ティーチングレター

神への質問

文:ネイサン・ウィリアムズ(BFP広報部長)

詩篇62篇8節に「あなたがたの心を 神の御前に注ぎ出せ」とあるように、自らの思いや質問を神に打ち明けることを聖書は奨励しています。
その前提にあるのは神への信頼です。

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人生にはつらいことが起こります。喪失、病、不安、痛み、抑圧は避けて通れません。イエスを信じていても試練に遭うことが明言されています。しかし、逆境にあっても悩むことはありません。イエスは既に世に打ち勝たれたからです(ヨハ16:33)。

神は全知全能にして遍在される方です。私たちはその神の本性(ほんせい)を、人間の限られた理解力の中で受け止めようとしながら、人生最大の難問に対する答えを探しています。ここで究極的に問われることは、説明のつかない恐ろしい体験をした時、それでも主を信じ続けることができるかどうかです。

生まれながらの性質

児童心理学者サム・ワス博士がまとめた最近のイギリスの研究によると、子どもは1日平均73回質問するそうです。4歳児に特化した場合、1日の質問回数は200〜300回に跳ね上がります。実際この研究では、両親が1時間当たりに受ける質問回数は、小学校教諭、医師、看護師が受ける質問の合計数より多いという結果が出ました。

人は生まれながらにして説明の欲求を持っています。「なぜ?」と尋ねることは、自分を取り巻く世界を理解したいという欲求の現れです。回答を聞いて理解すると、安心し確信が持てます。質問能力は幼少期の発達に重要であり、生涯にわたる学習プロセスです。

人生の難問

「調子はどうですか」。これは社交辞令として定着した質問ですが、答えるのが難しい場合もあります。まず、質問の動機を見極めることが必要です。相手は本当に自分の調子を聞きたいのか、それとも単なるあいさつなのか。それを見極めた後、正直に答えるか儀礼的に答えるかを決めます。クリスチャンとして「調子が悪い」と答えれば、神の配慮や備えを否定しているようなプレッシャーを感じることがあるかもしれません。人生の試練や苦難に疑問を抱いている時は、なおさらプレッシャーが大きくなります。全知全能にして遍在される神なら、人生のあらゆる難問に率直に答えてくれるはずだと考えてしまうからです。

こうした考えは、信仰の草創期にまでさかのぼることができます。ラビのロード・ジョナサン・サックス師は次のように書きました。「信仰の勇者たちは神に質問をした。預言者が偉大であればあるほど質問は厳しくなった。アブラハムは『全地をさばくお方は、公正を行うべきではありませんか』創18:25)と問い、モーセは『主よ、なぜ、あなたはこの民をひどい目にあわせられるのですか』出5:22)と尋ね、エレミヤは『主よ。私があなたと論じても、あなたのほうが正しいのです。それでも、私はさばきについてあなたにお聞きしたいのです。なぜ、悪者の道が栄え、裏切りを働く者がみな安らかなのですか』エレ12:1)と言った」。これはまさに人生の難問です。

ヨブ記は、人間の苦しみという問題を理解しようと試みた人物を見事に解説しています。人生最大の試練に遭った人物が「なぜ、このようなひどい出来事がわが身に降り掛かるのか」と問い、その答えを人間的視点から得ようとします。なぜ正しい者が苦しむのか――この最大の難問とヨブは格闘しました。富と子どもを失った当初は「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」(ヨブ1:21)と告白し、ヨブは見事な立ち直りを見せました。しかしヨブの苦難はそこで終わりませんでした。喪失に加え、ひどい病に苦しむ日々が何カ月も続き、ヨブの決意は揺らぎ始めます。

ヨブは3章で理由を尋ね始め、「なぜ」で始まる質問を繰り返しました。ヨブと友人たちは「苦難は罪の結果である。そうでないとするなら、正義を公正に行わない神に問題がある」という間違った神学をつくり出しました。ヨブは宣言します。「地は悪しき者の手に委ねられ、神は地のさばき人らの顔をおおわれる。神がなさるのでなければ、だれがそうするのか」(ヨブ9:24)。つまり、「悪者は栄えているように見える。神が悪者の罪を見逃したからに違いない。このような不正が神の責任でないなら誰の責任なのか」とヨブは主張しているのです。

ガム・ズ・レトバー

Maddie Hunt/bridgesforpeace.com

ガム・ズ・レトバーというヘブライ語の表現があります。簡単に言えば「これもまた良いことにつながっている」という意味です。「これ」とは忍耐している試練や困難を指します。「なぜ自分にとって悪いと思われるようなことが起こるのかは分からない。しかし、良くないと思われることでさえ神の御心によって起こるのだと信じよう」というユダヤ人の考え方です。この視点に立つと慰められます。私たちには降り掛かる苦難の全容は分かりません。だからこそ、すべての出来事が最終的には益になると信じるのです。しかし、恐ろしい喪失を体験した後でも、そのように信じられるでしょうか。

BFPの長年の友シェリー・マンデルさんは、回想録『The Blessing of a Broken Heart』(失意の祝福)の中で、息子のコビー君を失った恐ろしい経験と、そこから癒やしと光へ向かう旅路について書きました。

ある日コビー君と友人のヨセフ君は、学校を休んでユダの荒野にハイキングに出掛けました。翌日、二人は洞窟の中で惨殺死体となって発見されます。著書には次のようにあります。「なぜコビーなの? なぜ私たちの息子なの?」「義人ヨブでさえ、自分を抑え切れずに神に質問し、試練に立ち向かったのです」。マンデルさんは非情な喪失を前に、ガム・ズ・レトバーの考えを受け入れることは難しかったことを認めています。「息子がパレスチナ人テロリストに石打ちで殺されるなんて、『ガム・ズ・レトバー』とは言えないことです。息子が死んで良かったなどとは決して言えません。しかし、たとえその計画によって傷ついたとしても、神にはご計画があると信じる他ないのです」

ラビのエリエゼル・パルコフ師は言います。「ヨブの最初の3人の友人のように物事を知的に見るだけなら、ゆがんだ神学をつくり出し、神に対して間違った主張をする危険性がある。私たちに究極的に求められているのは単純な信仰だという側面を、論理的思考は見逃してしまうからだ。確かに、私たちは知性を使って十分理解するよう奨励されている。数々の問題に対処するため、できる限り熟考することは必要だ。しかし、私たちの理解の基本的な土台は単純なエムナ(信仰)でなくてはならない」。この主張はマンデルさんの出した結論と同じです。「神にはご計画があると信じる他ないのです」

神に質問するのは罪か?

神に質問すること自体は悪いことではありません。ハバククは、神の摂理に疑問を投げ掛け、神と格闘した卓越した事例です。バビロンの手によるユダの破滅を預言したハバククは、なぜユダを罰するためにバビロンのような邪悪な国を主が用いるのかを知りたいと願いました(ハバ1:12〜17)。無謀にもハバククは神に答えを要求します(ハバ2:1)。神は、ユダに罰を下す計画は必ずなると答え、直情的なハバククに謙遜と信仰が必要だと呼び掛けました(ハバ2:4)。主は説明を続けながら、人間にとって賢明なのは神の前に沈黙を守り、神の知恵と正義を疑わないことだと締めくくります(ハバ2:20)。

こうした強い叱責をする一方で、主は続けて、神に忠実な者たちへの輝かしい救いのご計画と敵の滅びを啓示されます。ハバクク書は、主の知恵と最終的な勝利への信仰を確認して閉じます(ハバ3:17〜19)。

質問することは成長につながることをハバククは体験したのです。疑いと不信仰は罪かもしれません。しかし、主が与えてくださる理解を熱心に求めることは罪ではありません。神の本性(ほんせい)を誹謗(ひぼう)したり、反抗的で高慢になって神の主権に疑問を呈したりするのは問題です。主は、私たちと真の関係を築くことを願っておられるのです。成長期の子どもが理解と安心感と確信を得るために質問するように、私たちも質問することで神との関係を深めるよう招かれているのではないでしょうか。注意点は、信仰をもって質問しているのか、あるいは不信仰から尋ねているのか、つまり心の姿勢が純粋かどうかです。それは神の目に明白です。

神が答えられる時

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一定の範囲内であれば、私たちは自由に神に質問することができます。ただし、私たちが期待するような方法で神が答えてくださるとは限りません。主が期待しておられるのは、私たちが主に信頼することです。従順とは、神がなさること、求めておられることを完全に理解できなくても従うということです。子どものようになることを学ぶことが、地上での信仰の歩みです。つまり、子どものような信仰を持つということです。私たちも、理解できないことを受け入れ、生ける神がご自身の栄光の富のゆえに私たちの益となるように取り計らってくださることを信じ、子どものように受け入れることが肝要です。

使徒パウロは人間の心の願いを理解していました。試練について質問したい、理解したい、主の答えを叫び求めたいという願いです。パウロが書いたローマ人への手紙から励ましを受けてください。パウロは輝かしい未来を約束しつつ、神の愛から私たちを引き離すものは何もないと励ましました。「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています」(ロマ8:28

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