ティーチングレター

羊飼いと羊 -前編-

TEXT:レベッカ・J・ブリマー(BFP国際会長)

クリスチャンとユダヤ人の双方に最も愛されている詩篇の箇所は、なんと言っても詩篇23篇でしょう。この中でイエスは「良い羊飼い」としてご自身を紹介されています。今回のティーチング・レターでは、羊飼いという職業から学び得ること、また、みことばに書かれている羊飼いについて、詳しく取り上げてまいりましょう。

羊飼いの責任

聖書ではよく、リーダーを〝羊飼い〟に例えます。羊飼いは羊の安全に責任があり、あらゆる点で羊を守り導く役割を担っていますから、これはリーダーを表すのにぴったりの例えと言えます。また、聖書時代の人々にとっては、意味を視覚的にイメージできる分かりやすい例えでした。みことばの最初の聞き手であった聖書時代の人々は、羊飼いが羊のために無尽蔵の愛を尽くし、世話をすることをすぐに思い浮かべることができました。イスラエルでは、羊飼いはあらゆる点でリーダーの役目を果たしたからです。羊を食物と水のある所に連れていき、野生動物や悪天候、迷い出ることから羊を保護しました。

最近私は夫のトムと散歩しながら、北イスラエルの山腹を歩いていく羊飼いを観察しました。羊たちは黙々と羊飼いの後ろを付いていきます。羊飼いにはそれがちゃんと分かっているようで、牧羊犬がいなくとも、羊が付いてきているかを心配する様子はなく、振り返ることはほとんどありませんでした。彼はどんどん岩の多い急な山を登っていきます。ほとんどの羊の目は羊飼いに向けられ、おとなしく付いていきましたが、その中に様子の違う4匹の羊がいました。彼らは道を外れていきそうでした。迷子になるのではないかと心配する私に、トムは「まあ見ていなさい」と言いました。確かに、しばらくたつとその羊たちは羊飼いのほうに突然頭を向け、走って岩を飛び越え、群れに追い付きました。非常に心引かれる光景でした。

ある地点まで来ると羊飼いは足を止め、群れのほうを向きました。羊たちは立ち止まった羊飼いを見て、黙々と目の前に広がる草を食べ始めたのです。イスラエルの長く乾燥した暑い夏の終わりで、丘には羊たちが食べられるような草があるとは思えませんでした。しかし羊飼いはカラカラに乾いている山肌に、羊が食べることができる草を見付けました。イスラエルでは1年の半分以上雨が降りません。5月から10月まで雨が降ることはめったにないので、牧場は緑ではありません。

イスラエルの羊の群れ

イギリスのウェールズやニュージーランドでは、青々とした草原の牧場風景をたくさん見ることができます。その風景は美しく、とても平和です。そこに立つとき、私はすぐに詩篇23篇を思い出します。しかし、聖書の著者が心に描いた風景はそのようなものではありませんでした。イスラエルの羊は青々とした緑の牧草地で草を食べるのではありません。乾いて茶色になってしまった草を食べるのです。ごつごつとした岩地、不毛の丘の頂を含む地域、作物の成長にはおよそふさわしくない所に羊は連れていかれます。これはウェールズの青々とした緑地とは全く異なる風景です。しかし、現在も聖書の時代も、これがイスラエルにとって日常の風景なのです。

現実に、イスラエルの羊は岩のごつごつした丘の頂におり、1年の半分は緑ではなく茶色の牧草地にいます。にもかかわらず、詩篇23篇で、「主は私を緑の牧場に伏させ」と言っているのには、どのような意味があるのでしょうか。その当時の読み手たちは、それを良い羊飼いからの絶大な祝福の約束であると理解していました。詩篇23篇の羊飼いは羊の必要を満たすだけでなく、私たちの想像をはるかに超える、あふれるほどの祝福を表していました。

エゼキエル書34章1節から10節は、悪い羊飼いについて書かれています。この箇所には、やるべきことをしない、悪い羊飼いについて、彼らがしなかったことのリストが挙げられています。私たちはそこから、良い羊飼いがなすべきことが何であるかを悟ることができます。良い羊飼いは弱い羊を強め、病を癒やし、傷ついた羊を包み、迷い出た羊を連れ戻し、失われた羊を捜し、捕らえられた羊を解放し、散らされた羊を集め、空腹の羊に餌を与えます(4、5節)。良い羊飼いは自分のことよりも先に、羊の幸福を考えます。イエスは言いました。「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」(ヨハネ10:11)

主は私の羊飼い

聖書は繰り返し、主が羊飼いであると言っています。最も有名な詩篇23篇のほかにも、同様の引用箇所がたくさんあります。イスラエルの民がエジプトを出発したとき、彼らは完全に主により頼んでいました。主が動かれると動き、主が留まられるとそこに留まり宿営しました。主は、昼は雲の柱、夜は火の柱で導かれました。「あなたは、ご自分の民を、モーセとアロンの手によって、羊の群れのように導かれました。」(詩77:20)

神は彼らをパロとその軍の攻撃から守られ、毎日の食事として奇跡の食物マナを与え、荒野で水を与えられました。聖書には、神が人々の生活の細部まで面倒を見たと記されています。想像してください。彼らの靴は擦り減らなかったとあります。本当に備えの奇跡です。詩篇の作者はイスラエルの歴史をこのように解説しています。「しかし神は、ご自分の民を、羊の群れのように連れ出し、家畜の群れのように荒野の中を連れて行かれた。」(詩78:52)

ネゲブ砂漠の泉

この状況に自分自身を当てはめて想像してみてください。彼らは、運ぶことができる家財だけを持っていました。宅急便などの輸送手段はありません。彼らはエジプトの家、仕事、生活以外に何も知りませんでした。それらすべてを置いて、羊飼いである主だけに目を留めてエジプトを出てきました。荒野では、最も基本的な、食物、水、住まいの必要すら自分たちで備えることはできませんでした。イスラエルの子どもたちは完全に弱く不安定でした。聖書のこの箇所を読むとき、彼らの葛藤と悩み、また、どのように主により頼んだかを知ることができます。彼らはたびたびモーセに不平を言っています。それでも神は彼らを導き、養い、守られました。

他の箇所でも、羊飼いとして働きを果たし続ける神が表わされています。世界中に散らされたユダヤの人々をイスラエルに連れ戻すという約束については、次のように書かれています。

「見よ。神である主は力をもって来られ、その御腕で統べ治める。…… 主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。」(イザヤ40:10、11)

「『イスラエルを散らした者がこれを集め、牧者が群れを飼うように、これを守る』と。」(エレミヤ31:10b)

「まことに、神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは自分でわたしの羊を捜し出し、これの世話をする。牧者が昼間、散らされていた自分の羊の中にいて、その群れの世話をするように、わたしはわたしの羊を、雲と暗やみの日に散らされたすべての所から救い出して、世話をする。」(エゼキエル34:11、12)

なんとこれらの約束は、私たちが生きるこの時代に実現しているのです!

羊の側の三つの責任

私の知る限り、羊には三つの主要な責任があります。それは、(1)羊飼いを知っていること。(2)彼の声を聞き分けること。(3)彼の後に付いていくことです。

「知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。」(詩100:3)とイエスは言われました。「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。」(ヨハネ10:14)。英語で「know(知る)」は、一般的に「知識」という言葉が最も近い意味を表します。しかし、神を知るという聖書的意味は、ただ単に知識として頭で知るというレベルではありません。神と共に時間を過ごすことによって深められる知識を表しています。神と共有する時間の親密さから生まれる知識です。ヘブライ語で「know(知る)」は「yadah(ヤダ)」です。夫と妻の親密な関係を表すときにもこの語を用います。「人(アダム)は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、……」(創世4:1a)。理論的な知識では十分でありません。私たちは思考ではなく、心で神を知る必要があるのです。

私は、神を愛し聖書が大好きな両親の築いたクリスチャンホームに育ちました。両親は私たち子どもにみことばを染み込ませました。私は小さいころから聖書の基本的知識を学び、初めて聖書を通読したのは8歳の時でした。しかし知識だけでは十分でなく、私は主との個人的な関係を必要としました。そのためには祈りを通し、礼拝を通し、みことばを読み、黙想しながら、本当の意味で主をよく知り、羊飼いなる主と時間を過ごすことが必要でした。

私たちが主と時間を過ごすうちに、主が語られる時が分かるようになります。イエスは、羊は羊飼いの声を聞き分けると言われました。

「しかし、門から入る者は、その羊の牧者です。門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。しかし、ほかの人には決してついて行きません。かえって、その人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。……わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。」(ヨハネ10:25、27)

不毛の丘の頂にいるような、昨今の世界情勢の中にあっても、私たちは良き羊飼いである主に信頼して付いていくことができます。次号後編では、そのための主の備えを得ることについて学んでまいりましょう。

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