ティーチングレター

聖書の地 Part-2

BFP編集部 2000年6月

前回のイスラエル・ティーチング・レター「聖書の地・パート1」では、イスラエルの位置と大きさ、乳と蜜の国、甘い水と塩辛い水のある国、世界の交差点、イスラエルの山々、そして豊かな多様性を持った小さな国などの項目について取り上げました。今回は、この驚嘆すべき地イスラエルの気候と動植物について見ていきましょう。

聖書の地の地形や地理、気候、動植物などのすべては、昔も今もこの地で暮らす人々に強い影響を及ぼしています。これらについて理解することは、我々の聖書理解を向上させ、聖書時代の人々がどのような祝福や危険と向き合って暮らしていたのかを知る助けとなります。

イスラエルの気候

基本的に、イスラエルには雨の多い冬と暑く乾燥した夏の、二つの季節があります。暑い夏日から寒い冬日へと気候はたいてい一晩で変わり、春までずっとそのままです。それから涼しく快適な春となり、そして再び一日で暑く乾燥した夏日に取って代わります。

エルサレムの町には、毎年オランダから何千ものチューリップの球根が贈られます。それが満開になると、いつも決まって一日にして冬から夏への変化が来て、あっという間に花びらが散ってしまいます。

気温

イスラエルの気温は、8月の平均最高気温が39度になるエイラットから、平均気温が4度に下る北のサフェドまでと変化に富んでいます。北端のイスラエル最高峰ヘルモン山に行くとさらに気温が下がり、積雪も十分にあって、リフトのある非常に立派なスキー場で多くの人々がスキーを楽しんでいます。ゴランの山々でも毎年雪を見ることができ、またガリラヤ、サマリヤ、そしてエルサレムを含むユダヤ地方でも2〜3年に一度は雪が降ります。

イスラエルの最高気温は、1921年にヨルダン渓谷で記録された54度です。

雨、雨、行くな…

神がヘブル人たちを連れてきたのは、それまで彼らが知っていたエジプトのような乾いた土地ではなく、雨の地でした。

「あなたがたが行って取ろうとする地は、あなたがたが出てきたエジプトの地のようではない。あそこでは、青物畑でするように、あなたがたは種をまき、足でそれに水を注いだ。しかし、あなたがたが渡って行って取る地は、山と谷の多い地で、天から降る雨で潤っている。」(申命記11:10-11、口語訳)

当時、エジプトはナイル川に沿って穀物を育てていました。「足でそれに水を注いだ。」とは、足漕ぎ水車で畑に水を引いたことを指します。人力で水を引くのではなく、イスラエルでは、神が雨を降らせて畑を潤してくださるというです。

“神はイスラエルの地に降る雨の供給者である”――この重要な点が、その地に入る前にイスラエル人たちにはっきりと伝えられました。

「もし、きょう、あなたがたに命じるわたしの命令によく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心をつくし、精神をつくして仕えるならば、主はあなたがたの地に雨を、秋の雨、春の雨ともに、時にしたがって降らせ、穀物と、ぶどう酒と、油を取り入れさせ、また家畜のために野に草を生えさせられるであろう。あなたは飽きるほど食べることができるであろう。」(申命記11:13-15、口語訳)

我々の暦では、11月から翌年2月までがイスラエルの雨季です。しかし聖書には秋の雨と春の雨、あるいは初めの雨と後の雨と書かれています。初めの雨とは秋、9月末に降る雨を指し、後の雨とは春、3月末から4月に降る雨を指します。これらの雨は、雨季の中でも特別な祝福として捉えられています。

中央山地があるおかげで、地中海から東に吹く湿った空気が山を登るにつれ、スポンジが絞られるように収縮して雨を降らせます。その空気がエルサレム、ベツレヘム、ヘブロンなどの山域を越えると、今度は海抜0メートルに近いヨルダン渓谷へと下りつつ膨張していきます。スポンジが元の大きさに戻った場合と同じように、空気中の湿気はもう雨となって地に落ちることはありません。その結果、中央山地の西斜面は雨で潤って多くの緑あり、東斜面は年間平均降雨量がほんの50ミリしかありません。結果、エリコなどがあるユダヤは荒地となっています。

エルサレムとロンドンの年間平均降雨量が共に550ミリであることは注目に値します。異なる点は、エルサレムではそれが50日ぐらいに集中して降るのに対し、ロンドンでは300日以上かけてゆっくり降ることです。

雨季の期間である冬の間、イスラエルの雨量は地方によって様々です。北西方向へ進むほど、より多く降り、反対に南西へ進めば進むほど、より乾燥していきます。

雨がまばらであることから、イスラエルでは1年のうち40〜60日しか雨の日がありません。しかし最南西端のエイラットでは、平均降雨量が年に12.5ミリ、また死海やエリコでは年25〜50ミリ以下です。こんなに雨が少ないのに、イスラエルの木々や野の植物たちはどうやって生きているのでしょうか。

海岸平野や山地の西斜面には、海から湿気を多く含む空気が毎晩上ってきて、豊かに露を降らせます。露は年間260日降り、雨の降らない夏の間(4月〜11月)平均225〜275ミリもの水を供給します。

イスラエルではほとんど毎夜9時から10時頃になると、駐車している車や岩をとおして露が地面に滴り落ちていきます。畑の作物の間にわざと小さな岩を残しておくのは農夫たちの知恵です。乾燥したこの地において、露は主からの大きな祝福なのです。

一人の学者が、イスラエルの潤った西北地域と乾いた東南地域のはっきりした違いについて、聖書のみことば「乳と蜜の流れる地」と重ねることを試みました。

ジェームズ・フレミング博士は、「乳の流れる地」とは乾燥した南と東の地方、つまり山羊や羊、らくだの群れが生き、ミルクやチーズを供給するユダヤとネゲブの荒野を指すのではないかと言っています。この地は静かで寂しく、先のことが予測不能で何もかも干からびた場所です。しかし、この地においてこそ、頻繁に神は人々に語られました。これらの地域では、より多くの助けを必要とします。必然的に人々は神に求め、神もそれに応答されたのです。

もう一方の「蜜の流れる地」は、花咲く木々が生育できる湿潤気候の西と北の地方、肥沃な海岸平野とガリラヤ地方にあたるとしています。これらの地域には、多くの人々が居住して町々が開け、生活も予測可能で、騒々しく忙しく、そして楽です。この地では神の声を聞き逃しやすく、またあまりにも充足しているため、神に求めることが少なくなります。

国土の右側の乾燥地帯に住む人々が雨や収穫の心配をする傍ら、左側では貯水池いっぱいの水と豊かな泉で50倍、75倍、100倍の収穫をしていたのです。豊かに満たされていることは神に感謝すべきことですが、有り余ることが日々神に依り頼む歩みから人々をそらせ、注意が自己の関心事に集中していくなら、繁栄も偶像となってしまいます。

砂漠の流れ

イスラエルの雨は豪雨となり得ます。しばしば激しい風を伴って降る冬の雨の激しさに、外国から訪れる人々は驚かされます。エルサレムでは、冬の雨は横なぐりに降るので、傘はほとんど役立ちません。

砂漠では、アラビア語で「ワディ」、ヘブル語で「ナハル」と呼ばれる乾いた河床が、勢いよく谷に流れ下る大量の水で突如としてあふれることがあります。冬にユダヤの荒野へハイキングに行くことは非常に危険です。雨が全然降っていなくても、突如として現れるこれら激流の一つに捕まる恐れがあるからです。シェケムとヘブロンの間あたりの尾根で降った雨が、ヨルダン渓谷へ東に流れていく途中で油断したハイカーを捕まえることがあるのです。

死海に沿ってドライブをし、岸に沿って横切る崖から流れ落ちる落差308メートルの巨大な滝を見ると本当に驚きます。あまりの勢いに道が数分で洗い流され、数時間で水没してします。

ランス・ランバートはその著書『イスラエルのユニークさ』で、雨が非常に局地的に降るため、一つのワディが奔流であふれても、数マイル離れたほかのワディは乾いたままということもあると書いています。

荒野の地面は乾ききっているため雨を吸収しません。そのため大量の水がどっと流れ下る原因となります。砂漠に降る雨のたった3%しか地表に吸収されず、残りは海に流れるか、あっという間に蒸発してしまうと推測されています。

エルサレムで雨が降るときは、その半分は東へユダヤ荒野を通って死海に流れ込み、もう半分は地中海に向かって谷を西へ流れ下ります。

信仰の試み

神は雨とその欠乏を、イスラエルの民の行いに対する祝福や怒りを表す道具として用いられました。

申命記11章で、神は次のように語っておられます。「もし、私が、きょう、あなたがたに命じる命令に、あなたがたがよく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くして仕えるなら、わたしは季節にしたがって、あなたがたの地に雨、先の雨と後の雨を与えよう。あなたは、あなたの穀物と新しいぶどう酒と油を集めよう。また、わたしは、あなたの家畜のため野に草を与えよう。あなたは食べて満ち足りよう。気をつけなさい。あなたがたの心が迷い、横道にそれて、ほかの神々に仕え、それを拝むことのないように。主の怒りがあなたがたに向かって燃え上がり、主が天を閉ざされないように。そうなると、雨は降らず、地はその産物を出さず、あなたがたは、主が与えようとしておられるその良い地から、すぐに滅び去ってしまおう。」(申命記11:3-17)

このテーマは、イスラエルへの祝福と呪いに関して有名な28章でも繰り返されています。「もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行なうなら、……主は、その恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。」(申命記28:1a、12a)

しかしまた、次のようにも言っておられます。「もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行なわないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。……主は、あなたの地の雨をほこりとされる。それで砂ほこりが天から降って来て、ついにはあなたは根絶やしにされる。」(28:15、24)

ユダヤ人たちは全歴史を通じ、また今日においても、雨季を迎える時期‐スコット(仮庵)の祭りの間、雨のために特別な祈りをしてきました。この祭りの間に「初めの雨」が降ると、特別な祝福であると認識されます。イスラエルに雨が降らなくなり、干ばつの兆候が地平線の向こうから迫ってくるときは、民の多くが自分たちの行いを振り返り、神に罪の赦しと雨を乞うため熱心に祈り始めます。

イスラエル花と植物

2月から3月のイスラエルは、雨季の雨によって美しい花の楽園と化します。数週間の間、国全体が華やかな色と香り、鳥たちのさえずり、忙しげな虫たちの羽音であふれます。毎年起こるこのよみがえりの奇跡は、見る人すべての心を捉えずにはおきません。緑の丘がポピーやアネモネの赤で染まり、群生する野生ルピナスの青で埋まる様、岩の間に群れ咲くピンクや白のシクラメン、ひっそりと咲くアイリスの美しさやアザミの間からぴょこぴょこと顔を出す小さな蘭の花など、一度見ると忘れることのできない美しさです。これほど短い期間に多種多量な花が気前よく咲くので非常に印象深いのです。それまで夏や秋の茶色く乾ききったイスラエルしか見たことのない巡礼者たちは、春の花園と化した景色を見ると驚嘆します。

私たちのほとんどは、その驚くべき狭さにもかかわらず、他に類を見ない豊かな植物層が育つ国であることを知らないまま、「シャロンのバラ」とか「野の百合」について聖書で読んでいるのです。

ランス・ランバートは、小国イスラエルに3000もの異なった種の植物が生えていることを取り上げています。これはイスラエルの2.5倍の国土を持つ英国諸島全体で1800種、また中東最大級の肥沃なナイル・デルタを持ち、イスラエルの10倍の国土を誇るエジプトの1500種と比較しても驚くべき数です。

これら植物の多くにとって、イスラエルはその分布域の極限にあたります。多くの地中海性植物にはその分布域の東限であり、アジアのステップ平原性植物が生える西の限界でもあり、アフリカの植物にとっては北限、ヨーロッパ・シベリア植物には植生域の最南端にあたるのです。これはイスラエルのユニークな特色の一つです。

その一例は、エイラットの北外れに生えている東アフリカ特有のダウム椰子です。イスラエルには三つの木立しか生えていませんが、最も近い種でも1000マイル南へ行かなければ見つけることができません。この椰子がどうやってイスラエルに来たのかは誰もわからないのです。

また、死海を見下ろすエイン・ゲディの絶壁には常に新鮮な水を湧き出す泉があり、そのそばにはデリケートなシダ、アジアンタムを見つけることができますが、たった数ヤードでも泉から離れれば荒野の熱風で跡形もなく枯れてしまうでしょうし、泉が涸れても同様でしょう。北に面して涼しく地中海性の植物で覆われた南壁と、南に面して暑く乾燥してステップ性植物しか育たない北壁と、その谷間の底に両方の種の植物が混合して生えている場所で、東から西へ飛ぶ一羽のワタリガラスを見つけられるでしょう。

イスラエルの砂漠では、植物は数カ月間の短い季節に集中して生き、発芽して花を咲かせ、翌年には十分な種を持つ実をつけます。もし干ばつになれば、成長の過程が再開できる雨が降るまで、何年間、時には何世紀もこれらの種は休眠することができます。木や潅木の中には、水を保持するためにすべての葉を落とし、外見が枯れ木のようになるものもあります。しかし雨が降れば、彼らは勢いよく芽を吹きます。砂漠の植物を喜ばせるのにあまりたくさんの水はいりません。

1980年代に特に雨の多い冬が一度あり、荒野にたくさんの雨が降りましたが、その年には過去に見たことがないほどの花が見られました。その美しさを十分に花開かせるほどの雨が降るのを何年間も待っていた巨大なアイリスや他の花々が、ユダヤ荒野の荒涼としたチョーク質の丘の斜面に咲いたのです。

冬の雨の後に春が来ると、エルサレムの東に広がるユダヤ荒野に敷き詰められたように咲く何百万もの赤いアネモネの絨毯に、私はいつも驚かされます。それらはほんの数日間咲くと、翌年まで姿を消します。神の創造のみ業は真に驚嘆に値します。

心配することの愚かしさを語るとき、イエスはこのイメージを用いました。「なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。」(マタイ6:28-30)

聖地の農業

イスラエルではユダヤ人にもアラブ人にも、家の周りに果実の生る木を植える中東の習慣が見られます。一つの庭に分布域が異なる典型的植物、たとえば暖地を好むオレンジやアボカドと一緒に寒冷地を好むリンゴや桃が植えられ、さらにはテラスの上からブドウ棚が垂れ下がっているという様には驚かされます。

イスラエルには、古来、神の祝福を表すと考えられてきた七つの作物があります。それはナツメ、ザクロ、オリーブ、イチジク、ブドウそして小麦と大麦です。これらの作物のシンボルが古代貨幣や建物を飾る石柱などの彫刻に掘られていたり、安息日のパン覆いなどに刺繍されたり描かれているのを見ることができます。

イスラエルは非常に山が多く起伏に富んでいるため、耕作の多くは段畑で行われます。自然の石灰岩が段状に侵食されているので、段畑を作るのは簡単です。4、5メートル坂を下るごとに石の壁を横に築き、各段が平らになるまで土を入れればできあがりです。段畑にはまずオリーブやアーモンドなどの果樹を植え、その根元に小麦や大麦を植えるのが伝統です。

マタイ書13章1節から23節に書かれた種をまく人のたとえでは、まかれた種はそれぞれ道端、岩地、いばらの中、そして良い地の上に落ちます。道端の種は鳥に食べられ、土の少ない岩地に落ちた種は芽を出してもすぐに枯れてしまい、いばらの間に落ちたものはいばらにふさがれて育たず、良い地に落ちたものだけが、まかれた種の100倍、60倍、30倍の実を結びました。

イエスは種を、人の心にまかれる神のことば、福音にたとえられました。まかれた福音の種のうち、良い地に落ちたものだけが育って実を結びます。他のものは決して根を下ろさず、たとえ芽を出してもすぐに枯れるか、雑草に負けてしまいます。

イスラエルの段畑を注意して見ると、このたとえがいかに人々の日常生活に結びついていたものだったかがわかり、さらに深く理解することができます。

農夫は、段畑の上の畑を支える壁から1メートルほどのところにある道に沿って歩きます。畑は山の斜面に沿って作られているため、丘の頂上側ほど土が浅く、ほとんど床岩が露出しています。ですから、露出した岩の間の浅土ゾーンと道には自然にイラクサやアザミが茂っています。そして道の下側には、種が育って作物が豊かに実る土壌が段のふちまで広がっているのです。ちょうど種をまく人のたとえにあるとおりで、これがイスラエルの段畑ではどこでも見られる光景です。

興味深いことに、段畑で最も広い部分には一番良い土があります。このことは私たちがまいた福音の種のほとんどが立派に育ち、実を結ぶことの保証をしているようではありませんか。

種まきのたとえに出てくる「良い地」(マタイ13:8)は、非乾燥地帯で農業をしている人々から見ると岩だらけでゴツゴツした畑です。作物が育つように石がわざと置かれているからです。

すでに触れましたが、イスラエルでは乾季の間225〜275ミリの露が降ります。夏の暑い太陽が沈むと岩はたちまち冷たくなり、夜間には空気中の水蒸気をたくさん集めて下の地面に落とします。それによって、暑い日差しであっという間に地表の水分が蒸発していくのを防いでいるのです。

今日のイスラエルにおいても、ダビデ王の時代から耕されてきた段畑を見ることができます。大昔から絶えることなくこの地を耕してきた人々によって、畑は維持されてきました。聖書時代からある村々、たとえばエルサレム近くにある洗礼者ヨハネの出生地エイン・ケレム村の段畑では、今でも7種の産物、ブドウ、オリーブ、アーモンド、イチジク、ザクロ、小麦と大麦が育てられています。

イスラエルの動物

乾燥地帯に住んだ経験のない人は、砂漠はカラカラで生命の存在しない地域だと考えます。しかし実際の砂漠はそうではありません。イスラエルでは特にそうです。イスラエルの砂漠・ユダヤ荒野は、アイベックス(山岳地帯の野生山羊)から亀、蛇にトカゲ、そして羊はもちろん、ロバに山羊やラクダなど、動物であふれています。

マタイ書6章の、“心配”に関して書かれた聖書箇所でイエスはこう言っています。「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。」(マタイ6:26)

空の鳥

イスラエルの空はいつも鳥たちでにぎわっています。聖書にはスズメ、鷲、カラス、ハゲタカ、コウノトリ、ツバメが登場します。しかし実際にはもっとずっと多くの種類の鳥がいます。

イスラエルでは450種の鳥を見ることができますが、これは小さな国土にしては非常に大きな数字といえます。英国諸島全体では460種、また広大なヨーロッパ、ロシア地域で800種、イスラエルの461倍の国土であるアメリカ合衆国では725種です。それと比較しても、いかにイスラエルに多くの鳥類がいるかおわかりになるでしょう。

では、どうしてこれほど多くの鳥がイスラエルで見られるのでしょうか。イスラエルの地は人間にだけでなく、鳥たちにも三つの大陸をつなぐ通り道を提供しているのです。北半球と南半球の間を往来する鳥たちにとって、地中海は広すぎて渡りきれません。そこで最南端の南アフリカから、グリーンランド、イギリス、ラプランド、北ロシアなど北の国々まで、渡りのルートはみんなイスラエル上に集まっています。植物の場合と同じように、鳥たちにとってはどの大陸に分布するかによって、イスラエルが生息域の南限あるいは北限となるのです。

1年中で最も興奮する事件の一つは、大きなコウノトリの群れがエルサレム上空を横断することです。何千羽ものコウノトリたちが気流に乗って旋回する様子を、自宅のベランダから何時間も見続けることができます。コウノトリはとても大きな鳥で、その眺めは圧巻としか言いようがありません。イスラエルのアラバとヨルダン渓谷を含む大地溝帯は鳥たちの旅路ルートとして格好の目印となっており、実際、毎年何百万もの異なる鳥たちが入れ代わり立ち代わりイスラエルへ飛来してしばらくの時間を過ごします。この地は真に愛鳥家たちの楽園です。

野の獣たち

イスラエルが大陸間をつなぐ蝶つがいのような場所であることを思い起こせば、過去にこの地に生息していた、また現在生息する動物たちの多様性にもうなずけるでしょう。イスラエルでは、周囲の大陸すべての代表的動物たちを見ることができました。過去にはアフリカ・ライオン、カバ、イボイノシシ、サイ、オオカモシカ、ワニ、チーター、シリア熊などが生息していました。

第2列王記にある、エリシャをからかって呪われた子どもたちの記述を思い出してください。「彼は振り向いて、彼らをにらみ、主の名によって彼らをのろった。すると、森の中から二頭の雌熊が出て来て、彼らのうち、四十二人の子どもをかき裂いた。」(第2列王2:24)

また、羊飼いの少年ダビデが熊や獅子から自分の羊を守ったと書かれています。そしてサウル王に、自分には巨人ゴリアテを倒す自信があることを説明しました。「このしもべは、獅子でも、熊でも打ち殺しました。あの割礼を受けていないペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。生ける神の陣をなぶったのですから。」(第1サムエル17:36)

この地域最後のワニは、1917年にドイツ兵の手で撃ち殺されました。現在、アリゲーター・ワニが再びイスラエルに運び込まれています。ワニたちはゴラン高原の南端、ガリラヤ湖に近いハマット・ガデルの温泉にはびこり、また皮や肉を取るためのワニ牧場でもどんどん繁殖しています。

今日でもイスラエルにはたくさんのエキゾチックな動物たち、ヒョウ、オオヤマネコ、ヤマネコ、アイベックス、カモシカ、野山羊、ハイエナ、ジャッカル、オオカミにキツネ、イノシシ、アナグマ、ヤマアラシ、ジャコウネコなどを見ることができます。イスラエルはシベリア・オオカミの生息域の最南端にも入っており、この地の多様さ、ユニークさを示しています。

聖書には、神と私たちの関係を表現するのに、イスラエルで見られる動物の性格描写が用いられています。たとえば詩篇のこの箇所です。「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。」(詩篇42:1、2)

ここイスラエルに住んでいて、ユダヤ荒野のゴツゴツした岩だらけの崖にいるアイベックスに驚嘆させられなかったことは一度もありません。最近、家族と一緒に、エイン・ゲディの崖で懸垂下降(レジャー登山の一種)を楽しみましたが、海抜308メートルの乾いた岩だらけの崖からぶら下がっているとき、私と同じ景色を分け合っていた1頭のアイベックスに出会いました。

砂漠の焼けつく熱気の中、このアイベックスがエイン・ゲディの泉の甘い水を慕い求めていることは容易に想像できました。目的地までの道のりは容易ではありませんが、行くだけの価値はあります。私たちも、ただ神の臨在に入っていくことだけを切望すべきでしょう。

シナイ半島東岸に沿った紅海の延長上にあるエイラット湾には、世界の3本指に数えられる豊かな珊瑚礁があります。シュノーケルと水中眼鏡をつけて潜れば、珊瑚に限らず、魚と海草が織り成す美しいシンフォニーが自分だけの視界に大迫力で広がってきます。そのあまりの美しさに、その光景を誰かに語らずにはいられません。巨大な花崗岩の山が青い海に落ち込んでいるエイラット周辺は、世界屈指のリゾート地の一つです。

1世紀以上前にスエズ運河が開かれて以来、紅海の熱帯性海洋生物が地中海へと目を見張るほど進出しており、事実200種以上の持ち込みが確認されています。これまでに地中海東域に進出した紅海種の魚だけでも30種以上が数えられ、このことがイスラエルとエジプト沿岸で釣りを楽しむことへの宣伝効果を増し加えています。

全地をつなぐかなめとしてこの地を造られた神の摂理は、空と陸だけでなく、今や海にまで及ぼうとしているのです。将来この地域に関する専門家たちは、20%ものインド洋性海洋生物が混じったこの地中海東域を、正当な地中海とは別個の準域として見なければならなくなるかもしれません。

全地の栄光

主がイスラエルの地を「全地の栄光」(エゼキエル20:6)と表現された箇所について、ここで使われている「栄光」にあたるヘブル語が一般的に使われる語ではなく、「栄光」の他に「美」や「名誉」も意味することばであることをランス・ランバートは挙げています。また、この語は「カモシカ(ガゼル)」を言い表すことばでもあります。これはイスラエルの地がまことにユニークな、カモシカの美と栄光を持つ地であることを適切に表現しています。イスラエルは「全地の栄光」、そして私たちがこの国を理解しようと努め、探検すればするほど、いかに聖書のみことばが正確であるかを発見することができる場所です。

エルサレムからシャローム

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