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ヘブライ語で学ぶ詩篇

詩篇34篇の構成と背景

詩篇34篇は、詩篇の中でも特に芸術性に富んだ作品です。美しい真理とその真理を美しく描いている詩人の巧みさがこの詩の価値を一層引き上げています。そのため、この詩は新約聖書でも引用され、時代をこえて神の民を励ますことができるのです。また、この詩の一部は十字架に架けられたイエスを表現する為に使われており、一種の預言的要素も含んでいます。

詩篇34篇の詩は、何よりもヘブライ語のユニークさを最大限に生かしています。数々の詩的表現方を使って、そこに書かれている賛美の内容と知恵の教えが頭から離れないよう工夫されて書かれています。

それらの素晴らしさを少しでも理解してこの詩篇を読む時に私たちの信仰はさらに強められ、この詩を書いた詩人と同じように主をほめたたえることができるようになるでしょう。

詩篇34篇の構成

この詩は大きく二つに分かれています。前半の1〜10節には神を讃える賛美が書かれており、後半の11〜22節は神を主とした生活において必要な知恵の言葉と信仰の対象が書かれています。英国の有名な牧師であったチャールズ・スポルジョン氏はこの詩の前半を「賛美歌」と呼び、後半を「説教」と呼びました。まさしく、一つの詩に礼拝のすべてが含まれています。

詩篇34篇の詩的要素

この詩篇には、ヘブライ文学における主要な詩的技法がほぼ全て使われています。すでにおなじみのパラレリズムだけではなく、押韻おういん隠喩いんゆ直喩ちょくゆなどの比喩表現、交差対句法なども用いられています。そして、特に原語でこの詩を読む人は、この詩全体が 「折り句」という手法を使って書かれていることを見逃すことができません。

「折り句」の一例として、谷川俊太郎による有名な詩を見てみましょう。面白おかしく「折り句」を使っています。

くびがでるわ
やけがさすわ
にたいくらい
んでたいくつ
ぬけなあなた
べってころべ

折り句とは、英語で「アクロスティック」と呼ばれ、見ての通り、各行最初の字を並べると、ある単語や文章になる遊戯詩のことです。現代では、似たような言葉遊びで「あいうえお作文」と呼ばれるものもあります。折り句は、「いろは歌」や「伊勢物語」などの古い歌物語にも使われており、日本文学にとっては馴染み深い詩的表現方法の一つです。

ヘブライ語の折り句が日本語の折り句と異なる点は、 頭句を使って単語を作るのではなく、ヘブライ語のアルファベットを順番に綴るということです。つまり、1節目がアレフ(ヘブライ語の最初のアルファベット)によって始まり、2節目がベート(ヘブライ語の二番目のアルファベット)によって始まると言った具合です。

この技法は、旧約聖書でよく用いられました(参照:詩篇25、37、111、112、145、119篇、哀歌、箴言31章10節〜)。なぜこのような技法をあえて用いるのかというと、当時の時代背景と直接関係する理由があります。

それは、聖書の言葉は公の場所で読まれるものとして書かれていたということです。もちろん、まことの神を礼拝する為に使用する言葉を美しく書くことは求められていました。しかし、それ以前に、聖書が書かれた時代では、パピルスや羊皮紙などを一般人が手に入れることは難しく、個人で聖書を所有するという概念はありませんでした。実際に、個人が聖書を所有する環境が整ったのは紀元後1600年以降のことです。

そのため、聖書の言葉に韻を踏ませたり、折り句を用いる背景には、大人も子供もそれらを暗記しやすいため、という実用的な理由があったのです。それは、日本の「いろはかるた」に通じる所があります。しかし、そのように考えると旧約聖書の約7割が詩的要素を含んでいる理由が分かります。

詩篇34篇と新約聖書

この詩篇は、新約聖書の中で2回引用されています。特に12節〜16節は、ペテロ3章10節〜12節でほぼそのまま引用されており、正しく生きることのゆえに苦しめられている者たちを励ます言葉として使われています。

また、 ヨハネの福音書19章36節では、キリストが十字架の上で死んだ際にすねが折られなかったことについて、「 この事が起こったのは、『彼の骨は一つも砕かれない。』という聖書のことばが成就するためであった。」と書かれています。これは、詩篇34章20節の引用であり、原文の文脈によれば、そこに書かれている「彼」は、神の目から見て正しい者(「義人」)のことを指します。ヨハネは、この聖句を引用することによって、十字架につけられた方が罪人ではなく、神の前で正しい者であったことを読者に伝えています。

詩篇34篇の背景

詩篇の中にはダビデ王の人生で起こった出来事と直接関連付けられる詩篇が14篇あります。この詩に関しては「ダビデによる。彼がアビメレクの前で気違いを装い、彼に追われて去ったとき」という、非常に役に立つ情報が書かれています。Iサムエル記21章10節〜15節の記事を指すとされています。

Iサムエル記に登場する王の名前は「アビメレク」ではなく「アキシュ」と書かれているので、間違いではないかと指摘されることがあります。しかし、「アビメレク」は名前ではなく、ガテの王に与えられていた称号であったと考えられます。エジプトの王は、名前と関係なく「パロ」、または「ファラオ」と呼ばれました。同様に、「私の父は王である」という意味がある「アビメレク」という称号は、王が、正統な血筋を受け継いでいることを証明するための呼び名であったとされています。詩篇は、イスラエルの民に属するすべての人たちに親しまれていた本でした。ですから、そのような中で誰でも指摘することができる間違いが当時から含まれていたとは考えることができません。

Iサムエル記21章に書かれている歴史を見てみましょう。まだ王になっていなかったダビデはサウル王の嫉妬を買い、王の率いる軍隊から逃げまとうはめになりました。状況は悪化し、行き場を失ったダビデはそれまで敵国であったペリシテ地区のガテに亡命しようとしました。ガテに逃げ込むということは、ダビデがどれだけ追いつめられていたのかがうかがわれます。なぜなら、ガテはダビデが戦場の一騎打ちで殺したゴリアテの出身地だったからです。ガテ人にとっては、彼らが愛した英雄がダビデによって打ち殺された記憶はまだ新しく、復讐を誓う者たちも多かったでしょう。

さらに、この状況を複雑なものにしたのは、ダビデが唯一、自分の身を守るための武器として手渡されたのがゴリアテの剣であったということです(Iサム21:8-9)。もしペリシテ人がその剣を目にしたら、ただではすまなかったでしょう。ですから、ガテの町に入る為には、その剣をどこかに隠し、完全に無防備で入らないといけない状態だったと考えられます。

ダビデがガテにたどり着くと、アキシュの家来たちが王に、「この人は、あの国の王ダビデではありませんか。みなが踊りながら、『サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。』と言って歌っていたのは、この人のことではありませんか。」と告げました。そのため、ダビデは苦肉の策として気違いを装い、意味なく門の扉に傷をつけたり、ひげによだれを流したりしました。その有様を目撃したアキシュは、ダビデを狂人だと信じ込み、危害を与えるのではなく、ダビデを追放しました。

多くの解説書は、ここで起こった出来事をダビデの信仰生活の中で最もどん底の状態として説明することがあります。しかし、ダビデは神に信頼していなかったわけではなく、神に信頼しながらも、自分に与えられた理性を用いて臨機応変に対応していました。ダビデは、神に対して罪を犯しませんでした。しかし、それでもサウル王によって迫害され、悪を悪で返そうとするのではなく、サウル王の裁きを主に委ねました。神の選ばれた王に反抗することを避け続けたダビデに残された選択は好ましいものではありませんでしたが、王によって追跡されない為には必要な手段だったのでしょう。

気違いを装うような状況に追いつめられたとしても、ダビデが完全に神に信頼していたことは疑うことができません。なぜなら、試練の中に置かれていても神に信頼し続けていなければ口にすることができない希望と確信に満ちあふれた信仰が、見事にこの詩篇34篇で表されているからです。

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