ティーチングレター

御霊の実 -後編-

TEXT:レベッカ・J・ブリマー [BFP国際会長]

前編では、ヘレニズムとヘブライズムの違いについて学びました。前半の学びを踏まえて、後半はどのように御霊の実を結んでいくのか、実践編を学びましょう。

神の良き実

パウロは、肉の実のリストを書いたすぐ後で、御霊の実のリストを挙げて、それらを対比しています。そこでまずは、実について考えてみましょう。私の庭には何本かの果樹が植わっていて、私たち夫婦はそのおいしい実を楽しんでいます。しかし残念なことに、そこには悪い実をつける一本の木がありました。私たちはその木が良い実をつけることを期待し続けましたが、結局駄目であると知って、木を切り倒しました。実というものは木の内側から生み出されます。木が悪い実を結ぶとき、その木に何か異常があることが分かります。

イエス・キリストは、私たちが羊(信者)と、羊のふりをしてやってくる貪欲な狼たちとの違いを見分けることができると言っています。「にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。…中略…あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。」(マタイ7:15-17、20)

パウロは、神の御霊と共に生活している人々、また御霊の導きに自らを従順に明け渡している人々は、その証拠として御霊の実を結ぶと言っています。実を結ぶ目的は、自分自身のためのみならず、他者を祝福することにあります。

御霊の実は、神が私たちを通して再現することを望まれる、全能の神ご自身のご性質なのです。私たちの存在や生き様が神ご自身を映し出すのです。御霊の実を結ぶことは、受動的なことではありません。それは、実が結ばれる過程に影響する一つ一つの選択を、能動的に行うということです。

多くの人々が、実際にはただ一つの実、すなわち愛だけが存在するのであって、他のすべての実は、この愛から流れ出ると言っています。

第Ⅰヨハネ4章8節には、「愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」とあります。「最も重要な教えは」と聞かれて、イエスは「『…心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』…『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」と回答されました(マルコ12:30︱31)。パウロも、同じように、「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」と言っています(Ⅰコリント13:13)

ユダヤの賢人、ラダクは次のように言っています。「愛とは、人があらゆる努力を払って、この物質的な世界で、神に近付こうとすることです。まず神へのおそれが与えられます。人は、神をおそれつつ生きることが、すっかり習慣となるとき初めて、愛を持って仕えるレベルに達することができるのです。」

喜び

パウロは次の聖句に非常によく親しんでいました。「正しい者たち。主にあって、喜び、楽しめ。すべて心の直ぐな人たちよ。喜びの声をあげよ。」(詩篇32:11)「あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。」(詩篇16:11)あるユダヤ教の資料には、喜びが満ちた状態とは、すなわち限界の無い喜びの状態であると書かれています。

パウロとシラスが鞭打たれ、投獄された状態で賛美していたとき、彼らは次のみことばを思い出したに違いありません。※「悲しんではならない。あなたがたの力を主が喜ばれるからだ。」(ネへミヤ8:10)喜びは幸福感とは異なります。幸福感は状況に左右されるものです。神の御霊の実である喜びは、たとえ困難な試練の真っただ中であったとしても消えることのない、説明のしようのないものなのです。

※訳注
ネヘミヤ8章10節、英原文(New KingJames Version)では "for the joy of theLord is your strength."「主が喜んでくださる喜びが、私たちの力だから」となる。

平安

「シャローム」(平安/平和)は、世界中で知られているヘブライ語の言葉です。その語根は、「欠けのなさ」や「完全さ」を意味する言葉です。他の御霊の実と同様に、平和も私たちの生活の中で行動として表されるべきものです。「悪を離れ、善を行え。平和を求め、それを追い求めよ。」(詩篇34:14)皆様はどのように平和を追い求めますか。

「あなたのみおしえ(律法)を愛する者には豊かな平和があり、つまずきがありません。」(詩篇119:165)ユダヤの賢人、ラダクはまたこう言っています。「律法(トーラー)を愛する人は、滑らかでまっすぐな人生を歩むがゆえに、つまずいたりよろめいたりすることがありません。彼らは、この世で、天から与えられた自分の分に満足しているがゆえに、満ち足りて生活するのです。…これらの人々は、あらゆる祝福の中で最も喜びに満ちた、『心の平和・平安』を味わいます。」

忍耐(寛容)

忍耐を意味するヘブライ語は「苦しむ」という意味の動詞から出ています。ヤコブは「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」と言っています(ヤコブ1:2-4)

ジョイス・マイヤーはこう言っています。「忍耐は、試練の下でのみ磨かれると聞きました。実際これ以外の方法で、忍耐は育てられ得ないのです。…どうか、自分自身に対し、そしてあなたの霊的成長に対して、忍耐強くあってください。たとえ神が、あなたの望み通りのときに訪れてくださらなくとも、忍耐してください。そして人々に対し、また状況に対し、忍耐強くありましょう。ヤコブ書には、忍耐を完全に働かせるなら、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となると書かれています。」

親切

ヘブライ語ではへセドといい、「哀れみ」とも訳されます。「人の望むものは、人の変わらぬ愛(へセド)である。」(箴言19:22)「怒りがあふれて、ほんのしばらく、わたしの顔をあなたから隠したが、永遠に変わらぬ愛(へセド)をもって、あなたをあわれむ」(イザヤ54:8)

www.jewfaq.org というサイトのユダヤ教入門コーナーには次のように書かれていました。「ユダヤ教の律法の大部分は、人々を親切に優しく取り扱うことについての教えです。実際、親切を行う教えは、ユダヤ教律法の多くを占めています。」

善意(いつくしみ)

聖書には、神のいつくしみ深さがを何度も繰り返し表現されています。「あなたのいつくしみは、なんと大きいことでしょう。あなたはそれを、あなたを恐れる者のためにたくわえ…られました。」(詩篇31:19)別の翻訳では「あなたのいつくしみは、なんとおびただしく、有り余るほどに豊かでしょう」と書かれています。

詩篇68篇10節は、貧しい人々に対する神のいつくしみを強調しています。心に御霊が働いているとき、私たちは周囲の人々に神のいつくしみや哀れみを自ら示すのです。BFP(ブリッジス・フォー・ピース)は、毎日、貧しい人々や新移民、寡婦や孤児たち、そして人生の困難な局面にいる人々に神のいつくしみを実践しています。聖書には、神のいつくしみが、人々を引き寄せ、悔い改めに導く、と書かれています(ローマ2:4)

誠実

信仰と忠実さに関するヘブライ語の概念は、エムナという語根から出ています。ヘブライ思想では、信仰がある人とは、忠実な生き様を示す人です。約束を守る誠実さや、しっかりと安定していることで実証されます。神がその完璧な例となってくださっています。約束を守られる御性格は、神がいにしえの時代に、イスラエルの民にされた諸々(もろもろ)の預言が今も成就していることからも明らかです。

イエスが「その実によって、その人がどんな人物であるかが見分けられるのです。」と言われたことを思い出しましょう。あるユダヤ人が、私の友人のクリスチャンにこう言いました。「あなたが何を信じているかは、私に話さないでください。私にあなたの生活を、一週間ほど観察させてください。そうすれば、あなたが何を信じているのかが、私に分かるでしょう。」本当に神を信じるなら、それが私たちの行動を変えるのです。そして人生に実が結ばれるようになるでしょう。

柔和(謙遜)

優しさを意味するヘブライ語、アンヴァは、他に、謙虚さや柔和さも表します。謙遜は、神が嫌悪される傲慢の反対の言葉です。神は、「自分には、神の助けがなければ何もできない」と知っている人を、よしとされます。

樹木ににせものの果物を結んでも無駄なように、 いつわりの謙遜さは、誰の目もごまかすことができません。ですから、人々からそう見られたくて謙虚そうに装っている人は、そのうちにぼろを出します。真に柔和で謙遜な人は、一貫して謙虚に仕える姿勢であり続けるのです。

自制

愛と自制は御霊の実の、はじめと終わりを支えるブックエンドのようなもの、と言われています。先月号の前編で学んだギリシア思想とヘブライ思想の対比を思い出してください。人間中心の考え方をする人が自制を示すことはほとんどありません。神が人生と社会の中心であることを理解するのは、ヘブライ的な思考を持つ人です。そういう人は、神の栄光と、より良い共同社会のために役立つ、自制の価値に気付くのです。

ユダヤ人としての背景と、ヘブライ的思考を持つパウロは、御霊が人生に良き実を結べるように助けてくださるという素晴らしい約束を書き残しました。私たちの誰もが皆、「邪悪な思い」と戦っていることを神はご存知です。肉の情欲を拒んで、心の内に働いてくださる御霊を受け入れたいと思います。私たちの人生に御霊の良き実が結ばれるようになることを、主は熱心に望んでくださっています。神と周囲の人々と関係する中で、私たちが結ぶ実は、目に見える形で、その行動や生き様に現されるようになります。どうか、私たちが皆、それぞれの人生において御霊の実を結んでいく者となることができますように。

●参考文献

  • Artscroll Tanach Series, Tehillim/Psalms. New York: Mesorah Publications, 1977.
  • Birnbaum. Encyclopedia of Jewish Concepts. New York: Hebrew Publishing Company, 1993.
  • Eisenbaum, Pamela. Paul Was Not a Christian: The Original Message of a Misunderstood Apostle. HarperCollins e-books, 2009.
  • Hegg, Tim. The Letter Writer - Paul’s Background and Torah Perspective. Littleton, CO: First Fruits of Zion (FFOZ) 2002.
  • Judaism 101. www.jewfaq.org.
  • Lamm, Norman. The Shema-Spirituality and Law in Judaism. Philadelphia, PA: The Jewish Publication Society, 1998.
  • Meyer, Joyce. Secrets to Exceptional Living. New York: Warner Books, 2002.
  • Young, Brad H. Paul the Jewish Theologian, A Pharisee among Christians, Jews and Gentiles. Peabody, MA: Hendrickson Publishers, 1997.

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