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ティーチングレター

神の御住まいを建てる

文:レベッカ・J・ブリマー(BFP国際会長)

イスラエルの民が荒野を旅していたころ、主は幕屋の建設をお命じになりました。
なぜ神はそのような命令を出されたのでしょうか。
その真意を学んでまいりましょう。

イスラエル・ティムナ公園にある実物大の幕屋のレプリカ
Photo by jdblack/pixabay.com

私たちは毎週、ユダヤ人社会と同じトーラー・ポーション(週ごとに定まっているモーセ五書の朗読箇所)を読んでいます。これに従って読むと、1年間でトーラー(モーセ五書)全体が読めます。イエスと弟子たちもトーラーに精通し、頻繁に引用しました。旧約聖書を理解することなしに新約聖書を理解するのは難しいでしょう。

トーラー・ポーションには各朗読箇所に呼び名があります。今回取り上げる出エジプト記25〜27章は、「テルマー」(捧げ物や贈り物、いけにえの意)と呼ばれます。この箇所は、幕屋の建て方や聖具に関する詳細な説明から始まります。

大きなプロジェクトには、構想から完成まで数々の段階があります。自宅や教会の建築計画に関わった人なら、身をもってそれを体験したことでしょう。構想を立てた後に大切なのは、具体的な目標を設定することです。次のステップは技術者に計画を具現化してもらうこと。設計図を描いてもらった後は、建築資金を準備し、その後、建築に取り掛かります。

なぜ神のために家を建てるのか?

ジョナサン・サックス師は、神のために家を建てることについて次のように述べました。「ユダヤ人が初めて神のために建てた家、すなわち幕屋は、最初の礼拝所であった。しかし、この考え方そのものは逆説と矛盾を含んでいる。どうすれば神の家を建てられるというのか。私たちが想像し得ないほど大きな方であり、ましてや神の家を建てることなどできはしない」

ソロモン王は第一神殿を建てた際にこの点を指摘しました。「それにしても、神は、はたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの宮など、なおさらのことです」(Ⅰ列王8:27

イザヤも、全能の神ご自身のことばを伝えながら同じことを語っています。「天はわたしの王座、地はわたしの足台。あなたがたがわたしのために建てる家は、いったいどこにあるのか。わたしの安息の場は、いったいどこにあるのか」(イザ66:1

サックス師は続けてこう指摘します。「神の家を建てることは不可能に見えるだけでなく、そうする必要もない。遍在される神には……どこからでも容易に近付くことができる。根本的な答えは、神は建物にはお住みにならない。神は、神の家を建てる者たちの中に住まわれる。神は石づくりの建物の中にではなく、人間の心の中に住まわれるのだ。ユダヤの賢人たちは次のように指摘している。神は、トーラーの中で『彼らにわたしのための聖所を造らせよ。そうすれば、わたしは彼らのただ中に住む』(出25:8)と言っておられ、『聖所の中に住む』とは言っておられない、と」

モーセが6週間も不在だったためパニックに陥った民は、金の子牛で大失敗をしました。ユダヤ文書には、神がその後、イスラエルの民が神と出会う場所、つまり、神の存在を視覚的に示す場所が必要だと判断したことが書かれています。

サックス師はこう説明します。「そのために神はモーセに『彼らにわたしのための聖所を造らせよ。そうすれば、わたしは彼らのただ中に住む』と言われたのだ。ここで鍵となる言葉は『住む』(シャカン)という動詞である。この動詞はそれまで神との関連で使われたことはなかったが、やがてユダヤ教のキーワードとなり、聖所を意味する『ミシュカン』、神の臨在を意味する『シェキナー』という言葉が派生した。この言葉の中核をなす意味は『親密さ』である。ヘブライ語の『シャヘン』は隣に住む人を意味する。イスラエル人に必要だったのは、隣人のように神を身近に感じることだった。神はそのように感じられる道を与えてくださったのだ」

このように神と親密になることが幕屋の本来の趣旨です。幕屋と聖具の豊かさは、神の栄光とすべての必要を備えてくださる神の力を常に思い起こさせるものでした。

神の型

神は、幕屋の外観と機能について具体的な指示を与えられました。「彼らにわたしのための聖所を造らせよ。そうすれば、わたしは彼らのただ中に住む。幕屋と幕屋のすべての備品は、わたしがあなたに示す型と全く同じように造らなければならない」(出25:8〜9

Photo by merad44520/pixabay.com

私は裁縫が趣味なので、夫や自分の服を縫ったり、誰かにお手製の服をプレゼントしたりしたものでした。丁寧に型紙に合わせてつくった物は出来が良く、自分のデザインや既製服のコピーでは仕上がりも雑でした。

神は幕屋を成り行き任せにはされませんでした。聖具の一つ一つ、幕屋の構造の一つ一つに非常に具体的な指示を与えておられます。モーセは神に命じられた型に従った、とトーラーや新約聖書(使徒の働きとヘブル人への手紙)でも言及されています。出エジプト記25章9節で使われている「型」はヘブライ語で「タヴニィト」と言い、似姿、型、像、計画、形と訳せます。

神の型は、神殿の建築計画だけに限ったものではありません。神はご自身の子どもたちに対しても、生きるための型を持っておられます。神は自由に方法を選ばせてくださいますが、神の方法で物事を行うほど私たちは祝福されます。私たちが神の型に従って生きるなら、美しく良い結果を得られるでしょう。

与える

神はモーセにビジョンを与えられただけでなく、資金調達の方法も指示されました。どんなプロジェクトであれ資金計画が無ければ単なる夢で終わってしまいます。そこで神は、まず幕屋(ミシュカン)の資材を集めるようモーセに指示を出されました(出25:2〜7)。

最初に、神は喜んで捧げる者たちに奉納物を求めました(出25:2)。民は強制されて捧げたわけではなく、捧げる量も決まっていませんでした。一方、ビジョンとそのために必要なものは明確に伝えられています。

喜び進んで捧げる、その心が大切です。神が常に求めておられるのは、ご自身を愛し、礼拝し、喜んで神に捧げる人です。コリント人への手紙第二9章7節にはこうあります。「一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです

一方、奉納物の内容は非常に具体的です。何でも好きな物を持ってくればいいというわけではありません。「金、銀、青銅、青、紫、緋色の撚り糸、亜麻布、やぎの毛、赤くなめした雄羊の皮、じゅごんの皮、アカシヤ材、ともしび用の油、注ぎの油と、香り高い香のための香料、エポデや胸当てにはめ込む、縞めのうや宝石」(出25:3〜7)でなくてはなりませんでした。荒野を旅している民が、どこでこのような高価な品を入手できたのでしょうか。

Photo by starbright/Pixabay

イスラエルの民がエジプトを離れる時、主はエジプト人に富を求めるよう民に命じられました。「女はみな、近所の女、および自分の家に身を寄せている女に、銀の飾り、金の飾り、そして衣服を求め、それを、自分の息子や娘の身に着けさせなさい。こうしてあなたがたは、エジプトからはぎ取りなさい」(出3:22

それでもまだ不明な点があります。イスラエルの民は、どのようにしてこれらを運んだのでしょうか。もしかしたら、民が飼っていた羊の群れが答えかもしれません。おそらくロバやラクダもいたことでしょう。アカシヤ材は容易に運べなかったので、旅の途中の荒野で見つけたのかもしれません。

神が幕屋のためにエデンの園の富を隠しておかれ、モーセにその隠し場所を示されたというユダヤの伝承もあります。しかし、それでは筋が通りません。モーセが富のありかを知っていたなら民に奉納物を持ってくるよう求める必要はないからです。

神に捧げるということは、祝福の場に身を置くことでもあります。「十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしを試してみよ。──万軍の主は言われる──わたしがあなたがたのために天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうか。わたしはあなたがたのために、食い荒らすものを叱って、あなたがたの大地の実りを滅ぼさないようにし、畑のぶどうの木が不作とならないようにする。──万軍の主は言われる──すべての国々は、あなたがたを幸せ者と言うようになる。あなたがたが喜びの地となるからだ。――万軍の主は言われる」(マラ3:10〜12

捧げ物とは単にお金や物ではありません。神に自分の心をためらうことなく喜んで捧げる時、私たちは神の御手から祝福を受ける場所に身を置くことになるのです。

神と共に住む

神は私たちと共に住むことを願っておられます。幕屋を意味するミシュカンという言葉は、隣人を意味するヘブライ語と関連しています。神は私たちと親密になることを望んでおられるのです。捧げ物制度の目的は、神の御そばに近付くことです。コルバン(捧げ物)という言葉にはそのような意味合いがあり、近親者を意味する言葉と関連があります。

幕屋や神殿が無い現代の私たちは、どのようにして神に近付くのでしょうか。主な方法は、常に神と神のことばを心と生活の中心に置くことです。神から離れないでいましょう。神の御そばにいたいと願う人々と時間を過ごしましょう。祝福は神の近くに住まう時に見つかります。

三つの概念を心に留める

「型」「捧げる」「住まう」という三つの概念を心に留めましょう。敬虔(けいけん)な生活をするために神の型を学びましょう。自分のやり方を押し通さず、神の方法で生きる時に祝福されます。

神の目的と計画のために捧げましょう。神と共に住み、ヨハネの福音書15章でイエスが言われたように「神にとどまること」を最大の喜びの一つとしましょう。神の民と共に時間を過ごし、教えを聞いて学び、礼拝、賛美、祈りに献身することを優先してみてください。今日神と共に時間を過ごしましょう。

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