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ヘブライ語で学ぶ詩篇

詩篇103篇1~5節 【後半】

前半に続いて、詩篇103篇を学びます。今回は4節からです。
詩篇103篇1節〜5節 【前半】‏

103:4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、

ここで「穴」と訳されているヘブライ語は、死者が宿る場所、ヘブライ語で「シオル」を指す言葉として使われることが多くあります(参照:詩篇16:10、30:9、49:9、55:24)。シオルとは地獄のことではなく、義人も悪人も死んだら下る場所として考えられていました。

あなたのいのちを穴から贖いという表現は、最低限、早死にすることからの救い(参照:詩篇6:5、28:1)、または低い質の生活からの解放、または死者の間からの復活を意味していると思われます。

申命記の記録によると、モーセの契約を覚え、律法を守ることによって長寿が約束されていました。「きょう、私が命じておいた主のおきてと命令とを守りなさい。あなたも、あなたの後の子孫も、しあわせになり、あなたの神、主が永久にあなたに与えようとしておられる地で、あなたが長く生き続けるためである(4:40)」。イスラエルの民には、律法を守ることによって、敵からの救い、戦いでの勝利など、様々な守りが約束されていました。

詩篇の中には、死からの贖いについて語る箇所が複数あります。特に詩篇49篇がその代表例です。詩篇の著者は、主が神の民を墓から買い戻してくださると教えています。ダビデは、詩篇16:9-11で義人の復活を歌っています。ダニエルも義人の復活について教えています(参照:12章)。

ダビデがどのような意図を持って穴からの贖いを歌ったのかは正確にはわかりません。しかし、どのような意味であったとしても、これはモーセの契約を与えられた民でなければ感謝できない利益の一つであると言えるでしょう。

4節によると、主が与えてくださる利益は、「恵みとあわれみとの冠をかぶせてくださる」ことだと書かれています。

ここで「恵み」と訳されている言葉は、ただ神が与える一方的な恩恵を指す言葉ではありません。ここで使われている「ヘセッド」という言葉は、神が契約に対して誠実でいてくださるという、一方的な神の愛情を示す専門用語であり、契約関係が存在することが前提となる言葉です。

この言葉は一度だけ人間同士の間で愛を示すために使われていますが(参照:詩篇141:5)、それも同じ民であり、同じ契約の神を恐れている前提がある文脈の中で書かれています。

「ヘセッド」は、イスラエルの民が契約の約束を放棄して、罪を犯したとしても、神の変わらない彼らに対する愛情と誠実さを伝える言葉でした。あわれみとは、神の謙虚さと、近さと、忍耐深さを思い起こさせる言葉です。

「冠」は、王に捧げるのに相応しい装飾です。つまり、主は契約に従って彼らを死から購うだけではなく、彼らを貴族として扱い、愛と優しさと赦しを彼らに与えると書かれているのです。

103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。

5節は日本語では二文になっていますが、ヘブライ語では一つの文章です。この節を原語から翻訳をするのは難しいのですが、 「(主は)あなたのいのちを良い物で満たしてくださったので、あなたの若さは取り戻され、鷲のようになった」と訳すと、本来の意味が上手に伝わるでしょう。

モーセの契約が与えられていたイスラエルの民は、もし、神を愛し、他の偶像を礼拝しないのであれば、神が彼らを祝福し、栄えさせると約束されていました。申命記11:13-15には、「もし、私が、きょう、あなたがたに命じる命令に、あなたがたがよく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くして仕えるなら、わたしは季節にしたがって、あなたがたの地に雨、先の雨と後の雨を与えよう。あなたは、あなたの穀物と新しいぶどう酒と油を集めよう。また、わたしは、あなたの家畜のため野に草を与えよう。あなたは食べて満ち足りよう。」と書かれています。それ以外にも、神との契約を守ることによって良い物がその人の人生を満たすという約束が繰り返し書かれています。(参照:申命記11:1、22、19:9、30:16、 20、ヨシュア記 22:5、 23:11

聖書の中で、鷲(わし)は、神が与える力の象徴です。有名な箇所ではイザヤ書40:31がありますが、イスラエルをエジプトの苦役から救った神の力を指すことにも使われます。

あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたをわしの翼に載せ、わたしのもとに連れて来たことを見た。今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから(出エジプト19:4-5)

つまり、神がイスラエル人を救った力と同じ力が彼らの中で働き、その偉大な力によって彼らが心身ともに強められるという印象をこの節から受けます。

この節が教える利益は、ユダヤ人が律法の言葉に従う時、主は彼らの人生の質を豊かにし、彼らの力を回復させるということです。

教会時代への適応法

聖書に書かれているすべてのみことばは有益です。しかし、その有益さは、読者がどれだけ時代背景、文法、また言語を正しく理解しているかによって左右されます。ですから、聖書を読む時に、それがいつ、誰に向けて、何と書かれているのかを問う必要があります。

この詩篇103篇は、神の民に属していることがどれほどの特権なのかを教えてくれます。ここで、モーセの律法の下にいない教会がどのようにこの詩篇を用いて神を礼拝できるかを考えましょう。

まずは、感謝の心です。神の約束と働きを思い起こすことによって感謝が生じると学べます。神を礼拝する時、私たちの心の喜びの大きさは、私たちの主に対する知識の量と比例します。神の偉大さを正しく聖書から理解していない状態で、「知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ(ルカ10:27)」という神の期待を満たすことはできません。

二つ目に、キリストと結ばれたことによって約束されている数多くの霊的な利益と祝福を思い起こすことです。当時のユダヤ人は、神がモーセの契約を通して約束された祝福に希望を置いて、神に感謝することができました。現代の教会時代に属する人たちはモーセの契約の下にはいません。

しかし、ユダヤ人がモーセの契約を通して約束された祝福と利益を主に感謝できたように、現代のクリスチャンたちも同じようにキリストと一つに結ばれたことによって、与えられている数多くの祝福を感謝できます。私たちの感謝が止むときは、私たちがキリストによって約束されている祝福を忘れているときです。当時の人たちが、主に属する利益を何一つ忘れてはいけなかったように、私たちもキリストに属する利益を常に心に蓄え、その知識を神の家族の間で分かち合う必要があります。

そして、三番目に、当時のユダヤ人と今の教会に与えられている約束や祝福の内容が異なっていたとしても、常に変わらない誠実さを持ってそれぞれへの約束を忠実に守ってくださる神に感謝することです。

聖書には、「神は人間ではなく、偽りを言うことがない。人の子ではなく、悔いることがない。神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか(民数記23:19)」と書かれています。

大切なことは、神は一度約束されたことは必ず神の名に誓って守ってくださるということです。そのため、私たちは聖書の言葉を自分の人生を豊かにする宝箱のように探り、神が教会に与えられている約束を見出し、それに信頼することによって、キリストに属する利益を体験できるようになるのです。

私たちはそれらを覚え、忘れないことによって、主をほめたたえることができるようになるのです。

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