ヘブライ語で学ぶ詩篇

詩篇51篇の背景

詩篇51篇は、罪を悔い改めた人の心を慰めるために書かれた詩篇です。詩篇には、自分の悪事を認めて後悔する内容の詩が7つあります(詩篇6、32、38、51、102、130、143)。その中で、詩篇51篇は、特に信仰を揺さぶる内容となっています。なぜなら、この詩篇はダビデ王の人生の中でも最も暗い、罪悪感に満ちた時期に書かれたからです。

ダビデは、自分の心の中にある救いようのない罪深さを直視し 、そこからさえ救うことのできる神の力とあわれみの大きさを発見します。その結果、誰でも、どのような罪からでも、へりくだって神に近づくなら、神ご自身がそれらを赦し回復させてくださるという確信と希望に満ちた内容になっています。

心から悔い改めた人だけが確信できる罪の赦しを扱った詩篇の代表作ということで、「ユートピア」の著者のトーマス・モア(1478-1535)やイギリスの女王レディ・ジェーン・グレイ(1537-1554)は臨終の床でこの詩を読むように遺族に求めました。しかし、この詩篇は死ぬ直前に読むのではなく、私たちが罪を犯すのと同じ頻度で読み直す必要があります。そして、そこに書かれていることに慣れるのではなく、 底無しの神のあわれみの深さに目を留めて、新たな希望を持ち、罪赦された者だけが捧げられる礼拝を主に捧げる生活を送る。それがこの詩篇の役割です。

詩篇51篇の背景

この詩篇の始めには、「ダビデがバテ・シェバのもとに通ったのちに、預言者ナタンが彼のもとに来たとき」と書かれています。この出来事は、Ⅱサムエル記11-12章に記録されています。

人間の心は、物事が自分の思い通りになると、すぐに神から離れます。ダビデは、イスラエルの北の王国と南のユダを統一し、エルサレムを首都としました。宮殿が完成し、主のために神殿を建てる計画も立てました。隣国の軍事勢力も衰え、すべてが順調に進みました。ダビデは、神に頼る必要性を感じなくなり始めました。その結果、自分が神の計画を前進させる器でしかないことを忘れ、自分の実力によってこれらのことを実現させているという錯覚に陥ったのでしょう。ダビデは、自分に与えられていた神の王国の指導者としての責任を少しずつ放棄し始めたのです。

年が改まり、王たちが出陣しなければいけないいくさが起こりました。しかし、ダビデはその責任をすべて部下に任せ、自分はエルサレムの快適な宮殿に留まりました。王の宮殿は、エルサレムの町を守る急な丘の上にあり、その丘沿いにある家々を上から一望することができました。

ある夕暮れ時、ダビデはベッドから起き上がり、王宮の屋上を歩いていると、一人の美しい女性が体を洗っている姿を目撃しました。この文脈で、「体を洗う」とは入浴していることではなく、モーセの律法に基づき、聖めの儀式の一環として体の部分的な汚れを水で流していたと考えられます(11:4、レビ15:19-30)。彼女の家は貧しかったので完全なプライバシーがない生活環境だったのかもしれません(Ⅱサムエル12:1-4)。夕暮れ時に、屋根の上であれば誰にも見られないと思ったのかも知れません。どちらにしろ、バテ・シェバは慎みのないことはしていなかったのです。

ダビデは彼女の美しさを一目見ると、すぐに家来を送って、彼女の情報を集めました。そこで、ダビデは彼女がヘテ人ウリヤの妻であることを知りました。ウリヤはダビデ直属の37人の最も誉れ高き兵士によって構成されていた護衛隊の一員でした(Ⅱサムエル23:39)。また、バテ・シェバの祖父は、ダビデの右腕として活躍していた参謀長の一人、アヒトフェルでした(23:34)。

ダビデはこれらのことを詮索した時点で、自分の過ちを悟るべきでした。しかし、人の心に宿る罪の力は人間の良識を狂わせます。ダビデは自分の欲を満たす思いに捕われ、王である権力を悪用し彼女を宮廷に招き、関係を持ち家に返しました。

しかし、罪を犯して祝福される人はいません。ダビデは、その後、バテ・シェバが妊娠したことを知らされます。兵士であるウリヤはダビデの代わりに戦場に出ているので、彼が親であるはずがありません。そこで、ダビデはどうにか自分の罪の結果をごまかそうと企みます。ダビデは、戦場で奮闘しているウリヤをエルサレムに呼び戻し、多くの贈り物を与え、妻のところに入るよう命じました。しかし、ウリヤは神を畏れ、兵士としての責任を忘れるような人ではありませんでした。彼は、戦場で命をかけて戦っている仲間のことを考えて、イスラエル軍が戦いに勝利するまで自分だけ家に帰って気を抜くようなことは絶対にしないとダビデの前で神に誓いました。

ダビデはさらに、ウリヤを酒に酔わせて妻の元に帰るよう試みました。しかし、そのような策も武人であるウリヤの心を変えませんでした。

罪の力で落ちるところまで落ちたダビデは最後の策として、ウリヤを殺す計画を立てました。そして「ウリヤを激戦の真正面に出し、彼を残してあなたがたは退き、彼が打たれて死ぬようにせよ。」と命じました。ウリヤは、最後まで国のために戦い、ダビデの罪のために命を落としました。その後、ダビデは、バテ・シェバをめとり、その子を自分の子にしました。

この事件が起ってからしばらく後のこと。ダビデの友人であり、預言者であったナタンが神によって送られ、ダビデを訪ねました。ナタンは、ある物語をダビデに語りました。物語には、多くの羊を持っている金持ちと、貧しく一匹の羊しか持っていない人が登場しました。貧しい人は、その一匹の羊を娘のようにかわいがり、何よりも大切にしていました。ある日、金持ちは客人をもてなすために羊を調理しようとしました。しかし、自分の群れの羊のことを惜しみ、貧しい人の羊を取り上げ、その羊の肉を客人に出しました。

羊飼いとして育ったダビデは、その話を聞いて激しく憤り、そのようなあわれみのない者は処刑されるべきだ、と宣告しました。それを聞いたナタンは、ダビデに対して「あなたがその男です」と諭し、ダビデは自分の罪の大きさに気づき、「私は主に対して罪を犯した」と告白しました。

この時点で、ダビデはモーセの十戒の半分を破っていました。ダビデは王の権力を悪用して、自分の罪を指摘したナタンを処刑することができました。しかし、ダビデはそこで神の前でへりくだり、神に赦されることを願ったのです。

詩篇51篇は、失敗を重ねたダビデがどのように悔い改め、神との関係を回復させることができたのかを説明し、同じ恵みを体験する必要のある読者に希望を与えます。この詩篇を通し、なぜダビデが「神ご自身の心にかなう人」(Iサムエル13:14、使徒13:22)と呼ばれたのかを学んでいきましょう。そして、神のあわれみと恵みの深さを、もう一度確認しましょう。

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