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求道者に配慮した教会 -後編-

TEXT:レベッカ・J・ブリマー(BFP国際会長)

後編では、初代教会の「求道者に配慮」した決断がどのような実を結んだのかを考え、現代のクリスチャンの進む道を共に模索していきましょう。

4世紀のシナゴーグ跡から出土したモザイク Photo by Isranet

全世界を救おうとされた神

もし使徒たちが、ほとんどの会衆が異邦人となり、ユダヤ人が激減してしまった現在の教会を見たなら、ショックを受けたのではないでしょうか。ショックを受けないはずがありません。教会創成期の信徒は、大多数がメシヤであるイエス・キリストに従い、聖書的例祭を守り、安息日(シャバット)を守り、タナハ(創世記からマラキ書)を尊ぶユダヤ人だったからです。ですから聖書的慣習を捨て去ったり、大きく変えてしまった教会を見て、間違いなく不安になったことでしょう。イエスに従う人たちが、安息日を祝わなくなる日が来ることなど、使徒たちは夢にも思わなかったに違いありません。その究極の結果として、異邦人信者が自分たちこそ新しいイスラエルで、神はユダヤ人を捨ててしまったと主張する日が来ることを、いったいどの使徒が想像していたでしょうか。

それでも私たちは、すべてのことを益としてくださる主が、負の遺産さえ益に変えて、全世界に救いの手を差し伸べ、導いてくださったことを感謝します。

パウロと使徒たちの求道者に配慮した戦略は、当初、多くの実を結びました。教会が成長するに伴い、そのメンバーの大多数は異邦人となりました。その結果、初代教会のユダヤ的性質は変わってゆきました。当時の異邦人の文化が、自然に教会の内部に植え付けられ始めたのです。これがどのように起こったか考えてみましょう。

安息日の遵守

安息日を守るというのは十戒の一つです。しかし安息日はモーセの律法以前からあった神の価値観です。天地創造のとき、神は7日目に安息し休まれました。何千年もの間ユダヤ人はこの日を聖なる日として守ってきました。聖書の多くの箇所にイエスが安息日にシナゴーグにいたことが書かれています。始まったばかりの初代教会でも安息日にシナゴーグや家庭で礼拝を行っていました。イエスの復活された日曜日が礼拝の日になったのは、キリスト教がヨーロッパに渡ってしばらく経ってからのことです。

実は、当時のローマ市民にとってイエスが週の初めの日(日曜日)に復活されたのは都合の良いことでした。ローマでは、日曜はすでに太陽礼拝に捧げられた異教の聖日として守られていたからです。ですから異教社会の中で不要な注目を浴びることなく、クリスチャンとしての礼拝を捧げることができたのです。

しかしユダヤ人共同体ではこれをどう受け止めたのでしょうか。マービン・ウィルソンは「ユダヤ教の側では、日曜日を礼拝日にした教会の決定を、『ユダヤ教の中心的支柱の拒絶』、つまり律法への拒絶であるという解釈がなされてきた。教会が日曜日を礼拝日と変更したために、ユダヤ人にとってクリスチャンのメッセージに真摯に耳を傾けることや、疑念なしにクリスチャンとの対話に入っていくことが、事実上非常に困難なものとなってしまった」と説明しています。私は日曜礼拝に対して何の問題も感じません。実際、私は毎日礼拝すべきだと信じています。しかし、イスラエルに住むようになって社会全体が仕事を止める安息日を経験してから、神が人に安息日を贈り物として与えたという考え方に魅了されています。神が毎週休む日を定めたというのは、休む習慣がない古代世界で画期的な出来事でした。これは、神の憐れみ深い特質に完全に調和するものです。私がイスラエルの外に旅行に出かけたとき、何よりも恋しく思うのは安息日なのです。

信仰の脱ユダヤ化

こうした変化は、反ユダヤ教に向けての努力と言うよりは、信仰の脱ユダヤ化と説明することができるでしょう。しかし、悲しいことに時代が進むにつれて、単に信仰の脱ユダヤ化だけでは済まなくなりました。マービン・ウィルソンは「2世紀の半ばごろの教会教父たちによる文書からは、異邦人クリスチャンとユダヤ人との間に、相当な対立があったことが読み取れる。……教会の立場は、決定的にシナゴーグと対立するものとなった。クリスチャンの福音伝道に対し、異邦人の国々が一つ、また一つと前向きな反応を示す中、ユダヤ教徒は頑なに父祖たちの信仰から離れようとしなかった。そのため、教会は次第に苛立ちと苦々しい思いを強めていた」と言っています。それに続く数世紀の間にキリスト教とそれを生み出したユダヤ教の間の隔たりは増し、同じ聖書と同じイスラエルの神への信仰を共有しているにもかかわらず、ほとんど似ているところがないまでになってしまいました。

今日多くの信者が自分の信仰のヘブル的ルーツを再発見しています。そして教父たちのしたいくつかの決断に疑問を投げ掛け、ユダヤ人の兄弟たちと対話し、彼らから学ぶ道を求めています。

求道者に配慮する

初代教会の多くの決断は、求道者に配慮して行われたもののように見えます。これは間違っていたのでしょうか。いいえ、最初は間違っていませんでした。実際、使徒の働きを見ていると、神が異邦人世界へ福音を届けようとしておられることは明らかです。今日、何百万人もの異邦人信者が、信仰を世界にもたらした使徒たちに感謝しています。では何が問題だったのでしょうか。人を恐れる配慮が行き過ぎてしまったことではないでしょうか。ユダヤ人が経験した痛みや苦しみの多くは避けることができたはずのものでした。これらの行き過ぎた配慮がなかったら、クリスチャンとユダヤ人の間に生まれた亀裂の大半は大きく軽減することができたでしょう。

イエスは「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません(マタイ5:17-20)」と言っておられます。イエスはユダヤ教の土台の中で、ユダヤ人に語っていました。私はイエスとパウロが矛盾していたとは思いません。パウロは主に異邦人信者に対して書簡を書いています。私たちの当時の文化に対する理解(もしくは不理解)のゆえに、教会はパウロの著述の一部を誤解してきたのかもしれません。

トーラーの写本 www.bibleplaces.com

パメラ・アイゼンバウムはその著書の中で、「簡単に言うとクリスチャンは長い間パウロを誤解してきたのです。さらに悪いことにこの誤解はユダヤ教を劣悪とする考えと結び付きました。そしてそれは多くの場合キリスト教徒による反ユダヤ主義という最悪の事態を引き起こすことになったのです…現代の読者が知っておかなくてはならない最も大切なことは、パウロは自分と親しい関係にあった特定の共同体の信者に向けて手紙を書いていたということです。パウロが語り掛けた聴衆は公同の教会ではなく、特定の教会だったのです」と書いています。パウロの手紙は「往復書簡」と呼ばれています。パウロは自分が生み出した新しい会衆から寄せられた質問や問題に答えていたのです。私たちはその質問の方は持っていません。ただパウロの答えのみを持っているのです。

これからどうすればよいのか?

教会があらゆる文化の中に福音を届けようとするときに、福音を伝えやすくするために求道者に配慮し過ぎて、神のみことばの意味を変えないように注意することは大切です。イエスに従うことはいつも簡単だとは限りません。西洋人は殉教の恐怖を体験していませんが、多くの人々が信仰のために今なお殉教しています。求道者に配慮した考え方をしても良いのは、聖書の真理を水で薄めたり、神がまったく意図されなかったものに神の民がなってしまったりする恐れのない場合に限定する必要があります。

さらに一歩進んで、謙遜と愛をもって自分たちの信仰のルーツを再発見することは大きな祝福となるでしょう。それは決してキリスト教の信仰を否定するものではありません。注意深く祈りながら、習慣(それがたとえどれほど古くからのものであったとしても)と聖書の真理を見分けなくてはなりません。ユダヤの民を通して、イスラエルの地に生み出された御国の真理を追求する時に、聖書の世界を再発見することでしょう。私たちはユダヤ人の兄弟たちと誠実な関係を持つことができるように祈り求めていこうではありませんか。

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