ティーチングレター

口を慎む -前編-

TEXT:ジム・ソルバーグ(BFPアメリカ局長)

大抵の人が、誰かを傷つけるようなことを言ってしまった、あるいは自分自身がひどいことを言われたという両方の経験をもっています。自分の言葉が人を傷つけていることは意外と意識していませんが、自分が受けた傷に関しては、長い間覚えているものです。

神は私たちの舌をどのように裁かれるのでしょうか。聖書はこのことに関して何と言っているでしょうか。ユダヤ人の教えを復習することから始めましょう。そして、クリスチャンの視点と教えを検証していきます。まずユダヤの教えのように、物語から始めましょう。賢人は、次のような物語を語り継いでいます。

風に舞う羽のように

ウクライナの小さなユダヤ人の村で、一人の若者がラビに対して腹を立てていました。彼は友達の一人に嘘をつき、ラビの悪口を言いました。小さな村だったので、やがてはラビ自身の耳にも届きました。ラビは深く傷つきましたが、どうすることもできませんでした。

2、3週間たって、自分の間違いに気付いた若者は、心から悔い改めて、ラビに謝罪しました。そして、生じた損害を償うためなら、何でもすると申し出ました。そこでラビは、「家に帰り、羽枕を取ってきなさい。風の強い日、村の中心へ行って、その枕を切り裂きなさい。そして、すべての羽が風に飛ばされたなら、今度は、羽を一つ残らず拾い、枕に戻しなさい」と言いました。そんなことは不可能だと若者が言うと、ラビはこう答えました。「飛び散った羽を集めることが不可能であるように、広がってしまった嘘を修正することも不可能だ。私はあなたを赦すこともできるし、また、赦すつもりだ。しかし、失くした信用を取り戻すことはできないだろう」

ヘブライ語で、「ラション ハラ」(「悪口を言う」の意)というフレーズがあり、これは嘘だけでなく悪意ある事実をも含みます。ラビは、悪い事実を分かち合うのは1回に限ると教えています。たとえそれが事実であっても、誰かについての「悪い報告」をするときには、直接影響を受ける人以外には、話すべきではないでしょう。

さらにラビは教えます。あなたが他人の悪口を言うときはいつでも、3人の人が傷つきます。まずは悪口を言われた本人です。次に、それと同じくらい、悪口を言う人自身が傷つくことがあります。その人の考えが汚染され、人々からゴシップを広げる者と思われることでイメージも傷つきます。3人目は、その悪口を聞いた相手です。悪口は、聞いた人の心と他人のイメージを汚染するだけでなく、別の人に分かち合う気にもさせます。覚えていてください。たとえ悪い報告の内容が真実であるとしても、この3者全員が傷つきます。

アブシャロムの反乱

これを裏付ける聖書箇所はどこでしょうか。まずは、第2サムエル記15章から18章、アブシャロムの物語を見てみましょう。アブシャロムの反乱は、父ダビデ王についての悪を微妙にほのめかすことから始まりました。

「アブシャロムはいつも、朝早く、門に通じる道のそばに立っていた。さばきのために王のところに来て訴えようとする者があると、アブシャロムは、そのひとりひとりを呼んで言っていた。『あなたはどこの町の者か。』その人が、『このしもべはイスラエルのこれこれの部族の者です』と答えると、アブシャロムは彼に、『ご覧。あなたの訴えはよいし、正しい。だが、王の側にはあなたのことを聞いてくれる者はいない』と言い、さらにアブシャロムは、『ああ、だれかが私をこの国のさばきつかさに立ててくれたら、訴えや申し立てのある人がみな、私のところに来て、私がその訴えを正しくさばくのだが』と言っていた。人が彼に近づいて、あいさつしようとすると、彼は手を差し伸べて、その人を抱き、口づけをした。アブシャロムは、さばきのために王のところに来るすべてのイスラエル人にこのようにした。こうしてアブシャロムはイスラエル人の心を盗んだ。」(15:2-6)

ここでアブシャロムが言っていることの本質は、ダビデが正義を行っておらず、自分のほうがずっと良い働きをするだろう、ということです。これは真実でしょうか。聖書には、そのようには書かれていません。もちろん、ダビデが民の不満を聞くため、組織的な機関を適所に配備していなかった可能性もあり、アブシャロムがダビデより上手くできた可能性もあります。しかし、明らかなことは、アブシャロムがダビデにとって悪い情報を広めたということです。それは、ダビデを悪く思っていなかった人たちにも伝わり、不満が広がることになったのです。悪口を聞いた人々は痛みを受け、その結果、無用な戦いで2万人が死ぬ結果となりました。

「こうして、民はイスラエルを迎え撃つために戦場へ出て行った。戦いはエフライムの森で行われた。イスラエルの民はそこでダビデの家来たちに打ち負かされ、その日、その場所で多くの打たれた者が出、二万人が倒れた。」(2サムエル18:6-7)

そして、アブシャロム本人も死にました。「ヨアブは、『こうしておまえとぐずぐずしてはおられない』と言って、手に三本の槍を取り、まだ樫の木の真ん中に引っ掛かったまま生きていたアブシャロムの心臓を突き通した。ヨアブの道具持ちの十人の若者たちも、アブシャロムを取り巻いて彼を打ち殺した。」(2サムエル18:14-15)

ダビデも深く傷つきました。「そうこうするうちに、ヨアブに、『今、王は泣いて、アブシャロムのために、喪に服しておられる』という報告がされた。それで、この日の勝利は、すべての民の嘆きとなった。この日、民が、王がその子のために悲しんでいる、ということを聞いたからである。民はその日、まるで戦場から逃げて恥じている民がこっそり帰るように、町にこっそり帰って来た。王は顔をおおい、大声で、『わが子アブシャロム。アブシャロムよ。わが子よ。わが子よ』と叫んでいた。」(2サムエル19:1-4)

モーセに反発するアロンとミリヤム

ラビや賢者らは、民数記12章にあるこの主題を、多くの教えの基礎としています。

「そのとき、ミリヤムはアロンといっしょに、モーセがめとっていたクシュ人の女のことで彼を非難した。モーセがクシュ人の女をめとっていたからである。彼らは言った。『主はただモーセとだけ話されたのでしょうか。私たちとも話されたのではないでしょうか。』主はこれを聞かれた。さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった。そこで、主は突然、モーセとアロンとミリヤムに、『あなたがた三人は会見の天幕へ出よ』と言われたので、彼ら三人は出て行った。主は雲の柱の中にあって降りて来られ、天幕の入口に立って、アロンとミリヤムを呼ばれた。ふたりが出て行くと、仰せられた。『わたしのことばを聞け。もし、あなたがたのひとりが預言者であるなら、主であるわたしは、幻の中でその者にわたしを知らせ、夢の中でその者に語る。しかしわたしのしもべモーセとはそうではない。彼はわたしの全家を通じて忠実な者である。彼とは、わたしの口と口とで語り、明らかに語って、なぞで話すことはしない。彼はまた、主の姿を仰ぎ見ている。なぜ、あなたがたは、わたしのしもべモーセを恐れずに非難するのか。』主の怒りが彼らに向かって燃え上がり、主は去って行かれた。雲が天幕の上から離れると、見よ、ミリヤムはツァラアトになり、雪のようになっていた。アロンがミリヤムのほうを振り向くと、見よ、彼女はツァラアトに冒されていた。」(民数12:1-10)

モーセに対するミリヤムとアロンの不満は、「ラション ハラ」とみなされています。これに対するミリヤムへの罰は、ツァラアト(重い皮膚病)でした。従って、ラビたちは悪口を言うこととツァラアトのような深刻な結果を招くこととの間に関連を見るのです。ツァラアトについての教えがほかにも2か所、レビ記12章1節から13章59節レビ記14章1節から15章33節にあります。ラビは、悪口を言う罪はとても深刻で悲惨な結果を招くとみなしています。

次号後編では、口を慎むことについて、キリスト教的視点を加えて考察してまいりましょう。ユダヤ教とキリスト教の教えの両面から、私たちは口を慎むことについて補足的に学ぶことができるでしょう。

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