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性急な世界で忍耐強く生きる -前編-

TEXT:シェリル・ハウアー(BFP国際開発ディレクター)

Fnsy/Shutterstock.com

性急な現代社会において、いかに忍耐強く生きるかを学びます。前半では、特に「御霊の実」を通して「忍耐」を再発見していきましょう。

夫と私はフルタイムの奉仕者としてアメリカで20年近く仕えました。私たちの家は働きのセンターになり、昼夜を問わず人が出入りする拠点となりました。幼児から引退した人まで、シングル・マザーから傷ついた家族まで、助けを求めてやって来たすべての人に主の愛を持って仕えました。20人以上で夕食の食卓を囲むこともよくありました。そのような人たちと生活を共にすることもありました。2歳の息子を連れた若い女性は、11年間私たちと一緒に住み、ついには、なくてはならない存在となりました。私はいつも、足元に子供たち、片手に電話という状態でした。その傍ら、10代の妊婦のカウンセリングをしたり、バイブルスタディを導きながら、スタッフのための訓練と教育用のテキストを書いたりしていました。そのような中にあって、私は周囲の人から、忍耐強いと評されていました。

Liudmila P. Sundikova/Shutterstock.com

しかし最近のことです。主は私がその理想からどれほど離れてしまったか示してくださいました。イスラエルに住んでいると、常に忍耐が求められます。車に乗っている時は特にそうです。先日夫が混雑したエルサレムの道を運転していた時、周りのドライバーに対して次第にイライラが募ってきました。特に強引なドライバーが前に割り込んできた時、私は爆発して、怒りを込めて指を振ってしまいました。その後できまりが悪くなり、私はすぐに悔い改めました。その時主が別の事をも、思い出させてくださいました。

車での移動中、お店の中や順番待ちの列に並ぶ時など、私は自分の存在、自分の目的、自分の時間、自分の願いや計画が自分の周りの人々のものよりも重要であるかのように、イライラを感じていたことに気付いたのです。どういうわけか、自分がすべてのものの中心だと考えるようになっていたのです。私たちは、いとも簡単に自分の周りの人たちに要求を突き付けたり、怒ったり、考えなしに言葉を発したりする権利があると思い込んでしまいます。そしてそのような行動は実際には「ひどい自己中心」なのですが、そう呼ぶことはほとんどありません。

新約聖書には旧約聖書の「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい(レビ19:18)」という訓戒が繰り返されています。イエスは、互いに愛し合うことによって自分の弟子であることが分かる、と言われました。イライラすることは、自分自身のように隣人を愛する愛と正反対です。そして残念なことですが、このイライラという病気は、インフルエンザや悪い風邪のように、非常に感染しやすいのです。

忍耐を自分のものとする

イライラを予防するため、私は、聖書が忍耐について何と言っているか、もう一度真剣に学ぶことを決意しました。学び直すことの中には、ヘブライ的土台を掘り下げることも含まれていました。学びを始めるに当たり、主に導きを祈り求めた時、すぐに二つの考えが浮かびました。

一つは私が信仰を持った当時の出来事です。私の牧師は「忍耐を求めて祈ると、忍耐を要する状況が与えられる」と、よく言っていたものでした。その真意を問うと、そのような祈りをした時、主は私たちを忍耐を必要とする状況の中に入れて忍耐を教えることがあるからということです。

興味深いことにラビたちも同じことを代々語ってきました。神が神の子供たちに与えられる賜物の多くは反作用によるものだということです。癒やしは病いやけがをしている時にしか起こりません。解放は縛られているときにのみ起こります。そして、忍耐についてもこれは当てはまると言うのです。耐え難い環境に直面する時には、確かに忍耐が育まれます。また、彼らは、苛立ちは自分が運命のかじを取っているという間違った考えに起因すると教えています。自分がかじ取りをしているという考え方は神が統治者であられ、私たちの人生のすべての局面を支配しておられるお方であるという事実を否定しています。

もちろん神は私たちに自由意思をお与えになり、神のみことばに従ってそれらを働かせることを求めています。ですからすべてを神に任せて、消極的に生きるべきではありません。そうではなく、自分の「小ささ」と神の大きさを知るとき、物事を大局的に見ることができ、自己中心の考えに陥ることを防いでくれるというのです。

もう一つ思い浮かんだことは新約聖書のガラテヤ人への手紙5章22節、23節でした。「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。」

ざくろの実

この大切な教えについてクリスチャンが語る時、しばしばこの実を、「聖霊の数々の実」ととらえがちです。しかし実際著者が使っている名詞の「実」は単数形です。これはさまざまな実の寄せ集めではないのです。御霊の実は、どちらかと言うと何百もの果肉の粒が集まってできているザクロや、いくつもの袋が集まってできているオレンジのようなもので、集まって一つの実となっているのです。この種や袋の一つ一つはそれ自体でユニークかもしれませんが、他の種や袋と共通する部分がとても多いのです。原語をよく調べると一層深い真理が明らかになります。

愛は御霊の実のリスト中でも特別です。それは神が人間にまずこれをせよと、命じられているものだからです。古代イスラエルの時代からイエスの時代まで、神の民は愛するよう指導されました。主を愛し、互いに愛し合い、自分自身を愛し、敵さえも愛するよう指導されたのです。愛はそれ以外の実をまとめる皮のようなものです。

喜び

喜びを「恵みに気付くこと」と定義している注解書もあります。喜びは「苦難の時に生まれる幸福感」を指しています。

平安

ヘブライ語でもギリシャ語でもこの言葉にはたくさんの意味がありますが、ここでは「混乱に秩序を与える」含みがあります。

忍耐

この言葉については後でさらに深く見ていきますが、ここでは「我慢」と定義することができます。(※日本語訳聖書では忍耐ではなく「寛容」とされている)

親切

現代の解釈と違ってこの言葉のオリジナルは必ずしも「優しい」と言う意味ではありません。むしろ「どれほど困難であっても状況を好転させるために行動すること」を示しています。

善意

この言葉は「状況に左右されずに卓越さと美徳を示す」最も高い道徳的な品格を指しています。

誠実

これは「結果に関係なく、絶対的で完全な献身、100%の信頼性」を意味する言葉です。

柔和

よく気分にむらがないとか、落ち着いたと定義されていますが、ここでは「バランスが取れている」、「静けさをもたらす」、「辛抱強い」と言う意味です。

自制

この言葉には、「制御する」、「征服する」という意味があります。愛から始まったリストの締めくくりにふさわしいことばです。

9つの性質を持つ一つの実

ガラテヤ書の著者は、9つの目に見える性質について書いてくれました。これを個別に見るあまり、他の8つを除外して「柔和」とか「平安」のために祈る人もいるかもしれません。またこれを、出てきた順に求めて一つ一つ積み上げるステップと考える人もいるかもしれません。そのような見方は、個々の人生の局面をそれ以外から独立したものとしてとらえる典型的な西洋の世界観です。ヘブライ的世界観は人生のさまざまな局面を互いに関係し合う一つのものとして見る統合的なものでした。個人、その家族、その共同体、その国家、その神は一つの互いにかかわり合う全体を形作っています。そしてその一部に影響を与えるものはすべてに影響を与えるのです。

このようなヘブライ的世界観を持って聖書を読んでいくと、また違った深みに出会うことができます。御霊の実は9つでありながら独立した性質を持つのではなく、切り離すことができないほどかかわり合い、重なり合って、一つ一つが他のすべての部分をも形作っているのです。そして9つ全部で神が私たちに生きてほしいと願っておられる人生を表しているのです。

ですから、9つの内の一つの性質のために祈ることは、すべてのために祈ることと同じなのです。柔和であることによって誠実であることができ、忍耐によって善意にとどまることができ、善意が喜びの発露となり、平安が混乱に秩序をもたらし、愛がすべての状況を制御する時、自制が現れる姿を見るのです。

ですから最初の問いであった「イライラ」に戻ると、これが爆発する時、注意深く見るなら、単に忍耐が欠けているのではなく、喜び、平安、親切、善意、誠実、柔和、自制、そして何よりも愛が欠けていることを明らかにしているのです。

忍耐の定義

ここで英語辞書の「忍耐」の定義を見てみましょう。他の8つの実の要素が関連し合っていることがよく分かります。

[忍耐]

  1. 不平を言わずに痛みや試練を担う
  2. 挑発やストレスの中で自制する
  3. 性急でもせっかちでもない
  4. 逆境の中でも忠実である
  5. 耐えることができる、もしくは耐えることをいとわない

ヘブライ語で「忍耐」を意味する言葉は、「サバヌート」といい、「我慢する」、「苦しむ」、「耐える」、もしくは「重荷を運ぶ」と言う意味があります。この言葉は、みことばの中ではよく、「重荷を運ぶ」という意味で使われました。その重荷とは、待つことであったり、迫害されること、反対されること、不正な扱いを受けること、他人から尊敬されないこと、期待通りにいかないこと、など多くのことに適用されます。

ヘブライ語であれ英語であれ、「忍耐」には「苦しみを負う力を養う」という含意があることが分かりました。

後編では、現代社会においていかに忍耐強くなれるのか。神ご自身の忍耐をテーマにさらに学んでいきましょう。

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