ティーチングレター

聖書の地 Part-1

BFP編集部 2000年5月

イスラエルの地を知る

初めてイスラエルに来たとき、私にとって最も印象深かったことは聖書的歴史・地理のコースを受講したことです。聖書の地そのものが、豊かに語りかけることばを持っていました。

聖書が書かれた時代の生活習慣やことばを知ることが、聖書の真理をいかに豊かに伝えることになるか、このイスラエル・ティーチング・レターをとおして何年も私は証してきました。また、地勢やこの地の持つ特性、各地点の距離関係、気候なども我々の聖書理解の向上に大いに役立ちます。

たとえばヨシュア記8章には、イスラエル人たちが神の勝利の約束をいただいてアイという町を攻める話が書かれています。「そこで、ヨシュアは戦う民全部と、アイに上って行く準備をした。ヨシュアは勇士たち三万人を選び、彼らを夜のうちに派遣した。」(8:3)

カラスが飛ぶように直線距離で見るなら、ヨルダン渓谷の町エリコと中央山地上のアイとの距離はそれほど離れていません。約1230mほどの上り坂です。しかし実際には道が悪く、石がゴロゴロした岩地や切り立った小渓谷を登らなければなりません。昼間歩くだけでも十分難しい道です。3万の兵士を連れ、夜の暗闇に紛れての行軍は神の助けなしには不可能に近い業でした。

このように他の多くの聖書箇所についてもそうですが、この地でイスラエルの民が経験した危険や祝福、神の奇跡の重大性は、実際にイスラエルの地を知ることによってより深く理解することができるのです。また、聖書の地イスラエルに関する数多くの興味深い真実を知っていれば、イスラエルの出来事について書かれた聖書の記述を読むとき、素晴らしい資料とすることができます。

位置関係と大きさ

聖書の地は数多くの名で呼ばれています。カナン、乳と蜜の流れる地、約束の地、イスラエル、ユダ、イドメア、そしてパレスチナです。また聖書には、イスラエルの12部族それぞれの相続地として神から割り当てられた場所や地形を表す名など多くの地名も出てきます。たとえば、ユダヤ、サマリヤ、ガリラヤ、シェフェラー(海岸平野)、アラバ、ネゲブなどです。現代イスラエル国家はこれらの地域の多くを所有していますが、これは以前に神から約束された大きな土地の一部分にしか過ぎません。

聖書には、他にもこの土地につけられた解説的あるいは詩的な名前が書かれています。ベウラー(イザヤ62:4「夫を持つもの」の意)、聖なる地(ゼカリヤ2:12)、インマヌエルの地(イザヤ8:8)、エシュルン(申命記33:26、イザヤ44:2)、ヘブル人の国(創世記40:15)、ユダヤ人の地(使徒10:39)、麗しい国(ダニエル8:9)、良い山地(申命記3:25)、慕わしい国(ゼカリヤ7:14)、そして主の国(ホセア9:3)などです。

永遠の契約によってアブラハムとその子孫に神が約束された地は、古代イスラエルのどの時代よりも、またソロモンの大帝国時代やもちろん現代イスラエルよりもずっと大きなものでした。「また彼に仰せられた。『わたしは、この地をあなたの所有としてあなたに与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを連れ出した主である。』その日、主はアブラムと契約を結んで仰せられた。『わたしはあなたの子孫に、この地を与える。エジプトの川から、あの大川、ユーフラテス川まで。ケニ人、ケナズ人、カデモニ人、ヘテ人、ペリジ人、レファイム人、エモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人を。』」(創世記15:7、18-21またはヨシュア1:4)

民数記34章1節から12節には、この領土に関するさらに詳細な記述があります。そこには今日のイスラエルはもちろん、ヨルダンとレバノン全土、そしてシリアのかなりの部分が含まれていました。
様々な時代における領土の伸縮にかかわらず、歴史の中で一貫してイスラエル人が居住してきたのは「ダンからベエルシェヴァまで」でした。ダンはヨルダン川の水源であるヘルモン山のふもとのガリラヤ湖北にあり、フラー渓谷の北端に位置するダン部族の地です。ベエルシェヴァは、アブラハムがアビメレクと協定を結んでしばらくの間住んだ(創世記21:22-32)ネゲブ砂漠にある南の町です。そこは南の最も乾燥した砂漠地帯に面する地で、聖書時代、人々の居住に適する地の最果てとされていた場所でした。

これら2地点の間の距離はほんの84kmです。エジプトの肥沃なナイル・デルタやティグリス、ユーフラテスという二つの川に挟まれたメソポタミヤの肥えた平野と比べると、イスラエルの地は小さく貧弱です。聖書時代の大半においても現代においても、イスラエルの大きさは米国ニュージャージー州、日本でいえば四国を少し広くした程度なのです。しかし、この小さな地は世界情勢において注目の的となっている場所であり、その波乱に富む歴史自体が、この国の存在意義と重要性を強く証しています。

乳と蜜の流れる地

聖書の地は、乳と蜜の流れる地としても知られています。出エジプト記3章8節で、神はモーセに言われました。「わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ。」

また、エゼキエルを通して神はこの会話をもう一度取り上げて言われました。「その日、彼らをエジプトの地から連れ出し、わたしが彼らのために探り出した乳と蜜の流れる地、どの地よりも麗しい地に入れることを、彼らに誓った。」(エゼキエル20:6)

乳と蜜の流れる地とは、この地が乳を産する羊や山羊、ラクダなど家畜類を育むことができ、蜜蜂が蜜を求める花々が咲き、甘い果汁に富む果樹が育つ場所だという事実を表しています。また、動物や木々の存在は水があることも表しています。したがって乳と蜜の流れる地という約束は、全体的には多くが乾燥した砂漠であることを暗示しつつも、イスラエルの民に対する神の祝福を保証しているのです。

「全地の栄光」という表現は、神がイスラエルを「主の地」(レビ25:23)、ご自分の地として見ておられる事実と関連づけることができ、よってここは霊的にも肉的にも世界第一の国という響きがあります。先述した「乳と蜜の流れる地」には、より現世的な意味も含まれることが感じられるでしょう。

私自身、四半世紀近くこの地に住んで、周囲を取り囲む大陸とこの国の地形や動植物が非常に関連していることが、容易に理解できるようになりました。北にユーラシア、西にアジア、南にアフリカ、西に地中海を配し、それらすべてがイスラエルの地で交叉し、つながっているのです。イスラエルは、これらの大陸の影響領域間にある蝶つがいのような存在なのです。

甘い水と辛い水の地

一般にイスラエルは山がちの地と表現されます。ここには、深い地球の割れ目が南北に走っています。イスラエルではこれをヨルダン渓谷(死海以北)、アラバ渓谷(死海以南)と呼んでいます。これらの渓谷はトルコの山脈からシリアを通り、次にレバノンのベッカ渓谷、イスラエルのヨルダン、アラバ渓谷を通ってさらに紅海を抜け、アフリカ大陸のタンザニアにまで及ぶ、およそ2400kmもの長さのシリア・アフリカ大地溝帯の一部です。

ヨルダン渓谷はガリラヤ湖の地点で海抜マイナス212m、死海では地球上で最も低い海抜マイナス404mになります。ガリラヤ湖は、岸を挟んだ西側の山々と東側のゴラン高原に降る冬の雨によって満たされる、美しい真水の湖です。湖面の高さは海抜マイナス212m、幅は8km、長さは21kmです。

ここがイスラエルの主要な水供給源であり、ヨルダンとパレスチナ自治地域にも水を供給しています。ガリラヤ湖のヘブル語名は“キネレト”といい、楽器のハープを意味します。湖の形が、昔ダビデ王が弾いたような古代のハープの形に似ているからです。

死海は全長78km、最大幅は18kmあります。水面から底までの深さは310mあり、地球上で最深となる天然の裂け目です。その水は25%が塩分であり、あまりにも塩辛いために生物が生きられない、文字どおりの死海です。

水は透明ですが、含まれる塩化マグネシウムのために苦味と吐き気をもよおす味がし、塩化カルシウムのために滑らかで油のような感触を持っています。

死海の塩分濃度が高いのは、水分蒸発率のためです。周囲一帯から流れ込んでくる何トンもの水が、死海に運び込まれます。砂漠の真ん中にあるため、水分蒸発率は1年あたり約1.5mで、著しく凝縮された塩分が残されます。

死海の塩には何兆ドルもの価値があり、どんな油田にも劣らない評価がされています。この富は、死海南端のセドムで企業によって採掘され、肥料やその他の科学製品の原料として使われます。220億トンの塩化マグネシウム、110億トンの塩化ソディウム、70億トンの塩化カルシウム、20億トンの塩素酸カリウム、そして10億トンの臭化マグネシウムなどがこの塩の中に含まれています。

これが、やがてイスラエルを攻撃してくるというゴグが魅了される富と略奪品の一部なのでしょうか(エゼキエル38:10-13)。エゼキエル書には、預言された日にイスラエルを攻撃するためにゴグが計画を立てていることが書かれています。ちょうど今日のように「城壁のない町々の国」の状態のとき、「安心して住んでいる平和な国……城壁もかんぬきも門もない所に住んでいる。」(11節)ところを攻撃してくるのです。ゴグへの次のような問いかけが書かれています。「あなたは物を分捕るために来たのか。獲物をかすめ奪うために集団を集め、銀や金を運び去り、家畜や財産を取り、大いに略奪をしようとするのか。」(13節)

古代の人々は死海を“塩の海”と呼びました(創世記14:3、申命記3:17、民数記34:3)。ローマ時代には、ラテン名でラクス・アスファルティティス(アスファルト湖)と呼ばれていました。それは湖底から石油を豊富に含んだアスファルトや瀝青の大きな固まりが水面に浮き上がってきたからです。これらは燃料として収穫され、周囲の国々へ輸出されました。

シッディムの谷とも呼ばれた死海の谷は、古代アブラハムの時代から燃料を産するところとして知られ、創世記にも登場しています。「シディムの谷には多くの瀝青の穴が散在していた……」(創世記14:10)

ローマの歴史家フラヴィウス・ヨセフス(紀元37-93)は、死海(ラクス・アスファルティティス)について次のように記しています。「多くの場所から頭のない牡牛のように見える大きさと形の瀝青の固まりをが浮かび上がり、それらが水面を漂っている。そして専属の労働者たちが、それを船から息をそろえてつかみ、船に引き上げる……瀝青は船の修理に用いられるだけでなく、人間のからだの薬としても用いられ、用途にしたがって、多くの薬に混ぜられる。」(ユダヤ戦記第4巻8:4)今日でも死海南端域の地面から石油が染み出し、テキサスのクリスチャン石油調査会社が掘削権を所有しています。

死海が塩辛いのは、流れ込んむ水を受け入れるのみで、砂漠の気候で蒸発する以外に水の出口がないからです。ガリラヤ湖が甘いのは、水が流れ込んでまた出て行くからです。ですからこのようにに言われています。「ガリラヤ湖が甘いのは、受け、そして与えるから。死海が辛いのは受けるだけで決して与えないから。死海には富がたくさん詰まっているかもしれないが、そこには宿る命がない」

貴重な霊的教訓ではありませんか。

世界の交差点

もう一つ、イスラエルで有名なのがハルマゲドンの谷です。ここは黙示録16章16節に、主ご自身と世界の国々との最後の戦いが行われる場所の名前として書かれています。1799年にナポレオンがこの一帯を征服したとき、彼はこの谷を世界に二つとない最高の戦闘アリーナであると評しました。それは、この場所が山々に囲まれ、東西南北に入り口が備わっているからです。

この谷はまた、地形上の名であるエスドラエロン、あるいは谷の南端にある大きな二つの町の名に由来するメギドの谷、またはエズリールの谷としても知られています。また、北のガリラヤ地方と南のサマリヤの山々や、地中海沿いの海岸平野の地方を分ける場所でもあります。
ハルマゲドンの谷は地中海沿岸の町ハイファを指す矢尻のような形をしています。そしてベテシャンの谷はヨルダン渓谷にまで伸びる長い矢の軸の部分に当たります。これらの谷は、旅をするのに容易であったため、中東の主要な交易路となりました。

その一つがローマ人の呼ぶヴィア・マリス、すなわち“海の道”(イザヤ9:1)です。この道は北のヨーロッパ、メソポヤミヤと南のエジプト、アフリカを結んでおり、主要な交易路でした。ダマスカスから南西へ下ってハゾルを通り、さらにガリラヤからメギドの谷に入り、そこから地中海沿岸に沿って海岸平野をエジプトに向かいます。メギドの谷からこの道に沿って南に行けば、エジプトに向かうミディアンの商隊にヨセフが売られた場所、ドタンの谷を通過することができます。

もう一つの南北を結ぶ交易路は“王の道”と呼ばれ、ヨルダン・アラバ地溝帯の西側にある山々の台地を通って南に向かいます。さらにダマスカスからサウジアラビア半島に入り、ヘジャズを通り、ラッバス・アンモン(現代のアンマン)へ伸びていきます。東洋の香辛料などを世界に売るために、地中海沿岸を目指す交易者たちはベテシャンの谷を通ってメギドの谷へ向かう東西の主要交易路を取りました。

旅行や交易の多くを陸路に頼っていた世界では、これら主要な道路の支配がその時代の主権を握る決め手でした。それで野心的な支配者たちは、これらの道を自分の権限下に置こうと考えたのです。ここを手に入れれば、古代世界の主要交易路が集まる場所をコントロールすることができました。そのために、イスラエルの地は数え切れない軍事衝突や歴史的戦いのきっかけとなったわけです。エジプトのファラオ(王)たち、アッシリア王たち、バビロン、ペルシャ、アレクサンダー大王、プトレマイオス王朝、セレウコス王朝、ローマ、ビザンチンの皇帝たち、アラブ人たち、十字軍、マムルーク朝、トルコ人たち、そして第一次大戦ではアレンビー将軍指揮下の英国人たちもそうでした。こういった人々が、防備上不可欠で魅力的存在であるという理由で、この小さなイスラエルの国において争ったのです。

イスラエルの山々

ヨルダン渓谷の西に連なる主要山脈はカルメル山から始まりますが、これらの「丘々」は923m級で、この山脈が南北に走っているため、この山脈から始まる谷の裂け目は東西に伸びています。そのため、南北間を旅するには西の海岸平野か東のヨルダン渓谷を通るか、あるいはこの山脈の尾根伝いに進むしかありません。

これらの山々は、「イスラエルの山々」と聖書に書かれています(エゼキエル6:2-3、33:28、36:8など)。この尾根伝いの道沿いに、聖書に登場する有名な町々であるシェケム、サマリヤ、ティルザ、エルサレム、ベツレヘム、そしてヘブロンなどがあります。数多く聖書の物語の舞台となり、何千年もイスラエル人たちに住み継がれてきたこれらの多くの地(聖書で言うユダヤ、サマリヤ)は、今日、パレスチナ自治区領西岸地域に入ります。

イスラエル最高峰である、ヘルモン山(標高2841m)はゴラン高原の北、イスラエル北東部に位置します。ガリラヤ地方で最も高い山はのメロン山(1219m)です。南にそびえる2308m級のシナイ山脈で一番高いのは、シナイ山やホレブ山と並ぶ、標高2537mのカタリナ山ですが、その名前はモーセがシナイ山で神の律法を受けたことを記念して建てられた、ふもとにある聖カタリナ修道院から来ています。また、ヨルダン川とアラバ渓谷の東には1563m級の山々があります。

死海だけでなく、これらイスラエルの山々からも豊富な鉱物資源が採掘されます。これは聖書にも所々に書かれています。それらは肥料に使われる燐酸塩、ウラニウム、硝砂、陶磁器の原料のカオリン粘土、赤や黄の絵の具の原料になるオーカー、石膏、硫黄(創世記19:24、「そのとき、主はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の主のところから降らせ……」)、瀝青とアスファルト、銅、鉄鉱石(ヨブ28:2、「鉄は土から取られ、銅は石を溶かして取る。」)、マンガン、長石、水晶、めのう、玄武岩、大理石、そして花崗岩などです。エイラット・ストーンは独特の美しい青緑の石で、宝石として用いられます。これらの鉱物のほとんどがネゲブ地方から採られています。

ティムナからは、約3000年前のエジプト人とソロモン王の大規模な銅鉱山が、その精練所跡とともに発見されています。エイラットのすぐ北の山々には、10万トンもの銅鉱石が眠っていることをベルギー人の技師たちが確認しています。約束の地についてモーセは、「その地の石は鉄であり、その山々からは青銅を掘り出すことのできる地」(申命記8:9)であると保証しています。

素晴らしく多様性に富む小さな国

現在のイスラエルも同様ですが、聖書時代の人々が居住していたたいていの地域はいつも同じ範囲内にあり、たったの8000平方マイルくらい(四国より少し大きめ)でしかありません。しかし、そこには信じ難いほど多様な景色が存在します。地中海沿岸の東からすぐに山々が盛り上がり、そこからヨルダン渓谷へ海面下まで落ち窪んでいく地形とそこを吹く西風が、変化に富んだ気候と地勢を作り出しているからです。

しばしば山地と平野、肥えた野原と砂漠などが車で数分の距離で隣り合っています。イスラエルの幅は西の地中海から東の死海までが約50マイルで、車なら1時間半で行ける距離です。

ユダヤの丘陵地帯にあるエルサレムから海岸のテルアビブまでは車で1時間もかかりませんし、北奥のメトゥラから最南端の紅海の町エイラットまでは約9時間のドライブです。

エルサレムが海抜835mなのに対し、死海は海抜マイナス400mで、その間も車で1時間足らずで行けます。事実、私の家があるエルサレム周辺からは西に地中海を、東に死海とモアブの山々を見ることができます。全く小さな国です。

さて、イスラエルの地の性格を決定づける三つの基本的な地理的要素があります。まず地中海性の領域に属すること。三つの大陸と二つの大洋に挟まれていること(インド洋はエイラット湾、また地中海にまで続いています)。そして乾いた砂漠と耕作できる地が分かれる境界線上にあることです。
ランス・ランバートはその著書『イスラエルのユニークさ』で、この国では異なる5種類の分布帯の植物を見ることができると書いています。

  1. ユーロ・シベリヤ植生分布帯(ヨーロッパ、ロシア、シベリヤで見られる植物層の植生域)。
  2. 地中海性植生分布帯(地中海沿岸で見られる植物層の植生域)。
  3. イラン、ウラル、アルタイ植生分布帯(イスラエルからイラン、内モンゴルのゴビ砂漠も含む、中国にまでまたがるアジアの広域のステップ平原で見られる植物層の植生域)。
  4. サハラ・アラビヤ植生分布帯(完全な砂漠地帯で、アフリカのサハラ砂漠、アラビア半島とイラン南部の一部で見られる植物層の植生域)。
  5. スーダン性植生分布帯(熱帯性植物層の植生域で、興味深いことにごく小さなオアシスや飛び地のような分布域がイスラエルで見られる)。

これら五つの異なる植生分布帯と、三つの大陸をつなぐ場所であるという地理的条件が、イスラエルを地球上の広大な地域に属する多種多様な動物たち、シベリヤ、西ヨーロッパ、アジア内陸、北アフリカ、西アフリカなどで自生している植物の出会う地としているのです。

イスラエルの大きさを考えると、この豊富な種と多様性がこれほど小さな国に詰め込まれていることに改めて驚嘆するでしょう。リンゴとオレンジ、あるいはいちごとバナナがどこで育つか考えてください。これらは広い世界の全く異なった地で育つものです。それぞれ寒冷地を好むものや、温暖な気候あるいは熱帯など全く離れた場所で育つものであり、本来同じ場所はもちろん、同じ地方内でも育たないはずです。

確かにイスラエル以外の国にも様々な異なる地形や気候はありますが、これらの変化は普通、広い間隔をおいて徐々に変わるものです。この事実がイスラエルには当てはまりません。ここでは五つの異なった地理的・気候的ゾーンが非常な唐突さで変化するので、文字どおり一つのゾーンから他のゾーンに変わる境界線上に立つことができるのです。その変化がいかに近いものかを説明するために、見事なパウダー・スノーが積もったヘルモン山にスキー・ツアーで行ったときのことをお話しましょう。よく晴れた冬の日、白銀のスキー場でリフトに乗って冷たい高山の風に吹かれながら、2770m下にはバナナが育つヨルダン渓谷と、遊山に出かけた人々が水上スキーを楽しんでいるガリラヤ湖を見下ろすことができたのです。また、地中海の岸辺に沿って北イスラエルのガリラヤ地方全土とレバノン南部をすべて見渡すことができました。

なんと祝福された国でしょうか。小さくても、神はここを真に「全地の栄光」として造られたのです。次回のイスラエル・ティーチング・レターでは、この驚くべき地の気候や動植物について学んでまいりましょう。

エルサレムからシャローム

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