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新たなミレニアムにおけるイスラエルと教会の関係

BFP編集部 2000年12月

「新たなミレニアムにおけるイスラエルと教会」……非常に大きな希望と可能性を秘めたテーマです。新年、新学期、仕事始め、そして引退生活の始まりなど……こうした「新たな出発」の機会をとおして過去の失敗を忘れ、新たなアイデアを胸に新しいスタートを切ることができるのです。

私たちが礼拝しているアブラハム、イサク、ヤコブの神は、「赦し」と「新しい出発」を約束してくださる方です。逆に、新たなスタートを切る際に障害となるのは、私たち自身がその時機を遅らせてしまうことです。また、過去から学ぶのを怠ることで、同じ失敗を繰り返してしまうこともその一つです。

「老いた犬に新しい芸を仕込むことはできない」ということばがありますが、それは間違いであると犬の調教師は語っています。私たち人間も、神の助けによって変えられるなら、いつでも新しい道を歩むことができるのです。

プラン実行への備え

私たちキリスト教会と、イスラエルおよびユダヤ人の関係について考えてみましょう。クリスチャンはユダヤ人との関係について、現在、どのような立場を取っているでしょうか。ユダヤ人とクリスチャンの関係を築いていくための参考となるような、何か肯定的な事例が過去にあるでしょうか。また、将来において克服されるべき過去の失敗例は何だったのでしょうか。イェシュア(イエス)が私たちに命じられた、「あなたの兄弟であるユダヤ人を愛しなさい」という教えを、私たちはどのようにして守っていくことができるのでしょうか。また、どうすればパウロが私たちに教えたように、「ユダヤ人に対して、憎しみや迫害ではなく、愛とあわれみを示す」ことができるのでしょうか。

何か新しいプランを実行するには、まず周囲の状況について、その背景も含めて深く掘り下げて調べ、過去においてどのような事柄が肯定的または否定的な要因となっていったのかを探る必要があります。それを怠った場合、何かを始めても途中で失敗し、なぜうまくいかないのか理由がわからず悩んでしまうことになるからです。

教会とイスラエルの歴史もまた、新しい千年紀を迎えました。イスラエルと教会の「新たなる関係づくり」というプランを実行するには、まず過去の歴史、2000年前までさかのぼる必要があります。過去2000年間における、イスラエルと教会との間に起こった成功や失敗の事例をよく理解することで、同じ失敗を繰り返すことなく、またそれまでの成功を土台として、新たなる関係を築き上げていくことが可能となるのです。

クリスチャンは、このような賛美を歌います。「私たちの示す愛によって、愛によって……人々は私たちがクリスチャンだと知るだろう」

また、第2ヨハネ4章4節には、「神は愛なり…」と記されています。クリスチャンのあるべき姿とは、愛にあふれた人格なのです。

パウロはローマ書11章において、ユダヤ人との間にどのような関係を築くべきか、異邦人クリスチャンに対して教えています。異邦人はユダヤ人に対して「高ぶってはならない」(20節)、ユダヤ人は「先祖の故に愛されている者」(28節)、そして「あなたがたのあわれみによって、彼ら自身もあわれみを受けるであろう」(31節)とパウロは語っています。

残念ながら過去1900年間に亘って、キリスト教徒と隣り合わせで生きてきたユダヤ人の共同体には、キリスト教徒もしくはキリスト教自体から愛もしくは敬意を示されたということはほとんどありません。愛や敬意どころか、彼らがキリスト教徒から受けてきたのは、ほとんどの場合、憎しみや蔑み、迫害、さらにはキリスト教徒自身の手によって下された死であったのです。「愛とあわれみ」の教えはどこへ行ってしまったのでしょうか。

一般的にほとんどのクリスチャンが、この生々しい悲劇の歴史についてわずかのことしか知りません。しかしユダヤ人共同体のほうでは、これらの悲劇的な歴史を鮮明に記憶しています。ユダヤ人たちに対して愛とあわれみを示す代わりに、多くのキリスト教徒たちは、ユダヤ人を迫害するために十字架を剣へと変えてしまいました。ドクター・エドワード・フランネリーという人物は、彼の著書『ユダヤ人の苦悶(AnguishoftheJew)』の中でこう語っています。「キリスト教の歴史についてユダヤ人が記憶している出来事は、教会が歴史の本から破り取って燃やしてしまったページにのみ記されている」と。

それゆえ、この新しいミレニアムのはじめに私たちクリスチャンとユダヤ人そしてイスラエル国家との間に新たなる関係を築き上げ、発展させていくためには、これらの歴史のページを再読していく必要があります。ジョアン・マグナソンという女性は、『反ユダヤ主義とユダヤ人の体験(AntisemitismandTheJewishExperience)』(邦題・仮)という、大変よくまとめられた小冊子を著しました。その中で彼女はこのように指摘しています。「聖書を信じるクリスチャンの多くが、ユダヤの人々に対して愛と助けの手を差し伸べたいと望んでいる。しかし、ユダヤの人々がキリスト教徒から受けた痛みについては気づいていない」

また、ある賢明なラビはこう語っています。「私が傷つけられる原因が何であるのか理解できない限り、私を愛しているなんて言わないでほしい」

このラビを含め、ユダヤ人が受けた痛みの原因が何であるのか、しかもそれが私たちキリスト教徒によってもたらされたものであるなら、なおさらその理由を見つけ出す必要があります。私たちが直面している問題を明らかにするため、ユダヤ人に対してキリスト教徒が何を行なったか、まずはその歴史を短くまとめてみたいと思います。

最初のミレニアム(AD1〜10世紀)におけるキリスト教の歩み

まずイエス以降の、紀元後最初の1000年間について学んでいきましょう。これは、キリスト教とともに反ユダヤ主義の青写真が西側世界の大部分に広がっていった時期から始まります。

最初の4世紀

紀元1世紀、教会はまだユダヤ的背景との密接な関係を保っていました。またイエス自身、彼の教えを何か別の方向へ導こうとは全く考えておられませんでした。

結局のところ、イエス自身もユダヤ人であり、彼の教えの基盤は旧約聖書にありました。マタイ書5章17節から18節において彼はこう述べています。「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。」

また、新約聖書の著者たちはユダヤ人でした。イエスの使徒たち、初代の信徒たちもユダヤ人だったのです。彼らはユダヤ人の安息日(シャバット)に神を礼拝し、ユダヤ暦の祭りを祝い、ユダヤ教の会堂であるシナゴーグに出席していました。また、エルサレムとそれを取り巻くユダ地方、サマリヤ地方、ガリラヤ地方にはこれら初代教会が存在していましたが、そのメンバーもまたユダヤ人が主体となっていました。

ローマ帝国領内に存在していた他の教会もまた、比較的強いユダヤ的ルーツ、もしくはヘブル的ルーツを保っていました。彼らはエルサレムにある親教会の指導に従っていたのです。この事実は、新約聖書中のコリント人への手紙やローマ人への手紙、ガラテヤ人への手紙、エペソ人への手紙、ピリピ人への手紙、コロサイ人への手紙、テサロニケ人への手紙といった書簡によって裏づけられています。これらの書簡は、エルサレムの親教会から発信されたものなのです。

紀元66年の第1次ユダヤ・ローマ戦争以前は、パリサイ派、サドカイ派、エッセネ派と同様に、キリスト教もユダヤ教の一派だと一般に見なされていました。しかし、ユダヤ人たちがローマ帝国に敗北を喫して多くの人々が殺害された後、ユダヤ人共同体は彼らの教えをパリサイ派の教えの流れにそって発展させていく決断をしました。これが今日のラビ的ユダヤ教へと発展していったのです。

このことが転機で、ユダヤ人共同体が信奉するユダヤ教からの、キリスト教の分離が始まりました。この分離はローマ帝国に対して大きな衝撃を与えるものとなり、ローマ帝国領内に浸透しつつあったキリスト教と、ユダヤ教の間には徹底的な溝ができてしまったのです。この出来事以降、ローマ帝国領内全域で異邦人が次々とキリスト教の信者になっています。

こうした中、紀元135年に勃発した第2次ユダヤ・ローマ戦争において、ユダヤ人はローマ帝国に対して再び敗北します。この敗北が原因で、ユダヤ人たちはエルサレムを去ることになり、ユダヤ人信者が主体であった教会の主導権にも影響をおよぼすことになりました。神学的・政治的主導権は、ユダヤ人クリスチャンの指導者たちから、アレクサンドリア、ローマ、そしてアンテオケの異邦人クリスチャンの指導者へと移行しました。キリスト教がユダヤ的ルーツから自らを分離したことから、初代教会の教父たちは反ユダヤ的な発言や、反ユダヤ的な神学の形成を開始することになります。

置換神学の始まり

ユダヤ人に対するキリスト教会の敵意は、初代教会の教父たちの著作に反映されています。例として、殉教者ユスティヌス(JustinMartyr紀元160年頃の人物)が、あるユダヤ人に語った発言が挙げられます。彼はこう言いました。「聖書はお前たちのものではない、我々のものだ」
リヨンの司教であったイレナエウス(Irenaeus紀元177年頃)は、「ユダヤ人は、神の恵みから切り離された者たちだ」と公言しています。また、テルトリアヌス(Tertullian紀元160-230年頃)は、論文の中でこう書き記しています。「神はユダヤ人に対して、ご自分は『キリスト教徒のほうを好み、ユダヤ人を拒絶する』と公言された」

4世紀初頭、オイセビウス(Eusebius)という人物は、「旧約聖書で神が約束されたことは、ユダヤ人に対してではなく、キリスト教徒に対してなされたものである。また、呪いはユダヤ人に向けられたものである」と書き記しています。彼は、教会こそが旧約聖書の教えを受け継ぐ者であり、ユダヤ教徒に取って代わったと論じています。そして、「初代教会が真のイスラエル、または霊的なイスラエルであり、神の聖なる約束を引き継ぐものである」と公言しました。神は「肉としてのイスラエル」をおとしめ、その民を捨てられ、代わりにキリスト教徒にその愛を移されたことを証明するのが重要であると考えたのです。

このことから、教会がユダヤ教とイスラエルを敗北者としておとしめ、教会側の勝利に置き換えた「置換神学」が始まったことがわかります。この置換神学は、教会の教えと反ユダヤ主義を支える重要な土台の一つとなり、今日まで至っています。

教会の勝利

西暦306年、ローマ皇帝コンスタンティヌスは、キリスト教徒を信奉するという史上初のローマ皇帝となりました。最初、彼は多元的な考え方を持っていて、ユダヤ人に対してもキリスト教徒と同じ権利を保証しました。しかし、321年にはキリスト教をローマ帝国の国教としています。この事実は、キリスト教徒に対する迫害に終止符が打たれることを意味しましたが、それは国家宗教となったキリスト教による、ユダヤ人差別・迫害の始まりでもあったのです。

西暦305年、キリスト教徒の間からユダヤ人を分離する法律がスペインのエルヴィラにおいて可決されました。その後、社会におけるユダヤ教の宗教的行為やユダヤ人の権利に関して多くの規制が始まりました(313年のミラノ勅令)。

ユダヤ人に対する教会の教父たちの論調にも変化が現れました。以前は防御的、またどちらかといえば弱腰であったのが攻撃的なものとなり、「群れの外の人々」、とりわけあらゆる町、村、国々に存在するユダヤ人に対する悪意をはらんだものへと変わりました。

中世

キリスト教史最初の1000年間における残りの700年は、暗黒時代もしくは中世と呼ばれています。この時代、キリスト教は異教徒の部族を改宗させながら、西側世界の大部分に拡大していきました。中世の教会指導者たちによって書かれた書物の中には、反ユダヤ主義的傾向がより強く見られます。

ポアチエ(Poitiers)出身のヒラリウス(Hilary紀元291-371年頃)は、このように書いています。「ユダヤ人は神によって永遠に呪われた、心の頑なな人々である」

カッパドキアの司教であり、ヒッサ(Hyssa)出身のグレゴリウス(Gregory394年に逝去)は、「ユダヤ人はまむし(あるいは毒蛇)の子孫たちであり、善を憎む者たちである」と書いています。聖ヒエロニムス(St.Jerome347-407年)は、ユダヤ人についてこのように述べています。「彼らはキリストを裏切った、ユダの皮を被った蛇であり、彼らの詩篇と祈りはロバの鳴き声だ」

アンテオケの司教であり、偉大な説教者であったヨハネス・クリソストムス(JohnChrysostom)は、ユダヤ人を標的にして8巻の説教集を書き残しています。この説教の中でユダヤ人は、「鞭打ちの少年(whippingboy)」として書かれています。このような箇所があります。「シナゴーグは売春宿、そして劇場であるのみならず、盗人の巣であり、野獣の住みかである。ユダヤ人は誰も神をあがめないノノ彼らの本性は殺人者、悪魔に憑かれた者たちであり、放蕩と飲酒に溺れる豚のように振る舞う。彼らはお互いに殺し合い、自滅する」

クリソストムスは、キリスト教がユダヤ教から完全に分離することを追求しました。彼は、その説教集の第4巻にこう書いています。「私、クリソストムスは、『私たちはあなたの味方です』と言いながらユダヤ人の慣習に従うことに熱心になっている人々に対してはもう充分に言いました。私が戦いを起こすのはこの人々に対してではなく、ユダヤ人に対してです。……ユダヤ人は神に捨てられた者たちであり、彼らの犯した罪に対しては何の贖いも残されていません」

クリソストムスはある定義づけによって、キリスト教徒を反ユダヤ主義に傾けることに貢献しました。それは、「ユダヤ人全体がキリスト殺しの責めを負っている」とする定義です。彼のこの考えは、続く16世紀間に亘るキリスト教の歴史において、反ユダヤ主義者たちによって強調されることになりました。

中世の後半、アウグスティヌスは独自の「ユダヤ人に対する説教」を著しました。そして置換神学者たちがそうであったように、「呪われた人々でありながら、なぜユダヤ人がいまだに存続しているのか」について教授しました。彼は、「ユダヤ人たちはキリストを死に追いやった人々として、最も厳しい罰を受けるべきである。しかし、彼らは神の聖なるご加護のもとに生き長らえ、彼らの聖書に基づいて神に仕え続けている。これは落ちぶれたユダヤ教に対してキリスト教の真実が勝利を取ったことの証である。ユダヤ人はこのことの『証人』――召し使いとなるように定められている」と断言しました。アウグスティヌスの反ユダヤ的な姿勢は、当時のキリスト教会に大きなインパクトを与えました。

それゆえに、神聖ローマ帝国を治めていた貴族たちも、室内奴隷(ServiCameraeというラテン語)としてユダヤ人を雇用し、ヘブル語の書物を保存するための書院係や、当時キリスト教徒の職業としては禁じられていた高利貸しとして利用するようになりました。

このように、キリスト教史最初の千年紀が終わる頃には、反ユダヤ主義は一つの理論として成熟していました。そして聖職者や政治家たち、一般の人たちによっても、こうした反ユダヤ主義的理論が主張されたのです。

第2ミレニアム(西暦11〜20世紀)におけるキリスト教の歩み

十字軍の登場

キリスト教史における次の千年紀のはじめに登場してくるのは、当時、分裂がひどかったカトリック教会を一つにする試みとして行われた、1096年の第1回十字軍遠征です。キリスト教を迫害し、聖地とエルサレムを冒涜していたイスラム教徒に対し、当時の教皇ウルバヌスがヨーロッパのキリスト教国に向かって、十字軍(=聖戦)の召集を呼びかけました。

しかし、十字軍が召集されたところで、すぐそばに標的となるイスラム教徒が住んでいたわけではありません。そこでキリスト教徒にとってイスラム教徒と同様「異教徒」であり、キリスト教の敵と見なされていた間近のユダヤ人に対して、その矛先が向けられました。十字軍に参加した人々が住んでいるその地域において、すでに「聖戦」が始められることになったのです。

キリスト教の「慈愛の精神」を示す代わりに、残虐な行いが各地で始まりました。十字軍が聖地に向けてヨーロッパを横断中、各地のユダヤ人共同体を襲撃して、暴行、略奪に次ぐ略奪を行いました。十字軍が発した「ユダヤ人は我らの救い主を十字架につけた者たち。彼らは主に立ち帰るか、そうでなければ死あるのみ!」という野蛮な叫びに直面して、ユダヤ人には「死か改宗か」という二つの選択肢しか残されていませんでした。何千何万という人々が、死をもって殉教する選択をしました。エルサレムにおいては、赤い十字のシンボルが描かれた盾を掲げ、ユダヤ人たちをシナゴーグごとに集めた十字軍が、「主キリストよ、あなたをあがめます!」と歌いながら、生きたままユダヤ人たちを焼き殺しました。

そのような背景から、ユダヤ人にとって十字架とは愛と和解と救いではなく、憎しみと死のシンボルとして映ることに何の不思議があるでしょうか。十字架はユダヤ人に対して剣として用いられたのです。

第4回ラテラノ公会議

1215年、第4回ラテラノ公会議が催されました。この会議において、全質変化(神学用語。聖体祭儀のとき、パンと葡萄酒をキリストの肉と血に変えること)の神学が具体化されました。この教義は、キリストの肉体と血が、聖体(あるいはご聖体。聖餐式用のパン)とワインに象徴されるという考え方です。この教義は、現在でもいまだにカトリック教会において信じられています。この教義と、会議で決定された他の教義をもとにして、反ユダヤ主義の新たなる流れが形成されました。

  • 聖体冒涜
    何世紀にも亘って、ユダヤ人による聖体冒涜の噂が流布しました。その噂とは、ユダヤ人が聖体を盗み、キリストを再び十字架につける意味でその聖体を傷つけ、痛めつけて燃やしてしまうというものです。単なるでっちあげに過ぎないこの聖体冒涜ついて描いた絵物語が、おもにドイツを中心として14世紀から15世紀の間に流布しました。
  • 血の中傷
    聖体冒涜に関する噂の中でも特にユダヤ人を中傷したものが、「血の中傷」と呼ばれるものです。これは、ユダヤ人が非ユダヤ人、ことにキリスト教徒を殺害してその血を集め、過越の祭りや他の祝祭に用いるというものです。キリスト教徒の血を飲むことによって、ユダヤ人は人間の外見を保つことができ、またその血によってユダヤ人としての匂いを消して、キリスト教徒の清らかさを備えることができるというのです。
    この他にも、ユダヤ人がキリスト教徒の赤ん坊を誘拐して、過越の祭り用のマナ(種なしパン)を作っているというものがあります。これらの中傷は、ユダヤ人が守っている「血を食べてはならない」という掟に対しての、キリスト教徒の無知を示しています。
  • ユダヤ人識別用の目印
    第4回ラテラノ公会議において公布されたもう一つの掟は、ユダヤ人を区別するために、何らかの目印を彼らの身につけさせるというものです。この目印は国々によってさまざまですが、一般的にバッジをつける、あるいはとがった帽子をかぶるという形が取られました。クリスチャンがうっかりとユダヤ人と接触してしまうことがないように、というのが目的です。中世の絵画や彫刻では、丸のついた装束やとんがり帽子をかぶっているユダヤ人が描かれています。

異端審問

14世紀中頃、スペインやポルトガルの教会において、異端者を探し出し、告訴するために異端審問が行われました。この波はユダヤ人の居住区にもおよび、最初に告発された人々が強制的に改宗させられ、それからその共同体全体が改宗させられました。追放を免れた人々は裁判にかけられ、財産を没収され、それは諮問法廷の財政を潤しました。教会では彼らを処刑することが許されていなかったので、世俗の機関である、この異端審問の法廷へと送られたのです。

血を流すことは許されない行為であったので、生きながら焼く方法が選ばれました。これはヨハネ書15章6節にある、「だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。」の聖句に基づいて行われたのです。

スペインにおける異端審問は、1481〜1820年まで続きました。35万人以上のユダヤ人が刑罰によって苦しめられました。

宗教改革

宗教改革が起こったことにより、キリスト教界に希望と新しい空気が吹き込まれました。宗教改革は、教会が犯した多くの失敗を認め、その指導者であったローマ法王、大司教、司祭たちといった教職者全体に対して挑戦状を叩きつけるものでした。しかしユダヤ人にとって、宗教改革は改革どころか、反ユダヤ主義に新たな前進をもたらすものでしかなかったのです。宗教改革に対して脅威を抱いていたカトリック教会は、すべての人々に対して疑いを抱きました。ユダヤ人共同体に対しても疑いを抱いた彼らは、ゲットーとよばれる一定の地域に彼らを閉じ込めて隔離したのです。

宗教改革者マルチン・ルターは、改革をとおして伝道を始めた頃、ユダヤ人に対して好意的でした。しかし、後に反ユダヤ主義者へと変わってしまい、反ユダヤ主義に関する2冊の書物『ユダヤ人とその虚偽について(OntheJewsandTheirLies)』『口にしてはならない御名(OnTheShemHamephorasTheIneffableName)』を著しました。この2冊の本には、今までユダヤ人に対して使われた表現の中でも最も下劣なものが含まれています。

その500年後に現れたヒトラーは、これらのルターの著作をもとにして反ユダヤ主義やホロコーストについて多くのアイデアを得て、正当化していったのです。ルーテル派の生みの親であり、ドイツ人であったルターの発言に対して、誰が異議を唱えることができるしょうか。

啓蒙と解放の時代

17〜18世紀は啓蒙の時代、そして続く19世紀は解放の時代を迎えました。しかしいくら世の中が変わっても、ユダヤ人たちはそれまで培われた偏見によって引き続き苦しみを受けていました。社会はキリスト教による支配から脱却しつつありましたが、反ユダヤ主義の姿勢に変わりはありませんでした。ユダヤ人社会は一般の社会から隔離され、多くのユダヤ人が社会進出できずにいました。ユダヤ人は当時の社会において異分子として見なされていた人たちであり、「反ユダヤ主義」という病の犠牲者だったのです。

ロシアのポグロム

ロシアでは1881〜1902年にかけて、ユダヤ人に対するポグロムが連続して発生しました。ポグロムとは、ロシア人キリスト教徒がユダヤ人に対して犯した、財産の破壊、略奪、殺人、レイプなどを含む行為です。人民はもちろんのこと、軍隊までが立ち上がってこれらの破壊行為を見物し、またいつでも参加することができました。教会は、この行いに対して沈黙を保つどころか、支持さえしました。一部の情報によると、何百件にもおよぶポグロムが発生し、約6万人もの人々が殺され、その数倍にもおよぶ人々が負傷しています。

ホロコースト

「反ユダヤ主義」というキリスト教社会による間違った教えが、キリスト教史における第二のミレニアムにおいて最高・最大の頂点を極めたのが「ホロコースト=大量殺戮」です。ホロコーストは、ユダヤ人問題解決のためにアドルフ・ヒトラーが採った最後の手段でした。

当時、ドイツは世界の中でも最も啓蒙化され、知的に開化され、文化的であった国の一つでした。それにもかかわらず、ドイツのキリスト教社会はヨーロッパでのユダヤ人撲滅を見過ごし、実際に撲滅に参加する人々まで出してしまったのです。

600万人の人々(うち100万人は子どもたち)が、ヒトラーとナチスの暴力による犠牲となりました。ヒトラーによる著作、スピーチ、彼が作製した映画に見受けられるのは、撲滅しなければならない「害虫」として表現されたユダヤ人でした。この世界に一つの悪が存在し、その悪の共通の根源となっているのが、ヨーロッパのあらゆる国やあらゆる地域に存在しているユダヤ人である、とヒトラーは結論づけたのです。「ユダヤ人は『キリスト殺し』である。彼らを管理し、社会から隔離して、識別するためのマークをつけさせる必要がある。また、彼らが従事できる職業を限定し、医学・芸術・化学・教育などの分野から追放する。彼らのシナゴーグと祈祷書を焼き捨て、財産を没収し、追放するか、もしくは殺さなければならない」……これがヒトラーの理論でした。

彼の表現は、何となく「どこかで聞いたような」気がしませんか。これらの迫害は、政治権力を握った教会が、過去の幾世紀にも亘ってすでに行なってきたことなのです。ヒトラーの行いに目新しいものは何もありません。過去に行われたことを、ただスケールを拡大させてより効率よく行なっただけです。悲しむべきことに、彼はこれらのことを教会の歴史をとおして学んだのです。

ヒトラーと彼の信奉者たちは、確実に真のクリスチャンではありませんでした。ナチスの哲学は、キリスト教よりも異教の神話の影響をより強く受けていたのです。しかし、ナチスに属していた人々の多くが、ルーテル派もしくはカトリック教会のメンバーでした。ちょうどアメリカの人種差別団体であるクー・クラックス・クランが日曜日には教会に出席しているのと同じ状況です。ナチスの人々は、歴史的に「キリスト教国」といえる国々においてこれらの迫害を行なったのです。そして当時のキリスト教界は、これらの悲劇を前にして、まるで何も聞こえないかのように完全に沈黙していたのです。

過去50年間の状況

こうした歴史を振り返ると、現在、私たちが目にしているクリスチャンとユダヤ人の関係は、ごく最近のものであることがわかります。両者の間により良い関係が築かれ始めたのは、たかだかこの50年の間のことです。2000年のうちの50年は、ほんのわずかな時間に過ぎません。関係を改善していくためになされた努力の多くは、ホロコーストに対する反省として起こったものです。たとえ反省からであっても、とくかくこの努力は続けられています。今後も引き続きこの努力を続けることができるでしょうか。私たちがその一端を担うなら、それは可能でしょう。これは続けるべき戦いです。

反ユダヤ主義はいまだに生き残っており、すべての社会に浸透し、人々がそれを目にしています。残念なことに、反ユダヤ主義の根は深く、なかなか断ち切ることができません。ある人々は、「この世界は良い方向へと進歩しており、反ユダヤ主義も衰退化の傾向にある」と皆さんを説き伏せるかもしれません。しかしそれは嘘です。1990年代から、反ユダヤ主義関連の事件は世界中で増加しており、ユダヤ人がほとんど存在しない日本のような国においてさえ、その萌芽を見せているのです。

また、現在のイスラエル国家に関しては、メディアや政治家をとおして、過度に否定的なイメージを伴う報道がなされています。私の意見を言えば、イスラエルに対する世論は、過去の遺物である「反ユダヤ主義」という落とし穴に再びはまり込んでしまっているのです。ホロコーストの後、反ユダヤ主義を掲げることはもはや「流行ではない」という風潮が広まり、反ユダヤ主義はその姿を潜めたかに見えました。しかし現在、反ユダヤ主義は、イスラエルを「攻撃的なシオニズム国家」と見なし、イスラエルに対する「義憤」という形で、国家的・政治的なレベルにおいて人々の間に浸透しています。ニュー・アンチ・イスラエル(NewAnti-Israel)もしくは「反シオニズム」の風潮は、古くから続いている反ユダヤ主義が単に形を変えたものに過ぎないのです。

新たなミレニアムに向けて

今、第三のクリスチャン・ミレニアムが到来しました。クリスチャンとユダヤ人の間に新たなより良い関係を築くには、どのような努力が必要でしょうか。私たちは、キリスト教会がユダヤ人に対して犯した憎しみの行為について、その詳細までも理解しました。例の「賢明なラビたち」や、大勢のユダヤの人々が抱えている痛みの原因が何だったのかがわかりました。私たちクリスチャンは、教会とイスラエルそしてユダヤ人の間に、友情と和解に基づいた新しい結びつきを生み出す必要があります。もし今、私たち自身がそのために立ち上がらなかったら、誰がそれをするのでしょうか。キリスト教徒によって引き起こされたユダヤ人の痛みの大きさを前にして、くじけてしまうのでしょうか。それともあきらめてしまうのでしょうか。いいえ!私たちクリスチャンは希望と期待を掲げ、より明るい未来を勝ち取るための戦いをする必要があります。

私たちが一致団結して、他のクリスチャンたちにもこのことを伝え、広めていくなら、必ず大きな変化が起きます。キリスト教会自らが、この戦いの主導権を取るべきです。これは容易なことではありません。それでもなお、全世界に散らばる何千何万というクリスチャンたちがこの戦いの必要を理解し、その一端を担うことを望んでいる段階まで来ている、と私は確信しています。

私たちクリスチャンが過去の歴史について無知であるのに対して、ユダヤ人は歴史をよく記憶しています。それでも、ユダヤ人との間に新たな関係を作り上げていくことは可能です。過去の否定的な事例の罠に捕らわれず、そこから自由に解き放たれて、新しい結びつきを作り上げることができます。私たちがユダヤ人に対して友情の手を差し伸べて、たとえ彼らがそれをはねつける可能性があったとしても、祈りと忍耐と理解をもって、この目標を達成することができるのです。

では、私たちには具体的に何ができるでしょう。クリスチャンが、ユダヤ人、旧約聖書そしてイスラエルとの関係において、新たな結びつきを作るための四つのステップをここにご紹介します。

ステップ1

クリスチャンとユダヤ人の関係を回復するための第一のステップは、キリスト教のユダヤ的・イスラエル的ルーツを理解し、徹底的に教えることです。このルーツを知らない限り、キリスト教は一時的に咲き誇っている、宴会の席上に飾られた生け花のようなものです。しかしその宴会が過ぎ去れば、ユダヤという根から絶たれたことで、すぐに枯れ落ちてしまう花なのです。

新約聖書には、「ユダヤ人とイスラエルに対する神の契約から離れて教会が存在することはない」と明記されています。神がイスラエルと結ばれた数々の契約と、現在も進行中の神のご計画は、旧約聖書にもはっきりと明記されていて、新約聖書でより確かな裏づけがなされています。

ユダヤ人は、「霊における」私たちの兄弟です。異邦人のクリスチャンとして、私たちはユダヤ的なルーツを持っているのです。エペソ書2章11節から13節において使徒パウロは、私たちクリスチャンが「イエスの血潮によってイスラエルの国の契約、約束、希望と信仰へと近づけられ、なおかつイスラエルの国の一員とされた」と述べています。また、新約聖書は教会について、「(イスラエルとその契約に)接ぎ木されたものである」(ローマ11:17)、「(信仰によって)アブラハムの霊的な子孫とされた」(ローマ4:16)、また、「その相続者である」(ローマ15:27)と述べています。

「キリスト教は神の契約を自分たちのものにした。現実のイスラエルに取って代わった」という置換神学が教えているような内容は、新約聖書には書かれていません。私たち異邦人クリスチャンは、神がイスラエルにおいてすでに行われた事柄の中に組み込まれたのであり、神はイスラエルに対しての契約や約束を破られることはありません(エレミヤ31:35-37、ローマ11:29)

ユダヤ人こそ神の「選びの民」「契約の民」であり、その契約を大切にしている人々であることを、私たちクリスチャンは覚えておく必要があります。ユダヤ人は、神の土地であるイスラエルに住み、神を礼拝することで祝福を受け、その事実をとおして「ただ一人のまことの神に仕えることの祝福の大きさ」を全世界に示す目的で神に選ばれた民なのです。

彼らは、神のことばを受け取り、記録するために選ばれたのであり、それゆえに私たちも聖書を読むことができるという祝福にあずかりました。イスラエルにイェシュアがお生まれになったのもユダヤ人をとおしてであり、このイェシュアをとおして、私たちは「救い」と「永遠のいのち」という神の贈り物にあずかったのです。このように、私たちの信仰はユダヤ的ルーツを持つものなのです。

私たちにこの贈り物を与えてくれたユダヤ人は、憎まれるどころか、むしろ愛されるべき存在なのです。過去の教会がユダヤ人に対して侮辱や迫害を加えましたが、そのような権利は私たちにはありません。むしろ、ユダヤ人に対して私たちは喜びと感謝を抱くべきです。イスラエルとユダヤの人々がもたらしてくれた、この「イェシュア」という光がなかったなら、私たち異邦人は今もトーテムポールや石像といった偶像を礼拝していたことでしょう。

ステップ2

新しい関係への第二のステップは、キリスト教から生まれた反ユダヤ主義が、過去、そして現在においても存在すること、そしてそれが繰り返されてきた原因は教会にあったという点を認めることです。へりくだり、悔い改めの精神をもって、ユダヤ人、教会そして世界に対して、クリスチャンが犯した過去の悪行について、真の悲しみと悔い改めを表す必要が私たちにはあります。神の契約の民、そして神の土地であるイスラエルの国を理解し受け入れること、また、私たちの側のあわれみに基づいた行為とがそのことにつながるのです。ローマ書11章においてパウロは、ユダヤ人について「その父祖たちのゆえに、神に愛されている人々であり、私たちのあわれみによって、彼らもあわれみを受けるであろう」と指摘しています。

「あなたがたに触れる者は、わたしのひとみに触れる者だ。」(ゼカリヤ2:8)と神が言われるほどに愛されている契約の民に対して、サタンが用いた最大の武器が教会であったことは悲しむべき事実です。これら多くの、恐ろしい反ユダヤ的行為をした歴史上の教会関係者が「本当のクリスチャンではなかった」という理屈は必ずしも正確ではありません。彼らの多くが「熱心なクリスチャン」という評価に値する人物だったのです。

マルチン・ルターを例に挙げましょう。彼の功績を疑う人は誰もいません。しかし、彼は反ユダヤ主義の歴史上、最も忌まわしい表現を含んだ書物を書き、また発言しました。ルターのように、最初はユダヤ人の熱心な支持者でありながら、ユダヤ人に対する期待を裏切られたことで失望し、反ユダヤ主義者となってしまう人々もいるのです。こうした人々がユダヤ人に対して示したのは、真実でも無償の愛でもなく、隠された動機をはらんだ不純な思いだったのです。

「ユダヤ人を憎め」という間違った教えを受けたクリスチャンが、ユダヤ人に対して憎しみを抱くのは一般的な事実です。こうした事実を理解することをとおして、私たちは「この悪の行為をもう二度と繰り返してはならない」という気持ちを新たにすることができます。

ステップ3

新しい関係作りへの第三のステップは、反ユダヤ主義に対して、公然と戦いを挑むことです。反ユダヤ主義は罪であり、この罪に対して私たちの心といのちを守り続けていかなければなりません。反ユダヤ主義は悪の典型であり、この悪に対して霊的また物理的に戦いを挑むことは、私たちクリスチャンに課せられた使命です。ユダヤ人は、世界に対して神がそのみこころを行うため、神によって召された契約の民ですから、その民に対して戦いを仕掛けて迫害を加えるのは、神に戦いを挑んでいることになります。この世で神に反抗している人々が「反ユダヤ主義者である」ということは理解できますが、イスラエルの神を信じる私たちクリスチャンが反ユダヤの立場を取るということは、大変残念な、大きな間違いです。ナッシュ・オグデン氏はこう書いています。「神がユダヤ人を選ばれたのはなんと不思議なことだろう。しかし、ユダヤ人の神を選んで信仰しながら、ユダヤ人を拒絶することのほうがもっと不思議だ」

神の契約の民であり、長兄であり、信仰の先駆者であるユダヤ人に対して、また聖書的ユダヤ教に対して、教会が愛を示し、尊敬することを学ぶことができる日がいつか到来するよう祈りましょう。

預言者イザヤはこう語っています。「義を追い求める者、主を尋ね求める者よ。わたしに聞け。あなたがたの切り出された岩、掘り出された穴を見よ。あなたがたの父アブラハムと、あなたがたを産んだサラのことを考えてみよ。わたしが彼ひとりを呼び出し、わたしが彼を祝福し、彼の子孫をふやしたことを。まことに主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。……」(イザヤ51:1-3)

また、パウロはこう語っています。「……根が聖ければ、枝も聖いのです。もしも、枝の中のあるものが折られて、野生種のオリーブであるあなたがその枝に混じってつがれ、そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、あなたはその枝に対して誇ってはいけません。誇ったとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのです。」(ローマ11:16-18)

ローマ書11章28節の、「彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、先祖たちのゆえに、愛されている者なのです。」のみことばにもあるように、イスラエルが神ご自身によって大切に育てられた「栽培種のオリーブの木」であることをパウロはよく理解していました。

これこそ、私たちクリスチャンがユダヤ人との間に持つべき真の結びつきです。したがって、神の契約の民に対する反ユダヤ的なことばや態度に反対の立場を取ることが、私たちの従うべき道となるのです。反ユダヤ主義的な姿勢を助長してきたのは、私たち教会の父祖たちの責任ですから、この反ユダヤ主義に対抗することは、なおさら私たちクリスチャンに課せられた「命令」なのです。

ステップ4

新たな関係作りに向けての第四のステップは、この目標達成のため、実際的なプランを立て、確信に基づいてそれを行うことです。ヤコブは、「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」(ヤコブ1:22)と言っています。私たちとユダヤ人の関係においても、このみことばを適応していく必要があります。ユダヤ人は聖書のことばを守り、実際にそのことを行為で表す人々だからです。

聖書の掟を守るということは、その掟について話し合うだけではなく、実際の行動をとおして実行することです。ユダヤ人は、人物の外側の行いそのものが、その人物が内面で確信したことの表れであると見なします。ただ口に出すだけなら簡単ですが、行いはことばより大きく訴えるものなのです。ヤコブの言うとおり、私たちクリスチャンにとってもこのことは真実です。「それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。」(ヤコブ2:17)

ユダヤ人について、パウロはクリスチャンに向かってこう語っています。「それは、あなたがたの受けたあわれみによって、今や、彼ら自身もあわれみを受けるためなのです。」

ユダヤ人に対するこの愛とあわれみは、単なる温かい感謝の気持ち以上の思いを意味します。クリスチャンとして、私たちはイスラエルに対して負債を負っており、彼らのために何かをすることによって感謝を表す必要があるのです。

パウロは、次のような実際的なことばを語っています。「彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。」(ローマ15:27)

イエスもまた、マタイ書25章をとおして、イエスに接するのと同じ態度で、私たちクリスチャンが他の人々に接するべきであると説いていますが、これは異邦人クリスチャンがその霊的兄弟であるユダヤ人に対して接するときも、同じことが言えます。34節から40節にかけて、イエスは自分自身が「空腹で、喉が乾き、一人ぼっちであり、着る物を必要としており、牢獄の中で病の中にあった」と、たとえを用いて語りました。そして弟子たちのことを、「自分がそのような状態にあったとき、あなたたちは、これらすべての必要に満たされていた」と言いました。弟子たちは、「主よ。いつ私たちは、あなたがこれらの状況にあるのを見たでしょうか」と答えました。すると、イエスは彼らに答えて言います。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」

このみことばに従い、そして聖書に書かれた預言が成就するための一端を担うため、ブリッジス・フォー・ピースは「エズラ作戦」において、16に亘る実際的なプロジェクトを生み出しました。これらのプロジェクトには、新移民者のためのウエルカム・ギフト、里親プログラム、フードバンク、移民者の子どもたちのためのアート教室、家屋修繕プロジェクト、そして旧ソビエトからのユダヤ人救出などが含まれています。

旧約聖書の預言者たちは、異邦人がユダヤの民を救出してシオンに帰還させたり、破壊されたエルサレムの城壁を修復するためにやって来たり、歴史的・聖書的にユダヤ人のものである父祖の地に彼らが帰るために、その富みを捧げるなどの役割を担うであろうことを預言しています。

ブリッジス・フォー・ピースのプロジェクトは、皆さんが神の国に結びついていることを自ら表現するためのものです。イスラエルを祝福するため、ブリッジス・フォー・ピースのプロジェクトに捧げられた経験を一度もお持ちでないなら、どうぞ今日、それを行なってください。神は、ご自分の民を祝福する人々に対して祝福を約束しておられます(創世記12:3)。また、エルサレムの平和のために祈る人々に対しても同じです(詩篇122:9)。しかし、これは私たちが当然すべきことに対しての、当然の報酬に過ぎないのです。

ゼカリヤ書2章8節には、ユダヤ人に対する神の愛といつくしみが語られています。「あなたがたに触れる者は、わたしのひとみに触れる者だ。」(ゼカリヤ2:8)。このことに対して、クリスチャンはどのように反応すべきでしょうか。

今こそ、昔から伝えられてきた反ユダヤ主義の教えを破棄し、将来へ向けて変えられていくときなのです。罪悪感ではなく、愛といつくしみに基づいた、へりくだりの精神をもって行動しなければなりません。

今こそ、実際的な愛の行為と尊敬の念を、世界中のユダヤ人に対して示すときなのです。

今こそ、現在のイスラエル国家に対する神のご計画に加わるときなのです。メシアがすみやかに再臨されることを私たちが待望している今、神はこのメシア来臨の祝福を成就するため、文字どおり天と地とを行き来しておられます。

クリスチャンとして、私たちはこれらの事柄にチャレンジし、何世代にも亘って受け継がれてきた反ユダヤ主義による憎しみを、地域社会から、教会内から、家族内から、そして私たちの心の中から取り除いていきましょう。

教会の運命は、イスラエルとユダヤ人の未来と密接に絡み合っています。クリスチャンはあまりにも長い間、沈黙を保ってきました。ユダヤ人はあまりにも長い間、たった一人で孤独に戦ってきました。今、まさに私たち一人ひとりが、聖書と救世主を授けてくれた人々のために立ち上がるときなのです。

私たちは今、新たなミレニアムの、そのあけぼのの光の中に立っています。私たちがそれぞれ変化を生み出すことができます。ともに立ち上がって、未来を変えていくことができるのです。

エルサレムからシャローム

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