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赦す自由 パート2

文:シェリル・ハウアー(BFP国際副会長)

誰もが理不尽な体験をしますが、それにどう対処するかは私たちの選択に委ねられています。
理不尽な体験が続いたヨセフは“赦し”を選択しました。
その根底にあった信仰について学んでまいりましょう。

Marc Olivier Jodoin/unsplash.com

ヨセフの物語以前の古代社会では、赦しという概念自体が未知のものでした。古代文明の著作や社会習慣の専門家たちは、ヨセフの哀れみの行為以前に、真の赦しは存在しなかったと言います。古代人は、過ちを犯した人と共存できる社会規範を設けてはいましたが、それは赦しではなく、相手の怒りをなだめるための決まり事でした。被害者が復讐(ふくしゅう)をあきらめ、平安な生活を送れるように、金品で償ったり相手の奴隷になったりしたのです。ヨセフの物語は一人の人が実際に他人を赦した史上最初の記録です。

父の死後、兄たちが恐れを抱いたのも不思議ではありません。兄たちは、最愛の父と再会させることでヨセフをなだめましたが、これで赦されたのでしょうか。そんなはずはありません。各自がどんな役割を果たしたにせよ、兄たちは全員で共謀し、父につくり話をしました。苦々しさと赦せない思いに満ち、ヨセフの柔らかい族長の長服を引き裂き、ヤギの血に浸して父ヤコブに差し出したのです。

父親の人生と夢が一瞬にして崩れ去るのを見ながら、兄たちはどんな満足感を得たのでしょう。おそらくヨセフの背後で生きることを余儀なくされた年月に復讐を果たした心地良さだったでしょう。最愛の息子がいなくなり、どんな慰めの言葉もヤコブの悲しみを和らげることはできませんでした。ヤコブは打ちのめされ、打ちひしがれ、変わってしまいました。

しかし神は人類に悔い改めと赦しを体験させ、人間を引き上げるご計画を持っておられたのです。これにより、もはや人は自分の過去の罪にとらわれ続ける囚人でいる必要はなくなりました。

権力への道

エジプトにいたヨセフは、その知性や誠実さ、指導力が認められ、常にトップに引き上げられました。奴隷だった時は一家の管理人となり、囚人だった時は他の囚人の監督となり、夢の解釈をした後は全エジプトの宰相となりました。パロに次ぐ支配者となったヨセフは地域一帯が飢饉(ききん)に見舞われると、国の全食料を管理する地位に就きました。

しかし、いかなる成功を味わってもヨセフが父のことを思わない日はなく、兄たちの裏切りを悲しまない日はなかったでしょう。兄たちを赦そうと努力し、兄たちがもし自分を赦していたら…と考えたに違いありません。しかし、すべてにおいてヨセフは誠実であり続け、神への強い信仰によって人格が形成されていきました。

自由にする真理
レッスン1:神の主権

ヨセフの物語の中心は「赦し」です。ヨセフが非常に厳しく、怒りに満ちた人間になる理由があったとしても、神は一度もヨセフを非難したり、ヨセフの罪や弱点を指摘したりしていません。結局のところ、ヨセフは家族に虐待された被害者でした。愛してもらえるはずの人々から憎まれただけでなく、裏切られ、奴隷にされ、囚人にされ、忘れられ、無視され、間違って訴えられました。しかし、アブラハム、イサク、ヤコブの神の主権に揺るぎない信頼を寄せていたヨセフは、兄たちの咎(とが)を赦し、自分にされた悪を忘れることができたのです。

ヤコブがヨセフに、曽祖父アブラハム(アブラム)に与えられた神からの預言を教えていた可能性は十分にあります。「主はアブラムに言われた。『あなたは、このことをよく知っておきなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない地で寄留者となり、四百年の間、奴隷となって苦しめられる。しかし、彼らが奴隷として仕えるその国を、わたしはさばく。その後、彼らは多くの財産とともに、そこから出て来る。』」(創15:13-14

ヨセフは、この預言の最終的な成就において自分が果たす役割があり、そのために神から選ばれたことを悟ったことでしょう。神のことばどおり、エジプトに来たヤコブと全家族はそこにとどまり、400年間奴隷となりました。そのことを悟ったヨセフは、兄たちに次のように言えたのです。「神が私をあなたがたより先にお遣わしになったのは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによって、あなたがたを生き延びさせるためだったのです。ですから、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、神なのです…」(創45:7-8

次のことを理解しておくことは大切です。神がヨセフの状況を悪くしたのでもなければ、ヨセフへの虐待を大目に見たのでもありません。ただ、このような状況を用いてヨセフを力強く勇敢で高潔な、御心にかなう人物へと成長させたのです。17歳の時に兄弟によって売られ、30歳でファラオの前に出たヨセフは、周囲から苦しめられてきましたが、神への信仰と変わることのない神の愛への信頼は揺らぎませんでした。

レッスン2:赦しは命令であって選択ではない

ヨセフは、兄たちを赦すことが従順な人生には不可欠だと知っていました。いつまでも被害者として生きる誘惑に屈することもできたでしょうし、時には自己憐憫(れんびん)にふけっても許されたかもしれません。しかし、そこにとどまり続けていたら、神が備えられた高みにまで上ることは決してなかったでしょう。

私たちも同様の誘惑を受けることがあります。自分に落ち度がないのに周りから傷つけられ、被害者となった時です。しかし神のメッセージは明確です。「ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい」(コロ3:12-13

赦さない時、その結果を免れることはできません。神の赦しの中を歩きたいなら、神が赦されたように自分を傷つけた人を赦すことが必要です(参照マタ18:34-35)。聖書には、まず主が私たちを愛してくださったゆえに、私たちも愛することができるとあります。赦しも同様です。必要ならば何度でも赦すことです。「そのとき、ペテロがみもとに来て言った。『主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか。』イエスは言われた。『わたしは七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです」(マタ18:21-22

Photo by Ri Butov/Pixabay

イエスがここで使われた7という数字は、完全性、全体性、完成品を象徴しています。ですから「70×7」は「終わりがない」という意味です。真の赦しに限界はありません。赦しはいつでも必要な人のために用意されています。

レッスン3:赦しvs和解

ヨセフは兄たちが現れるずっと前から赦す決心をしていました。それは彼の側の意図的な行動です。しかし兄たちがエジプトに来た時、赦しは和解に変わり、仲直りと関係の修復が起こりました。これには兄たちの側の行動が必要でした。

創世記42-44章にはヨセフの奇妙な行動が記されています。兄たちの銀を持ち主の袋に返したり、自分の銀の杯を袋に隠したり、他の兄弟の保証人として兄弟の一人をエジプトに残すことを命じたり。ヨセフは、兄たちが自分に犯した罪を本当に悔い改めたのかどうか見極めようとしたのです。古代イスラエルで真に悔い改めたと認められるケースは、似たような状況や誘惑にさらされた時に罪を繰り返さなかった時だけでした。痛切に自分たちの行動を悔いている兄たちを見てヨセフが納得したのは明らかです。ですから、喜んで兄たちと和解できたのです。

大切なことは、自分を傷つけた相手が悔い改めていなくても赦すことです。ただし、相手の罪を単に忘れて盲目的にもう一度信頼しなくてはならないという考えは聖書的に健全とは言えません。ヨセフは、遠くにいる兄たちがヨセフは死んだと思っていた時でも、赦しという自由の中を歩んでいました。しかし兄たちが信頼に値することが分かるまでは、もう一度喜んで兄たちを信頼することはありませんでした。

レッスン4:赦しは終わりのない工程

神の赦しの概念は変わりません。いったん神が赦されたなら、それは私たちのものであり、誰も取り去ることはできないのです。しかし、人間にとって赦しは簡単ではありません。受けた傷を手放し、仕返しや復讐、報復への願望を捨てるには時間が掛かります。私たちにとって赦しは終わりがないと言ってもいいでしょう。毎日、毎時間、赦しが確固たるものになるまで赦し続けるということかもしれません。赦しに達したと言えるのは、自分を傷つけた相手の回復を祈れるようになった時でしょう。

自由な人生

ヨセフの物語は、敬虔(けいけん)な生涯を送ろうと完全に献身した物語です。周りの人の行いが自分の人生に与えた影響に関係なく、ヨセフは全力を尽くして、忠実に、絶えず神に信頼し仕えました。兄たちは二度とヨセフを見ることはないと思い、長い間罪の重荷を背負ってきました。ヨセフは兄たちを赦すことはできても、二度と家族に会えないと考え、失ったものの大きさにひどく悲しんだことでしょう。ヤコブは最愛の息子に二度と会えないと思い、長い間悲嘆に暮れていました。

しかし神はこの全く機能不全に陥った家族を再会させ、和解させ、傷ついた心を癒やす計画を持っておられたのです。さらに、信頼と善意に基づく新しい関係で彼らを祝福することが神の願いでした。すべての鍵を握っていたのはヨセフの赦しです。自分の人生に神の主権を認め、過去の痛みを手放し、勝利に満ちた未来に進んでいくヨセフの能力だったのです。

主との関係を通して、私たちもヨセフのように真の赦しと勝利の中を歩くことができます。傷と怒りを手放し、将来を主に委ね、自分を傷つけた相手にこう言えるのです。「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました…」(創50:20

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