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ティーチングレター

「見よ、その日が来る」

文:シェリル・ハウアー(BFP国際副会長)

過ぎ越しの祭りの中で、今も語り継がれる出エジプトの物語。
イスラエルの民は、主の偉大な御業を目撃しつつも、エジプト依存から離れるには長い年月を要しました。
彼らが神により頼むようになるまでの足跡をたどります。

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季節が移り変わり、今年の過ぎ越しの祭りも終わりました。これはユダヤ教で最もよく祝われる祝日です。祭りに備え、世界中のユダヤ人家庭では家中の掃除が行われます。過ぎ越しの祭りの時にはユダヤ人の家から「パン種を取り除かなければならない」と、聖書に明記されているためです。わずかなパン種も残らないよう隅から隅まで徹底的に掃除をします。

祭りの前日になると、家族が家に集まり、一番上等な食器でおいしい食事を食べ、出エジプトの物語を語ります。出エジプトを語り継ぐ習慣は、過ぎ越しの祭りで最も大切な部分です。

神はユダヤ人に、トーラー(モーセ五書)というとてつもない贈り物を委ねられました。彼らは、トーラーを大切にし、トーラーに倣い、トーラーに従って生活するよう命じられ、こうして世界中の人々が神を知るようになるのです。しかし、その前に彼らが学ばなくてはならないことがありました。

究極の支配者を認める

中でも最も大切な教訓の一つは、神の支配権についてです。ヘブル人もエジプト人も、神の絶対的な権威と万物に対する究極的支配力を認める必要がありました。ファラオの奴隷として400年間を過ごした神の民は、本当の自由の意味、すなわち神にある自由を学ばなくてはならなかったのです。それは神に服従することを選ぶ自由です。高慢で力あるエジプト人もまた、全地の神の前にへりくだり、多くの偽の神々を捨て、ヘブル人の神、主の前に身をかがめる必要があります。

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最終的に、神の民は永遠に解放され、自分たちを奴隷にしたエジプトの主人たちに従属することを完全にやめることになります。

多くの学者たちが指摘しているように、約束の地に到着するまでの40年間は神のご計画でした。それは奴隷精神に逆戻りする傾向を断ち、エジプトへの依存体質を排除するために必要な期間だったのです。イスラエルの民が自由を味わったのはわずか数週間です。それ以降、目の前の困難に立ち向かうよりエジプトでの奴隷生活に戻りたいと口にし始めました。過去の奴隷生活は美化され、自由人として雲の柱に従うより、わらを与えられずにレンガをつくる奴隷のほうが幸せだと思い込んでしまったわけです。

聖書を読み進めると、イスラエル人は不信仰にもエジプトに依存し続けた状態で、約束の地に入っていったことが分かります。出エジプト記から何百年もたってから、預言者イザヤは、神ご自身よりもエジプト人を信頼し続けた人々を非難しています。

ああ、助けを求めてエジプトに下る者たち。彼らは馬に頼り、数が多いといって戦車に、非常に強いといって騎兵に拠り頼み、イスラエルの聖なる方に目を向けず、主を求めない」(イザ31:1

エジプト人は人間であって神ではなく、彼らの馬も肉であって霊ではない。主が御手を伸ばされると、助ける者はつまずき、助けられる者は倒れて、皆ともに滅び果てる」(イザ31:3

しかしエゼキエル書を見ると、主はご自分の民に対するエジプト人の影響力はもう十分だと思われたようです。非常に強いメッセージをもって預言者を遣わされました。

第十年の第十の月の十二日、私に次のような主のことばがあった。『人の子よ。エジプトの王ファラオに顔を向け、彼とエジプト全体に預言し、こう告げよ。神である主はこう言われる。エジプトの王ファラオよ、わたしはあなたに敵対する。あなたは、自分の川の中に横たわる巨獣で、『川は私のもの。私がこれを造ったのだ』と言っている」(エゼ29:1〜3

この預言が語られた時期は、ほとんどの学者がエルサレムの陥落前だと考えています。バビロニア帝国から解放されるために、エジプトに頼り続けたイスラエル指導者たちがいたころです。しかし、残念ながらエジプトが助けに来ることはなく、エルサレムは陥落しました。

エゼキエルは、エジプトの王ファラオに顔を向けるよう命じられました。何の権威も影響力もない惨めな捕虜が、強力な軍隊を持つ王に対峙(たいじ)するなどあり得ないことです。しかし、エゼキエルは自らが神の代弁者であることを知っていました。エジプトの王ファラオの力は、全世界の王である神の力に比べれば無に等しいものです。エゼキエルと同時代の預言者エレミヤは、同じファラオに向かってこう預言しました。

主はこう言われる。『見よ。わたしは、エジプトの王ファラオ・ホフラをその敵の手に、そのいのちを狙う者たちの手に渡す。ちょうどユダの王ゼデキヤを、そのいのちを狙っていた彼の敵、バビロンの王ネブカドネツァルの手に渡したように。』」(エレ44:30

神々の欺き

興味深いことに、神はファラオを「川の中に横たわる巨獣(※新改訳聖書第三版では『わに』)」と表現しています。エジプトでは、ナイル川とその支流に住む巨獣と言えば、ワニでした。実際ファラオは、人間の体とワニの頭を持つものとしてよく描かれました。ファラオは時に、エジプト全土が依存していたナイル川を猛然と守る「偉大なワニ」とも呼ばれています。

ファラオはナイル川を「私のもの」と呼び、自分がそれを「造った」と主張しました。エゼキエルはそのことを引用し、ファラオの傲慢(ごうまん)さを明らかにしています。ファラオは、自分が神であり、地上で最も偉大な川の一つを創造したと信じ込んでいました。

毎年ナイル川が流域に運ぶ豊かな土壌は、ナイル川の水と相まってエジプトを農業の楽園にしました。エジプトの豊かな農作物は、川を利用して遠方まで輸送され、販売されました。そんなナイル川をエジプト人は崇拝し、その川を創造したとされるワニ神、ファラオをも礼拝していたわけです。

幾つかの翻訳では、ファラオの言葉を「川は私のもの。私が造った」と訳しています。つまり、「私は万物の創造主である神だ。私にはあらゆる力があり、すべてのものは私のものである」と言っているのです。このように、ファラオは川だけでなく、自分を含むエジプトの神々をも創造したと自認しています。

神は、エゼキエルを通して引き続き語られました。「わたしはあなたのあごに鉤(かぎ)をかけ、あなたの川の魚をあなたの鱗につけ、あなたと、その鱗についたすべての川の魚を、川の中から引き上げる。わたしは、あなたとあなたの川のすべての魚を荒野に投げ捨てる。あなたは野に倒れ、集められることも、一緒にされることもない。わたしがあなたを地の獣と空の鳥の餌食とする…」(エゼ29:4〜5

今日でも、ワニを陸揚げする際は大きな鉤をあごに突き刺して引き上げます。その後、印を付けて解き放つか、必要なら殺します。神はファラオに向かい、ワニの王を鉤で捕まえたら、野獣の餌として荒野に投げ捨てると語りました。エジプト社会が埋葬と死後の世界を重視していることを考える時、このような辱めは耐え難いものだったでしょう。

続くエゼキエルの預言で、神はエジプトの破滅について語られました。その預言によると、エジプトは荒廃し、人も獣も通ることがない地となり、その荒廃の40年間にエジプト人は国々に散らされます。しかし、あわれみ深い神は散らされたエジプト人を彼らの土地に戻すだろう、とエゼキエルは語りました。また、エジプトは二度と国々の中で大国になることはないとも付け加えています。神が「取るに足りない王国」(エゼ29:14)と呼んでおられる通り、エジプトはネブカドネツァルの略奪以降、かつてのような権力と影響力を振るうことは二度とありませんでした。

ネブカドネツァルによるエジプトの滅亡は、イスラエル史にも大きな影響を及ぼしています。ついにイスラエルの民は、不敬虔(ふけいけん)なエジプト依存から解放され、エジプトに助けや解放を求めなくなったのです。もしイスラエルが「ネブカドネツァルが権力の座に就いたのは偶然であり、彼の家系やカリスマ性のおかげだ」と考えていたなら、今もエジプトに縛られたままだったでしょう。しかし、エジプトは神のご計画を行うための神の道具に過ぎないと考えるなら、エジプトへの依存は打ち砕かれるのです。

主は生きておられる

エゼキエルは四つの章を割いてエジプトについて預言しました。一方、イスラエルについても多くのことを語り、最も美しい約束がエゼキエル書28章にあります。

神である主はこう言われる。『わたしがイスラエルの家を、散らされていた諸国の民の中から集めるとき、わたしは国々の目の前で、わたしが聖であることを示す。彼らは、わたしがわたしのしもべヤコブに与えた土地に住む。そこに安らかに住み、家々を建て、ぶどう畑を作る。彼らは安らかに住む。周囲から彼らを侮るすべての者にわたしがさばきを下すとき、彼らは、わたしが彼らの神、主であることを知る」(エゼ28:25〜26

今、ユダヤ人が世界各地からイスラエルに帰還して
きています Photo by Keren Hayesod

エゼキエルが見たのは、神がイスラエルの敵(エジプトを含む)に対して裁きを行うと同時に、「わたしの瞳」(ゼカ2:8)と呼ばれる民に愛を注がれる日です。ユダヤ人国家は問題がない国ではなく、今も敵対する国々に悩まされ続けています。しかし、今日のイスラエル人は神によって安全に住み、家々を建て、ぶどう畑をつくり、子どもを育て、散らされた国々から帰還してきています。そして、ゆっくりとではあっても確実にイスラエルは国々の仲間入りをし、遠からず異邦人の間で崇敬されるようになるでしょう。

過ぎ越しの祭りの食卓を囲む時には、エレミヤ書のもう一つの物語を語るのがいいかもしれません。「それゆえ、見よ、その時代が来る──主のことば──。そのとき、もはや人々は『イスラエルの子らをエジプトの地から連れ上った主は生きておられる』と言うことはなく、ただ『イスラエルの子らを、北の地から、彼らが散らされたすべての地方から上らせた主は生きておられる』と言うようになる。わたしは彼らの先祖に与えた彼らの土地に彼らを帰らせる」(エレ16:14〜15

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