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主に会う備え -前編-

レベッカ・J・ブリマー/BFP国際会長

イスラエルでは毎週金曜日は準備の日です。日没に始まる安息日に入る備えをする日なのです。実際、金曜日はイエスの時代にも、マタイの福音書27章62節にあるように備えの日と呼ばれていました。神は私たちがふさわしい態度で心を備え、主の前に出ることを望んでおられます。神に会うことに備えて、神がご自分の民に命じられた事柄とその例のいくつかを見ていきましょう。

神に会う備えをしたヤコブ

ヤコブは叔父ラバンの下で20年間働きました。この間に彼はレアとラケルの二人と結婚し、11人の息子(ベニヤミンは後にベツレヘムで生まれる)が与えられました。彼はカナンの地に戻るまでに多くの富を得ました。

到着したとき、神はヤコブに語られました。「神はヤコブに仰せられた。『立ってベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウからのがれていたとき、あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい。』」(創世35・1)

次の節には、このときヤコブが神にどう応答したのかが記されています。ヤコブは神の要求を知り、この重要な面会の用意をするために家族に命じ始めました。「それでヤコブは自分の家族と、自分といっしょにいるすべての者とに言った。『あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、身をきよめ、着物を着替えなさい。そうして私たちは立って、ベテルに上って行こう。私はそこで、私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に祭壇を築こう。』」(創世35・2、3)

これは重要な準備でした。ラバン一族の神々を取り除き、唯一の神に信仰をおくことは、ヤコブ一族にとって大きな文化的転換でした。ヤコブの家全体が一致して唯一の神を礼拝することは、極めて重要なことだったのです。それに続いて起きたことがまた重要です。神がヤコブの名前をイスラエルに変えられたのです。そして神がカナンの地をアブラハムとイサクに与えると交わした契約を今、ヤコブと彼の子孫に再び確約し、継承されたのがここなのです。

シナイ山で神に会う備え

モーセが燃える柴の所で神に出会ったとき、神は即座にこのように言われました。「神は仰せられた。『ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である。』また仰せられた。『わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』モーセは神を仰ぎ見ることを恐れて、顔を隠した。」(出エジ3・5、6)。神は唯一無二の聖なるお方として、恐れを持って近付く必要があることをモーセに示されたのです。

その後、エジプトからイスラエルの民が出発し、3カ月目に神は次のようにモーセに語られました。「主はモーセに仰せられた。『あなたは民のところに行き、きょうとあす、彼らを聖別し、自分たちの着物を洗わせよ。彼らは三日目のために用意をせよ。三日目には、主が民全体の目の前で、シナイ山に降りて来られるからである。あなたは民のために、周囲に境を設けて言え。山に登ったり、その境界に触れたりしないように注意しなさい。』」(出エジ19・10.12 a)。この箇所では、神に近付くために民が厳格になすべき備えが詳しく説明されています。それは聖別、衣服を洗うこと、性的関係を慎むこと、彼らが保つべき 山との距離などです。

シナイ山 cIsraelimages / Mika Schick

そして民は全イスラエルがかつて経験したことのない、神との遭遇の目撃者となりました。それはまさに、ヤコブがカナンの地へ再入国したときと同様でした。多神教文化から家族を連れ出したヤコブと、多くの神々のいるエジプトを出たイスラエルの民は、唯一であり真の神であるお方に出会い、神の力、栄光、聖さを理解する必要があったのです。神は、身のすくむような畏敬の念を起こさせるという方法をとられたので、彼らはこの出来事を決して忘れることができませんでした。シナイでの出来事の後、ふさわしい備えなくして不用意に神を見ることは決してできなくなったのです。

約束の地へ入る備え

モーセの死後、神に任命されヨシュアがリーダーとなります。彼はヨルダン川を越え、人々を約束の地に導くため、モーセのように主に仕えました。神からの指示を仰ぐため、ヨシュアは主との時間を多く過ごしました。そして人々に、約束の地に入るために備えが必要であることを伝えました。「ヨシュアは民に言った。『あなたがたの身をきよめなさい。あす、主が、あなたがたのうちで不思議を行われるから。』」(ヨシュア3・5)。これは、イスラエルの歴史の中でもう一つの重要な瞬間でした。実際に一人ひとりが神と出会う必要があったのです。シナイやエジプトで何が起こったかという話を聞くだけでは不十分でした。彼らは新しい世代だったので、ヨシュアは彼らに神の不思議を体験するために備えるよう指示を与えたのです。

契約の箱に対する備え

イスラエルの歴史の中で一度、契約の箱がペリシテ人に奪われたことがあります(Iサムエル4.6章)。契約の箱は国の宝であっただけでなく、「聖なる箱」で、主の綿密な設計に基づいて純金で造られていました。戦いにおいてはイスラエル軍の先頭を行き、幕屋では至聖所、後には神殿の至聖所に置かれました。神は契約の箱をどのように取り扱い運ぶべきなのか、特別の指示を与えました。それは契約の民にとっては絶大なる祝福でしたが、ペリシテ人にとっては祝福とはなりませんでした。事実、彼らは契約の箱を持っていることで多くの災いに遭遇していることに気付き、それを荷車に乗せ、イスラエルに向けて送り返しました。ベテ・シェメシュの人々はそれを見付けて箱の中を調べました。しかしそれは、明確に禁止されていたことであったため、神は5万70人を打たれました。大きな悲しみがあり、その後20年間、契約の箱はキルヤテ・エアリムにあるアビナダブの家にとどまりました。

イスラエルの民がペリシテ人との戦いに苦戦し続けていたある日、士師サムエルはイスラエルの全家に次のように言いました。「もし、あなたがたが心を尽くして主に帰り、あなたがたの間から外国の神々やアシュタロテを取り除き、心を主に向け、主にのみ仕えるなら、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出されます。」(Ⅰサムエル7・3)。人々はその通りにし、ペリシテ人を制圧したのです。

また、ダビデは王となった後、契約の箱をエルサレムに運び上ることを決断しました。しかし神の方法を探ることをせず、人間の知恵により荷車に乗せ、箱を持ってこようとしました。その箱が滑ったときウザが手を伸ばしたため、ウザは即座に主に打たれて死にました。お祭り気分は一瞬で吹き飛び、ダビデはその日、神を恐れました。

その後ついに契約の箱をエルサレムに運び上るときには、彼は全く違う態度を示しました。「ダビデは祭司ツァドクとエブヤタル、それにレビ人たち、ウリエルとアサヤ、ヨエルとシェマヤ、エリエル、アミナダブを呼び、彼らに言った。『あなたがたはレビ人の家のかしらです。あなたがた自身も、あなたがたの同族の者たちも、身を聖別し、イスラエルの神、主の箱を、私がそのために定めておいた所に運び上りなさい。最初の時には、あなたがたがいなかったため、私たちの神、主が、私たちに怒りを発せられたのです。私たちがこの方を定めのとおりに求めなかったからです。』そこで、祭司たちとレビ人たちは、イスラエルの神、主の箱を運び上るために身を聖別した。」(Ⅰ歴代15・11.14)

ダビデに続くイスラエルの王たちの記述に、善王と悪王の区別が神の命令に従ったか否かで説明されています。ヨタムがイスラエルの王になったとき、彼はまだ25歳でしたが主の目にかなうことをしていました。そして聖書には、「このように、ヨタムは勢力を増し加えた。彼が、彼の神、主の前に、自分の道を確かなものとしたからである。」(Ⅱ歴代27・6)と書かれています。一方、レハブアムは当初、主の目にかなった治世を行っていましたが、後には彼は主の命令を忘れてイスラエルを導いたのです。「彼は悪事を行った。すなわち、その心を定めて常に主を求めることをしなかった。」(Ⅱ歴代12・14)と書かれています。心の備えと契約の箱に対する備え、その両方がイスラエルの民にとってとても重要なことでした。

次号後編では、ペサハ(過越の祭り)への準備など、イスラエルの民が行ったいくつかの「備え」の例をさらに学びながら、神が私たちに望んでおられる「備え」とは何かについて学んでまいりましょう。

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