ホーム > 祈る > ハイメール通信 登録・停止 > バックナンバー > ハイメール通信No. 178 ぶちこわし・・
イスラエルとパレスチナとの間接和平交渉再開が最終段階に入り、アメリカの副大統領ジョー・バイデン氏が中東を訪問しました。
しかし、バイデン氏とネタニヤフ首相が両国の友好関係を確認した翌日、内務省が東エルサレムに1600戸の建築許可を出しました。これによりすべてが振り出しに戻る見込みとなりました。(写真:内務相・シャス党首のイシャイ氏)
エルサレムの神殿の丘では、先週、ヘブロンの遺跡を国家資産に加えるという政府の決断に反抗して、激しい衝突が神殿の丘で起こりました。続く今週も、住宅建設許可をめぐる争乱が予想されるため、国防相は、治安部隊3000人を配置し、金曜夜から西岸地区を封鎖することを発表しています。
相変わらず争いの絶えないエルサレムですが、2010年2月は、旅行者の数が前年の46%増、22000人を記録しました。
アメリカとの関係が揺れ動いている昨今、イスラエルを安定して支持しているのがドイツです。ドイツ人クリスチャンがイスラエル国内でホロコースト生存者に対して行っているミニストリーを紹介します。
怒る者は争いを引き起こし、
憤る者は多くの罪を犯す。(箴言29:22)
イスラエル政府と、パレスチナ自治政府との和平交渉は2008年にイスラエルがガザ地区へ侵攻して以来、頓挫したままになっています。
この状況を打開し、2国家共存(イスラエルとパレスチナ)を実現したいオバマ政権は、ジョージ・ミッチェル特使を継続的に派遣し、水面下での交渉を続けてきました。
それから1年あまり、イスラエルとパレスチナはようやく間接的和平交渉に入ろうとしているところでした。今回、オバマ政権は副大統領のジョー・バイデン氏を中東に派遣し、華々しく和平交渉開始を公表しようとしていました。
3月8日、バイデン副大統領は、まずイスラエルを訪問、ネタニヤフ首相と会談し、両国の友好関係を再確認。(写真)ところがその翌日、内務省が突然、東エルサレムで1967年戦略ライン(グリーンライン)よりパレスチナ側にある入植地に、1600戸の建設許可を出しました。
これは和平交渉再開の条件(ネタニヤフ首相が西岸地区での建築活動を10カ月凍結すると約束したこと)に全く反しています。パレスチナ側は「和平交渉を破壊しようとするイスラエル政策の一端」と激怒。直ちに、イスラエルとの間接和平交渉を拒否すると発表しました。
これはバイデン副大統領の顔に泥をぬるようなもので、アメリカ政府は最悪のタイミングで発表されたこの動きを厳しく非難しました。ネタニヤフ首相は、「知らなかった」と語り、内務省の発表に遺憾の意を表しました。
なぜ内務省がこの時期にこのような発表をしたのかということについては、右派間での争い(世俗派vs宗教派)があるのではないかと言われています。現在の内務相はユダヤ教政党(宗教派)のシャス氏で、パレスチナ人に東エルサレムは渡さないとする方針を掲げている政党です。
この件について、ネタニヤフ首相はアメリカに対して謝罪しましたが、それは「タイミングの悪さ」であって、建築許可そのものについてではありませんでした。この動きにより、イスラエルとパレスチナの間接中東和平は再び頓挫するみこみとなりました。
3月6日、旧市街のエルサレム神殿の丘、及びイスラム地区でイスラエルの警官隊とパレスチナ人の間で衝突がありました。
パレスチナ側からは警官隊に激しい投石、イスラエル側からは催涙弾が使われるなどで、負傷者が出ました。(写真の紛争は、神殿の丘ではなく別の場所で起こった衝突の風景です)負傷者の中には14才の少年も含まれていました。
今回の紛争は、イスラエル政府が、西岸地区の町ヘブロンにあるアブラハム・サラなど父祖の墓を国家遺産に含む決定をしたことから始まりました。続く週末には、イスラエル内務省が東エルサレムに1600戸の建設許可を出したことから、再び衝突があるのではないかと警戒されています。
バラク国防相は、東エルサレムに3000人の治安部隊をもって警戒にあたっている他、13日金曜日から48時間、西岸地区を閉鎖、イスラエル国籍を持つアラブ人以外のパレスチナ人がエルサレムへ入ることを禁じる指示をだしました。
また神殿の丘には50歳以上の男性のみ入場が許可されたため、若い世代がイスラエルの治安部隊に投石するなどの騒ぎとなりました。
エルサレムでは16日、イスラエルの超右派が、第三神殿のかしら石を神殿の丘に持ち込もうとする動きがあります。(毎年恒例) パレスチナ自治政府からは、神殿の丘を守れという指示が出されているということです。エルサレム旧市街では引き続き警戒態勢をとっています。
16日、エルサレムでは再び投石するパレスチナ人の若者たちとイスラエル軍が衝突。若者たちは北部に住んでいるイスラエル国籍のアラブ人でした。この日だけで60人が逮捕されました。
バラク国防相が警戒態勢を強めたダマスカス門付近。午後8時半、イスラムの礼拝はすでに終わっていました。イスラエルの警察官が、いつもより多く警備にあたっていましたが、特に混乱はありませんでした。
イスラエルの警備隊にとっても、付近のパレスチナ人にとっても神殿の丘での紛争とその影響による特別警戒態勢などは、珍しいことではないということです。
エルサレムから車で約20分のベツレヘムでは、12日からベツレヘム聖書大学が主催の国際的なクリスチャンのカンファレンスが行われています。参加者は地元パレスチナ人クリスチャンと海外からきているクリスチャン約300人。テーマはパレスチナ人クリスチャンとしてイスラエルをどうとらえるかというものです。
パレスチナ側のクリスチャンは、現代イスラエル国家との衝突を実際の痛みをもって経験しています。そのため、彼らのほとんどは反イスラエルです。また、そのイスラエル国家を熱烈に支援するクリスチャンシオニストに対して怒りをもっています。
この地域の障害児センターで訪問活動を行っている宣教師のガブリエラさんによると、最近はインティファーダもなく、平穏が続いているということです。
しかし、住民がエルサレムへ入ることは許されておらず、住民の不満は高まっているということでした。
なお、ベツレヘムには現在ユダヤ人は一人も住んでいません。ユダヤ人は立ち入り禁止となっています。イスラエル兵は時々テロリストの捜索にやってきますが、通常彼らの姿はありません。
紛争の続くイスラエルですが、イスラエル統計局によると2010年2月、イスラエルを訪れた旅行客は22,000人を記録しました。これは2009年の同時期に比べて46%の増加となっています。
写真:旅行客で満員の聖墳墓教会
イスラエルとアメリカとの関係が微妙に揺れ動いているのに対し、ドイツとイスラエルの関係は安定しており、ドイツは今のところヨーロッパで最も頼れるイスラエルの味方とみなされています。
ドイツは、第二次世界大戦中、ホロコーストで600万人のユダヤ人を殺害した国です。そのためドイツ政府は今もホロコーストの生存者に対する謝罪と補償を継続して行っています。民間レベルで行われている活動もいくつかあります。
「ツダカ(ヘブル語で正しい行い)」は、ドイツ人クリスチャンがイスラエルにいる高齢のホロコースト生存者に対して奉仕活動を行う団体です。「ツダカ」が行っているミニストリーの一つが「ベイト・エル(神の家)」と名付けられたゲストハウス。高齢のホロコースト生存者に10日間のバケーションを無償で提供しています。
「ベイト・エル」はイスラエル北部、地中海に面した「シャベイ・ツィオン」と呼ばれるモシャブ内にあり、緑豊かでビーチにも近く、ゆったりと過ごすことのできるリゾートです。
「ベイト・エル」のスタッフはすべてクリスチャン。ほとんどが30歳前後の若いボランティアですが、静かで落ち着いた人ばかりで、霊的にも平安に満ちています。ゲストハウスはどこも完璧なほどに清潔で調度品も上品に落ちついた雰囲気です。
「ベイト・エル」のダイニングルームの壁に書かれたみことばは「慰めよ。慰めよ。私の民を。(イザヤ書40:1)」。利用できるのはホロコーストの生存者のみですが、ゲストハウスは申し込みをしても3年待たなければないほどの人気です。
この働きが始まったのは50年前、まだホロコーストの記憶も新しいころでした。最初はモシャブのユダヤ人に全く受け入れられなかったドイツ人クリスチャンでしたが、継続した奉仕により、今ではモシャブのユダヤ教ラビともよい関係を持つことができています。
「ツダカ」のもう一つのミニストリーが、ホロコースト生存者25人を受け入れることのできる高齢者ホーム。看護師はじめ、数人のイスラエル人スタッフ以外は皆ドイツ人クリスチャンのボランティアです。ここも、ちりひとつない清潔さと上品さに驚かされます。(写真)
居室も清潔で、入居者のほとんどは認知症ですが、皆落ち着いて平安にみちています。この高齢者ホームは地域住民からは「丘の上の天使たち」と呼ばれるほどに愛されている存在です。
人材・費用すべてドイツ人クリスチャンの献金でまかなわれていますが、50年も続けて来られたのは奇跡だとスタッフは話しています。
ニュース情報源:GPO(イスラエル・プレスセンター)、イスラエル外務省HP、ハアレツ、エルサレムポスト、アルーツ7、イスラエルインサイダー、CNN、BBC、イスラエル国防軍HP、外務省HP、アル・ジャジーラなど
画像提供:www.israelimages.com、Isranet他
Copyright 1996- © Bridges For Peace Japan. All Rights Reserved.