ティーチングレター

すべては益となる

文:シェリル・ハウアー(BFP国際副会長)

想定外の出来事が次々と起きる時代にあって、希望を見失うことも少なくありません。
しかし聖書は、登場人物たちの壮絶な苦難が神の壮大なご計画へとつながっていくという希望にあふれています。
共に神の壮大なご計画に目を向けてまいりましょう。

Photo by Michael Gwyther-Jones/flickr.com

起こってほしくないと願いつつも、今日の生活には、一見良くないと思われることが多発しています。自然災害、致命的な疫病、薬物中毒、中絶、児童虐待などはほんの一例ですが、現代社会を悩ませている厄介な問題です。聖書の中で最も引用されている聖句としてローマ人への手紙8章28節が挙げられているのはそのためでしょう。「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています」。悪い事が転じて益となるという約束は、絶望的な状況の中で希望を与えてくれます。

しかし、実際の出来事とこの素晴らしい約束に矛盾を感じることは少なくありません。誰しもが、答えられなかった祈り、起こらなかった癒やし、かなわなかった夢などを持っています。こうした矛盾は、私たちが神の約束を実際には理解していないから起こるのかもしれません。

約束を吟味する

神の約束を理解する最善の方法は、その聖句が書かれた時代背景の中で考えることです。使徒パウロは初めてローマの教会を訪問するのに先立ち、自己紹介も兼ねて信徒たちに手紙を書きました。ローマ到着前に、信仰、恵み、救い、聖霊の内住についての自分の立場をはっきり理解しておいてほしかったのです。パウロは、深刻な分裂を起こしていた教会を一致させたいと願っていました。ローマ書は、自己中心的な肉による生き方と神の義に従って歩む生き方について多くのページを割き、特に8章では両者の対立の描写が際立っています。この手紙が書かれた紀元40年代後半から50年代前半、ユダヤ人とクリスチャンはローマ皇帝ネロによって迫害されていました。

パウロは肉と御霊、そして「肉」の思いと「いのちを与える御霊」の思いの間で生じる戦いについて詳述しました。同時に、イエスを死者の中からよみがえらせた同じ御霊が、自分たちの内側に住んでおられることを思い起こさせています。御霊は誘惑や苦難の時の力強い助け手です。パウロは「今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます」(ロマ8:18)と語っていますが、これは罪との戦いという個人的な戦いを超えた、ローマによる迫害の恐怖を暗示していると考えられます。ネロはタールに浸したクリスチャンやユダヤ人を自分の庭の柱に縛り付けて燃やし、夕べの散歩の際に照明にしたことで知られています。

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このような状況下でパウロは「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、(自分が理解でき、益となりそうなことだけでなく)すべてのことがともに働いてとなることを、私たちは(あやふやな推測ではなく確実に)知っています」(ロマ8:28、強調筆者)と宣言しているのです。その目的は「神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです」(29節、強調筆者)。

この約束が現実となったという証しは珍しくありません。家庭や職場で難局に直面し、良い結果が期待できずに不安に陥っていた時、突然神が働かれて状況が好転したという証しです。神は情熱的に私たちを愛しておられるので、細部までこの約束を守ってくださいます。しかし、神の目的は必ずしも"私たち"が願っているものを手に入れさせることではありません。それが神の約束された益とは限らないからです。むしろ、いかなる状況下でも神のご計画と御心は成し遂げられ、苦難を通して私たちの心の願いが神の願いと一致し、私たちは神の似姿に変えられていきます。これ以上に素晴らしいことはありません。

ユダヤ人の見解

義人の苦難という考えは、イスラエルの賢者やラビたちの間でも長く論じられてきました。なぜ神の民に悪が降り掛かるのか、これは難問です。タルムードには考えつく限りの理由が載っています。神は罰や罪の結果によらない苦難や困難をお許しになりますが、それは各自に祝福をもたらすためであり、社会に対してはそれ以上の祝福をしばしばもたらします。それは、神の民をご自分の形に変えるために困難な状況を用いられる、神の「愛の苦しみ」の行為だと考えられてきました。

タルムードには「愛の苦しみ」の物語が数多くあります。その一つが3世紀の教師ラブ・フナの物語です。ラブは大変立派なブドウ園を持っていましたが、400樽(たる)の最良のブドウ酒が突然酸っぱくなってしまいました。ブドウ園は大損害をこうむり、家族は困窮。学者と友人はラブに対し、自分の内側を見つめ、裁きを受ける原因となった罪を悔い改めるよう勧めます。最終的に、ラブ・フナが不正な商売を告白し、大いに悲しんで悔い改めると、ブドウ酒は即座に元通りになりました。別の話では、ブドウ酒は酸いままだったけれど神が酢の値段を高騰させたので、ブドウ酒で得る以上の収益を上げたという結末もあります。いずれにしても、ここには「愛の苦しみ」の働きがあったとラビは言います。神はラブ・フナを罰したのではなく、その心を変えるために優しく引き寄せられたのです。

聖書の例

こうした議論でよく例に挙げられるのがヨブとヨセフです。二人とも罪の無い敬虔(けいけん)な人でしたが、想像を絶する苦難を受けました。ヨブの場合は子どもを含めてすべてを失い、神ご自身との素晴らしい出会いを体験して初めて、富と新しい家族を取り戻しました。主は、ヨブの全苦難を用いて、微に入り細に入りヨブの益になるように働かれ、神の主権的な愛に対する新たな深い理解を与えてくださったのです。

ヨセフの話は少し違います。ヨセフの苦難は壮絶でした。父から深く愛され、ヘブロン周辺の丘でのどかな生活を送っていた若者ヨセフ。彼は兄弟から裏切られ、父から引き離され、奴隷に売られ、愛する祖国から引きずり出され、異国の見ず知らずの民のもとに連れて行かれます。ヨセフが、どのように痛みや恐怖に耐えられたのかは想像ができません。神は確かにこの苦難を、ヨセフの益とするために細部まで用いられました。ヨセフはエジプトで第二の権力者となり、自分の家族を得、神の誠実さを想起させる奇跡が常に付いてきました。

ヨセフの苦難はまた、大きな視点で見れば全人類につながる祝福になっています。すなわち、ユダヤ人の未来とユダヤ人が召命を成し遂げるため従うよう召された生き方における祝福です。確かにヨセフの兄弟は悪を計りましたが、神はそれを相働かせて全人類の益としてくださったのです(創50:20)。

もう一つの例は、モーセの母ヨケベデの物語です(出2:1-2、ヘブル11:23)。歴史書によると、ヨケベデはレビ族出身でアムラムの妻でした。神への強い信仰を持っていた二人はパロの命令を恐れず、神が息子を与えてくださると信じていました。出エジプト記とヘブル書は共に、モーセが美しい子どもだったと述べています。ここで使われているヘブライ語は、肉体的な美を意味しますが、生来の強さ、高潔さ、感じの良さという意味もあります。

モーセをナイル川に委ねたヨケベデの痛みは耐え難いものだったでしょう。女奴隷だったヨケベデには権利も特権もなく、即座に息子の命を奪うことができた主人のなすがままでした。3カ月間モーセに乳を飲ませ、愛情を注ぎ、親子のきずなを築くも、予測できない未来にモーセを委ねることは断腸の思いだったでしょう。しかし、神はすべてをヨケベデの益としてくださいました。ヨケベデがモーセを養育し、愛し、神の道を教えられるよう、神は数年間モーセを手元に返してくださったのです。このことはヨケベデにとっては個人的な益でしたが、相働いてイスラエルの民にとってさらに素晴らしい祝福となりました。人類史上最も重大な出来事とも言える出エジプトが起こったのです。

最後にルツ記です。エリメレクの妻ナオミは、ベツレヘムで比較的平安で豊かな生活を送っていました。しかし飢饉(ききん)が起こり、夫は全財産を残してイスラエルの敵モアブの地に行く決断をします。ナオミは大きな痛みを体験したでしょう。

モアブに到着後、息子たちはトーラー(モーセ五書)によって禁じられていたにもかかわらず、モアブの女性たちと結婚。最終的に夫と息子は亡くなり、ナオミはすべてを失い、落胆してベツレヘムへ戻りますが、すべてを働かせて益とされる神の御手によって、その状況から引き上げられます。義理の娘ルツとボアズの結婚により、穏やかな老後を手にしたのです。そして再び家族を得、オベデの祖母として楽しく過ごし、ついにはダビデ王の祖先となりました。人類全体に及ぶ大きな視点で見れば、ナオミの貢献は一層重要です。神はナオミの状況を用いて、メシアの家系における異邦人の立場を確かなものとされたのです。

私たちへの約束

神と神のみことばは時を超えた不変のものであり、今日も明確に語り掛けます。ヨセフの物語は束縛があっての解放を示し、ヨブの物語は病があっての癒やしを証明し、ヨケベデとナオミの物語は悲惨さを知らなければ喜びは無いことを示しています。パウロはローマ書で、悪が無ければ善を認めることはできず、罪が無ければ義を理解することはできないと語りました。

いと高き神の息子や娘であるクリスチャンにとって、明確なことは、どんな状況も無計画でも無意味でもないということです。私たちを取り囲む"すべて"の状況は、私たちを神の似姿に変え、神の知識によって社会や世界に影響を与える目的を持っていると、すべてを統べ治める神は語っておられます。何という「益」なのでしょう。

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