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ティーチングレター

愛についての誤解を解く

文:シェリル・ハウアー(BFP国際副会長)

聖書が教える愛は、世の中が言うところの愛とは異なります。
「多くの人の愛が冷える」と言われる時代にあって、神の愛を学び、その愛を体現してまいりましょう。

Photo by Tim Mossholder/unsplash.com

秋の例祭が終わり、春の祝祭日が近付いてきました。ハヌカ(宮きよめ祭)の燭台の火は燃え尽き、スフガニヨット(ハヌカの時期に食べるジャム入りドーナッツ)も店頭から消えました。クリスマスの飾りはしまい込まれ、クリスマスキャロルもお預けです。とはいえ、祝うことが何も無くなったわけではありません。世の中は、恋する季節(バレンタインデー)を楽しみました。

愛を定義することは困難です。聖書を信じる者であれば、真の愛は全地の神から生じ、人間の思いをはるかに凌駕(りょうが)することを知っています。聖書には愛という言葉が500回近く登場しますが、随所で愛は表現されています。詩篇だけを見ても、神の民に対する情熱的な愛の言葉で埋め尽くされています。ヨハネも新約聖書で「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです」(Ⅰヨハ4:19)と告げました。聖書的な愛は犠牲的で、行動につながり、従順を求めます。イエスはトーラー(モーセ五書)を引用し、最も大切な戒めは神を愛することだと言われました。この戒めを自分がどの程度守っているかは、聖書に照らし合わせて初めて分かります。

一般的な愛の定義

一般的に「愛は感情だ」と言われます。熱烈な愛情や好意、深いロマンス、性的魅力や愛着の感覚が、俗に言う愛です。一瞬で恋に落ち、一瞬で冷めます。このような愛は無責任であり、多くの場合、性的魅力を感じているだけです。大抵の人は愛の指針や基準を持っていないため、愛に対する考え方が混乱しています。ある部分は先祖の影響と言えるかもしれません。ローマ社会は、それに先立つギリシャ文明と同様、性が大きな特徴を持っていました。女性は家畜と見なされ、結婚の唯一の目的は子孫を残すことでした。夫婦間に愛情や優しさはほぼ存在せず、婚外で情交のない男性は男以下だと考えられていたほどです。宗教的祭事で性交や裸を公開することもよくありました。

パウロたちがコリントやエペソなどに設立した初代教会には、異教からの改宗者が大勢いました。こうした異教は神殿娼婦を搾取し、宗教儀式の中にさえ性的倒錯を取り入れていました。彼らの多くが礼拝していたのは、当時最も力があった、性的倒錯の女神アフロディテ(ビーナス)です。今日も愛の女神として知られています。世界が混乱し続けているのも不思議はありません。

現代版「愛」の祭典

今日の「愛」の祭典は、当時と比べると極めて穏当なものがほとんどです。しかし、真の愛の姿を理解しているとは到底言えません。何百年も前に祭日となったバレンタインデーは、もともと3世紀のローマ人修道士、聖バレンタインの行為を記念して祝われたものでした。伝説によると、神と同胞を愛するバレンタインは、キリスト教徒がローマの牢獄で拷問を受け殺害されているのを聞きつけ、その逃亡を助けて殺されたと言われています。

Photo by Ekaterina Kuznetsova/unsplash.com

今日バレンタインデーは世界的行事です。慣習は違っても、愛を示すという基本的な考えは世界共通です。韓国、スペイン、日本などでは基本的に女性が男性にチョコレートを贈り、別の日に男性がお返しとしてプレゼントを渡します。ヨーロッパやカナダ、イギリス、南アフリカ、ニュージーランドを始めとするほとんどの国では、夫婦がさまざまな形で思いを表現し合っているようです。フィンランドではこの日を「フレンズ・デー」と呼び、恋人だけでなく自分にとって大切な人全員に感謝する時としているそうです。

アメリカでは、バレンタインデーは3番目に経済効果のある日です。2020年、アメリカ人は愛を示すために218億ドル(日本円にして約2兆4千億円)を使いました。内訳は、花に23億ドル、チョコレートに24億ドル、ペットへのプレゼントに17億ドル。オーストラリア人の出費は10億ドル余り(約700億円)です。イギリス人の出費も少し控えめで、外食や花に6億5800万ポンド(約890億円)でした。残念ながら、このようなお祝いや高価な食事、花やチョコレートを贈り合っても、愛についての混乱ぶりは続いています。

神の愛を熟考する

私たちは何とかして、社会が教えてきた愛から完全に離れ、主の愛を心に注いでいただく必要があります。全身全霊で神を愛し、神が私たちを愛してくださったように他の人々を愛する――それが主のご命令です。そのためには、聖書が語る神の愛を熟考し、一つ一つのみことばの奥深さを心と思いに染み込ませていくことが不可欠です。

モーセは驚くべき方法で神の愛を体験しました(出33章)。モーセは大胆にも、神にお会いして神をもっと知りたいと申し上げ、神もはかり知れない優しさでこれに応じました。その願いをかなえるためにモーセをどこに置き、どのように守り、何を期待したらいいかを説明されたのです。さらに、神は通り過ぎられる時、ご自身について語り、言い尽くせない愛の神であることを表明されました。

主は彼の前を通り過ぎるとき、こう宣言された。『主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのに遅く、恵みとまことに富み、恵みを千代まで保ち、咎と背きと罪を赦す者。……』」(出34:6〜7

ダビデは詩篇40篇で、神がしてくださったことを告げました。その神とは、先祖の神、全世界の神、壮大にして荘厳なすべての栄光と力を持つ神です。神への畏敬の念が伝わってきます。

私は切に 主を待ち望んだ。主は私に耳を傾け 助けを求める叫びを聞いてくださった。滅びの穴から 泥沼から 主は私を引き上げてくださった。私の足を巌に立たせ 私の歩みを確かにされた。主はこの口に授けてくださった。新しい歌を 私たちの神への賛美を。……わが神 主よ なんと多いことでしょう。あなたがなさった奇しいみわざと 私たちへの計らいは。あなたに並ぶ者はありません。……」(詩40:1〜3、5

ダビデは神の御心にかなう人と呼ばれましたが、自分の欠点や罪、無価値さを誰よりも自覚していた人物です。しかしダビデはこう宣言しています。「神よ あなたの恵みはなんと尊いことでしょう。人の子らは 御翼の陰に身を避けます」(詩36:7

エレミヤと同時代の預言者ゼパニヤは、イスラエルの民に迫る滅びを訴えました。ゼパニヤはどの預言者よりも主の日について語り、神の怒りの日、罪が裁かれる日が来ようとしていると民に警告しました。その一方で、神の誠実な愛を思い起こさせ、民を励ましています。「あなたの神、主は、あなたのただ中にあって救いの勇士だ。主はあなたのことを大いに喜び、その愛によってあなたに安らぎを与え、高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる……」(ゼパ3:17

預言者イザヤは、聖書の中でも最も恐ろしいと言われる預言をし、イスラエルの民に罪の報いを警告しました。しかし、その恐ろしい預言の言葉一つ一つに、神の愛と希望のメッセージが込められています。「たとえ山が移り、丘が動いても、わたしの真実の愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。――あなたをあわれむ方、主は言われる」(イザ54:10

パウロも新約聖書でこう語っています。「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」(ロマ8:38〜39

エレミヤは、神が永遠の愛をもってご自分の民を愛してくださること(31:3)、私たちのために良い計画を立てておられること(29:11)を教えました。ダビデも、東が西から遠く離れているように私たちの罪を遠ざけてくださる(詩103:12)と述べています。

テトスへの手紙は、私たちが救われたのはただ神のいつくしみと愛のゆえであること(3:4〜6)を思い起こさせます。神は私たちの盾、擁護者、知恵、平和、救い、守り、癒やし主、父、友であると聖書は私たちに叫んでいます。これほど素晴らしいことがあるでしょうか。神の愛を獲得するために私たちにできることは何一つありません。私たちの行為によって神の愛が増減することはないからです。文字どおり、神の愛(神の思いやり、優しさ、親切、誠実、赦し、力、権威)から私たちを引き離せるものは、天にも地にもありません。

神の愛に応える

Photo by Nick Fewings/unsplash.com

私たちは神の愛にどのように応答したらいいでしょうか。神の愛は無条件です。私たちの行動や状態は関係ありません。神は愛なので、愛してくださるのです。私たちがその愛にどう応答したらいいのか、聖書は明確に示しています。モーセのようにへりくだり、神の前にひれ伏して礼拝をしましょう。ダビデのように叫びましょう。「主よ あなたの道を私に知らせ あなたの進む道を私に教えてください。あなたの真理に私を導き 教えてください。あなたこそ 私の救いの神 私は あなたを一日中待ち望みます」(詩25:4〜5)。ミカと共に宣言しましょう。「しかし、私は主を仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む。私の神は私の言うことを聞いてくださる」(ミカ7:7

預言者イザヤと共に歌いましょう。「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない」(イザ40:31)。さらに、すべての人と共に「主は、あなたがたに恵みを与えようとして待ち、それゆえ、あわれみを与えようと立ち上がられる」(イザ30:18)ことを思い起こしましょう。

どのように神を愛したらいいのかについて、最も適切かつ明確に教えている聖句は福音書にあります。「もしわたしを愛しているなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです」(ヨハ14:15

私たちは今、分裂、対立、恐れ、憎しみのある暗い時代を生きています。このような時こそ、これまで以上に信仰者の光を明るく輝かせたいものです。闇に捕らわれている人々に、私たちを通して神の愛が注がれることを願っています。そのために必要なことは、自らが神の愛に圧倒され、へりくだって自らを神に明け渡し、神に従って生きる決心をすることだけです。そうする時、私たちの光は輝き、真の愛によって与えられる平和と喜びを表す人生を送ることができるでしょう。そこに混乱はありません。

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