ティーチングレター

平和の探求 -前編-

レベッカ・J・ブリマー/BFP国際会長

私は、平和を願わないイスラエル人に出会ったことがありません。政治的に右派、左派、関係なく、誰もが平和への強い願望をもっています。政府の平和への取り組みに同意できないとしても、もし真の平和が来るなら、大半のイスラエル人が喜んで武器を置き、戦いをやめるだろうと私は確信しています。

平和を阻むもの

私は20年ほどイスラエルに住んでいますが、その間ここで本当の平和を経験したことは一度もありません。比較的静かな時は何度かありましたが、武力衝突が休止したことは一度もないのです。

ここに住んでいると、イスラエル人に安全を提供する治安部隊の努力に感謝せずにはいられません。アラブ地域社会とイスラエル人を分離する防護塀は、過去数年間でテロ行為を劇的に減少させました。このユダヤ、サマリヤの境界に沿って建設されている防護塀のほとんどはフェンスです。テレビなどで見るコンクリート壁は狙撃などの危険がある部分に限られていて、実際には全体の3%以下です。この塀がテロ防止に多大な効果を上げました。ガザでの最近のテロリスト掃討作戦はテロへの打撃となり、2006年の第二次レバノン戦争もテロの抑止となりました。しかしこれらいずれの努力も差し迫った脅威に対処するだけで、根本的な解決には至らず、平和をもたらしはしませんでした。むしろ新しい争いの火種を生み出しています。世界主要国の指導者たちは停戦協定と和平プロセスを提案し、問題を解決しようとします。1993年以降、イスラエルはオスロ合意を通して繰り返し平和を達成しようとしました。しかしながら、今も平和には至っていません。

真の平和がどこから来るのか、それが分かっていなければすべてが上手くいきません。私たち、救い主イエスを信じる者は、心に平安をもつことができます。神が私たちと共におられるという確信により心に平安が与えられ、生活の中にしばしば起こる恐ろしい出来事をも乗り越えることができます。

今回のティーチングレターでは、平和と平安な心にとっての最大の敵の一つ〝恐れ〟について探っていきたいと思います。

恐れが支配するとき

Photo by Isranet

今日の世界は、至る所で恐れが人々の心を支配しています。金融不安、戦争の脅威、テロなどが、不安や恐れで心を満たします。恐れは私たちの誰もが知っている感覚です。私は子どものころ、よく恐怖に飲み込まれていました。

大きな犬におびえ、高い場所に恐怖を覚え、馬におびえ、大きな雄ヤギに噛まれそうになってからはヤギも恐れました。私の父は伝道者であり、聖書預言専門の教師でした。終末についての聖書預言には、驚き、恐怖を覚えるみことばもあります。ですから、子ども時代の私は未来を恐れ、何度も悪夢を見ました。両親は私が恐怖に打ち勝つために何度も祈り、アドバイスをしてくれました。また、主が直接この恐れの心を取り扱ってくださいました。しかし、子どもだけが恐怖をもつのではありません。多くの大人も恐怖と戦っています。失敗、対人関係、人前でのスピーチ、経済問題、健康問題、老いや孤独への恐れなど、挙げればきりがないでしょう。

最近のガザ紛争のとき、BFPはミサイル砲火の下に暮らすイスラエルの人々に奉仕するため、その現場に行きました。彼らは過去8年間、ミサイルの被害に耐えていました。

戦争が始まり、初めてその地域を訪問した際、市長と会い、クリスチャンからの支援を表明しました。その前夜、突然の恐れが私を襲いました。私はそれに打ち勝たなければならず、「なぜ交戦地帯に行きたいのか」と自分自身に問い掛けました。この恐れの中にあっても、それがなすべき正しいことだったので私はその地へ行きました。紛争に入って2週間ほどして、エルサレムに空襲警報のサイレンが鳴り響きました。警報訓練の通知はありませんから、サイレンの音を聞いたとき、エルサレムに攻撃が差し迫っていることが分かりました。

イスラエルのシェルター

私は上着と電話と財布をつかんで、別のBFPスタッフと共に地下の安全な部屋に行きました。恐怖に押しつぶされはしませんでしたが、体は反応していました。鼓動は速まり、アドレナリンも増加していたのです。エルサレムで訓練以外のサイレンを聞いたのは、1991年の湾岸戦争のとき以来でした。サダム・フセインがスカッド・ミサイルをイスラエルに向けて発射したときも、私たちはガスマスクを着けて密封された部屋に押し合って入りました。

恐れとは何か

聖書は複数の「おそれ」について語っています。まずそれを理解することが重要です。肯定的な「おそれ」は主を「畏れる」ことですが、これについては次の機会に述べるとして、今回は、神が私たちに歩ませたいと思っておられる「平和・平安」を破壊する「恐れ」について取り上げます。

「恐れ」とは、私たちに悪いことや災いが起こるのではないかと考える、将来への不安な思いのことです。それは、何らかの特定の痛みや危険を予測するもので、経験を踏まえた感情です。恐れを定義する二つのキーワードである、思いと考えについて考えてみましょう。恐れは、思い、考えのパターン、一連の信条体系に関係しています。別の定義では、恐れは、個々の背景と過去の経験に基づいて解釈される刺激であり、人間の自然な反応であるとしています。辞書には「危険の予期または認識によって引き起こされた強い感情、警告の理由、心配、不安」などと定義されています。

さまざまなニュアンスをもつ恐れには、意気消沈、不安、心配、恥、恐怖、警告、戦慄、テロ、またはパニックなどの意味も含まれます。大なり小なりそれらはすべて恐れの形なのです。こうしてみると、私たちは恐れを日常生活の一部、ごく普通のこととして受け入れていることが分かります。普通のことではありますが、それは神の私たちへのご計画ではありません。

私は、幼年期に抱いていた恐れという問題をすでに克服したと思っていました。ところが40歳になって、再び恐れに遭遇しました。夫が糖尿病と診断されたのです。仲の良い友人からは、彼の寿命は病気で短くなるだろうと言われました。統計的に女性は男性より寿命が長いこともあり、私は夫より長生きすることになるだろうと思いました。

私たち夫婦は長年イスラエルで主のために奉仕し続け、サポートを受けて生活をしてきました。それゆえ生活の基本的必要を十分に満たすほどの経済力もなく、退職金などもありません。また、私たちには子どもがいないという現実もありました。40歳にして神が奇跡を行われ、私たちに子どもを与えられるということなど起こりそうにもありませんでした。ですから恐れの中で、老いて行くこと、孤独になること、貯蓄も退職金もないこと、私の面倒を見てくれる子どもがいないこと、飼っている猫のキャットフードすら減らさなければならないことなどが、くり返し頭の中を駆け巡りました。

そんなことが何カ月も続いたある夜のことでした。教会で、自分の将来の生活すべてを主に信頼していないということを、私の心に主がはっきりと示されました。私は即座に不信仰の罪を認め、心から悔い改めました。この経験によって、恐れと不信仰は繋がっているということが分かりました。私たちは神を信じると言いますし、神が全知全能で、全宇宙の創造主であることも知っています。しかし、自分たちの人生の中で恐れに居場所を与えてしまうとき、私たちは真に神が私たちの世話を細部にわたるまで行ってくださるということを信じていないのです。パウロは言います。「……信仰から出ていないことは、みな罪です。」(ローマ14:23)。神が守り心配してくださることを疑うことは、信仰ではありません。私は大胆に言います。恐れにとどまることは罪なのです。

恐れの結果

恐れは私たちの人生に破壊的な影響力をもっています。それは、ある事柄の結果が悪いものになるだろうと勝手に想像し、前進することができないように感情のまひを引き起こすことがあります。

医師は、恐れや心配や不安がしばしば病気と死の原因となることを指摘しています。「恐れや心配、不安で亡くなった人を多く知っています」と、チャールズ・メイヨー博士は言っています。突然の恐怖は心臓発作を引き起こす場合がありますし、継続的な心配や恐れは、がんや潰かい瘍よう、心臓病を含む無数の病を引き起こします。

恐れるクリスチャンは、神が私たちのために備えられた満ち満ちた場所を歩んではいません。そのような人の信仰の成長は妨げられます。恐れは人の喜びを奪い、人の力を弱らせます。恐れの影響を受けると、私たちは誤った決断をしてしまいます。また、神が私たちのため備えておられる機会を逸してしまいます。

今日、世界的に起こっている事柄は気力を失わせるようなものばかりで、恐れは広くまん延しています。主イエスが終末について語られたとき、恐れが人に襲い掛かると言われました。

「そして、日と月と星には、前兆が現れ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。」(ルカ21:25-28)

イエスは、恐れが人々を圧倒すると言われ、ご自身を信じる者たちに、主を見上げるようにと教えておられます。主は、恐れに支配された状況の下に私たちが住むことを望んでおられません。むしろそのような時にあって、主を見上げ、あがないが近いことを信頼するようにと願っておられるのです。

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