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ティーチングレター

新しい角度から見たクリスマス

BFP編集部 2001年12月

もしあなたがクリスチャンであれば、毎年のようにクリスマスの演劇を見ておられることでしょう。たいていの場合、新約聖書から「イエス降誕」を短縮し、分かりやすく児童劇化されたものです。繰り返し語られるお話ですが、寒い季節に心を深く温めてくれる、大変かわいらしい物語となっています。しかしそれも、見馴れ聴き慣れると、どうも無視されがちです。私たちの多くは、大切な教えがそこに隠されているにもかかわらず、クリスマスについて余り深く考えたことがないのではないでしょうか。

もし2000年前のイスラエルに住んでいたなら、この出来事をもっと深く理解することができたでしょう。みことばの行間に隠された意味を読み取ることができれば、主がなしてくださった素晴らしい奇跡の数々を深く感謝することができます。

イエスのご降誕こそ、驚くべき奇跡であるということができます。大部分の人は、素晴らしい勝利の征服者が天国から白い馬に乗って、にぎやかなトランペットの音とともに生まれてこられると思っていました。しかし、実際はそうではありませんでした。イエスは無防備な普通の乳児として、質素な家畜小屋に生まれてくださったのです。イエスの“僕”としての謙虚な出生は、私たちに本当の意味での人生の豊かさを教えてくれます。そして、真実を求める者のみがそれに気づくことができるのです。

イエスの誕生のお話は、マタイの福音書ルカの福音書に書かれ、2000年前に起こった多くの出来事を物語っています。今回は、聖書から順を追って学んでまいりましょう。きっとメシアの誕生を、さらに感謝することができるでしょう。まずマタイ1章18節から25節、マタイ2章、ルカ2章1節から38節、ルカ1章5節から80節をお読みになってから、先へお進みください。

バシリカ建築の『聖誕教会』の鐘が、
イエスの降誕を祝って鳴り響く。

ザカリヤ

「イエス誕生」のお語は、祭司ザカリヤから始まっています。「アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。」(ルカ1:5)。この取るに足りないように見える情報には、イエスの誕生月を判断する大切な要素が含まれています。

ザカリヤはバプテスマのヨハネの父親です。イエスはヨハネの6カ月後にお生まれになりました。では、バプテスマのヨハネの生まれた日は、どのように算出することができるのでしょう。当時、すべての祭司とレビの子孫は、24組に分かれて神殿の奉仕をしていました。それぞれの組が、エルサレムの神殿で6カ月ごとに一週間ずつ務めを果たしていたのです。また、過越の祭り、ペンテコステ、仮庵の祭り等の務めも担っていました。各組にはだいたい300人位の祭司がいました。それを50人ずつ6グループに分割し、その各グループが当番の週の一日を神殿に仕える日として働いていたのです。

ザカリヤも祭司の一人でしたから、この奉仕をしていました。聖書には、「ザカリヤは、自分の組が当番で、神の御前に祭司の務めをしていたが、祭司職の習慣によって、くじを引いたところ、主の神殿にはいって香をたくことになった。」(ルカ1:8-9)と書かれています。恐らく、ザカリヤは長い間その役目がくるのを待ち焦がれていたに違いありません。

当時、香をたく当番に当たった者は“聖霊に満たされる”と信じられていました。それが事実であったことは、子を産めない年齢になっていた老夫婦に、子どもが与えられたことによって証明されています。多くの学者は、ザカリヤにその名誉が与えられたと信じています。神殿には、どのグループがいつ勤務するかが掲示されていました。ザカリヤが所属するアビヤの組は、6月に務めたことが知られています。

神殿の中で幻のうちに神の使者ガブリエルが現れ、「もうすぐエリザベツは妊娠する……」と、ザカリヤに告げました。エリザベツはその知らせに元気づけられ、5カ月の間引きこもりました。1カ月後、神はガブリエルを、ガリラヤのマリヤという処女の所に遣わし、「あなたは間もなくメシアを身ごもります」と伝えました。マリヤはすぐさま親類のエリザベツの所へ行き、そこで3カ月間を過ごしました。そして、エリザベツがヨハネを生む寸前までそこにいました。

これらの出来事から判断すると、エリザベツがヨハネを身ごもったのは6月か7月ということになります。その6カ月後にマリヤは妊娠しましたから、12月か1月であったと考えることができます。そして、その9カ月後にイエスはお生まれになっています。ですから、イエスのご降誕は、9月か10月であったという計算になります。

ヨセフとマリヤ

ヨセフとマリヤは婚約していましたが、社会的慣習の厳しい時代でしたから、結婚前に妊娠したとなれば、社会から追放されることは必至でした。(現在も中近東では同様である。イスラム教では、若い女性が結婚前に男性と仲良くしているだけで殺されることさえある)

神は「メシアを運ぶ母船となれ」と2人に命じられましたが、それは大変危険なことでした。しかし2人は、神に忠実に従う道を選びました。マリヤはガブリエルにこう言いました。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」(ルカ1:38)。わずか13歳位であったろうと推定されるマリヤが、この信仰に満ちた言葉を語ったことに驚かされます。

これはマリヤにとって難問でした。どんな思いでヨセフにこの事実を打ち明ける決意をしたのでしょうか。それは、私たちには想像もできないほど大変なことでした。自分が父親でないことを一番良く知っているヨセフも、婚約者の妊娠について悩みました。彼がマリヤの話を信じたかどうかは分かりません。マタイ1章19節によれば、ヨセフはマリヤの体面を考え、人知れず婚約を解消しようとした記事が書かれています。しかしある晩、み使いがヨセフの夢に現れ、マリヤが事実を語っていることを告げました。ヨセフは眠りから覚め、み使いに命じられたとおり、マリヤを妻として迎えました。

ヨセフとマリヤは心から主を信じていました。そして、その素晴らしい命令に従いました。しかしこれは間違いなく、2人にとって辛い時期でした。それでも2人は任務を果たしたのです。

宿主

悲しいことに、何世紀もの間、イエスの誕生はずっと誤解され続けてきました。神はヨセフとマリヤを最悪の宿泊施設、「馬小屋」に放り込まれたと思われてきました。しかし実際はそうではなかったのです。ルカ2章7節に書いてあるように、当時の宿は、現在のホテルとは全く違いました。広いがらんとした部屋にテーブルがあり、そこで客たちは飲食し、その周りで寝たのです。ですから、人の出入りが激しく、騒々しい空港かバスターミナルのような場所でした。一方、イエスがお生まれになったのは洞穴であり、湿気がなく暖かで、その上プライバシーが保たれていました。ですから、マリヤにとって、個人の家に世語になる以外では、最適な場所だったと言えるでしょう。

もう一つ注目したいのは、イエスがお生まれになったのが、実は「馬小屋」ではなく、「羊小屋」であったということです。中東は雨が少なく水が貴重な土地です。お金がいくらでもある宮殿とは違い、水をたくさん飲む馬を、一般市民が所有していたとは考えられません。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と書かれているとおり、イエスは罪のいけにえとして捧げられる小羊として、文字どおり羊小屋で生まれてくださったのです。宿主は最善を尽くして、出産に適した場所をマリヤに提供しました。メシアの降誕の手伝いをしたこの宿主は、何と幸いな人でしょう。

宿主は最善を尽くして、出産に適した場所をマリヤに提供しました。メシアの降誕の手伝いをしたこの宿主は、何と幸いな人でしょう。

羊飼い

筋肉質の頑丈そうな男たちは、羊の群れの番をするという大変な仕事に就いていました。彼らは自然界、動物のこと、そして羊の飼い方などは良く知っていましたが、学者でも宗教の指導者でもありませんでした。羊の面倒を見るということは、どちらかといえば臭いのきつい仕事です。また野外で寝起きをしなければなりませんでした。ですから、食事への招待や、ましてメシア誕生の知らせを真っ先に受けるような人たちではありませんでした。

しかし、神はベツレヘムの市長や商売人の代表、ユダヤ教の聖職者たちを選ばれませんでした。目立たない羊飼いを選ばれたのです。それは、主が羊飼いたちの心を知っておられたからです。彼らは天使のお告げを信じて、町へみどり児を探しに行き、イエスを見つけました。そしてその場でイエスを礼拝し、そのうれしい知らせを人々に伝えました。その後仕事場に戻り、メシアに会わせていただいた感謝を捧げました。

この羊飼い同様、私たちも「主が自分を意義深いことに使ってくださる」とは、とても信じられません。しかしここで確信させられることは、神は外見ではなく、心の奥深くを見ておられるということです(第1サムエル6:7)。主は知恵のある者をはずかしめるために、この世の取るに足りない者を選ばれたのです(第1コリント1:27-31)。主は喜んで仕える人を探しておられます。

シメオンとアンナ

イエスの誕生から33日後、マリヤに「産後の清め式の日」がきました。マリヤは夫婦仲睦まじいことの象徴である山鳩を、2羽供え物として神殿に捧げました(レビ12:4)。その時、信仰篤い老人シメオンが神に導かれて神殿にやって来ました。シメオンはその男の子が誰であるかをすぐに悟り、抱き上げて神を賛美し、「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。」(ルカ2:29-30)と言いました。

さらに、100歳近い女預言者アンナがやって来て、「やっと神がメシアを私たちに送ってくださった」と皆に話し始めた時、ヨセフとマリヤは驚いて、ただ立ちつくしていました。

シメオンとアンナは、いずれも会堂の権力者や町の重要人物ではありませんでした。しかし神の目的とご計画の中で、大切な人物でした。彼らはみことばを理解し、約束を固く信じていました。歳は取っていましたが大変忠実で、主が約束を遂行されることを心から信じていました。彼らは“メシアの清め”を待ち望んでいたので、すぐにその方を見極めることができました。一方、聖書を良く知っているはずの教師は、“主のなさる仕事”を自分たちの仕事だと勘違いし、その仕事をするのに忙し過ぎて、神殿の中で起こっている大切なことに気づかなかったのです。

賢者たち

大変興味深いことは、イエスを訪ねて来た賢者たちが、東方から来たということです。演劇の中では、賢者たちが馬小屋を訪ねて来たように描かれていますが、彼らがヘロデ王を訪ねたのはイエスのご降誕よりもさらに2年後のことです。彼らは占星術師、天文学者、あるいは魔法使いであったと訳されています。しかし、私はそうではないと思います。なぜなら、神のご性格と調和しないからです。神がそんな忌まわしい行為をする者たちに、イスラエルのメシアの真実を明らかにされるでしょうか(申命18:10-12)。また、神を汚す者たちに、イスラエルで礼拝させたり、メシアヘの贈り物を届けさせたりするとは考えられません。

恐らく彼らは「知恵者」であったと思われます。バビロンから来た学者であり、ヘブライ語の聖書を良く知っていました。また、金持ちで、資産家のユダヤ人たちでした。紀元前6世紀、ほとんどのユダヤ人がバビロンからイスラエルヘ引き上げましたが、賢者たちの先祖は裕福だったため、バビロンに残ったと考えられます。

「このたびお生まれになったユダヤの王は、どこにおられますか」と言ってヘロデ王の前に現れた時、彼らは神のみ告げを十分理解していました。イエスヘの贈り物を見ると、彼らが有力な指導者であったことが分かります。では、なぜ、どんな理由で王の前に現れたのでしょうか。

  1. 彼らは金持ちで力があったので、エルサレムに着いた時、ヘロデとその家来に出迎えられることを望んだ。
  2. イエス誕生の情報収集をしていることがヘロデの耳に入り、ヘロデが彼らに興味を持った。
  3. 王国の宮殿で「王子」を見つけることができると思った。

どんな事情だったにしろ、ヘロデは賢者たちの存在が気になり、気を揉みました。瞬く間に彼らの噂が広まり、大騒ぎする民衆を見てヘロデはイライラしていました。そこでヘロデは祭司と律法学者を呼び、「メシアはどこで生まれるのか」と詰問しました。彼らは「ミカ書5章2節によれば、『ベツレヘム』です」と回答しました。ヘロデは賢者たちを呼び、「ベツレヘムヘ行って、その乳児を見つけたら、報告に戻ってきなさい。そうすれば私も乳児を礼拝できるからと言いました。

賢者たちはベツレヘムに行き、イエスに出会い、礼拝しました。そして持参した贈り物-金、乳香、没薬などを贈りました。贈り物が3種類だったからといって、賢者が3人だったとは断定できません。2人か、あるいは10人だったかもしれません。質素な環境の中で、金持ちの賢者たちはイエスを礼拝しました。彼らはイエスをメシアとして、王として、イスラエルの油注がれた方として拝しました。

イエスは、王であることを示す、宝石で飾り立てられた宮殿に住んではおられませんでした。しかし、賢者たちは、神の啓示によってメシアを見極めることができたのです。粗末なたたずまいを礼拝の場に変えたのは、イエスご自身であり神のみ霊でした。

私たちもまた、人々にイエスを伝えようとするとき、外面的な信心深さや、外見的な姿形をアピールするのであってはなりません。覚えておかなければならないことは、人々に主の存在を示すのは、何よりもまず「私たちの内なる主」であるということです。

ここで、私自身のことを少し証しさせていただきます。先ほど述べたことは、私自身の体験に基づいています。私は10代の頃救われ、家族にもこの素晴らしい体験を味わって欲しいと切に願いました。私は内側から変えられ、外観や品行面でも、大きく変えられました。そして、主にあって正直に生きようと努めるようになりました。しかしその時の信仰は、ほとんど外面的なものでした。あるクリスマス休暇に大学から家へ帰った時、家中を道徳的に浄化しようと思い、母が夢中になっていた雑誌の占いページを破り捨てました。妹のたばこも捨てました。そして父の飲むウイスキーも捨てました。そうすることによって、家族に「主の光」が見え、救われるだろうと思っていたのです。しかし、私の行いは未熟であり幼稚でした。その行為は、家族の皆を怒らせただけに終わってしまったのです。

次の年、主のみ手の中で成長した私は、彼らに干渉しませんでした。その代わり、彼らに愛と感謝の言葉を書き送り、メシアとともに生きる生活がもたらす幸せを伝えました。これは、家族全員が救われる大切なステップとなりました。

長年待ち望んだメシアが誰なのか、賢者たちに分からせたのは、そのたたずまいではありませんでした。神の存在が、粗末な住まいをも宮殿に変え、礼拝場にも変えたのです。同じように、私の家族を主に引き寄せたのは、律法的に“浄化”しようとした私の行いではありませんでした。彼らを引き寄せ、知りたいという欲求に向かわせたのは、私が示した愛の中に現れた、神の存在だったのです。

葉の繁るアラビア・
ニュウコウジュの枝。
その芳香性樹脂は、
この木の生育地である
南アラビアから、香辛料
の運搬ルートを通って、
エルサレムに運ばれた。

贈り物

賢者たちからの贈り物は、どんな品物だったのでしょう。それらは高価で、非常に価値のあるものでした。

-黄金-

現在、「金」がどれほど高価で、価値のある物であるかは皆さま良くご存知です。昔は取れる量も少なく、また技術が未成熟でしたから、精練したり、純化したりするのが大変で、今よりもさらに高価でした。もちろん、王子への贈り物としては最適でした。

-乳香-

聖書の時代、乳香や没薬は、金と同様に大変貴重なぜいたく品でした。乳香は、アラビア、ソマリア、インドの砂漠に生息する木の樹脂から採取されます。預言者イザヤは、乳香の輸入について次のように記しています。「らくだの大群、ミデヤンとエファの若いらくだが、あなたのところに押し寄せる。これらシェバから来るものはみな、金と乳香を携えて来て、主の奇しいみわざを宣べ伝える。」(イザヤ60:6)

古代イスラエル人は、乳香を「神への汚れなき捧げ物」と結び付けていました。レビ記には、この香料をどのように使うべきか、詳しく書かれています。「祭司はこの中から、ひとつかみの小麦粉と、油と、その乳香全部を取り出し、それを記念の部分として、祭壇の上で焼いて煙にしなさい。これは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。」(レビ5:11)

このように、乳香の捧げ物は、神に対する純粋な礼拝に結び付けられるものでした。賢者がイエスに捧げる贈り物として、これほど適切な品があるでしょうか。

-没薬-

これはエジプト寺院に
ある絵で、古代人に
とっていかに没薬が
重要であったかが
描かれている。
奴隷が遠くの地にある
没薬の木を根こそぎ抜
いて、エジプトへ持ち
帰ろうとしている所。

没薬は、他の2品に比べると古代イスラエルにおいてもっと一般的でしたが、これもやはり高価な代物でした。これは、アラビア、エチオピア、ソマリアを原産地とする樹木から採取されます。

没薬を粉々にして、清い聖別油の成分として使われたという記述が聖書にあります。モーセはこの没薬をベースにした油を、アロンとその息子たちの体に塗り、イスラエルの祭司としました(出エジプト30:30)。世俗的には、金持ちの香料としても使われました。「あなたの着物はみな、没薬、アロエ、肉桂のかおりを放ち……。」(詩篇45:8)。考古学的発見によって、当時の金持ちは首に小さな没薬の匂い袋を下げ、その香を身の回りに漂わせていたことがわかりました。これは、現代の香水と同じ役割を担うものです。イエスの顔を拝んだ後、賢者たちはエルサレムには帰らず、イエスがどこにおられるかをヘロデに伝えませんでした。というのは、夢の中でヘロデが嘘をついていることを神から告げられたからです。彼らは別の道を通って、故国に帰りました。一方、神はヨセフに「エジプトに行くように」啓示を与え、家族はヘロデが死ぬまでそこに留まりました。

祭司と律法学者

聖書をくまなく知っていたはずの祭司長や律法学者たちが、なぜ東方から来た賢者たちに「イエスの降誕」を教えられなければならなかったのでしょう。それは私にとって信じがたいことです。また、祭司たちがメシアの存在を確かめるために、出かけて行ってイエスを探し出す努力をしなかったということも考えられません。

一方、妄想と激憤に駆られていたヘロデは、自分の王冠を奪うかもしれないこの“ユダヤ人の王”を抹殺しようと、ベツレヘムに住む2歳以下の男児全員を殺させました。そして、ヘロデの宮廷に、ヘブライ語の聖典を研究している学者、宗教人が呼び集められました。彼らは、メシアがどこに生まれるか知っていたはずですが、イエスの誕生の知らせは顧みられないままになりました。

しかし、指導者全員が「メシア誕生」を無視したわけではありません。ニコデモやアリマタヤのヨセフ、それにパリサイ人たちは、後にイエスがメシアである事実を信じました。ガブリエルのことばを最初信じなかったザカリヤも、イエスがメシアであることを信じました。ここで言えることは、主が選ばれるのは、地位の高い権力のある祭司ではなく、“こんな者が…”というような人々であるということです。

へロデ王

ヘロデ王はどんな人物だったのでしょうか。彼は名ばかりのイスラエルの王でした。彼自身もそれを良く知っていました。ヘロデはアンチパステルの息子です。アンチパステルはもともと、ヨハネ・ハイカナスの上級将校でした。また、紀元前48年には、ジュリアス・シーザーによって、行政長官に任命されました。その頃、息子のヘロデも政治家として出世し始めました。

アンチパステルとヘロデは、エドム部族民でエサウの子孫です。ですから、純粋なイスラエル人ではないため、王位には就けませんでした。つまり2人はアブラハム、イサク、ヤコブの子孫ではなかったのです。しかし、彼はローマのご機嫌を取って、王位を保持していました。その後ヘロデも父と同じように王となりました。

エジプトで見つかった
彫刻を基にしてできた、
若い頃のヘロデ王の肖像。

ヘロデがイスラエルの王となることは、ローマにとって有益でした。それはヘロデが有能であり、優れた管理者であり、献身的にローマに尽くしていたからです。イスラエルの人々から、ある程度ユダヤ人として受け入れられたものの、純粋なユダヤ人とは取り扱われませんでした。だからこそ、ヘロデがローマに歯向かって戦いを挑むようなことはしないだろうと、ローマは安心していました。

ヘロデは信じられないほど偏執病的になっていきました。そして馴れ馴れしく近づいてくる者に、王位を取られるのではないかと恐れ、誰彼かまわず片っ端から殺害していきました。一番気に入っていた妻マリアンネ(紀元前29年)や、息子たちアレクサンデルとアリストブロス(紀元前7年)をも殺害しました。ユダヤの歴史家ヨセフスの記録に、次のように書かれています。「ある人が『ヘロデの友人の妻が、未来のユダヤ人の王となる子を産むだろう』と予言したので、ヘロデはその家族を全員殺させた。」ヘロデは常に失脚の危険に脅え、幼い子どもまで殺すほどでした。ヘロデは自分自身の野心のために判断力を失い、最後には精神的バランスを崩して狂い死にしました。

ヘロデ王の生き方は“主からすべてをいただいている”ということを忘れ、自分自身の野心に振り回されている、最も顕著な例です。しっかりと神に目を向けて、主により頼めば良かったのですが、ヘロデはあたかも自分の力ですべてを得たかのように振る舞い、それを必死に守ろうとしました。ヘロデは不安と偏執病の中で、聖書の教えを破り、その上、守るべき国には背を向けたのです。私たちは主により頼むべきであり、絶対に自分を頼ってはいけません。(箴言3:5-6)

あなたはこの中の誰ですか

あなたはヨセフとマリヤ、ザカリヤとエリザベツ、羊飼いたち、東方の賢者たち、そしてシメオンとアンナのように、イエスを受け入れ、心から信じていますか。それとも野心と自我の強いヘロデや祭司、律法学者たちに近いですか。彼らはメシアを礼拝せず、乳児を殺すためにベツレヘムヘ軍隊を送ったのです。彼らは権威のある政治家や宗教的指導者でしたが、真実に目を向けることを忘れていました。王座は私たちのものではなく、主のものであることを…。

多くのクリスチャンが救いのみことばを理解し、主を救い主として受け入れているように見えますが、本当に主を深く信じ、すべてをお任せしているでしょうか。あなたの人生の王座に座っておられるのはイエスですか。頭の中だけでなく、心の底から主により頼んでいますか。もしまだでしたら、今日という日をしっかり踏まえて、主と個人的にお知り合いになってください。「イエスの降誕」の物語は、クリスマスパーティーをするためにある架空の神話ではなく、歴史上の真実です。“主は私たちの救い主である”という、素晴らしい、最高の愛の贈り物をいただいたことを記念する日です。

「それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である。』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。(ピリピ2:9-11)

もしあなたが主を救い主として受け入れ、さらにもう一度人生のすべてを委ねたいなら、今すぐにそうしましょう。そしてあなたの肩の荷物を下ろし、主により頼んでください。そうすることによって、どんなに幸福になれるか知っていただきたいと思います。聖書にあるように、天国へ受け入れられる人は、心から主を求めている人たちです。社会的地位や宗教、富、そして身分とは何ら関係なく、天国は求めるならば誰にでも与えられるのです。(ヨハネ3:16)

この世の金持ちや賢者たち、そして羊飼いも同じように赦され、主のみ前に受け入れられたのです。それはイエスを信じて礼拝したからです。一方、主に関する知識があっても、高慢さとこの世の目で物事を計り、自分の要求ばかり満たす事に忙しくて、主を見失っている場合もあります。

「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」(イザヤ9:6)

ヨシュアは私たちに素晴らしい教訓を残しています。「もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」(ヨシュア24:15)

エルサレムからシャロ一ム

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