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性急な世界で忍耐強く生きる -後編-

TEXT:シェリル・ハウアー(BFP国際開発ディレクター)

Arek_malang/Shutterstock.com

性急な現代社会において、いかに忍耐強く生きるかを学びます。
後編では、神ご自身の忍耐をテーマにさらに学んでいきましょう。

今日でも忍耐強くなれるのでしょうか?

私が子どものころ、母と一緒に郵便局まで歩いていくのが大好きでした。時々、何マイルも離れたところに住んでいるいとこからの手紙を見付けてはワクワクしたものでした。その手紙が私のもとに着くには何日もかかりました。私が少し大きくなった時、郵便翌日配達サービスを知り、手紙が速く着くことに驚きました。

しかし時代は郵便からファックスに、そしてコンピューターからアイフォンに変わりました。即時に連絡が取れ、即座に情報が伝わる時代になったのです。私たちは研究者たちが言うところのバーチャル・ライフスタイルの中に生きており、最近の調査によるとそのために高額の費用を払っていることが分かっています。さらに依存症や摂食障害に似た多くの健康問題が生まれています。しかしこのような技術の発達における、最大の問題は忍耐の欠如です。

私たちはすべてを即座に欲しがります。今成功したい、今お金が欲しい、今返事が欲しいなど、何事においても、今でなくてはならないのです。そして、自分たちの生きている社会では、今すぐに何かを得る権利と力があると信じ込んでいるのです。しかしそのようなことは、全くではないにせよ、滅多に起こらないことなのです。

ソロモン王は、物事の最後はどんな時も初めの想定よりも有益なので、待つ価値があると教えています。そして主ご自身もトーラー(創世記〜申命記)の中で忍耐される神として説明されています。ラビ(ユダヤ教の教師)たちは主がロトとその娘たちをソドムの破滅から守られたのは、数世代後のルツとその孫にあたるダビデのためだと教えてきました。主は限りない忍耐によって、見たところ否定的な状況から良い結果が生まれることを数世代にわたって待ってこられました。これは平凡な人間が要求する即座の満足に真っ向から反対する実例です。

神の信じ難いほどの忍耐が明確に現されるのは、私たちが正しいと知っていることに不従順だったり、そのことを行い損ねたりした時です。そのような時でさえ、神の忍耐は差し伸べられるのです。さもなければ、わずかの間違いも許されず、やり直すチャンスもなく、学んで成長する機会もなく、即座に罰が下っていたことでしょう。神が忍耐してくださるので、私たちは何度も何度も神の赦しと回復を経験することができるのです。

みことばの中の忍耐

忍耐は旧約・新約聖書に繰り返し登場します。私たちを愛してくださる神の忍耐を表すみことばを少し見てみましょう。

「主は彼の前を通り過ぎるとき、宣言された。『主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み」(出エジプト34:6)

「主は怒るのにおそく、恵み豊かである。」(民数記14:18)

「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(Ⅱペテロ3:9)

「しかし主よ。あなたは、あわれみ深く、情け深い神。怒るのにおそく、恵みとまことに富んでおられます。」(詩篇86:15)

これは聖句の中に何度も出てくる神のあわれみと忍耐、平安と親切、優しさ、喜び、慈しみのわずかな実例にすぎません。前編で学んだガラテヤ書5章22〜23節に出てくる忍耐(※新改訳では寛容)を含む9つの御霊の特質は、神ご自身の性質そのものです。これは神が実際どのようなお方であるのか手短に示すものなのです。神は愛であり、平安であり、喜びであり、忍耐なのです。

忍耐強い神は私たちを待っておられます。神はのんびりしておられるのではありません。神は私たちに忍耐しておられるのです。神が裁きを差し止められる時、神は私たちに忍耐し、痛みを覚えておられるのです。私たちが神の担っておられる重荷なのです。神の驚くほど贅沢で忠実な契約に基づく愛はヘブライ語で「ヘセド」と呼ばれますが、その「ヘセド」のために神は引き続き忍耐してくださるのです。

イスラエルに対する忍耐

神はただ私たち個人や全人類に対して忍耐強いだけではありません。神の忍耐は、神とイスラエル国家の関係に数多く見られます。創世記以降、神はご自分の預言者たちを通してイスラエルに、神がイスラエルに与えた契約を繰り返し語られてきました。今日神は三千年にわたるご自分の民との忍耐強い愛の関係の末、この契約を成就しようとしておられます。三千年は長い時間です。しかし、ユダヤの賢人たちは長い年月をどのように耐えるか、次のような例え話を通してヒントを与えています。

昔、ある国の王が美しい高貴な女性と贅沢な結婚式を挙げました。列席者は王の花嫁に対する愛を目の当たりにしました。ケトゥバー(結婚の契約)さえも並外れていました。長い契約書には、花嫁に対する約束が繰り返し出てきました。多くの土地と良馬、多くの家、奴隷、畑、作物、ブドウ園が約束されていました。そして、それぞれについて詳細に、どのようなものであり、どれほど素晴らしいものかを語っていました。

結婚後間も無く、王は争いの調停のため遠くの地に赴きました。あいにく、状況を安定させるためには長い年月を要しました。その間王妃は王の帰りを待っていました。

ユダヤ教の結婚契約書、ケトゥバー

周りの国々の代表者たちは、王妃に王に対する疑問を投げ掛け始めました。「王はあなたを捨てた!もう二度と帰ってこないでしょう。王があなたの元に帰って来ないのは、もはやあなたを愛していないからだという事実をいつまで直視しないのですか?」彼らは繰り返し、王が二度と帰って来ないことを信じさせようとしました。しかし、そのたびに王妃はケトゥバーを読み、慰めを受けました。王妃は王から約束されたものをすべて受けていたわけではありませんでしたが、ケトゥバーの契約の言葉は情熱的な愛の言葉で一杯だったので、それを読むと王妃は王が帰ってくるという確信で満たされるのでした。

そしてある日、王が本当に帰ってきました。王は王妃を抱きしめ「愛する妻よ、こんなに長い間忍耐強く忠実に私の帰りを待っていてくれたとは。」と言いました。王妃は答えました、「王様、簡単なことではありませんでした。この年月は、ひどい苦しみで一杯でした。隣国の者は王を侮辱し、待っている私を馬鹿にしました。王は決して私の元に帰ってこないと言ったのです。でも毎日私はあなたの下さったケトゥバーを読み、希望に満たされたのです。私は王がどこかで同じように忍耐強く待っておられ、いつか帰って来られることを知っていたのです。」

賢者はこう続けます。あがないの時が来た時、イスラエルは神の前に立ちます。そして言います、「主よ、もしトーラーがなかったなら、待つことはできなかったことでしょう。簡単なことではありませんでした。この年月は痛みとひどい苦しみで一杯でした。地上の国々はとうの昔に私たちがあなたのものではないと確信していました。彼らは私たちをあざけり、あなたが帰ってくるのを期待するのは馬鹿げていると言いました。しかし、あなたが下さったトーラーはあなたの愛で一杯だったので忍耐して待つことができたのです。」

これはユダヤ人の神に対する気持ちを非常によく表す寓話です。国々はユダヤ人をあざけり、「どれだけ待つと言うのだ?お前を捨てた神のために死ぬと言うのか?神は決してお前の元に帰って来ない!」と言ってきました。しかしユダヤ人たちは変わらず安息日のテーブルに着き、トーラーを学び、シナゴーグでトーラーを朗読し続けてきました。トーラーの中に、彼らに対する神の多くの約束があります。そして神のみことばは情熱的な愛で満ちています。神のみことばを読むとき、彼らは慰められたのです。

敬虔な忍耐はダンスのよう

ギリシャ語においても、「忍耐」という言葉は「苦しみ」に関連しています。神の民は自分を取り巻く状況がどのようなものだったとしても神に委ね、自分たちの代わりに神の御手が動くのを待たなくてはならないのです。それはしぶしぶ、気をもみながら自制するという以上のものです。それは神が私たちを待ってくださったように、明け渡し、信頼して神を待ち望むことなのです。新約聖書の中でイエスはご自分に従ってくる者たちに、「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い(マタイ11:30)」とおっしゃいました。それが重くなるのは私たちが性急になり、私たちと共に荷物を担いでくださると言われたイエスの約束を忘れる時だけなのです。

アメリカ人の牧師にして教師であるT.D.ジェークスは敬虔な忍耐はダンスのようなものだと言いました。リズムに応答して神のタイミングと一致し、神の導きに調子を合わせながら、いつも神のリードに従わなくてはなりません。しかし私が性急に物事を推し進めようとしたり、自己中心に陥って短気になったり、要求をし始めたりする時、神が待ってくださったように待つことができなくなり、ステップを外してしまうのです。そして美しいバレエになるはずだったものが惨たんたるダンスとなってしまうのです。

私は自分の人生が、熟した果物のように、神ご自身のご品格ではちきれるほどに満たされることを願っています。前編で学んだように、ガラテヤ書に登場する9つの御霊の性質の一つについて祈ることは、すべての性質のために祈ることだということを念頭に置きながら、忍耐を求めて祈ります。時に待つことを強いられる状況がやってきたとしても、神の御手に自分の人生の時が握られていることを信じて、明け渡していきたいと願うのです。

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