文:レベッカ・J・ブリマー(BFP国際会長)
古代イスラエルの最盛期を築いたソロモン王。
ところが、晩年は他の神々に心を向けてしまいました。
そんなソロモンの人生から教訓を学んでまいりましょう。
指導者の失敗はいつの時代も痛ましく、悲劇的な出来事です。政財界においても、指導者の失敗が損害を与える姿をよく目にします。しかし、それが霊的な指導者である場合、私たちクリスチャンにとってはなおさら厄介です。多くの実を結んできた模範的な指導者が、なぜ恵みから離れ、家族や教会を裏切ることが起こり得たのでしょうか。
列王記第一&第二、歴代誌第一には、イスラエルの王たちの行動が記されています。神は、神の道に従ったかどうかに基づいて王たちを裁かれました。素晴らしいスタートを切ったにもかかわらず、晩節を汚した王もいます。神が関心を持っておられるのは、心から神に献身し、トーラー(モーセ五書)を守りながら正しく生きる指導者です。聖書の中でも最も有名な王の一人、ソロモンについて見ていきましょう。
良い基盤
ソロモン王は、サウル王、ダビデ王に続く、イスラエルの3番目の王です。正統派ユダヤ教徒のホームページ(chabad.org)によると、バテ・シェバを母に持つソロモンは、長子ではなかったものの12歳で王になったと言われています。同ホームページではソロモンの当時の状況を簡単に伝えています。
「ソロモンは、善悪を判断し正しく民を裁きながら統治できるだろうかと、当然ながら心配していた。そこで神に助けを求める決断をし、ギブオンに行っていけにえを献げた。すると、神が現れ、望みは何かとお尋ねになった。ソロモン王は、正しい訴えを聞き分ける判断力を求めた。神は、ソロモンが富などではなく知恵を求めたことを非常に喜ばれ、その願いをかなえられた。そのため、ソロモンはその知恵と判断によって知られるようになった」
ソロモンには成功するだけの十分な理由がありました。王家の出身であり、良い教育を受け、父ダビデ王の薫陶を受けました。王位を継承した時には、母バテ・シェバ、祭司ツァドク、預言者ナタン、エホヤダの子ベナヤといった有力者たちから支援されました。何よりも、知恵と判断の賜物を受け取った時、神との驚くべき個人的な出会いを経験しています。
ダビデ王は死の床でソロモンに素晴らしい忠告をしました。「……あなたは強く、男らしくありなさい。あなたの神、主への務めを守り、モーセの律法の書に書かれているとおりに、主の掟と命令と定めとさとしを守って主の道に歩みなさい。あなたが何をしても、どこへ向かっても、栄えるためだ。そうすれば、主は私についてお告げになった約束を果たしてくださるだろう。すなわち『もし、あなたの息子たちが彼らの道を守り、心を尽くし、いのちを尽くして、誠実にわたしの前に歩むなら、あなたには、イスラエルの王座から人が断たれることはない』」(Ⅰ列王2:2〜4)
王に対する規範
ダビデはソロモンへの遺言の中で、モーセの律法を知ること、それに従うことの必要性を強調しました。遺言の中には、王に対する特別な規範(申17:14〜20)も含まれています。
- 王は神によって選ばれなくてはならない。
- 王は外国人であってはならない。
- 王は馬を増やしてはならない。また馬を増やすために民をエジプトに戻らせてはならない。
- 王は多くの妻を持ってはならない。
- 王は自分のために銀や金を過剰に持ってはならない。
- 王はレビ人の祭司たちの前にある書(モーセ五書)から自分のために、このみおしえを巻物に書き写し、自分の手もとに置き、一生の間これを読まなければならない。それは、王が自分の神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばと、これらの掟を守り行うことを学ぶためである。
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ネルソン・スタディー・バイブルでは、この箇所を次のように解説しています。「これらの規範は、未来の王の権力とぜいたくの範囲を定めている。王は軍事力や富に頼ってはならない。また、異教国家と政治同盟を結んでイスラエルを異教礼拝の影響にさらすこともしてはならない。むしろ異教国家を神の律法に従わせるよう勧めている。イスラエルの真の王は専制君主ではなく、神の命令に従い、啓示された神の御心に従って治める王である」
古代、馬は戦車を引くために使われ、多くの馬を所有することが軍事力の証しとされていました。王が大勢の妻を持つことは、多くの場合、異教徒との政治的同盟を示します。このような結婚や同盟では、強力な文化的影響(異教の神々)と、他国の有力な指導者からの圧力を受けたことは間違いありません。
神殿奉献
ソロモンの業績の最たるものの一つは、神殿の建築です。神殿奉献は、神の臨在が現れた素晴らしい出来事でした。「祭司たちが聖所から出て来たとき、雲が主の宮に満ちた。祭司たちは、その雲のために、立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである」(Ⅰ列王8:10〜11)
8章の続きには、ソロモンの演説と奉献の祈り、集まった人々への祝福、神殿奉献が記録されています。ぜひこの章全体を読んでみてください。聖書は次のように伝えています。「ソロモンが祈り終えると、天から火が下って来て、全焼のささげ物と数々のいけにえを焼き尽くし、主の栄光がこの宮に満ちた。祭司たちは主の宮に入ることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである」(Ⅱ歴代7:1〜2)。この驚くべき霊的高みを経験した後、神が再びソロモンに現れます(Ⅰ列王9:1〜9、Ⅱ歴代7:12〜22)。
祈り
ソロモンは治世の始めのころ、明らかに神と良い関係にありました。素晴らしい神との出会いを経験し、神はソロモンに語られ、導きを与えられました。列王記第一8章に記されているソロモンの祈りは素晴らしい内容です。ソロモンは、まず神をたたえることから始めました。「イスラエルの神、主よ。上は天、下は地にも、あなたのような神はほかにありません。あなたは、心を尽くして御前に歩むあなたのしもべたちに対し、契約と恵みを守られる方です」(23節)
続いて、この神殿で祈られた祈りを聞いてくださるよう神に求め、将来起こり得るあらゆる状況の中で、イスラエルの民を幸せにしてくださるよう祈りました。さらに、神殿に来る外国人のためにも祈っています(Ⅰ列王8:41〜43)。
この祈りに続き、ソロモンは集まった会衆に素晴らしい祝福の言葉を述べました。神殿奉献、ささげ物、祝宴は14日間続き、イスラエル全土は喜びに満ちます。これは一度きりの出来事ではありません。列王記第一9章には、神がソロモン王に直接明確に語られた、神とのもう一つの出会いが記されています。
また、ソロモン王は霊感を受けて聖書の三つの書巻、『箴言』『伝道者の書』『雅歌』を書きました。
恵みから離れる
この人物は、一度ならず神と出会い、神殿に満ちた神の栄光を経験し、情熱的に祈り、聖書の一部の書巻を記すなど、あらゆる点で恵みを受けていました。それなのに、なぜ恵みから離れてしまったのでしょうか。ソロモンはイスラエルの子らに「あなたがたは、今日のように、私たちの神、主と心を一つにし、主の掟に歩み、主の命令を守らなければならない」(Ⅰ列王8:61)と語った人物なのです。
ラビ(ユダヤ教教師)の故ジョナサン・サックス師はこうコメントしました。「ソロモンの経歴は、ダビデ王以上に波乱に満ちている。ソロモンは知恵の代名詞とも言える人物であり、『雅歌』『箴言』『伝道者の書』の著者でもある。しかし同時に、トーラーが君主に命じている三つの警告すべてを破った王でもある。すなわち『多くの妻を持ってはならない』『多くの馬を持ってはならない』『銀や金を過剰に持ってはならない』(申17:16〜17)という警告である。タルムード(ユダヤの伝統や旧約聖書に関するラビの注解書)によれば、ソロモンはすべての規範を破っても害はないと考えていた(サンヘドリン21b)。これほど知恵がありながらソロモンは間違っていた」
聖書には悲しい話が書かれています。ソロモンは他の神々に心を向けてしまいました。「ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々の方へ向けたので、彼の心は父ダビデの心と違って、彼の神、主と一つにはなっていなかった」(Ⅰ列王11:4)。これに対し神はどうされたでしょうか。「主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から離れたからである。主が二度も彼に現れ、このことについて、ほかの神々に従っていってはならないと命じておられたのに、彼が主の命令を守らなかったのである」(Ⅰ列王11:9〜10)
有終の美を飾る重要性
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ソロモンの偉大さ、主との交わり、その業績について読むにつけ、ソロモンが有終の美を飾れなかったことは大変残念です。私はソロモンの失敗から学びたいと思います。そして、これから指導者になる人、既に指導者の立場にある人には、自分の目と心を主に据え続けるようお勧めします。霊感と導きを主に求めましょう。権力のわなに注意し、賜物や過去の成功があるから非難はされないと考えないようにしましょう。道徳的失敗を犯さないよう心と思いを守りましょう。金銭を愛さないように注意し、誰かと協力し合う際には賢明な判断をしましょう。聖書以外から学ぶことも間違ってはいませんが、主と直接関係を持たず、(聖書や自分の心に書かれている)主の導きに従っていないなら、他の「神」に従ってしまうことにもなりかねません。
神は、私たちに心からの忠誠を求めておられます。多くの指導者たちが肉や権力や影響力の誘惑に目がくらみ、正しい道を歩み始めたものの、結局道を外れてしまいました。ミニストリーや共同体が神の祝福を受け取るために、世界中の指導者たちがイスラエルの神に心を向けられるよう祈ります。指導者の失敗によって傷ついた教会や共同体があるなら、神の癒やしの御手が伸ばされますように。