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絶えず祈りなさい -ユダヤ的背景から学ぶ祈り

TEXT:シェリル・ハウアー(BFP国際開発ディレクター)

先月の「癒やし」に続き、クリスチャンが大切にしている聖書的行為、「祈り」について学んでいきましょう。原語をひもとくことで、パウロがテサロニケの人々に語った言葉の真意を探ります。

原語から学ぶ「祈り」

聖書は祈りの重要性を随所で教えています。第一テサロニケの著者が、「絶えず祈りなさい(5:17)」とクリスチャンを励ましているのも、何ら不思議なことではありません。では、「絶えず祈る」ために、人はどうすればよいのでしょうか。中には、一般社会から離れ、祈りと瞑想(めいそう)に専念する隠遁(いんとん)生活を送ることだと理解する人もいます。また、多くのクリスチャンが「可能な限り祈り、あまり祈れないときには罪責感を持つ」のではないでしょうか。聖書の原語に注目することで、パウロが本来どういう意図でこの言葉を語ったのかを知り、祈りについてさらに理解を深めることができるでしょう。

この、「絶えず祈りなさい」というギリシア語の組み合わせを字義どおりに翻訳すると、「隙間なく」となります。この「隙間なく」という言葉は、古代ローマにおいては、例えば「しつこい咳に苦しめられている人」を表現する時に使われました。咳に苦しむとは、途切れることなく咳込み続けるという意味ではありません。むしろ、しつこい咳に苦しむ人が、咳を常に意識している状態を表しています。つまり、テサロニケの「絶えず祈りなさい」ということばは、一秒も休まず祈り続けなさい、という意味よりむしろ、主の臨在を常に意識している状態を表していたのです。もちろん、主と親しく交わるために、特別に祈りの時間を取ることは非常に重要です。しかし、思わず祈りを込めて発する言葉や、祈り心から出る考え方や心の状態も同じくらい重要なのです。それは私たちが常に主を意識して歩んでいる証しだからです。

ユダヤ人は祈祷書を用いるが、自発的祈りも大切にする

また、パウロはユダヤ人でしたから、ヘブライ語で祈りと翻訳される言葉からも学ぶことができます。祈りを表す一つ目のヘブライ語は、「裁く」を意味する語根から派生した「ティフィラー」です。自分の内面を見て、抱えている必要や願望、動機などを識別することが、祈りにおいて不可欠な要素であることを示します。

二つ目は、「ひざ」を意味する語根から派生した「ベラコット」です。これは、主の前にひざまずくことを指します。多くの人が、ユダヤ教を、祈祷書を読み上げるだけの機械的、律法主義的宗教だと思っています。しかし、必ずしもそうではありません。祈祷書の祈りは、ユダヤ人の信仰生活の一部ですが、自発的な祈りもまた不可欠とされています。ラビたちは、「人は主をほめたたえるための理由を、一日に少なくとも100回以上見出し、心の中でひざを折りなさい。」と教えています。人の一日は、ベッドから出る前の感謝の祈りから始まり、食事の前、新しい服を身にまとう時、何か麗しいものを目にした時、虹を見た時、良いものを受け取った時、悪いものを受け取った時ですら、主をほめたたえる祈りを捧げなさいというのです。単に「祈りなさい」とパウロが言う時、その言外にはこのように複数の意味が込められています。

祈り - 御父との親しい交わり

パウロはユダヤ人として育ちました。一世紀の信仰熱心なユダヤ人として、パウロは聖書が祈りについて何を教えているのかをよく知っていました。おそらく彼は、トーラー(モーセ五書)を暗記していたことでしょう。彼はその実践に熱心に取り組み、幼いころから神殿やシナゴーグ(会堂)、や家庭で、祈りとは何かについて教わってきたことでしょう。パウロの生まれ育った環境では、「いかに祈るべきか」についてではなく、祈る対象が「どのようなお方か」を知ることに重点が置かれました。

ヘブライ語の「アバ」は、古代イスラエルで、子どもが父を呼ぶ時に使った親しみを込めた言葉です。イスラエルでは今でも、子どもが父親を「アバ、アバ」と呼びます。実際、母を呼ぶ「イマ」より頻繁に耳にします。イスラエルのお父さんたちは、子どもたちと深く関わり、公共の場でも大っぴらに愛情を表現する傾向があります。古代イスラエルの父子関係から、私たちは祈りの対象である御父との関係を学ぶことができます。古代イスラエルの子どもたちはアバ(父親)とヘブライ語の勉強を始め、その後も、アバと律法を学び、アバから商売を学びました。アバから、ユダヤの英雄たちの物語を繰り返し聞き、一緒に祈り、シナゴーグへ通い、安息日やユダヤの祭日が来るたびに、アバが家族を導く姿を目にしました。彼らの父子関係は、親密ではあっても、根底に流れるのは尊敬と従順です。英語のダディー(お父さん)には、ヘブライ語のアバに含まれるような、尊敬や威厳が備わっていません。

こうして古代ユダヤ人の子どもたちは、聖書に「アバ(父なる神)」が出てくると、神は信頼の置ける方、自分を愛し、励ましてくれる方、辛抱強く教え、忠実に守ってくれる神だ、と思うのです。何の垣根もなく、喜びにあふれ、笑って近付いていくことのできる神。愛し、仕え、崇拝し、従うことのできる神です。パウロが、異邦人信者に、こうした言外のニュアンスまで分かち合うのは、どんなに大変なことだったでしょう。

絶えず祈りを捧げている人が示す特徴

喜び

絶えず祈っている人の特徴、それは喜びです。絶えず祈るとは、主の臨在を意識し続けることだと学んできました。聖書は、主の臨在の内に私たちが完全な喜びを見いだすと教えています。ホールマン聖書辞書は、喜びを「神を知った結果、与えられる幸福な状態」と定義しています。喜びの概念を表す、数多くのギリシア語やヘブライ語の言葉が聖書中に用いられています。それらの言葉は、人々の誕生から結婚、豊作、軍事的勝利、おいしい食事を食べることに至るまで、さまざまな人間の喜びを表現するのに用いられています。ダビデは詩編で繰り返し喜びを表現していますし、新約の書簡も喜びへの言及で満ちています。

喜びが持つ聖書的意味は、人間的感情の域をはるかに越えています。「幸福」は、周囲の状況に左右されます。もし幸福の原因が取り除かれるなら、幸福な状態も一緒に逃げていきます。ところが、「喜び」は、痛みや苦しみ、苦難の只中にさえも見出される、永続的かつ不変の心の状態を意味します。幸福とは異なり、真の喜びは、たとえ問題がきても取り去られることはありません。喜びは、私たちが天の父なる神との間に持つ正しい関係の結果なのです。

希望

希望という言葉を、現代のクリスチャンはどのように受け取っているでしょうか。希望を述べる時、あなたはそれを実現可能だと確信していますか。それとも、「こうなったらいいなー。でもならないだろうな」と思っていないでしょうか。実は、古代世界における希望の概念は、何かが起こるかも知れないといった、あいまいな感覚を指すものではありませんでした。むしろその正反対で、「確実なもの」と言える意味合いを帯びていたのです。希望を持つということは、その結果に揺るぎない確信を持つことでした。ヘブライ語とギリシア語の両方において、希望は、深い確信と期待、そして絶対的な保証を意味する言葉でした。私たちに対する主の約束や、主の優しい愛と心配り、赦し、主権、永遠のいのちに対して、私たちが抱く希望は、単なる希望的観測ではありません。そうではなく、確実な確信なのです。そしてその揺るぎない保証は、私たちを慰め励ますだけでなく、喜びに満ちた従順の歩みを続ける力を与えます。

例えば、ヘブル書11章1節にあるみことばを挙げてみましょう。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」ここで「保証」と訳されているギリシア語は、「現実性・実在」を意味します。この節自体は、信仰を定義するものではありません。むしろここは、信仰と希望が私たちの人生にどれほど影響をもたらすかが、説明されている箇所なのです。

絶えず祈りましょう

最初の問いに戻ります。パウロはテサロニケ教会の人々に、「絶えず祈りなさい」という一言で、実に多くのことを伝えていました。常に主の臨在を意識する姿勢、自己内省、主をほめたたえること、そして、御父との関係性がどのように愛情と尊敬に富んだすばらしいものであるかを伝えていたのです。この祈りの姿勢を持って生きるなら、心が喜びと希望に満たされます。また自身がいかに神に頼って生きているのかの自覚も生まれ、主が惜しみなく与えてくださっている恵みも意識できるようになります。その結果、人はさらに感謝にあふれ、絶えず祈らずにはいられないようになるのです。このようにして、絶えず祈る人は、喜びと希望にあふれ、ますます祈ることが楽しくなるという良い循環が生まれます。

主は私たちのアバ(お父さん)です。主は私たちをご自分の力強い御手で優しく支えていてくださいます。私たちへの愛を優しくささやきかけ、私たちをご自分の懐に導き入れて、私たちと親しく交わってくださるお父さんです。このお父さんに、絶えず祈ろうではありませんか。

[参考文献]

  • Brand, Chad, Archie England, and Charles W. Draper, eds. Holman Illustrated Bible Dictionary. Holman Reference, 2003, Kindle edition e-book.
  • Hauer, Cheryl. Joseph & Mary, A Model for Today’s Family. Jerusalem: Bridges for Peace International, 2011.
  • Matthews, Victor H. Manners and Customs in the Bible. Massachusetts USA: Hendrickson Publishers, 1991.
  • Vine, W.E, Merill F. Unger, and William White. Vines Expository Dictionary of Biblical Words. Nashville, Tennessee: Thomas Nelson, Inc., Publishers, 1985.
  • Watson, J.D. A Word for Today, Key Words from the New Testament. AMG Publishers, 2012, Kindle edition e-book.

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