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長寿の秘訣 -父と母を敬いなさい-

BFP編集部 2002年1月

繁栄した長寿の人生を送るための秘訣が、十戒に示されています。「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。それは、あなたの齢が長くなるため、また、あなたの神、主が与えようとしておられる地で、しあわせになるためである。」(出エジプト20:12、申命5:16)

目を大きく見開いた幼い娘を胸に
抱き、ハヌカ祭のろうそくに火を
灯し、奉献祭を祝っている兵士。

父と母を敬うことは、神を敬うこと

モーセがシナイ山で授かった十戒は、神ご自身の指によって、2枚の石板に記されました。「あなたの父と母を敬え。」

この戒めは、1枚目に書かれたものです。1枚目に書かれた5つの戒めは、神と私たちとの関係について語っています。2枚目の石板に書かれた5つの戒めは、人間同士の関係を取り扱っています。興味深いのは、「約束」が伴っているのは、第五の戒めだけだということです。ここに、神が両親と子どもの関係を重要視していらっしゃることが表されています。

神は、地上における「神の位置」に親たちを置いておられます。「父と母を敬う」-この戒めは、「まず神を第一にする」という戒めのすぐ後に続いて書かれています。第一に神を敬い、第二に、私たちを監督する責任を与えられた親を敬いなさいと命じておられるのです。

レビ記19章3節には次のように書かれています。「おのおの、父と母を恐れ(ヘブル語では『ヤレ』)なければならない。」

「恐れる」と翻訳されているヘブル語の動詞『ヤレ』は、正確には「尊敬する」という意味を持っています。ですから、文字どおり解釈するなら、「両親を尊敬し、うやうやしく恐れるように」と勧告しています。これは決して不安に思って怖がったり、恐れたりしなさいと言っているのではありません。興味深いことに、『ヤレ』という動詞は、聖書の中で、神および両親への尊敬に関してのみ使われています。

ユダヤの儀式「シムハット・トーラー」で
は、父親と息子が、愛情深い天の父に
よって聖書が与えられたことを祝う。

ちょうど結婚が神によって計画されるように、「神-親-子ども」の関係は、神に定められたものです。しかし哀しいかな、世の汚れにまみれていく現代の世界においては、どちらの関係も軽視されています。家族は崩壊し、その結果、社会全体も崩壊の一途をたどっています。

「神-親-子ども」の関係が神によって定められているなら、神は、双方がどうあるべきだとお考えになっているのでしょう。

親の責任

聖書には、子どもに関する記述が1700カ所以上あります。その中には、人が悲しむ時、愛情を込めてご自身の御許に引き寄せたいと思っておられる、優しい憐れみ深い天の御父のご人格が表されています。反面、人間が間違った方向へと迷い出てしまったときには、厳しく戒められる父でもあられます。

神が、命の道を歩くことを私たちに望まれるのは、豊かな人生を送るために、必要なものすべてがそこに見出されるからです。神は私たちがそうすることを切に願い、その道を教えるとも言っておられます。「来なさい。子たちよ。私に聞きなさい。主を恐れる(尊敬する)ことを教えよう。」(詩篇34:11)

もし、神に従うことに真剣なら、道を踏みはずすことはありません。子どもが正しく成長できるように、喜んで助けてくださる誠実な親を、私たちは内側に持っているからです。天国の道を教えるために、神は地上でそれを教え、世話をする代行者を任命されました。それが、私たちに与えられた両親です。それでは、子どもたちに対する両親の責任とは何でしょう。

訓練と指導

親の役割の一つは、主の教えに従って子どもを訓練しい指導することです。箴言は親たちに次のように命令しています。「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。」(箴言22:6)

しかし、訓練と指導には、「従うこと」が要求されます。人は罪を犯す性質を持って生まれてくるので、幼い子どもでさえ、指導しなければ、神の道から迷い出てしまいます。天の父として、神はすべての人間を訓練されます。「父がかわいがる子をしかるように、主は愛する者をしかる。」(箴言3:12)。そして同様に私たちが自分の子どもを愛し、正しく訓練することを望んでおられます。

聖書によって正しく訓練を受けた子どもたちは、善悪を知るようになります。訓練を受けないと、不安で気ままになり、どうすれば成熟した、自立した大人になることができるのかわかりません。
だからと言って、肉体的にも精神的にも、「訓練」が子どもを虐待する言い訳にはなりません。エペソ書6章4節はこう勧告しています。「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」

コロサイ書3章21節では、さらにもう一段階進んだ指導をしています。「父たちよ。子どもをおこらせてはいけません。彼らを気落ちさせないためです。」このように訓練とは、単に体罰を与えることではなく、また言葉で虐待することでもありません。神の道に生きるために、人生の方向付けを与える養育を含めた、総合的なプログラムなのです。

旧約聖書では、子どもを訓練することは大変重要なことでした。申命記21章18節から21節では、不従順で反抗的な息子に対する罰を、一つひとつ明確に説明しています。そういう子どもたちは、町の門に連れて来られ、人々によって石打ちの罰を受けて殺されたのです。地上の両親に対してさえ、これほどの従順が要求されるのですから、天の父に従順であることはさらに大切です。

養育

子どもへの訓練には、愛育と、養育が必要です。養育抜きで、訓練ばかり行われると、精神的バランスを欠き、それが崩れたまま大人へと成長してしまいます。同様に悪いのは、養育ばかりで訓練をしないことです。聖書の中で、神が愛と慈しみを示されるとき、養育する親にご自身をなぞらえておられます。「母に慰められる者のように、わたしはあなたがたを慰め、エルサレムであなたがたは慰められる。」(イザヤ66:13)。「あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。(ルカ11:11-13)

子どもは、神の贈り物であることを覚えておかなければなりません。「見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。」(詩篇127:3)

誰が御座についているのか

子どもへの訓練・指導・愛育・養育は、将来に多大な影響を及ぼします。親はどのように子どもに良い、もしくは悪い影響を及ぼしていくのでしよう。信仰の篤い親は、信仰の篤い子どもを生み出し、罪の深い親は、罪の深い子どもを生み出します。「わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」(出エジプト20:6)。しかし、信仰深い親でさえ、自分の子どもを適切に育てることを怠り、神の国からその子を失ってしまうことがあります。何と悲劇的なことでしょう。子どもへの教育によって、神に対する考え方に影響が出てしまうのです。

ある神学校の教授が、“父なる神のご性質”を学生たちに理解させるのに大変苦労していたことを思い出します。ある時、「父なる神の絵を描くように」と生徒たちに言うと、何人かは、天から彼らに稲妻を投げつける、怒り狂った専制君主のような姿を描き、他の者は空っぽの御座を描き、さらに他の者は感情を持たない、冷淡な神を描きました。

それぞれの学生たちと会って、絵のことを尋ねてみると、彼らは自分たちの父親をモデルとしてそれぞれの絵を描いたことがわかりました。ある学生の父親は、専制君主のような人物で、愛情を持たずに家庭を支配していました。他の学生は子どもの時に父親から見捨てられていました。また、同じ家に住んではいても子どもには無関心な父のもとで、あるいは仕事が忙しくて父親不在の状態で育っている学生もいました。愛情深い神の姿を描いたのは、ほんの一握りの生徒だけでした。これを描いた学生たちは、愛情深い家庭環境の中で育っていました。興味深いのは、天の神のイメージに、地上の父親像が反映されていたことです。

何と悲しいことでしょう。神から与えられた役割を親が果たさない時、子どもは大人になっても神との関係や概念に影響を受けることが、このちょっとしたテストでわかりました。その後、学生たちは、地上の間違った父親の姿が、天の父の肖像となって投影されていくことを理解し、彼らの概念を訂正することができました。

あなたはどのような神の肖像画を描きますか。正しい肖像画でしょうか。もしそうでないなら、天の父のご性質について、聖書全体をしっかり読み、絵を描き直す必要があります。また、神はあなたを愛し、育てたいと望んでおられます。神の訓練は愛に根ざしていると知ることができるように、牧師に相談する必要があるかもしれません。神はいつでも新しく変えてくださるお方です。

肖像を正そう

親として、私たちは難しい時代に生きています。神から子どもたちを遠ざける、魅力的な罪と誘惑に満ち満ちた世で、彼らが成長レていくのは困難なことです。もしあなたが子どもに対して信仰深い親でありたいと願うのなら、それをどのようにしたら良いのかわからなくても、その分野に真剣に取り組んでいる、いろいろな宣教団体の書籍や聖書に根ざした良い資料を手に入れることができます。私たちは子どもに、この世の教えや考えをそのまま伝えることはできません。ですから、注意深く聖書に基づいて教えるよう努力する必要があります。

私たちは子どものために、正しい神の肖像を描いているでしょうか。今からでも決して遅くはありません。子どもたちに対して間違いを正し、神が悪い状況から良い状況に変えてくださるように願いましょう。あなたの子どもがもう大人になっていても、彼らを養育する上で正しく振る舞うことができなかったとしても、今からでも「肖像を描き直す」ことができるのです。これが家族に対する神の希望です。神はこう言っておられます。「彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。」(マラキ4:6)

子どもの責任

親は、地上において神を代表しているのですから、神によって、敬われるべき立場に置かれています。私たちは、神に示すのと同じ尊敬を両親に示す必要があります。それがレビ記19章3節の教えです。タルムード(ユダヤ教の聖書注釈書)はこう語っています。「神を大切にすることは、父と母に敬意を表すことである。なぜなら、聖書は両親と神への敬意について、同じ表現を使っているからである。」

「敬う」とは、「従う」以上のことです。「従う」とは、言われたままをすることです。敬うとは、それを行う態度です。例えば子どもの頃、部屋を掃除しなさいと言われたことがあるでしょう。もし、上機嫌で速やかにそれをするなら、彼らを敬い、従ったことになります。しかし、いやいやながらしたのであれば、ただ単に親の命令に従っただけであり、敬ったことにはなりません。敬うとは、物事の核心に迫ることです。喜んで従うという行動をとおして、その人に敬意を示すのです。

両親に従う

神は、主にあって両親に従いなさいと言っておられます。神が両親をとおして私たちに与えておられる知恵と悟りの全体像を、箴言4章を読んで受け取りましょう。また、新約聖書にもこの教えがはっきりと述べられています。「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。『あなたの父と母を敬え。』」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。」(エペソ6:1-2)。「子どもたちよ。すべてのことについて、両親に従いなさい。それは主に喜ばれることだからです」(コロサイ3:20)。両親に従うことは、正しいだけでなく、神に喜ばれることなのです。

両親に背くことができるのか

「神のみことばに違反しなさい」と、親に言われたときには、もちろん両親に背くことができます。タルムードでは、ユダヤ賢人の次の言葉を引用しています。「両親への畏敬は、神への畏敬を越えてはならない。親が神の律法に違反することを命令するなら、子どもは親の上に神に対する義務を置かなければならない。」

この点に関して、新約聖書は同様に明確です。「さて、大ぜいの群衆が、イエスといっしょに歩いていたが、イエスは彼らの方に向いて言われた。『わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。』」(ルカ14:25-27)

それがたとえ敵であっても、新約聖書は隣人を憎むことを厳しく禁じています。にもかかわらず、イエスはここで何とおっしゃっているでしょう。ここで「憎む」と翻訳されている言葉は、「より少なく愛する」という意味だと理解する方が良いでしょう。

どのようにして両親を敬うのか

偉大なラビ、マイモニデスは次のように言いました。『両親、特に歳を取った両親を敬うとは、必要に応じて愛情を込めて世語し、食物や着るものを用意し、教師の前に尊敬を持って立つように、彼らの前に立つことである。反発しないで尊敬を払って注意を向け、例え金銭の損失があっても彼らにそれを知らせて恥をかかせない。そして畏敬と尊敬を表現することである。』(ヒルコール・マムリム6:3)

死後でさえ、両親は敬われ覚えられなければなりません。生きている間、そして死後も、人が公に両親や祖父母に尊敬を示す姿は、その子どもたちにとって、最善の学びとなります。

息子が13歳になるとバル・ミツバ
(成人式)の儀式が行われる。
このとき、ユダヤ人の父親の
訓練は子供の心に根を下ろす。

悪い両親はどうか

これは大変良い質問です。すべての人が信仰深い両親の祝福を受け、教育・指導・世話・養育を受けたわけではありません。そのことについて考えてみましょう。私たちは堕落した世界に住んでおり、すべてのことが神の最善のご計画に従って行われているとは限りません。ある親は子どもたちを見捨ててしまったりします。もしそのような親を持ってしまったなら、立ち止まって考えてみましょう。「果たして自分は完全な子どもだったのだろうか。」

恐らくそうではないでしょう。和解は両者から行われる必要があります。

ある子どもたちは、悪い親によって非常に恐ろしい体験をしています。肉体的・感情的・あるいは精神的に傷つけられています。虐待したり、アルコール依存症だったり、放任だったり、過干渉だったり、または人生において、罪をほめそやすような親を、どうして敬うことができるでしょうか。

聖書は、親が尊敬される値打ちがあるかどうかの評価はしていません。しかし、天から与えられた親としての役割を正しく果たさないなら、その親は神の御前で申し開きをすることになります。ですから、親を判断するのは私たちの役割ではないことを知りましょう。神が与えられた親を尊敬することが、私たちに課せられた命令です。そして、子どもとして両親を敬い、責任をどう維持するかにより、神に裁かれるのです。

皆さまの中には、神を知らない、別の宗教に入信している親を持っている人かいるかもしれません。しかしそれでも、両親を尊敬するという聖書の義務から免れるわけではありません。子どもとして、両親との破綻した関係を修復するのに、遅すぎることはありません。私たちはクリスチャンとして、そのための努力をする必要があります。恐らく、あなたの努力が「磁石」となって、「方向の定まらない」親を、神に引き寄せることができるかもしれません。

先祖のためにイスラエルを敬う

ユダヤ人とイスラエルに関して教会が持つべき見解に関して、聖書は極めて明確です。パウロは、ローマ書11章で、オリーブの木をとおして、「栽培種のオリーブ」と「野生のオリーブ」について語っています。「ユダヤ人=栽培種の枝」は、「先祖たちのゆえに愛されている者であり、神の賜物と召命とは変わることがない」ことを、覚えなければならないと言っています。「異邦人=野生のオリーブの枝」であるクリスチャンは、イスラエルとユダヤ人に憐れみを示す必要があるとパウロは締めくくっています。「あなたがたの受けたあわれみによって、今や、彼ら自身もあわれみを受けるためなのです。」(ローマ11:31)

異邦人に、パウロは次のように強調しました。「彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。」(ローマ15:27)

イスラエルとユダヤ人の救いに対して、「教会には責任がある」とパウロが教えているのは明らかです。彼らは契約の民として、地上の両親がするように、神のことばを異邦人に与え、神の道と教えを示し、そして救いの希望を与えてくれました。旧・新約の両聖書は、そのほとんどがユダヤ人著者によって書かれ、また初期の使徒や初代教会は、ほとんどがユダヤ人によって構成されていました。

神の教えと救いの道をもたらすために、神が選ばれた人々を、私たちは尊敬してきたでしょうか。大部分において、答えは「ノー」です。かつての非道で残虐な反ユダヤ主義の悲しい歴史には、「契約の民を愛し尊敬せよ」という聖書の教えを否定する、あらゆる出来事が含まれていました。

家族的な過ぎ越しの食事は行事。
聖書の教えが一世代から次の
世代へと継承されていく。

長寿の秘訣

神が私たちに望んでおられることは、次のみことばです。「『あなたの父と母を救え。』これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、『そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。』という約束です。」(エペソ6:2-3)

疑いようもなく、これは私たちの上に置かれた地上の両親に、敬意と尊敬を示すことが含まれています。また、「先祖たちのゆえに……」(ローマ11:28)、教会が、イスラエルとユダヤ人を敬うことも含まれていると私は信じます。

多くの人々は、家族の関係を軽んずることで苦しみを受けました。この壊れた関係を修復し、両親を尊敬し、神の長寿の約束を受け取るのに、遅すぎることはありません。

ユダヤ人たちが主の御声を聞き、みことばに従って生き、それを書き留めたので、私たちは神の教えを受け、救いの道に入ることができたのです。

神はアブラハムに言われました。「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」(創世12:3)。ダビデは私たちに次のように言っています。「エルサレムの平和のために折れ。おまえを愛する人々が栄えるように」(詩篇122:6)。このように聖書の原則に従うなら、神からの祝福が満ち溢れます。

イスラエル、ユダヤ人との真の関係を取り戻すのに、遅すぎることはありません。すでにその関係を持っているクリスチャンもいます。私たちクリスチャン、そして教会は、ユダヤ人とイスラエルとの結びつきを再構築し、主のより良い弟子となるために、聖書をヘブル的に理解できるよう深く掘り下げていきましょう。そして、神の契約の民を祝福し、エルサレムの平和のために祈り、行動しましょう。

確かに、私たちの肉の両親、そして霊的両親の両方を敬うことにより、主から祝福を頂くことができるのです。どのようにしてこの両方を行うか、祈りつつ考えていただければ幸いです。

エルサレムよりシャローム

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