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ティーチングレター

神の王国における建築 -前編-

TEXT: レベッカ・J・ブリマー [BFP国際会長]

私たちが人生の設計図を描く上で、あるいは何かの計画を立てる上で、見せ掛けのものにとらわれて、神の思いより、自分の思いを優先してはいないでしょうか?または、現実を直視せず、本当は平安がないのに「平安だ」と言っていないでしょうか。今回のティーチングレターでは、神が望まれる私たちの人生建築とはどのようなものなのか、共に学んでまいりましょう。

神の子どもたちにさまざまな方法で語りかける主

神が私たちにご自身を現わしてくださるとは、なんと素晴らしいことでしょう。聖書を通して、私たちは絶えず霊感や導き、そして神の啓示を受けることができます。聖書には、神がいろいろな方法で人間とコミュニケーションを取られた記事があります。中には、人間の常識では考えられない方法を取られることがありました。ロバの口を通してバラムに話しかけたり(民22:28-30)、手が現れて、神のことばが壁に書かれたこともありました(ダニ5:5-24)。また神は、その時々に応じて、御使いを遣わしたり、夢や幻で語られることもありました。

私の場合、ロバに話しかけられたことも、天使が訪ねてきたこともありません。しかし、通常神は、私たちに聖書を通して語られ、多くの場合、聖霊なる神の小さな内なる声を通して語られます。さらに神は、霊的な意味を持つ夢や、目覚めた時に、その内容を鮮明に覚えている夢を見せられることがあります。このような場合、私はそれが本当に主からのものなのかを吟味するために祈ります。そしてもしそうであれば、それらが何を意味するものなのか尋ね求めます。

最近、私はそのような夢を見ました。もちろん、聖書以外のいかなる啓示も、聖書に記されている神のことばと照らし合わせなければなりません。ですから私は、この夢は脳が活動しすぎたために起こって見たものなのか、あるいは、主からのものなのかを見極めるために、すぐに祈り求めました。多くの黙想と祈りを重ねた後、それが主からのメッセージであったと知るに至りました。この夢を通して、私は深く考え、祈らされました。そしてこの夢を皆様と分かち合うために、みことばから学ぶよう導かれました。

夢の中で、私は壁を建築する熟練したレンガ職人を見ました。彼らはかなり腕の立つ職人らしく、それはそれは美しい壁が作られていました。職人たちが整然とレンガを積み重ね、堂々とした建物が出来上がっていく様子を、しばらくの間私は見ていました。一つ一つのレンガが、きちんと並んでいます。モルタル(砂とセメントと水とを練り混ぜて作る建築材料、目地材)も、均一に塗られていました。私は好奇心から、その壁に近付き触ってみました。するとすぐに壁が揺れ動き、今にも倒れてしまいそうになりました。私はびっくりして裏側へ走り回り、壁を調べました。すると驚いたことに、その壁には基礎がありませんでした。この堂々とした壁は、単にレンガをモルタルでつなぎ合わせただけの不安定な壁だったのです。建築基準にのっとって建設されていないことは明らかでした。これではいかなる安全検査にも合格しません。たとえレンガ工事が美しく仕上がっていたとしても、それがよくない工事だったことは明白でした。そこで私は目覚めました。

私はすぐに、この夢の意味について神に尋ね求めました。最初に示されたのは、人間が自分の力や技術、あるいは思い付きで何かを建てるなら、それはむなしいということだということです。詩篇127篇1節はこう言っています。「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。」ちょうどBFPの理事会のときだったので、理事と役員にこの夢を分ち合いました。そして、BFPの各々の計画や働きを吟味するように奨励しました。BFPの大きな恵みの一つは、「心から主に従いたい」と願う働き人が集められていることだと思っています。私たちはすぐに、全員が一致して祈りました。そして、主の計画にのみ従って働きを建て上げていくことで合意しました。

神によらないものはすべて無価値です。しかし、たとえ、土台がキリストであっても主の裁きの日には、「木、草、わら」などで建てた建物(Iコリ3:10-15)は残りません。私たちはそのような結果になる計画のために時間、エネルギー、お金を費やすわけにはいきません。そこでこの夢の啓示をさらに主に求めました。そして建築について聖書がどのように語っているかを調べました。

私たちの考えによる建築

創世記11章には、人間が高慢になって、天に届くバベルの塔を建てようとした記事が書かれています。当時人類は一つの言語しかなく、同じ言葉を使っていました。彼らの動機は、神に従うことでも、主をほめたたえることでもなく、自分たちの偉大さを示すことでした。神は人間をご自身の姿に似せて、考える能力、コミュニケーションを取る能力を持つように創造されました。これは神の栄光を現すために与えられた賜物です。その賜物が間違った動機に使われたことを、神は喜ばれませんでした。それは神中心ではなく、人間中心の動機だったからです。

神は彼らの言葉を混乱させました。それによって彼らの行動を止めるためでした。それからずいぶん後になって、神はイスラエルの預言者が神の思いを語らず、自分たちの考えに従って預言したことに対し、厳しく批判しています。預言者エゼキエルは、その神のことばを次のように記録しています。

「わたしは、むなしい幻を見、まやかしの占いをしている預言者どもに手を下す。彼らはわたしの民の交わりに加えられず、イスラエルの家の籍にも入れられない。イスラエルの地にも入ることができない。このとき、あなたがたは、わたしが神、主であることを知ろう。

実に、彼らは、平安がないのに『平安』と言って、わたしの民を惑わし、壁を建てると、すぐ、それをしっくいで上塗りしてしまう。

しっくいで上塗りする者どもに言え。『それは、すぐはげ落ちる。』大雨が降り注ぎ、わたしが雹を降らせ、激しい風を吹きつける。すると、壁が倒れ落ちる。人々はあなたがたに向かって、『上塗りしたしっくいはどこにあるのか』と言わないだろうか。それゆえ、神である主はこう仰せられる。わたしは、憤って激しい風を吹きつけ、怒って大雨を降り注がせ、憤って雹を降らせて、こわしてしまう。あなたがたがしっくいで上塗りした壁を、わたしが打ちこわし、地に倒してしまうので、その土台までもあばかれてしまう。それが倒れ落ちて、あなたがたがその中で滅びるとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。わたしは、その壁と、それをしっくいで上塗りした者どもへのわたしの憤りを全うして、あなたがたに言う。壁もなくなり、それにしっくいを塗った者どもも、いなくなった。」(エゼ13:9-15)

しつくいで上塗りされた壁
AD79 年地中に埋もれたポンペイから出土 (c)Wikimedia

この箇所で、神が不十分な壁とそれを建築した人々を、同じように裁かれていることに衝撃を受けました。この壁はしっくいで上塗りされていました。しっくいはすぐにはげ落ち、壁は倒れ、破壊と滅亡をもたらすと語られています。タルムード、ミドラッシュ、ラビ的解釈からの解説を含むエゼキエル書のアートスクロール翻訳注解書に、この壁について興味深い洞察を見付けました。10節の「壁を建てること」について、アートスクロールではこう言っています。

「この壁は『間仕切り』という意味で、石を配列し組み合わせて作られた仕切りを表します。石をつなぎ固めるモルタルのようなものは一切使用されていません。ですから、それは非常に弱い壁です。それを薄いしっくいで覆うことは、全く役に立ちません。なぜなら、一見その壁がしっかりしたように見えても、実はもろいものだからです。その壁がついに崩落するとき、それを補修するには遅すぎます。

エルサレムの住民は、自分たちを安全に保護すると思う幻想の壁を突貫工事で作りました。平安がないのに、平安があるという偽預言者らによって、彼らは偽りの考えに惑わされてしまいました。浅薄な希望で表面を取り繕った幻想の壁に覆われて見えなくなってしまったのです。」

21世紀の今、私たちが、同じ種類の妄想の危険に陥っているのではないかという思いが私の心に突き刺さりました。現代に生きる私たちは、今の時代の出来事を誤って解釈する罪を犯してはいないでしょうか。私たちは、自身の願望によって建築されたもろい壁を信頼し、現実を無視してはいないでしょうか。政治家の言葉や、耳触りのよい言葉を語る現代の偽預言者の言葉に信頼を置いていないでしょうか。平安がないのに『平安』だと言っていないでしょうか。

来月号では、建築について聖書がどのように語っているか、神が今日何を建てようとしておられるのか、私たちはどのように自分の人生を建て上げるのか、さらに深く学んでまいりましょう。

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