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マリヤ ~1世紀のユダヤ人女性 -後編-

TEXT:シェリル・ハウアー [BFPインターナショナル・デベロップメントディレクター]

今月は、1世紀のユダヤ人の慣習から見るマリヤとヨセフの結婚について、また、メシアの母となるという、人類史上初の奇跡と特権を体験したマリヤの信仰について、学んでまいりましょう。

花嫁マリヤ

マリヤとヨセフは結婚をしたのか?もしそうなら、それはいつだったのか、という推測が何世紀にもわたって議論されてきました。マリヤの時代、ユダヤ人の結婚には、二つの段階がありました。最初は、エルシン、またはキドゥシンと呼ばれるもので、「婚約期間」です。友人や隣人がその証人として集まり、両家が顔を合わせ、カップルが一つの杯を分ち合って飲み、婚約の儀式が終了します。この瞬間から、二人はユダヤ教の慣習において、夫と妻、結婚した夫婦と同様に見なされます。そして、お互いへの完全な献身と貞節が求められました。この取り決めを破棄するには、離婚と同じ手続きを踏まねばなりません。

次の段階は、ニスインと呼ばれ、一週間にわたって近隣住民と祝う「結婚披露宴」の催しです。結婚の儀式の完了として、花嫁が花婿の部屋(フッパ) に招かれます。二人がここに入ることは、身体的に一つにされるという意味もありますが、この段階で初めて「二人だけで会うこと」が許されるのです。それまでは、カップルが二人だけで会うことを避け、少なくとも一人が付き添うことが婚約期間の原則でした。この第二段階を完了し、カップルは法的にも結婚したとみなされ、資産分配と課税においても、国民としての特権と責任を持つようになるのです。

現代のユダヤ教結婚式もフッパと呼ばれる
4柱の天蓋の下で行われる。

新約聖書のある翻訳では、ベツレヘムに向かうマリヤとヨセフを婚約者と訳しています(ルカ2:5)。しかし、もし彼らが法的に結婚していない、つまり婚約の段階なら、マリヤはヨセフに同行することはできませんでした。また、もし正式に結婚をしていないなら、彼女にはそうする義務がありませんでした。出産間近であれば、なおのこと、故郷に残って母親の助けを借りて出産する方が理にかなっていたのです。

当時のイスラエルでは、一旦婚約が確定すると男性は実家に戻り、結婚式に備え始めます。伝統的には、一年後に式が持たれることになっていました。畑を備え、耕し、作物が植えられ、父の家に妻を受け入れる準備として部屋が作られます。彼が花嫁を迎えるために、万全の配慮と取り組みがなされ、すべてのことに細心の注意が払われました。

この準備期間にマリヤの妊娠の知らせを聞いて、ヨセフを駆り立てていたものが一瞬にして消え去りました。マリヤを全力で迎え入れる準備をしていたヨセフにとって、一体これがどれほどの衝撃だったことでしょう。考えられないような恐ろしいこの状況を、ヨセフはどのように処理し、決断していったのか。主にすがるヨセフから、私たちは彼の心の苦しみを想像することができます。同時に、すべてを台無しにしてしまうこの秘密をヨセフに打ち明けることは、マリヤにとって、どれほど困難なことだったでしょう。婚約が実際の結婚と同じくらい、法的実質を伴っていたので、ヨセフの選択肢はわずかでした。マリヤの命を救い、人類の将来を永遠に変えることになる選択を神ご自身がヨセフに示されました。「…恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。…」(マタイ1:20)

新約聖書がこのことに触れていないので、ヨセフとマリヤの結婚の祝宴がどのようなものであったのか、はっきりと知ることはできません。結婚の祝宴は、地域社会にとって、非常に重要な儀式でした。そのため、招待状は出す必要がありませんでした。むしろ、結婚式に出席することは、村中の誰にとっても絶対に守るべき義務だったのです。

現代にも続く、結婚式の途中で新郎が
グラスを踏み割る習慣

花嫁の輝く美しさに、誰もが祝辞を述べることが求められました。それは花嫁の喜びを増し加えることであり、地域社会における責任を分ち合うことでもありました。タルムードには、結婚披露宴に関する箇所が何十とあり、披露宴の中で踊られるダンスの種類と長さに関することまで、長い考察が書かれています。式の途中でグラスを割る習慣がありますが、実は、これは喜びの態度が行き過ぎないように、冷静な瞬間をもたらすことを意味しています。

もし花嫁が貧しくて、結婚式や祝賀のために必要な衣装を揃えられないときは、地域社会がそれを補い提供しました。マリヤの父親の経済状態がどうであったか分かりません。しかし、1世紀の生き生きとしたユダヤ人社会が、新しい家族を、地域ぐるみで支える責任があったことが当時の結婚披露宴の習慣から知ることができます。

ヨセフは、花嫁を迎える準備に専念し、マリヤは、彼が迎えに来るのを根気よく待っていたことでしょう。彼女の花嫁衣装が用意され、花嫁介添人は準備を整え、夜に到着した場合に備えてランプの手入れをし、彼女の必要に応えました。そしてついに、ヨセフの父親は息子がした仕事を見届け、花嫁をその両親の家から連れて来てもよいとゴーサインを出します。

マリヤと介添人たちは、通りからヨセフと結婚を祝う仲間たちの音を聞きます。マリヤは素早くベールをまとい、花婿に会うために通りへ案内されます。大きな音とお祭り騒ぎで、一行は結婚式が既に始まっているヨセフの家まで進みます。そして、7日間、彼らの喜びを大家族と共有します。夜静かになって初めて、マリヤが天使から受けた受胎告知の素晴らしい御告げについて語り合い、このことが二人のその後の人生にどのような意味を持つのか、驚きつつ語り合ったことでしょう。

女性としてのマリヤ

人としてのマリヤはどうだったでしょうか。聖書は、彼女の個人的な詳細についてほとんど語っていませんが、彼女が受胎告知を受けたのは、非常に若い十代前半の頃だといわれています。人類史上、誰も体験したことのない特権であるイエス・キリストの誕生のために、このような若い少女が選ばれたことに、私たちは驚きと不思議を感じます。彼女はそれを深い謙遜の心で受け入れ、神を礼拝しました。「マリヤは言った。『ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。』こうして御使いは彼女から去って行った。」(ルカ1:38)。このことがなかったとしても、彼女は神が喜ぶことを第一として生きていたので、信仰者としての全き従順の模範といえる人物だったことでしょう。彼女の一番の特質は、神に対する揺るぎない信仰でした。

マリヤは、また非常に勇敢な女性でした。多くの試練や危険に、固い意志を持って立ち向かいました。予期せぬ妊娠によって、彼女は当時の姦通罪に問われ、死に至る可能性もありました。ヨセフや両親に、人間の知恵では到底理解できない事実をどう説明したらよいのかと考えると、マリヤはどれほど恐ろしかったことでしょう。確かに初めは、彼らは信じられず、ひどく失望したに違いありません。ヨセフには真実が明かされましたが、地域の人々が理解したとは書いてありません。彼らの中には、マリヤが不貞をしたと確信していた人もいたことでしょう。この若いカップルは、ゴシップと裁きの目に耐えなければなりませんでした。出産間近に、ナザレからベツレヘムまで5〜6日の旅をすること、また実家や大家族から遠く離れ、子どもを産むことも大きな勇気が必要でした。母親になった直後、政治的危険から国外へ逃亡することになり、このときも大きな信仰と勇気を必要としました。

マリヤが驚異的な強さと従順の人であり、メシアの母となる人に要求されるいかなる苦しみにも忍耐できる女性であったので、神がマリヤを選んだのだと私は思います。彼女は、御子をトーラーの方法で育て、わが子を情熱的に愛しました。神との契約を持つ関係の中で生きる方法を教え、ユダヤ民族の一員として彼を励ましました。そして、「イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。」(ルカ2:52)彼女の重要な役割は続きます。

彼女は新約聖書にあるように、自分の子どもが憎まれ、罵られ、十字架に架けられる姿を見るという、到底理解できない痛みにも耐えたのです。そして、巣立ったばかりの雛ひな鳥のような信者たちを励ましました。そして、神が次に与えてくださる素晴らしい贈り物(聖霊)を体験するために、エルサレムに集まって祈る弟子たちの中にマリヤも加わりました。そのような体験のすべてを通して、彼女は母として受ける大きな喜びを経験しました。神の義と、主の民に対する神の愛について、個人的に確信することによってのみ、神に対するゆるぎない誠実な従順へと移行することができます。それが、この素晴らしい女性、マリヤを支えていた力であったのでしょう。

カナの婚礼で、使用人に出した指示が、彼女の人生を最も要約した言葉でしょう。「母は手伝いの人たちに言った。『あの方が言われることを、何でもしてあげてください。』」(ヨハネ2:5)

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