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エルサレムの重要性を理解するための「15の鍵」Part-2

BFP編集部 2000年11月

世界中どこを探してもエルサレムのような町は他にありません。ご自分の宿る場所として神が地球上に選ばれた場所。救い主メシアが亡くなられ、よみがえり、そしていつか世界を治めるために戻られるところ。

私たちの注目と理解を受けるにふさわしい都。

それでは、この比類なきエルサレムについて、残りの七つの鍵を見ていきましょう。

第9の鍵

イエス(イェシュア)にとって重要であったエルサレム

エルサレムはユダの王たち――ダビデ王の子孫たち――の都であると同時に、聖書の預言者たちの町でした。

ダビデの子孫、イエスが生まれたベツレヘム(ヘブル語のベイト〈家〉・レヘム〈パン〉、つまり「パンの家」という意味)は、エルサレムからほんの8km南へ下ったところにある町です。今日、ここはかなり拡張されたエルサレムの郊外になっています。

このエルサレムで「イェシュア・ハマシア」、すなわちメシアであられるイエス・キリストの死とよみがえり、昇天がありました。そしてこのエルサレムにイエスは再臨されるのです。

エルサレムでご自分を待ち受ける宿命についてイエスはご存じでしたが、その「その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。」(マタイ16:21)

『さて、一行は、エルサレムに上る途中にあった。イエスは先頭に立って歩いて行かれた。……「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは、人の子を死刑に定め、そして、異邦人に引き渡します。すると彼らはあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺します。しかし、人の子は三日の後に、よみがえります。」』(マルコ10:32a、33-34)

実際にイエスに死刑を執行したのは、ユダヤ人ではなく異邦人であったことも覚えましょう。

オリーブ山の名の由来は、文字どおり山にオリーブの木が茂っていることから来ています。イエスの時代、オリーブはエルサレム付近から輸出される唯一の食糧生産物でした。

イエスと弟子たちがエルサレムへ来たときには、この山に泊まりました。マルタとマリヤ、そしてラザロが住んでいたベタニヤは、この山の東側にあります。間にケデロンの谷を挟んで神殿の山と向かい合っている西側の斜面には、イエスが弟子たちと過ごされたオリーブの園があり、ここからイエスはロバに乗ってエルサレムに入城され、またここでエルサレムのために泣き、祈りました。

オリーブ山の麓には、イエスが捕らえられる寸前に血の汗を流して父なる神に祈った、あのゲッセマネの園があります。この園には樹齢2000年とされる、イエスの祈りを聞いていたといわれるオリーブの木々があります。

イエスはご自分で約束されたとおり、再臨されるでしょう。預言者ゼカリヤがこのことについて預言しています。また、イエスがこの山の頂上から昇天された折には、主の天使たちも彼が再び来られることについて保証しました。「その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。」(ゼカリヤ14:4)

『こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。』(使徒1:9-12)

「全世界へ福音を宣べ伝えよ」という大宣教命令の働きはエルサレムから始められ、周囲の国々へ、そして世界へと広がっていきました。『イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」』(マタイ28:18-20)

『こう言われた。「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。」』(ルカ24:46-47)

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)

ペンテコステ(シャヴオット)のときにエルサレムで集まっていた会衆の上に聖霊が下られ、教会が生み出されました(使徒2章)。そしてここエルサレムで最初の教会会議が開かれたのです(使徒15章)

第10の鍵

神の贖い主の都エルサレム

救い主はシオンに来られ、そこからイスラエルの全家、そして世界中を治められます。『「しかし、シオンには贖い主として来る。ヤコブの中のそむきの罪を悔い改める者のところに来る。」――主の御告げ。――』(イザヤ59:20)

『こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」』(ローマ11:26-27)

「しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。主が仰せられたように、シオンの山、エルサレムに、のがれる者があるからだ。その生き残った者のうちに、主が呼ばれる者がいる。」(ヨエル2:32)

イザヤは、主がエルサレムに礎石を敷かれると言っています。パウロは、この礎石こそ異邦人たちが追い求め、そして見つけたメシア・イエスであると保証しています。『だから、神である主は、こう仰せられる。「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない。」』(イザヤ28:16)

「万軍の主、この方を、聖なる方とし、この方を、あなたがたの恐れ、この方を、あなたがたのおののきとせよ。そうすれば、この方が聖所となられる。しかし、イスラエルの二つの家には妨げの石とつまずきの岩、エルサレムの住民にはわなとなり、落とし穴となる。」(イザヤ8:13-14)

『それは、こう書かれているとおりです。「見よ。わたしは、シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。彼に信頼する者は、失望させられることがない。」』(ローマ9:33)

多くの人々がイエスをメシアとして認めたのに対し、エルサレムの指導者たちのほとんどが認めませんでした。それゆえ、イエスはこの町のために涙を流し、やがて人々が彼を認める日が来ることについて預言されました。『「ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。あなたがたに告げます。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に。』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。」』(マタイ23:37-39)

第11の鍵

賛美と賞賛を受けるにふさわしいエルサレム

聖書中どこを探しても、エルサレムほど変わらずたたえられている場所は他にありません。そして世界中でエルサレムより他に、その究極的な栄光と永遠の平和を約束されている場所はありません。

ご自分の民に対する、神の永遠のご命令は『エルサレムの平和のために祈れ。「おまえを愛する人々が栄えるように。」』(詩篇122:6)です。

主によれば、エルサレムは永遠不滅なのです。「ダビデの王座に着く王たちや、車や馬に乗る首長たち、すなわち王たちとその首長たち、ユダの人、エルサレムの住民は、この町の門のうちにはいり、この町はとこしえに人の住む所となる。」(エレミヤ17:25)

「主に信頼する人々はシオンの山のようだ。ゆるぐことなく、とこしえにながらえる。」(詩篇125:1)

また、神はエルサレムで生まれた人々を特別に祝福しておられます。『しかし、シオンについては、こう言われる。「だれもかれもが、ここで生まれた。」と。こうして、いと高き方ご自身がシオンを堅くお建てになる。主が国々の民を登録されるとき、「この民はここで生まれた。」としるされる。セラ』(詩篇87:5-6)

昔のユダヤの賢人たちは言いました。「世界の10ある美の基準中、九つまでがエルサレムに与えられ、残りの一つが世界に特定の「場所」に対するこのような愛着は他にないでしょう。詩篇の著者もこう記しています。「麗しさの窮み、シオンから、神は光を放たれた。」(詩篇50:2)

1世紀のローマの歴史家プリニウスは、エルサレムについて「古代オリエントでずば抜けて有名な都」と書いています。

また、ジョージ・アダム・スミスは大変うまく言い表しています。「エルサレムは神の臨在が彼女と共にあることを感じた。地上の他の都市が決して経験することがなかった、神の特別な愛が、彼女だけに注がれていることを確信していた。また、神が彼女について定められたご計画に対してふさわしい者となるよう、神ご自身が労苦されておられることも。」

第12の鍵

いつもユダヤ人が住んでいたエルサレム

ダビデの征服以降、バビロニア捕囚(紀元前586年)の日まで、エルサレムにはユダヤ人たちが住んでいました。エズラとネヘミヤのもとでエルサレムを再建するために彼らが戻ってきて、後の紀元70年と紀元135年にローマによって徹底的に追放されるまで、増えたり減ったりしつつもユダヤ人たちはエルサレムに暮らし続けたのです。そこにはいつも「イスラエルの残りの民」が絶えることがありませんでしたが、前世紀初頭まではユダヤ人の人口が多数派となることはありませんでした。

しかし、1818年からユダヤ人口は宗教的多数派となってきました。今日、エルサレムの住民70万人のうち、70%以上はユダヤ人です。1800年代のはじめには、住民が1万5000人以下の、忘れられた埃っぽい地方都市に過ぎなかったエルサレムが、今再び世界の注目の的となっているのです。

エルサレムの過去3000年間の歴史において、その人口推移を見ると、クリスチャンとユダヤ人が治めている間は住民が増え、豊かに繁栄し、イスラム教徒による支配下にある間は著しく減少していたことがわかります。

B.C.610年 バビロニアの征服以前のユダヤ人による統治時 20,000人
A.D.10年 ヘロデ王のもとでのユダヤ人による統治時 35,000人
A.D.65年 ローマによる征服直前のユダヤ人による統治時 50,000人
A.D.638年 ビザンチン帝国下のキリスト教徒による統治時 60,000人
A.D.1050年 イスラム教ファティマ朝の支配時 20,000人
A.D.1180年 十字軍のキリスト教支配下時 30,000人
A.D.1450年 イスラム教マムルーク朝の支配時 10,000人
A.D.1690年 オスマン=トルコによる統治の初期 10,000人
A.D.1800年 オスマン=トルコ朝中期 12,000人
A.D.1910年 オスマン=トルコ朝後期におけるユダヤ人移民時 75,000人
A.D.1946年 イギリス委任統治末期(クリスチャンの支配) 165,000人
A.D.1967年 エルサレムの統一(ユダヤ人支配下) 250,000人
A.D.1999年 最新のイスラエル国勢調査結果(ユダヤ人支配下) 633,700人

エルサレムは1200年近くもイスラム教徒たちの手中にあったにもかかわらず(その間、ただ一度、短い期間の十字軍の支配を除いて)、ほとんどの場合、支配者たちは、ファティマ朝、セルジューク朝、マムルーク朝、そしてオスマン=トルコなどの、非アラブ系イスラム教徒たちでした。イスラム支配時の人口減少は、イスラム教徒たちがエルサレムを重要視していなかったことを示しています。東エルサレムがヨルダン人イスラム教徒に押さえられていて、ユダヤ人たちが入ることを許されなかった1948〜1967年の間、イスラムにとって非常に神聖とされるこの町を、イスラムの指導者として訪れた唯一の人物がいます。

その人物とは、現在のヨルダンの王、アブドラ2世の曾祖父にあたるアブドラⅠ世でした。彼は1953年にエルサレムへ訪問中、エル・アクサ・モスクの外でパレスチナ系住民により銃撃されて亡くなっています。

この同時期に、ユダヤ人たちの支配の下、エルサレム市は歴史上最大の人口を持つに至ったのです。

第13の鍵

聖書預言の「発光点」エルサレム

預言者たちは世界の終末におけるエルサレムの中心性、世界の国々の目がこの町に注がれる時代について預言しました(ゼカリヤ2:1-5、8:15、12:2-3)。今日、この小さな国についてほとんど毎日、報道がされています。エルサレムについては、一政治家の不用意な発言から近隣の町建設などに至るまで、国連安全委員会の議論の対象となり得るのです。

詩篇102篇13節から14節にはこうあります。「あなたは立ち上がり、シオンをあわれんでくださいます。今やいつくしみの時です。定めの時が来たからです。まことに、あなたのしもべはシオンの石を愛し、シオンのちりをいつくしみます。」

エルサレム市が再び一つに統一されて以来、イスラエルの首都としての過去の栄光をこの町に回復するために、比類なき革新への努力がユダヤ人たちによって進められてきています。

考古学者たちはエルサレムの栄光に満ちた過去に関する証拠を発掘し、ユダヤ人たちはこの町の古代の石組みから、文字どおりいつくしむように丁寧に塵を取り除いてもきました。

そうです。今こそ「シオンへのいつくしみのとき」なのです。

ヨルダンがイスラエルを攻撃してきた1967年の6日戦争以来、イスラエルは神殿の山と旧市街を含む、エルサレム全体の権利を所有してきました。1900年間にも及ぶ追放の後、今日、メシア再臨に向けて舞台を整えつつあるエルサレムについての聖書預言の成就を、私たちはユダヤ人たちとともに祝うことができるのです。

ルカ書21章で、イエスはご自分が戻られる直前にどのようなことが起こるのかを預言的に話しておられます。エルサレムについては24節で、「……異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。」と言っておられます。

多くの聖書学者たちが1967年のエルサレムの再統一を、ルカ書21章24節の成就と信じています。「エルサレムの主権について、旧市街と東エルサレム(聖書的なエルサレム)はイスラムのものとされるべきである」というパレスチナ権威筋からの主張と今、戦わねばならないことについても驚くに値しません。

多くのクリスチャンとユダヤ人たちは、「ユダヤ人の支配による聖書的エルサレムの統一は、聖書預言の成就である」という意見で一致しています。新約聖書はイスラエルとエルサレムについて、イエスが再臨される場所であると語っています。パレスチナやエル・クッド(イスラエルとエルサレムを指すイスラム名)については聖書に書かれていません。イエスはイスラム教国やイスラムの首都へ戻られるのではなく、アブラハム、イサク、ヤコブとの約束の契約の相続人であるご自分の民、ユダヤ人によって統一・統治されるエルサレムへ戻られるのです。しかし世界中のほとんどの人々は、ユダヤ人によるエルサレムの統一・統治を平和への障害物と見なしていて、分割を進めようとしています。

私たちが生きているこの時代に、エルサレムは歴史上最大の大きさに拡張され、その美しさを手にしました。神は、ご自分の預言的みことばを成就されるために、確かに素晴らしく働いてこられたのです。今、主の再臨に備えて舞台は整えられました。エルサレムの建築は、主が戻られるためのもう一つの鍵なのです。

今日、エルサレムにはおよそ2000ものシナゴーグ、教会、モスク、その他の宗教的大建造物があります。「主はまことにシオンを再建し、栄光のうちに顕現されます。」(詩篇102:16、新共同訳)

1996年は、ダビデがエルサレムをイスラエルの首都としてから3000年を迎える記念の年として祝われました。ローマの征服以来、エルサレムは異邦人の国々に占領されてきましたが、それでも存在してきたことに変わりはありません。

皆さんは神がエルサレムに対するご自分の預言的計画を成就されていることについて、世界中の国々が喜んでいるだろうと思われるかもしれません。しかし残念ながらそうではないのです。美術家たちや音楽家たち、俳優たちや大勢の一般の巡礼者たちが、イスラエルへの彼らの一致賛同を表すためにこの町を訪れる一方で、世界の政治家たちは、エルサレムをイスラエルの首都と認めるそのような支持を表すことを一切避けています。政治公約として大使館をテルアビブからエルサレムへ移すと約束をした米国大統領でさえ、いつもこの約束の履行を破り続け、新しい大使館をエルサレムに建てることを禁止する米国議会の発議権に屈し続けています。

ソロモン王の前に立った「偽の母親」(第2列王記3:16〜28)のように、世界のある指導者たちは、不分割の都として神がユダヤ民族とイスラエル国家に与えたエルサレムの正当な歴史的権利を擁護する代わりに、それを二つに分割して、半分をパレスチナ人に渡すべきだとしています。エルサレムを二つに分けるなど、口にすることもはばかられた時代もあったのが嘘のようです。しかし現在、政治家たちとジャーナリストたちは、「それをすべきかどうか」という段階をすでに超えて、「いつそれをするのか」という次元で考えています。

エルサレムは人間が選んだのではなく、神が選んだものです!神はエルサレムに対するご自分の預言的意志に賛同しない世界の国々を裁かれるでしょう。「まことに、主は報復の日を定められる。シオンにかかわる争いを正すための年を。」(イザヤ34:8、新共同訳)

神はエルサレムに対するご自分の預言的計画に賛同しない世界の国々に対し、最後通告をされるでしょう。ゼカリヤ書12章で、メシア再臨の直前に起こる、エルサレムに立ち向かう国々への裁きの日について神は予告しておられます。主が何と語っておられるかお聞きください。「見よ。わたしはエルサレムを、その回りのすべての国々の民をよろめかす杯とする。ユダについてもそうなる。エルサレムの包囲されるときに。その日、わたしはエルサレムを、すべての国々の民にとって重い石とする。すべてそれをかつぐ者は、ひどく傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来よう。…その日、わたしは、エルサレムに攻めて来るすべての国々を捜して滅ぼそう。」(ゼカリヤ12:2、3、9)

昔、神がご自分のご計画を国々が理解し賛同するかを測る基準として、エルサレムとイスラエルを用いられたように、今日、再び集められ建てられたユダヤ人国家イスラエルとその首都エルサレムの町を、国々への預言的テストとして神は用いておられます。悲しいことにほとんどの指導者たちは、新しい世界秩序のために他国への影響力や力、富を増し加えることに集中し、彼らにとって「時代遅れ」な聖書のみことばとその約束には距離を置いています。

エルサレムで再びラッパが吹き鳴らされています。神はすべての人々と国々に対して、神と神の永遠のご計画に従うように呼びかけておられますが、それはいつまでも続くものではなく、すぐに終わりのときが来て、それまで呼びかけを無視してきた人々への裁きが突然、下されるでしょう。イスラエルの神が与えられたエルサレムの正当な権利をくじこうと、世界の国々と新しい世界秩序が努力していますが、これに対して聖書を信じる者たちは確固とした態度と信念を維持し続ける必要があります。皆さんの取るべき立場が一般的でないことは認めます。

しかし、これまで世界の秩序の中で大胆に聖書の側に立った人々はみな少数派でした。

エルサレムを再分割しようという世界の努力に関係なく、この町をメシア再臨に向けて準備する神の預言的ご計画の側に、しっかりと私たちは立ち続ける必要があります。これに世界が対抗してくることは、当然予想されることです。

第14の鍵

祈りの焦点となるべきエルサレム

詩篇122篇6節は私たちに、「エルサレムの平和のために祈りなさい。」と言っています。それは神のご計画に従って、やがて来る神の平和のために祈ることです。リディア・プリンスはその著書『エルサレムでの約束』で、地球の神が約束された中心点・エルサレムについての幻を書いています。この中心点から神のご計画、真理、そして平和がすべての地に流れ出ていきます。やがて国々からこの地への礼拝と捧げ物が送り返されることを願ってのことです。エルサレムのために実際に祈ることは、すべての国々とすべての人々を祝福することになります。事実、全世界の平和はエルサレムの平和にかかっているのです。このご計画の成就こそが地球の唯一の希望なのです。

聖書を信じるすべての人は、エルサレムの城壁の上の見張り人として呼ばれています。イザヤ書62章1、6、7節は、聖書の神、イスラエルの主なる神に祈るすべての人々に、シオンのために継続的にとりなし続けるよう呼びかけています。「シオンのために、わたしは黙っていない。エルサレムのために、黙りこまない。その義が朝日のように光を放ち、その救いが、たいまつのように燃えるまでは。エルサレムよ。わたしはあなたの城壁の上に見張り人を置いた。昼の間も、夜の間も、彼らは決して黙っていてはならない。主に覚えられている者たちよ。黙りこんではならない。主がエルサレムを堅く立て、この地でエルサレムを栄誉とされるまで、黙っていてはならない。」(イザヤ62:1、6、7)

そう、エルサレムは神の都なのです。彼女は真の平和と地上における賛美を、神の預言のみことばの成就によってのみ得ることができるのです。

聖書を信じる者たちはエルサレムを慰め、祝福するように勧告されています。「慰めよ。慰めよ。わたしの民を。とあなたがたの神は仰せられる。エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎は償われた。そのすべての罪に引き替え、二倍のものを主の手から受けたと。」(イザヤ40:1-2)

「どうか、ご恩寵により、シオンにいつくしみを施し、エルサレムの城壁を築いてください。」(詩篇51:18)

「エルサレムとともに喜べ。すべてこれを愛する者よ。これとともに楽しめ。すべてこれのために悲しむ者よ。これとともに喜び喜べ。」(イザヤ66:10)

第15の鍵

やがて新しいエルサレムが

いつの日か、新しいエルサレムの立つ日が来ます。「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。」(黙示録21:1-2)

神はエルサレムの将来の祝福について約束しておられます。「だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。」(イザヤ65:18-19)

「まことに主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。そこには楽しみと喜び、感謝と歌声とがある。」(イザヤ51:3)

新しいエルサレムは本当に素晴らしいところとなるでしょう。「そして、御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行って、聖なる都エルサレムが神のみもとを出て、天から下って来るのを見せた。都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。都には大きな高い城壁と十二の門があって、それらの門には十二人の御使いがおり、イスラエルの子らの十二部族の名が書いてあった。……その城壁は碧玉で造られ、都は混じりけのないガラスに似た純金でできていた。都の城壁の土台石はあらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧玉、第二はサファイヤ、第三は玉髄、第四は緑玉、……また、十二の門は十二の真珠であった。どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。」(黙示録21:10-12、18-19、21)

この都の城壁にある門に、イスラエルの12部族すべての名がつけられていることからも、神がこの都とご自分の民イスラエルへの契約を今も重んじておられることがわかるでしょう。

この新しいエルサレムにはもう神殿がありません。なぜなら神とその小羊がそこに宿られ、その御臨在自体が神殿となり、光の源となるからです。「私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来る。」(黙示録21:22-24)

新しいエルサレムは、主を敬い礼拝するために世界の国民が集まってくる、聖なる開かれた都となるでしょう。「都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。こうして、人々は諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る。しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行なう者は、決して都にはいれない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、はいることができる。」(黙示録21:25-27)

世界で他に比べられるもののない都・エルサレムについて、聖書と歴史が何を語っているのか、この学びをとおしていくらかの洞察を皆さんが得られればと期待しています。皆さんが今月、エルサレムに思いを馳せるときに、どうか聖書の命令を忘れないでください。「エルサレムの平和のために祈れ。」です。そうすれば、「おまえを愛する人々が栄えるように。」(詩篇122:6)という祝福が皆さんに帰ってきます。

では、また来月。

エルサレムからシャローム

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