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主に会う備え -後編-

レベッカ・J・ブリマー/BFP国際会長

伝統的なアパルーム

前号ではヤコブやモーセが神に会うために、またヨシュアとイスラエルの民が約束の地へ入るために、そしてダビデが契約の箱をエルサレムに運び上るために行ったそれぞれの備えについて学びました。後編ではさらに、過越の祭りへの備えや聖霊降臨への備えについて学びながら、神が私たちにどのような備えを求めておられるのか学んでまいりましょう。

ペサハ(過越の祭り)への備え

出エジプト記12章は、ペサハの準備とそれを祝うための詳細な手順が記されています。「七日間、あなたは種を入れないパンを食べなければならない。七日目は主への祭りである。種を入れないパンを七日間、食べなければならない。あなたのところに種を入れたパンがあってはならない。あなたの領土のどこにおいても、あなたのところにパン種があってはならない。その日、あなたは息子に説明して、『これは、私がエジプトから出て来たとき、主が私にしてくださったことのためなのだ』と言いなさい。これをあなたの手の上のしるしとし、またあなたの額の上の記念としなさい。それは主のおしえがあなたの口にあるためであり、主が力強い御手で、あなたをエジプトから連れ出されたからである。あなたはこのおきてを年々その定められた時に守りなさい。」(出エジ13:6-10)。聖書にはこの祭りを行う正確な日時、すなわちそれがニサンの月の14日(通常4月)であると記されています。

過越の食事、セダー

何千年もの時を経た今も、世界中のユダヤ人はこの命令を忠実に守り、実行し続けています。ペサハを迎える前にイスラエルの人々は家の中、食器棚、車の中、ポケットの中に至るまで完全にパン種を取り除くために、すみずみまで掃除をします。神がモーセに何千年も昔に指示されたことを、多くのイスラエルの人々(世俗的な人々でさえ)が今なお固く守っています。

私たちは聖書の記述から、イエス・キリスト、弟子たち、初代教会がペサハを祝ったことを知っています。事実、最後の晩餐はペサハの食事でした。使徒パウロはコリント人への手紙の読者がペサハを祝っている前提で、パン種に関するその後の指示を与えています。「あなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。ですから、私たちは、古いパン種を用いたり、悪意と不正のパン種を用いたりしないで、パン種の入らない、純粋で真実なパンで、祭りをしようではありませんか。」(1コリ5:6-8)

パウロはここで、私たちが神の命令に従おうとするとき、心を備えなければならないことを強調しています。徹底的にパン種を掃除する、すなわち私たちが一番気を付けなければならない高慢の種を取り除かなければならないことを教えています。

聖霊降臨への備え

イエスが天に昇る前、「聖霊を送る」と言われ、弟子たちに特別な指示を与えられました。その指示とは、エルサレムから離れずに待つようにというものでした。弟子たちはそのおことばに従い、シャブオット(ペンテコステ、五旬節)までエルサレムにとどまっていました。そのとき力を受けたのです。彼らは約束通り聖霊で満たされました。

シャブオットは、1年に3回エルサレムに上るように定められている祭りの一つです。(申16:16)イスラエル中の人がエルサレムに上ってくるため、街の隅々まで人があふれていました。聖書には、その結果何が起こったか、次のように記されています。「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」(使徒2:14)

イスラエル政府公認ガイドでもある私の夫トムは、彼らが座っていた「家」が神殿であったと信じています(ヘブライ語で神殿は「家」または「神の家」としばしば呼ばれます)。ネルソン・スタディ・バイブルには、「その場所は神殿の一部であった可能性がある。5節で言及されている大群衆が、小さな家の屋内や狭い通りに集まっていたとは考え辛い。」と書かれています。この出来事は少数の人にではなく、大勢の人々に目撃されるよう計画されたものでした。イエスの命令に従うことによって、弟子たちは神の計画の一部を担いました。彼らが主のおことばに従うという備えをしたことで、出エジプト記エゼキエル書に書かれている「炎と風の神」を、まさしくその日にエルサレムの人々に表すことになったのです。

神は私たちに何を求めておられるのか

テンプル山の登り口南側にあるミクベ
(清めのための水浴場)

ユダヤ人の賢者マイモニデスは自らを聖化するということに関して、このように言っています。「よこしまな考えや悪い思いなど、霊的な不純から自分の魂を清めようと心の向きを変える人。その人は心で決断し、純粋な知識の水に魂を浸す」(ミクヴァオット11:12)。18世紀のポーランド人ラビであるナオム・エリメレクは、聖化に関する美しい表現を残しています。「義がその人自身を聖化し、シェキナ(神の栄光)が彼の喉から歌う」と。

今回の「備え」についての学びを通して、神は私たちが真の礼拝者となることを求めておられることが分かりました。全能の神としてご自身を明らかにしておられる神は、特定の方法で礼拝するようにと私たちを導いておられます。神は、人間が無視したり棚に飾ったり、あるいは不用意に近付くことができるようなお方ではありません。多神教の神々のお一人ではなく、唯一絶対の神なのです。雲、炎、風、力としてご自身を現される神です。ヨハネの黙示録に神の王座の記述があります。「天に一つの御座があり、その御座に着いている方があり、その方は、碧玉や赤めのうのように見え、その御座の回りには、緑玉のように見える虹があった。また、御座の回りに二十四の座があった。これらの座には、白い衣を着て、金の冠を頭にかぶった二十四人の長老たちがすわっていた。御座からいなずまと声と雷鳴が起こった。……御座の中央と御座の回りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。……彼らは、昼も夜も絶え間なく叫び続けた。『聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、今いまし、後に来られる方。』」(黙示4:2b、5a、6b、8b)

そのような清く偉大なる神に近付くにはどうすればよいのでしょうか。神は、私たちが主イエス・キリストの血によって清められ、神の御元に来るという行動を起こすことを、期待して待っておられます。

ここまで、神との聖なる出会いのために備える姿を見てきました。清さや義を求めることは、主を求める心を準備することに他なりません。罪の世界から、イエス・キリストの血によって自分自身を切り離し、神に従う決意をすることです。神の臨在に入るということは生半可なことではありません。現代社会は慌ただしく、日常の諸問題や心配事が数多くあります。また、多方面からの誘惑があり、それらを振り切って清さを保つことは一瞬一瞬の戦いです。そうした中、古代の人々が偶像を棚に飾ったように、いつの間にか私たちも無意識に同じことをしてはいないでしょうか。私たちは都合のよいときに神に近付き、助けてくださいと叫びます。分かっていながら罪を犯し、神に対して軽率な態度を取ることもあります。人生における恐れ多い最高権威者に相対するようにではなく、自分の都合に合わせて、結果的に神を利用してしまうようなことがないでしょうか。

私たちには、神にいつでもお会いすることができる招待状が与えられています。何という特権でしょう。その招きに預かるために準備をし、ふさわしい態度と振る舞いで神に近付けるよう、神が求めておられる備えをしましょう。まず自分の心を探り、神の完璧なご計画を私たちのうちに成していただけるよう委ねましょう。聖書に書かれている清さや御霊の実を結ぶことができるように。クリスチャンへの批判で最も多いのが、生き方や生活の中に行いが伴っていないということです。私たちは信仰を語りますが、行動が伴わないことがあります。クリスチャンの心からの願いは、真実を知るだけではなく、全能なる真の神を知り、霊も心も体も完全に神に献身することです。そこに向かい、日々神に会う備えをしながら歩んでいきましょう。

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