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聖書的ルーツから見た教会の役割

TEXT:札幌オリーブチャペル牧師 石田吉男

© www.KnelsenKollection.com/ Grace and Rick Knelsen

英語のルーツは「根」とか「地下茎」と訳されます。もしクリスチャンに信仰のルーツが無ければ、根が無い浮草のように漂い、押し流される弱い存在になってしまいます。

私たちの信仰のルーツは、神が人間と結んでくださった「契約」にあります。弱い存在のクリスチャンであっても「神の契約」というルーツにつながっていることで、力強い生き方ができるのです。

聖書の成り立ち

オリーブライフ6月号「楽しい聖書相談室」コーナーで、「聖書を読んでいても、特に旧約聖書の預言などは難解で、心に入ってきません。どうしたらよいのでしょうか?」という質問に、次のように回答しました。

「聖書は次のような順序で書かれています。まず神について、次にイスラエルについて、そして教会について記されています。この順序で聖書を読んでいきますと、神がイスラエルを選び、その関連性の中で教会の真理を明らかにされていることが分かります。最終的には聖書における神のマスタープラン(人類救済計画)が見えてきます。」と。

聖書は「神・イスラエル・教会」の順序で、神ご自身がまとめられ完成されました。近年、ユダヤ的視点で聖書を解釈することが広まっています。「神・イスラエル・教会」の、三つの視点で読みますと、今まで断片的、部分的にしか見えなかった聖書が、次第につながりと広がりを持ち始めます。そして聖書全体のメッセージである神のマスタープラン(人類救済計画)と、その実現のための聖書の本質的な意味が浮き彫りにされてきます。

聖書の本質とは、神のマスタープラン実現のために「イスラエルと教会」の両者の選びと働きがあることです。それは過去の創世記から現在の教会時代へとつながり、今後未来のヨハネ黙示録へと向かう鍵であり、重要なテーマです。

教会のルーツ

この「イスラエルと教会」の両者の関係についてまず、アブラハム契約を見てみましょう。アブラハム契約は神のマスタープラン(人類救済計画)のスタートです。「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」(創15:6)と記され、イスラエル人も異邦人のいずれも信仰によって救われる方法が示されました。全知全能の神である主は、世の基を置く前から人類救済計画のために「イスラエルと教会」を選ばれたのです。まず、旧約聖書ではイスラエルの選びと使命が明確にされ、新約聖書では時が満ちてキリストのからだである教会の奥義が成就し、教会を公にされました。アブラハム契約の実現のために選んだイスラエルの中にこそ、教会のルーツがあるのです。

出エジプト記からさらに「イスラエルと教会」のルーツを検証してみましょう。

「イスラエル人はラメセスから、スコテに向かって旅立った。幼子を除いて、徒歩の壮年の男子は約六十万人。さらに、多くの入り混じって来た外国人と、羊や牛などの非常に多くの家畜も、彼らとともに上った。」(出エジ12:37-38)。エジプトから救出されたイスラエル民族の中に、多くの外国人がいました。イスラエル人と共に異邦人が救われたのです。ここに将来神が実現しようとされる人類救済計画の教会のルーツがあり、この両者がつながっていることが見えてきます。

隠された奥義

この両者の関係が啓示の御霊によって次第に明らかにされ、ついに教会が誕生しました。教会が誕生するということこそ、隠された奥義だったのです。それについてパウロはこう言っています。「みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、この方にあって神があらかじめお立てになったみむねによることであり、時がついに満ちて、実現します。…ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。」(エペソ1:9-10、2:11-13)

「ですから、思い出してください」と、これまでの聖書の歴史における神の摂理を思い出させ、しかし「今ではキリスト・イエスの血によって近い者とされた」と宣言しています。教会はイスラエルにつながってこそ真のキリストのからだとなれるのです。「イスラエルと教会」の両者の関係は自動車の両輪であり、この両者の関係を切り離してはならないこととして訴える強いメッセージが語られています。

初代教会にこの両者の関係に危機がありました。律法を持つユダヤ人クリスチャンと律法を持たない異邦人クリスチャンに分裂の危機があり、使徒たちの大激論の末、聖書のルーツに従って、「イスラエルと教会」の両者が、主に在って一つになることを決定したのです。これこそが最初のエルサレム会議における大きな成果でした。このエルサレム会議は聖書の歴史的な意味を省み、契約的な意味を吟味し、現代的な意味をも含む「イスラエルと教会」の関係を築く重要な決定だったのです。

パウロは、「イスラエルと教会」の関係を「オリーブの木の神学」(ローマ11章)で、栽培種のオリーブに接ぎ木された野生種のオリーブとして紹介しています。パウロはこの両者が相互の高慢のゆえに分裂することを何よりも恐れていました。パウロは異邦人の教会に、「イスラエルは捨てられていない。」(ローマ11:1)「同胞の救いのために祈る。」(ローマ10:1)「救いのためならキリストから引き離されてもかまわない。」(ローマ9:3)。「教会のイスラエルへの働きが、イスラエルにねたみを起こさせ、彼らが完成された時こそ、神の人類救済計画が実現する」(ローマ11:11-15)と訴えているのです。

イスラエルと教会を分断する力

しかし、現実にはこの両輪が引き離されてきました。3世紀以降、教会には異邦人が増加し、律法を守る少数のユダヤ人クリスチャンを糾弾するようになり、強制的に律法を放棄させました。その結果、教会からユダヤ人が離れ「イスラエルと教会」の間に亀裂が入り、完全に分離してしまったのです。

その後「教会は霊的イスラエルである」と主張するようになり、反ユダヤ主義の体質に変わっていきました。イエス・キリストの名によってユダヤ人を迫害してきた1700年間の血塗られた歴史が続き、その後のキリスト教界は、教会自身も分離の道をたどる悲しい結果になってしまいました。もし、このまま「イスラエルと教会」の両者の関係が回復しないなら、神のマスタープランは実現せず、聖書本来の意味も目的も失われかねません。

マルチン・ルター著
『ユダヤ人と彼らの嘘について』
1543版(反ユダヤ的論文)の表紙

神が選ばれたイスラエルと教会はお互いをけん制し合い、敵対関係にまで追い込まれていきました。そこには、神の人類救済計画を破壊しようとするサタンの働きがありました。そのサタンの働きは今も止んでいません。サタンは創世記から現在に至るまで、特にイスラエルと教会を地球上から消し去り、亡き者にしようとしています。また個人をも教会から引き離そうとする挑戦が今も続いていることに、目を覚ます必要があります。

パウロは「イスラエルと教会」の関係が切り離せないだけでなく、新しい関係に発展するべきであることを預言的に記しています。「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。」(エペソ2:14-16)

教会に与えられた課題

「イスラエルと教会」のテーマから、四つの課題が見えてきます。

  1. 教会は今こそ「神・イスラエル・教会」の視点に立つこと。「イスラエルと教会」の関係を聖書のルーツから知り、両者の関係を新しく建て直すこと。
  2. 「イスラエルと教会」を切り離した結果、教会がイスラエルに無関心となり、反ユダヤ主義体質が生まれてしまったことを知り、方向転換を図ること。
  3. 私たちは霊的な祝福をイスラエルから受けたのですから、イスラエルへの物質的な支援を実行すること。その時、イスラエル人の心の傷が癒やされることを知る。
  4. 教会は、「イスラエルと教会」の両者の一致とイスラエルの平和を祈る使命がある。

私たちの教会は1933年(昭和五年)、当時地球上にイスラエルの国が無い時から「イスラエルの平和と回復」を祈ることを神から示され従いました。当時の日本政府は、イスラエルのために祈る教会とクリスチャンを、敵国のスパイとして弾圧しました。

石田千代姉(昭和初期から
イスラエルのために祈っていた筆者の祖母)

教会は解散、牧師は逮捕、牢獄で殉教された方もいました。さらに憲兵による見張りと取り締まりが厳しく、行くところを失った少数のクリスチャンは、初代教会の使徒たちのように「人に従うより、神に従うべき。」と決心しました。隠れて家庭を順繰り回っては礼拝を守り、冬は山へ逃れて、雪でかまくらをつくり「イスラエルの平和と祝福」を大声で求めたのです。祈りの熱気でかまくらの雪が溶けたと言われるほど熱い祈りでした。当時、祈ることは相当な労苦であり、命懸けの戦いでありました。

祈り始めて15年目の1948年、ついに祈りは聞かれ「イスラエル国」が建国した時の喜びは、天にも昇るような喜びでした。1900年ぶりに聖書の約束の地であるシオンの回復、ユダヤ民族の帰還、そしてエルサレム奪還後はメシアニック・ジューが急増し、一時ストップしていた神の人類救済計画の実現が再び動き出し、完成へと進み始めたのです。

先日、東京で行われた前イスラエル大使、ニシム・ベンシトリット氏の感謝会に出席させていただき、「イスラエルと日本の教会」が一致する姿を見て、深い感動のあまり涙が頬を流れ落ちました。迫害と困難の中で「イスラエルの平和と祝福」を祈られた先輩たちのあつい祈りの姿勢がビデオで流されました。今やこの祈りがBFPハイナイトで継続されていることに、誰よりも主が天から目を注がれ、その祈りに耳を傾けておられるのです。

この祈りが日本の諸教会で、そして世界の教会の祈りへと発展しています。昭和初期、先輩方はイスラエルの再建のために祈りました。そのバトンを受け取った私たちは、今度はイスラエルの霊的回復と平和のために祈っています。この祈りこそが、分断してしまった「イスラエルと教会」を一つにするものであり、私たちのルーツとなると確信しています。

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