているのです。そして、何を食べたのかわからない気持ちでさっさとレストランを出る始末です。
イスラエルの緊張感が絶頂に達しています。誰かが何かを言えば、大声で泣き出すか、大げんかになってしまうほど精神的に追い詰められています。こんな思いをしている市民を、イスラエル政府は、「もうアラファトがテロリストを止めてくれるのを待つことはできない。自分たちで戸口から戸口まで探してでも、この地からテロをなくそう!」と決めたのです。ここに至るまで、何十年にもわたる忍耐があったことを、世界は知りません。
なぜイスラエルはヨルダン西岸を返さないのか
こんなことなら、さっさとヨルダン西岸を渡して、和平協定で結ばれた条項の遂行を完了させればよいのに、どうしてイスラエルはそれをしないのでしょう。それは、和平協定にサインしてから今日まで、インティファーダはひと時も止まることなく、テロの働きはますますひどくなっていったからです。イスラエルは約束どおり土地を返し、協定に従って行動してきましたが、この5年間、相手には全くその条約を守る態度は見られませんでした。現在の報道では、「イスラエルが1967年(六日戦争)以前の境界線までパレスチナ人に渡すなら、和平が成立する」と言われています。しかし、アラファト議長は、毎日のように「ヨルダン川から地中海まで(全イスラエル)、パレスチナである」と語っているのです。これは1967年ではなく、1948年のイスラエル建国以前に戻すことを主張しているのにほかなりません。
現在、多くの自爆テロ訓練が行われています。ヨルダン西岸を全部渡すなら、ヒズボラ(レバノンで結成されたイスラム原理主義組織)によって訓練されたテロリストたちが、すぐにレバノンからシリアに、そしてヨルダン国からヨルダン西岸に入って来るのです。テロ訓練所は、アラブ諸国だけでなく、アフガニスタン、南アフリカ、そしてアメリカにも存在します。彼らには、イスラエルを亡きものにするためなら、いつでも命を捨てる覚悟ができています。現在、これほどセキュリティーに気を配り、簡単には入れないはずのイスラエルに、毎日テロ活動が起こっているのです。パレスチナがヨルダン西岸に入れるようになれば、テロリストたちは一瞬にしてジハード(聖戦)を実行するでしょう。
イスラエルは平和を求めているのか
1900年間、世界中を放浪し、外国で肩身の狭い思いをし、いつも反ユダヤ主義で苦しんできたユダヤ人にとって、祖国に戻ることは彼らの悲願でした。しかし、祖国に戻ってから今日まで、戦いばかりが続いています。彼らが平和を望む思いは、私たちには想像もできないほど、世界の誰よりも大きく深いものです。1967年以前の境界線に戻すことで、真の平和が手に入るのならば、彼らはとっくにそれを実行したでしょう。なぜなら、ほとんどのイスラエル人が、「平和がどんなに高価であっても、払う覚悟ができている。真の平和を手に入れることができるなら、どんな代償もいとわない……」と思っているからです。しかし、現実はそんなに簡単ではありません。ヨルダン西岸を全部渡すことは、ジハードの戦いに手を貸し、イスラエルの破壊を手伝うようなものです。イスラエルは全アラブ諸国の672分の1の国土しかありません。イスラエルの672倍もの国々が、イスラエルを亡きものにするためにテロリストを訓練し、その援助をしているのです。
なぜ今、「武力制圧」なのか
イスラエルはアラブ諸国全体から見ると、四国ほどの大きさしかない小さな国です。しかし、パレスチナに比べると、強力な軍備をもっています。1987年から、パレスチナ人との戦いが絶えない日々を過ごしています。2000年の9月からだけでも、1万1千回を超えるテロが続いています。どうして今まで武力で彼らを制圧してしまわなかったのか……。それは、武力では平和を得られないと考えていたからです。イスラエルは、本当の平和を獲得したいと、これまで忍耐を続けてきました。和平協定でアラファト議長はテロをやめること、そしてテロリストの逮捕に協力することを約束しました。しかし、それが守られたことは、ただの一度もありません。「テロリストを捕まえた」と発表しても、夜になると、その人は家族の元に帰って行くのです。そして、イスラエルでのテロ活動はますます増えていきました。
シャロン氏が首相に就任してから、イスラエルは、テロ活動があるたびに報復応戦を行ってきました。なぜなら、アラファト議長は約束を実行しないばかりか、テロ活動をますます増やしていったからです。国民全体がテロで苦しむようになった今、イスラエルはついに「アラファトにテロリスト逮捕を任せてはおけない!」と、テロリストの逮捕を自ら行うことにしたのです。
これまでテロの犠牲となってきたのは、イスラエルの一般市民であり、女性や子どもたちでした。弱い者を狙うテロリストたちを、どうしても根絶しなければならないイスラエルなのです。これが日本で起こったことだったらどうでしょう。アメリカは弱い市民を傷つけたテロリストを追いかけて、アフガニスタンに軍を送りました。強い軍事力をもちながら、どうしてこれまで黙っていることができたのか不思議なくらいに、イスラエルは忍耐して今日まで過ごしてきたのです。私白身は、この軍事介入が正しいと思っているわけではありませんが、ただひたすらに主の導きを祈る者です。
パレスチナ市民はどうなるのか
1987年にアラファト率いるPL0(パレスチナ解放機構)が、テロ活動をもってイスラエルを襲ったことがきっかけで、インティファーダの戦いが始まりました。それが悪化して今日に至っています。
では、それ以前はどうだったのでしょう。1967年の後、イスラエルは、ヨルダン西岸にパレスチナ警察を設けました。多くのユダヤ人がパレスチナ人の店で買い物をしました。また多くのユダヤ人がパレスチナ人を雇いました。現在でも聞かれる言葉ですが、「ヨルダン国が治めていたとき(六日戦争以前は隣国・ヨルダンがヨルダン西岸を併合していた)よりも、イスラエルが治めるようになってからのほうが、生活はずっと良くなった。インティファーダの始まる前はとてもよかった」と、パレスチナ人自身が語っているのです。そして、彼らも和平の実現を待ち望んでいます。
しかし、争いは激化する一方です。イスラエル人も、パレスチナ人も、もうこれ以上我慢できないというところまで追い詰められています。パレスチナの人民は、パレスチナ自治政府とイスラエル政府との紛争で、仕事もなく生活の糧を断たれた状況にあります。ユダヤ人も観光産業が大きな打撃を受けて、失業者がますます増えています。
これはもう、「どちらが正しい、正しくない」の問題ではありません。平和の実現を許さず、「イスラエルを地中海に追い出すまでは戦い続ける!」と決めている、少数派のグループによって、罪のない人々が苦しめられているのです。
平和の到来
ここまでくると、「平和はこない」という答えになってしまいます。そして、「なぜ、こんなことになってしまったのか?」という質問が湧いてきます。これらの答えは、全部聖書に書かれているのです。
「彼らは言っています。『さあ、彼らの国を消し去って、イスラエルの名がもはや覚えられないようにしよう。』彼らは心を一つにして悪だくみをし、あなたに逆らって、契約を結んでいます。それは、エドムの天幕の者たちとイシュマエル人、モアブとハガル人、ゲバルとアモン、それにアマレク、ツロの住民といっしょにペリシテもです。アッシリヤもまた、彼らにくみし、彼らはロトの子らの腕となりました。」(詩篇83:4-8)
これらの国々を現在の国名に変換してみましょう。
- エドム・モアブ・アモン→ヨルダン
- イシュマエル→サウジアラビア
- ハガル→エジプト
- ゲバル→イラク
- ペリシテパレスチナ
- アッシリヤ→シリア、イラン、
その他ほとんどの中東諸国
現在のイスラエルは、この詩篇のとおりになっています。そして、世界中がアラブ側に立ち、イスラエルを襲ってくることが預言されています。そして、その戦いが頂点に達するとき、イスラエルがメシアに助けを求め、再臨が起こると書かれています。そしてメシアであられるイエス・キリストによって、真の平和が訪れるのです(ゼカリヤ12-14章)。
聖書の観点からイスラエルを見ないかぎり、意図的に操作された偏った情報によって、ますますイスラエルを敵視するようになります。私たち、聖書を信じる者は、神の御心だけに固く立って、祈りをもって主の働きに参加しようではありませんか。マスコミがイスラエルを悪として書き立てるとき、主の日が近いことを知りましょう。
2千年前、それぞれの神学のために、そしてパリサイ人や律法学者たちの言葉によって、メシアの到来から目隠しされた状態で「神の訪れの時を知らなかった」ユダヤ人のようなことが、私たちの上に起こりませんように……。マスコミに惑わされるのではなく、主のみことばを信じてお祈りください。(ルカ19:41-44)