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満ち足りた人生を生きる力

文:シェリル・ハウアー(BFP国際副会長)

物質社会と言われる現代は、モノを手に入れることに満足を見いだそうとします。
しかし聖書が語る“満ち足りた人生”は、神との関係から生まれます。

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満ち足りた人生。心配、恐れ、悩みなどから解放された人生。すてきな車や家、経済的安定、完璧な配偶者と子どもたち、完全な教会がある人生……。満ち足りた人生とはこれらを指すのでしょうか。そうではありません。しかし、残念ながら多くの人々が、これこそ満ち足りた人生だと考えています。

真に満ち足りた人生への道を探し求めない時、人は不満に陥ります。自分の家は大きくない、車は新しくない、服は流行の物ではない……。人生は常に理想と現実の比較となり、期待に手が届くことはないように思えます。ソーシャルメディアにたき付けられ、幸せを運んでくれる次なるものに殺到するレースになるのです。

しかし、問題はソーシャルメディアだけではありません。インターネットやテレビ、ゲームや屋外広告なども問題の一部です。「生活が満たされていない」という宣伝にさらされ、私たちの社会は絶えず不満の中に生きているような状態です。

満ち足りた生活

……満ち足りる心を伴う敬虔(けいけん)こそが、大きな利益を得る道です」(Ⅰテモ6:6)。聖書には、満ち足りた生き方を推奨し、不満を引き起こすものを避けるように勧めるみことばが数多くあります。これは、神が願っておられる敬虔な人生に重要です。

満ち足りるとは、自分が何者で、何を持っているのか、どこにいるのかということに満足するということです。現実を尊重し、自分の未来を愛情深い神の御手に信頼して委ねること。神の力、神の目的、神の備えはいつも十分だと信じ、状況ではなく私たちの信念に焦点を当てることを聖書は命じています。周りの状況ではなく、逆境の中にあっても神の約束に信頼して生きることを学ぶということです。

真に満ち足りた生活は、「努力」と三つの基本原則「信頼」「安息」「感謝」が調和した時に得られるものだと思います。

信頼

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主を信頼することなしに、主の御手の中で安息し満ち足りた人生を送ることはできません。この信頼は世の頑張りで得られるものではなく、神との関係から生まれます。主と手に手を取って歩み、神のことばを学び、神がどのような方であり、自分は神にあって何者であるかを信じて生きることです。多くの人々が失敗、失望、他人の否定的な言葉など、人生経験に基づく偽のアイデンティティーに捕らわれています。自分は役立たずで無価値で赦されない者だと信じているかもしれません。あるいは、自分は無力な敗北者で、負け組だと感じている人もいるでしょう。自分で自分をそう思うなら、それが自分自身になってしまいます。

しかし、みことばの通りに神を信じたらどうなるでしょう。何でもできる愛とあわれみの神、私たちを決して見捨てることのない神、永遠の愛で私たちを愛してくださる神、東が西から遠く離れているように私たちの背きの罪を遠く離される神。この神を信じるなら、自分自身も神が語られた通りの存在だと信じる必要があります。使徒たちの言葉がこのことを教えてくれています。

  1. あなたは「新しく造られた者」です(Ⅱコリ5:17)。
  2. あなたは「圧倒的な勝利者」です(ロマ8:37)。
  3. あなたが神の愛から引き離されることはありません(ロマ8:38〜39)。
  4. あなたは神の御前で完全に「」と認められています(ロマ8:30)。
  5. あなたはイエスにあって死んでいます(ロマ6:6)。
  6. あなたはイエスにあって生きています(ロマ6:8、エペ2:5)。
  7. あなたは罪に定められません(ロマ8:1)。
  8. あなたは「洗われ、聖なる者とされ、義と認められ」ました(Ⅰコリ6:11)。
  9. あなたは「神の義」です(Ⅱコリ5:21)。
  10. あなたは選ばれた者、傷のない者です(エペ1:4)。
  11. あなたは天上に座っています(エペ2:6)。
  12. あなたは「神の作品」であり、「良い行いに歩むように」創造されました(エペ2:10)。
  13. あなたは「みことばを行う人」です(ヤコブ1:22)。

神は、私たちが神の息子・娘であると語っておられます。神のものはすべて私たちのものです。私たちのすべての必要は満たされ、すべての祈りは答えられます。神は私たちの盾であり、守りです。神は、人生に降り掛かるどのような問題も扱う力を与えてくださいます。神の御心は私たちが御霊の力と権威によって力強く歩むことです。そのことが心にしっかり根差すなら、不満を覚えることはほとんどなくなるでしょう。

安息

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私たちは、忙しければ忙しいほど仲間から称賛されるおかしな世界に住んでいます。「安息」は私たちの辞書にはありません。強く、自立している人間にとって「死ぬほど忙しい」ことは勲章なのです! しかし「主の前に静まり耐え忍んで主を待て。……」(詩37:7)とあるように、神が私たちに望んでおられる生き方とは正反対です。

息をつく暇もなく、次から次へと行動に移すことは不健康なだけでなく、霊的成長も阻みます。状況にばかり目が行く生活をしていると、不満を持つように誘惑する扉を開けてしまうからです。しかし主は、私たちに完全な平安の中で休んでほしいと語られました。いかなる状況にあっても神を信頼し、愛し従う者に与えられる静かで穏やかな平安です。

神を信頼するということは、神の主権を信じ、究極的には神がすべてを支配しておられることを理解することです。私たちの人生も存在も主のものです。どんな状況下でも、神は常に私たちの最善を願っておられることを信じましょう。「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています」(ロマ8:28

「神のご計画にしたがって召された」というギリシャ語は、「公けに説明するために神によって選ばれた」と訳すこともできます。クリスチャンは、神を愛するとはどのようなことか、神がどのような方であり、神との交わりがどれほど栄光に満ち、素晴らしいものであるかを絶えず人々に示すという神の召しに答えたのです。

21世紀の慌ただしい生活の中で見失っているもう一つの言葉は、「明け渡す」です。私たちは自立を目指し、自力で問題を解決するよう教育されてきました。一方神は、私たちが一人でもがくことをやめ、神を支えとし、神に完全に頼りなさいと言われます。世の中では、強くなければならないと信じられています。しかし使徒パウロは、「私が弱いときにこそ、私は強い」(Ⅱコリ12:10)と語りました。重荷を下ろし、自分の計画を喜んで主に委ねる時、本当の意味で「安息」できます。神と共に時間を過ごし、神を喜び、みことばに浸るなら、世が与えるものは気晴らしと誘惑でしかないことを知るでしょう。しかし、神は私たちにご自身を与えてくださいました。安息と満ち足りた心は神と共に与えられます。

感謝

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感謝とは、ありがたく思うことであり、親切にしてもらったことに謝意を表すことです。誠実な神を信頼し、神の愛に満ちた統治の中で安らいでいる人は、そのような希望を持っていない人とは違う行動を取ります。

感謝の思いを持つと、脳内のドーパミンの分泌量が増え、心地良い気分になります。ドーパミンが出れば出るほど、脳はさらにそれを欲します。つまり、感謝が尽きない状態になります。感謝せずに満ち足りた生活を送ることはできません。専門家によると、これは健康にも良いそうです。感謝の念を培ってきた人は免疫力が高まり、関節痛が少なく、血圧も低く、良い睡眠が取れ、思いやり深く、孤独感が薄まるそうです。詩篇の記者は2千年以上前にこのことを知っていました(詩103:2〜5参照)。

感謝は、不満に陥る誘惑を防ぐ武具のようなものです。神の偉大さと神がしてくださった素晴らしい御業(困難を通して成長させてくださったことなど)で心を満たすなら、敵が仕掛けた「不満のわな」に陥ることはありません。

パウロの教訓

パウロの手紙には、満ち足りた生活に関する記述が数多く見られます。パウロは、殴られ、鞭打たれ、投獄され、難破も経験するなど、その人生は困難そのものでした。しかし、パウロほど満ち足りることの大切さを明確に語った人はいません。

乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました。私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです」(ピリ4:11〜13

パウロがこの手紙を書いたのは、ローマの牢獄で死を意味する判決を待っている時でした。最初の逮捕の時は、借家での軟禁生活が許され、他の信者の援助を受けることもできました。しかし、この時いたのは恐怖で悪名高い牢獄です。判決前の囚人たちは、空気のよどんだ石の部屋に押し込められ、食事もほとんど与えられませんでした。判決後、囚人たちは独房の床穴から地下牢に鎖で降ろされました。そのような状況下で、パウロは「すべてのことに満足しなさい」とピリピの信者たちを励ましたのです。

パウロのように、私たちにも満ち足りた人生を送る力が与えられています。私たちは状況の奴隷ではありません。私たちの命は、神から離れて存在するのではなく神のものであり、イエスと共に神のうちに隠されています。私たちは、私たちに対する神の圧倒的な誠実さと、とてつもない愛に信頼を置くことができます。いかなる状況にあっても、神がこれまでの人生でなしてくださったこと、今しておられること、これからしようとしておられることへの感謝で心を満たしたいと思います。

17世紀のピューリタン作家、ジェレマイア・バローズが語ったことに、パウロも同意することでしょう。「神は太陽、月、星そして全世界をつくられた。何にも勝って神の栄光を表すものは、あらゆる状況下で満ち足りた心を持って生きる人間である」

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