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もしかするとこの時のために -プリムの祭り-

BFP編集部 2002年4月

世界中のユダヤ人の子どもたちが、
プリム祭に参加します。

「プリム」は聖書の中でも、私の好きな祭りの1つです。それはその背景のお話が、実に面白いからです。映画にでもなれば、観客を最後までとりこにすることでしょう。今回は、まずプリムのお話であるエステル記を要約して学び、私たちの霊的実生活とどのように関係しているのか考えてみましょう。

エステル記のあらすじ

選び出されたエステル

今から2500年ほど前、アハシュエロス王は、インドからエチオピアに及ぶ広大なペルシャ127州を支配していました。その治世の3年に、首都シュシャン(スサ)で盛大な祝宴を開きました。お祭り騒ぎは180日間(6カ月)も続き、各地から首長、家臣、有力者、貴族たちが招待されました。王は役人を呼び付け、王妃ワシュティに王冠をかぶらせて連れて来るように命じました。しかし、王妃はそれを拒んだので、王は怒り、彼女を追放しました。王妃の代わりを求めて、側近は、国中から一番美しい娘を探すよう手配しました。

さて、王宮にモルデカイという一人のユダヤ人がいました。彼はエルサレムがバビロンのネブカデネザル王の手に落ちた時に捕らえられ、バビロンに連れてこられたユダヤ人の1人です。彼は、叔父の娘で若く美しいハダサ(エステル)を育てていました。エステルは他の大勢の娘とともに王宮に連れて来られました。王は他の誰よりも彼女を気に入り、早速王宮に召し出しました。

そんなある日、城門の警備についている2人の宦官が、アハシュエロス王の暗殺計画を練っていました。これを知ったモルデカイは、王妃エステルをとおして王に通報しました。取り調べの結果、揺るがぬ証拠が示され、2人は磔になりました。この知らせをもたらしたのがモルデカイであることは、アハシュエロス王の年代記に詳細に記されました。

王はその後間もなく、アガグ人ハメダタの子、ハマンを総理大臣に抜てきし、ハマンに出会う者は、皆うやうやしくお辞儀するよう命じました。しかし、モルデカイだけは絶対に頭を下げようとしませんでした。この態度に怒りを燃やしたハマンは、モルデカイのみならず、国中のユダヤ人を皆殺しにしようと考えました。

ハマンは、王に、「すべての州にいる諸民族の中に、王の法令を守っていない民族がいる」と告げ、彼らを滅ぼさなければ王のためにならないと進言しました。これを実行する者には銀1万タラントを量って渡し、王の金庫へ納めさせることも付け加えました。王はこれを許可し、一切の権利をハマンにゆだねました。計画を決行する日はくじで決められ、ユダヤ暦のアダル月の13日(太陽暦の2〜3月)と定めました。

エステルの決断

事情を知ったモルデカイは、着物を裂き荒布をまとい、嘆き悲しみました。エステルが宦官ハタクを遣わすと、モルデカイは彼女に王の前に出て、同胞のために命乞いをするよう勧めました。王の召しなくして王宮の中庭に入れば、男女問わず即刻打ち首と決まっていました。王妃とて例外ではありません。しかしモルデカイは言いました。「あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」(エステル4:14)

エステルは熟慮した末、3日間断食し、同胞のために死ぬ必要があるならと、いさぎよく死ぬ決意を固め、王宮の中庭に足を踏み入れました。この行為に、王は怒るどころか、彼女を招き入れました。エステルは、王のために設ける宴会にハマンと一緒に来てほしいと伝えました。王は招待を受け、ハマンも大喜びで王妃のもとへ急ぎました。

その夜、王は上機嫌でエステルに言いました。「欲しいものは何でも与えよう。王国の半分でも、それをかなえてやろう。」エステルは、「もしも王さまのお許しが得られ、私の望みをかなえていただけますなら、私が設ける宴会に、ハマンとご一緒に、もう一度お越しください。そうすれば、明日私は王さまのおっしゃったとおりにいたします」と答えました。

宴会後、天にも昇る気持ちだったハマンが一気に盛り下がったのは、あの無礼なモルデカイが、例によってお辞儀もせずに門に座っていたからでした。ハマンはますます腹を立て、その夜のうちに、高さ25メートルもの絞首台を作り、翌日モルデカイをつるそうと思い立ちました。

グラガー。
エステル記が読まれて
いる間、ハマンの名が出
るたびに、騒音を立てて
かき消すための道具。

ユダヤ人の解放

祝宴の2日目も、王とハマンは王妃エステルのところへやって来ました。エステルは王に願いました。「私にいのちを与え、私の望みを聞き入れて、私の民族にもいのちを与えてください。私も私の民族も、売られて、根絶やしにされ、殺害され、滅ぼされることになっています。私たちが男女の奴隷として売られるだけなら、私は黙っていたでしょうに。事実、その迫害者は王の損失を償うことができないのです。」(エステル7:3-4)

王はあ然として、「そんなことをたくらんでいる者は、いったい誰か」と問いました。エステルは答えました。「その迫害する者、その敵は、この悪いハマンです。」すると王は荒々しく立ち上がり、庭に出て行きました。あわてふためいたハマンは、エステルに命乞いをしようとしました。

広間に戻った王が、エステルのいた長椅子の上にハマンがひれ伏しているのを見て、「私の家の中で王妃に乱暴しようとするのか」と激怒しました。その時宦官の1人が、「モルデカイのために、ハマンが用意した絞首台が彼の自宅の庭にあります」と告げたので、王は「彼をそれにかけよ」と命じ、ついにハマンは処刑されたのです。王はユダヤ人の敵、ハマンの財産をすべてエステルに与え、即座にモルデカイを総理大臣に任命しました。それはアダルの月の14日でした。王はユダヤ人について、モルデカイの思いどおりにしてよいと許可を与えました。災いが去ったことで、町々のユダヤ人は喜び、楽しみ、祝宴を張り、その日を祝日としました。

これが、エステル記、プリムの祭りの物語です。

プリムの特徴

イスラエル、そして世界中のユダヤ人社会では、今でもプリムが守られています。エルサレムなど城壁のある町々では、アダルの月の15日に、テルアビブなど城壁のない町々では、アダルの月の14日に祝ってきました。何百年もの間、虐待に耐えてきたユダヤ人にとって、この祭りこそ、悲しみが喜びに、嘆きが幸福の絶頂へと変えられた日の象徴です。エステル記4章16節に記されているように、13日に断食をしてプリムに備えます。これはエステルの断食とも呼ばれています。プリムは他の断食や祭りと違い、前日の夜からではなく、日の出とともに始まります。

祭りの主要な呼び物は、シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)でのエステル記全書の朗読です。聖書の中で、エステル記だけは神の御名が書かれていません。ですから、朗読も非常に軽快に行われ、祭りの雰囲気も自由で開放的です。シナゴーグでの礼拝は普通、儀式を重視して厳粛に行われますが、プリムはどちらかと言えば、ばか騒ぎをしているように見えます。

出エジプト記17章8節から16節にかけて、「主は代々にわたってアマレクと戦われる。」という一節が出てくる記事がありますが、ハマンはそのアマレク出身です。

イスラエルでは、劇やパレード、パーティーが行われるプリムの祭りは、人々に親しまれています。エルサレムでは、アマレク人やエステル、モルデカイに扮した子どもたちで道路はいっぱいになり、大人たちもそれぞれ仮装して祭りを祝います。まるでカーニバルの雰囲気です。さすがに数は少ないものの、小さな悪者ハマンが走り回っています。彼らはたいてい、野次られたり、からかわれたりします。エステル記の登場人物のほか、中にはまったく関係のないピエ口や宇宙飛行士、カウボーイやマドンナなどの有名人など、好んで扮する若者たちもいます。

プリムでは、イスラエルの街路は
仮装した大人や子どもたちであふれかえる。

ユダヤの祭りには食べ物が付き物ですが、プリムではその1つとして、「ハマンの耳」というお菓子を食べます。それは三角のクッキーのようなもので、甘く味付けしたけしの種、または木の実がたくさん入っています。また、伝統として、午後には祝宴があり、友人や親族を集めてお祝いをします。この歴史的な日を記念して、断食や贈り物の交換、また貧しい人々への施しをしたりします。(エステル9:22)

プリムは単なる昔話ではありません。聖書を信じる私たちにとって、大いに学ぶべきことがあります。これにまつわる3つの大切なレッスンを見ていきましょう。

レッスンその1-反ユダヤ主義-

歴史に根を張る反ユダヤ主義

プリムについて、注意を払うべき最初の課題は、「ユダヤ人を見る偏見の目」です。それは慢性的な病気のように大昔から根を張り続けています。エジプトのパロ、ハマン、ヘロデ、そしてヒトラーのような人物が、数え切れないほど歴史に登場してきました。

これほどまでにユダヤ人が嫌われる理由は、出エジプト記34章申命記7章に書いてあるように、ユダヤ人が神によって選ばれ、神と契約を結んだ民だからです。ユダヤ人は地の面のすべての国々の民のうちから、主が選ばれてご自分の宝の民とされ、「すべての国々の民の中で、最も祝福された者」となりました。「あなたがたに触れる者は、私のひとみに触れる者だ。」(ゼカリヤ2:8)

神がイスラエル民族を選ばれ、その歴史を導かれたのも、人類を救う目的のためです。イエス・キリストを地上に送られ、十字架の死にまで追いやられたのは、神の救いの計画に沿っていますから、ユダヤ人の撲滅を謀ることは、神の救済の道を断ち切ることにつながるのです。

クリスチャンも、今、世界のあちこちで迫害を受けています。しかし、神の腕はどこまでも広がり、まるで親鳥が羽を広げてひなを守るように、ユダヤ人、そして私たちを守ってくださっています。「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世12:3)

アマレクを根絶せよ

大昔から、アマレク人や他の多くの民族がイスラエルを迫害してきました。主は、これらの民族に罰を与えられました。「あなたがたがエジプトから出て、その道中で、アマレクがあなたにしたことを忘れないこと。彼は、神を恐れることなく、道であなたを襲い、あなたが疲れて弱っているときに、あなたのうしろの落後者をみな、切り倒したのである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えて所有させようとしておられる地で、あなたの神、主が、周囲のすべての敵からあなたを解放して、休息を与えられるようになったときには、あなたはアマレクの記憶を天の下から消し去らなければならない。これを忘れてはならない。(申命25:17-19)

イスラエル人は、この「アマレク人根絶命令」に背きました。後にサウル王は、罪人アマレクを絶滅させるまで戦うように、主から命じられたにもかかわらず実行しませんでした。「サムエルは言った。『あなたは、自分では小さい者にすぎないと思ってはいても、イスラエルの諸部族のかしらではありませんか。主があなたに油をそそぎ、イスラエルの王とされました。主はあなたに使命を授けて言われました。『行って、罪人アマレク人を聖絶せよ。彼らを絶滅させるまで戦え。』あなたはなぜ、主の御声に聞き従わず、分捕り物に飛びかかり、主の目の前に悪を行なったのですか。」(第1サムエル15:17-19)

そして、サウルの命はそのアマレク人によって絶たれました。

あなたは、このような話とプリム祭に何の関係があるのか……と思っておられることでしょう。

サウル王の不従順の後、何百年も過ぎてから、ユダヤ人の迫害者ハマンが現れました。(エステル3:1)ハマンの激怒はモルデカイのみならず、国中のユダヤ人を皆殺しにしようというまでに高まっていました。(エステル3:6)

悪しきハマンの怒りは止まることを知りませんでした。命懸けで王の前に出たエステルの機転がなければ、彼の計画は成功していたかもしれません。しかし、彼は自分が用意した絞首台で処刑され、ユダヤ人虐殺命令は取り消されました。国中のユダヤ人は悪の企みから解放され、その記念の祭りでは群集の喜びの笑い声が響きました。もし神が彼らとともに笑っておられたとすれば、それは生意気にも神ご自身の民に立ち向かおうとした、ハマンをあざける笑いだったでしょう。

レッスンその2-主はユダヤ人を救われる-

神は策略を打ち砕かれる

大昔から、悪の勢力はあの手この手と手段を変えながらユダヤ人を襲ってきました。

エジプトのパロから始まり、アマレク人、ハマン、シリア人、ローマ人、十字軍戦士、宗教裁判(13世紀から19世紀のヨーロッパにおいて、異教の発見と異端者の処罰を行った)、ポグロム(ロシアによるユダヤ人大量虐殺)、ヒトラー。そして現代、中東のイスラム教徒が聖戦を唱えては絶え間なく押し寄せ、イスラエルを追いやろうとしています。

にもかかわらず、ユダヤ人は守られ、現在も生存しています。加害者たちは結果的に歴史から消えてしまいました。

ユダヤ人は驚くべき主の御業を体験しています。神はプリムの時のように、他の加害者からも彼らを救っておられるのです。1950年初期に、旧ソ連の首相であったスターリンは、ユダヤ人問題の最終解決策を思いつきました。死刑か、もしくは追放しようとしたのです。ユダヤ人の収容施設として、シベリアとカザフ共和国には、大勢の人々を収容できる粗末なバラック式の建物が建てられました。
一方、「プラウダ」(共産党中央機関紙)と「イズベスチャ」(政府の機関紙)のような主要機関紙には、「ユダヤ人はソ連人に対してもろもろの悪事を行っている」という記事が何カ月にもわたって掲載されました。

ユダヤ人のリーダーたちは、1953年3月、人々の筋道の通らない怒りから守ってほしいこと、シベリアヘ送って保護してほしいという内容の嘆願書を政府に提出しました。政府は人道的にどうすれば良いか迷った末、嘆願書は公表しませんでしたが、国外追放することもありませんでした。その年はユダヤ人にとって恵まれた年となりました。そして同年の3月5日、くしくもプリム祭の日、スターリンが死亡しました。その年の春の終わり、プラウダ誌が「以前から掲載してきたユダヤ反対運動は間違っていた」という新事実を発表しました。

プリムの際に行われたチャリティー
仮装舞踏会(エッチング画)

1991年のプリム祭にも、湾岸戦争の終結という出来事をとおして、主は御業を現してくださいました。サダム・フセインは負け、イスラエルに降っていたミサイルの雨が止んだのです。あの日、私はエルサレムのベン・イェフダ通りにあるカフェにいました。何千人ものイスラエル人がプリム祭を祝っていました。ガスマスクは外され、閉ざされていた部屋は開かれました。主が再び守ってくださったことに、人々は感謝を捧げたのです。

キリストによって一つにされる

1700年間、キリスト教会によってユダヤ人迫害が行われてきた-これは動かすことのできない歴史の事実です。ローマ書9章から11章には、異邦人がユダヤ人にどう接するべきなのか、パウロの教えが書かれています。教会とイスラエル、そしてユダヤ人との関係についてパウロはこう言っています。「選びによれば、先祖たちのゆえに、愛されている者なのです。」(ローマ11:28)

「あなたがたの受けたあわれみによって、今や、彼ら自身もあわれみを受けるためなのです。」(ローマ11・31)残念ながら、パウロのこの教えは真の意味で理解されず、キリスト教会による反ユダヤ主義は長い間続きました。現在もユダヤ人は反ユダヤ主義に悩まされています。

しかし、聖霊の働きにより、最近になって聖書から主の御心や教会とユダヤ人の霊的な関係が理解され、私たちクリスチャンを1つにし始めています。「あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。キリストこそ私たちの平和であり、2つのものを1つにし、隔ての壁を打ちこわし……。」(エペソ2:11-14)

私たちは、キリストの血によってアブラハムの家族となり、契約、約束、希望、そして神の国の市民権が与えられました。ユダヤ人をとおして、聖書に、主イエスに出会うことができたのです。ですから、霊的な兄弟であるユダヤ人が反ユダヤ主義にさらされているときには、助けの手を差し伸べるべきではないでしょうか。

レッスンその3-私たちのすべては主のもの-

神の選び

レッスン3では、「命懸けで神に仕えられるか」という課題について学んでまいります。モルデカイはエステルに、命を懸けて、ユダヤ人を助けるように言いました。

「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」(エステル4:13-14)

飾り文字で美しく装飾されたエステル記(モロッコ)

エステル記2章12節に、「おとめたちは、婦人の規則に従って、12か月の期間が終わって後、ひとりずつ順番にアハシュエロス王のところに、はいって行くことになっていた。これは、準備の期間が、6か月は没薬の油で、次の6か月は香料と婦人に必要な品々で化粧することで終わることになっていたからである。」と書いてあります。主はこのためにエステルを選ばれたのではありません。エステルが王妃の座を受けた理由は、命を捨てて主に仕えるためでした。

つまりモルデカイが言っていることは、主は最高の権力を持つお方であり、主に従わなければ、他の者を使ってユダヤ人をお助けになるが、あなたにはその「償い」が待っているということです。主のご計画によって選ばれたのですから、その役目を果たさなければなりません。「最大の愛は、他人のために命を捨てること」-これがユダヤ人の考え方です。

エステルはユダヤ人を救うために、主に選ばれました。それはどのようにして、ユダヤ人が暗闇から主のまばゆい光の中へと救い出されたか、その御業が後に人々に語り伝えられるためなのです。

主の道具となる

救い主イエスを信じる私たちは、主から選ばれた王なる祭司であり、きよい民として主のものとされました。(第1ペテロ2:9)エステルがモルデカイに言われたように、私たちも主に選ばれたからといって、それに甘えて何の苦労もしないというわけにはいきません。主の選びには、はっきりとした理由がありますから、その使命を果たさなければなりません。確かに今まで感じたことのない、すばらしい安心感がありますが、それに浸っているわけにはいきません。主が約束してくださった勝利に到達する前に、苦難の道をも通らなければならないのです。

主が私たちをこの世に遣わす目的は、“主の奇しい御業を宣べ伝えること、そして世の贖いと救いのため”です。それには霊的格闘が待ち受けています。その格闘は自分の意志や行動とは関係なくやってきます。ですからエペソ書6章10節から18節に、「神のすべての武具を身につけなさい。」と書いてあるのです。イエスの再臨の日が近くなればなるほど、神に属するものや、神に仕える人々に対する攻撃が増します。

特に主に従う道を選んだ者、主に愛されている者であるイスラエルやユダヤ人には、風当たりが強くなります。エステルがユダヤ民族を救ったように、第二次世界大戦時、クリスチャンで、ユダヤ人を助けるために命を懸けた人々もいます。「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。」(ヨハネ15:13-14)

「自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」(マタイ10:39)

私たちは喜んで主の道具になれるでしょうか。

主とともに挑戦

主はこれまで長いあいだ、イスラエルをお心にかけてこられました。私たちにとっても、主のご計画どおりに歩む道には試練が待ち受けています。私たちは、果たしてそれに耐えられるでしょうか。

ダビデは神の御心にかなった人でした。主は彼に、敵との戦いに対する勝利を約束されました。しかし勝つためには、戦場に出て戦わなければなりません。主は必要なことを経験によって学ばせてくださいますから、戦いに出て行かない者であってはいけません。主が語られた言葉を覚えていますか。「しもべはその主人にまさるものではない、とわたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害します」(ヨハネ15:20)

確かに、苦難と悲しみがたくさんありますが、勇敢でありましょう。主の近くに根ざして用いられることにより、最終的には勝利が約束されます。主はエステルになさったように、私たちも救ってくださいます。まずみことばを蓄え、主を知り、真剣に主の御心を求めましょう。そうするとき、主の光の中を歩き、敵と対戦しても勝利を得ることができます。

主が私たちに成そうとしておられることに、無関心な人が大勢います。世の人々はむなしい目的を持ち、意味のない物を求め、ぜいたくで楽な生活を得ようとしています。それは貪欲と肉欲の罪を犯すものであり、“自分にメリットがあるかないか”で判断する自己中心的な生き方をもたらします。クリスチャンであっても、たやすくこのような生き方に染まることがあります。世のメディアや広告は、自己中心の生き方をしがちな人間の痛い所を突いて、魅力的なことを言って迫ってきます。このような方法で満足感を得ると、常にむなしさがついてまわります。聖書にもあります。「幻がなければ、民はほしいままにふるまう。」(箴言29:18)

モルデカイは、「主は別の人を用いて主のご計画を果たされるが、祝福を失うだろう」とエステルに言いました。主のご計画には危険と困難が伴うからといって、私たちは主の力と栄光を知らずに辞退してもよいのでしょうか。実は、主のご計画こそ、私たちに与えられた栄光ある挑戦なのです。パウロの教えにあります。「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」(ピリピ4:13)

主からお声がかかるたびに「私には無理だ」と思われるかもしれませんが、主はエステルにされたように、先回りして私たちが歩きやすいように道を整えてくださいます。

御心に従う人生に踏み出す

主のご計画通りに、御手の中にとどまる生き方は、すべてのことに平安があります。それは人間の理解を超えた平安であり、他の生き方は私たちには考えられません。

あなたにはあなたの使命が与えられています。使命はそれぞれ人によって違うでしょうが、主を信じて一歩を踏み出してみてください。あなたをとおして主のお働きが成されるのですから、それを受け入れることができるように願っています。今日の決断は、明日の平安につながることを保証します。

ときには葛藤があります。ですから、神のすべての武具を身に着け、逆境にあっても勇気を持ち、ヤコブのように熱心に主を求めましょう。そして答えていただくまで求めましょう。

今、神の国にあるあなたの目的を知り、人生の優先順位を自信を持って定めたいと思うなら、主を求めてみてください。必ず答えてくださいます。主が与えてくださった道の、どこを歩いておられるにしても、すべての祈りと願いを用いて、どんな時にも御霊によって祈っていきましょう。

モルデカイがエステルに言ったように、私ももう一度、申し上げます。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」(エステル4:13-14)

そうです。あなたは王なる神に仕える奉仕者です。今日、主と神の王国のために戦うことを再契約する第一歩を踏み出そうではありませんか。

エルサレムよりシャローム

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