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ティーチングレター

創世記の宝石 -前編-

文:レベッカ・J・ブリマー(BFP国際会長)

日常が揺り動かされ、これまで人々が土台としてきたもののもろさが浮き彫りになっています。
そんな今だからこそ、決して変わることのない神のことばにますます目を留めてまいりましょう。

Photo by Denis Tabler/shutterstock.com

最近、私は聖書のすべての章について短いデボーションガイドを書くという、生涯にわたる計画に着手しました。ほとんどは、私と主との個人的な交わりの一部ではありますが、創世記の最初の6章についてお分かちしたいと思います。

今年、共に聖書を通読しましょう。神のことばは私たちの道を照らす光(詩119:105)です。未来は予知できず、2021年がどんな年になるかは分かりません。曲がりくねった道であっても、神のことばは方向性を与えてくれます。ですから今年、みことばを読み、祈り、賛美し、礼拝し、主と共に過ごす年としましょう。神を求める時、私たちが仕える神について新たな啓示が与えられるように祈ります。

初めに、神が…
創世記1章

聖書は「初めに…」(創1:1)という言葉(ヘブライ語では「ベレシート」)で始まります。ヘブライ語聖書で創世記をベレシートと呼ぶゆえんです。神が何よりもまず私たちに知らせたいことは、初めから神が存在しておられたということです。

これと同じ言葉で始まる書巻がもう一つあります。ヨハネの福音書です。「初めにことばがあった」(ヨハ1:1)という最初の一文は、偶然ではありません。イエスの弟子であった使徒ヨハネは紀元1世紀のユダヤ人であり、トーラー(モーセ五書)を熟知していたはずです。暗記していても不思議ではありません。ヨハネの福音書1章2〜3節には「この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった」とあり、ヨハネはイエスを創造主として紹介しています。

黙示録はイエスを「世界の基が据えられたときから、屠られた子羊」(黙13:8)と呼んでいます。天地創造の初めから、創造主なる神はあがないの計画を持っておられたのです。

7日目
創世記2章

神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。その日に神が、なさっていたすべての創造のわざをやめられたからである」(創2:3

ヘブライ語のシャバット(安息日)の語根は「7つ目」と同じです。神はモーセの律法をシナイ山で与える前に、7日目(土曜日)に安息日を設けました。これは重荷ではなく贈り物だったのです。この日は労働を休み、自分を取り戻し、祈りに時間を使い、神と交わり、元気を取り戻す日でした。

私はイスラエルに移住して30年以上になりますが、慌ただしい毎日から解放されるシャバットの生活リズムを大切にするようになりました。国中が静寂に包まれ、人々は、神や静まる時や家族といった大切なことに時間を捧げます。

イエスは言われました。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」(マタ11:28-30

イエスはシャバットにシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)に行っておられました。「それからイエスはご自分が育ったナザレに行き、いつもしているとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた」(ルカ4:16)

私がシャバットについて感謝していることを伝えると、「日曜日ではなく土曜日に礼拝するほうがいいと言うのですか」と、憤慨して尋ねてこられるクリスチャンがいることがあります。そういう時は、日曜日は主を賛美するために集まるのに素晴らしい日ですから、どうぞ日曜日に礼拝してくださいと答えます。また、真の礼拝者は、日曜日、月曜日、火曜日……と、曜日を問わず毎日神を礼拝していると思います。興味深いことに、礼拝を意味するアボダーというヘブライ語には「仕事」という意味もあるのです。そのため、日曜日は「安息日」ではなく、シャバット(土曜日)が安息の日と言うことができるでしょう。

土曜日を静寂と安息の中で主と共に過ごすことを一考してみてください。そうすれば元気を回復し、日曜日から始まる翌週を迎える準備ができることでしょう。

Photo by Jenna Solomon/bridgesforpeace.com

行動の結果
創世記3章

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創世記3章は誘惑と神への反逆という悲しい物語です。神はアダムとエバを美しい園に置かれ、2人と個人的な交わりを持たれました。神が唯一禁止されたのは「善悪の知識の木から食べること」。しかし2人は誘惑に負け、罪が入ってきました。この章で初めて、自分が選択した行動には結果が伴うことが示されています。神は脅される方ではありません。神のことばに従わなかった結果、アダムとエバの人生は全く変わってしまいました。恥、罪責感、追放、苦行、痛み、苦悩などを常に経験するようになったのです。こうした感情を経験すると、他人を責めてしまいがちです。アダムはエバを責め、エバは蛇を責め、おそらく2人とも神を責めたことでしょう。それから何千年も経た今でも、私たちは人生や世界の苦しみを他人(神を含む)のせいにしようとします。しかし、これは罪や無法や反逆に屈した当然の結果であることを知る必要があります。

私たちが罪や罪の結果から来る痛みを味わうことは神の御心ではありません。それは決して神の願いではないのです。神の願いは、人が豊かな食べ物を享受し、素晴らしい動物たちと共に美しくのどかな環境で暮らし、神ご自身や他の人々と親密な関係のうちに生きることです。

ヘブライ語で悔い改めを意味するティシュバーは、文字どおりの意味は「向きを変えて(元いた所に)帰る」ことです。日本語の「悔い改め」のような、マイナスのイメージはありません。今日、私たちに良きものを願っておられる愛の神のほうに向きを変えて、御許に帰りましょう。

後編では、創世記4〜6章について分かち合います。

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聖書通読 感想

  • BFPのCEOレベッカ・ブリマーは、よく「人生のさまざまな問題に対する答えは、神さまの御心の99%が書かれている聖書にある」と言います。だからこそ、聖書を読み、私たちの血肉とすることはとても大切なのだと痛感しています。(B.F.P. Japanスタッフ)
  • クリスチャン歴20年になりますが、聖書通読を果たしたことがありませんでした。ここまで来ると天国でイエスさまに顔向けできないな〜と、後ろめたい気持ちにもなっていました。しかし、何度もくじけそうになりながら、BFPの「いっしょに聖書通読」を通して、ついに読み通すことができました。このすっきり感は言葉になりません。(R.I)
  • 聖書通読のメールが、設定の関係で届かないことがあり焦りました。世界の皆さんと一緒に通読をすることを楽しみ、メールに添えられているメッセージやビデオをとても頼りにしているからです。今は順調に届き、うれしいです。(S.T)

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