ホーム > 祈る > ハイメール通信 登録・停止 > バックナンバー > ハイメール通信No. 176 ホロコーストとハイチ
ハイチの大地震。現地で本格的な医療救援活動を行ったイスラエル国防軍のチームが12日間の働きを終え、1月27日、帰国しました。
現地はホロコーストを思わせるような惨状だったと報告されています。奇しくもイスラエルでは1月27日、ホロコースト解放記念日でした。
(写真:新生児を移動させるイスラエル国防軍兵士)
ドバイでハマスの指導者が毒殺されました。ハマスはイスラエルの犯行だとして非難しており、海外にいるイスラエル人を襲撃すると声明を表明しています。
パレスチナ自治政府との和平交渉も、ネタニヤフ首相の西岸地区での政策や考え方が受け入れられないとして頓挫したままで、パレスチナ人との接点がないままとなっています。
1月19日、エチオピアから81人が移住しました。エチオピアにはまだ8,000人が移住待機となっています。
捕らえられて殺されようとする者を救い出し、
虐殺されようとする貧困者を助け出せ。
もしあなたが、
「私たちはそのことを知らなかった」と言っても、
人の心を評価する方は、
それを見抜いておられないだろうか。
あなたのたましいを見守る方は、
それを知らないだろうか。
この方は
おのおの、人の行いに応じて報いないだろうか。(箴言24:11-12)
ハイチ大地震で、救出医療活動を行っていたイスラエル国防軍などの救援隊が1月27日、帰国しました。
イスラエルの救援隊は地震発生2日後に現地に到着。他の救援隊に類を見ないほど本格的な野外救急病院を設立し、負傷者の手当にあたりました。
救援隊は、がれきの中から救出活動を行う国防軍兵士218人と医療関係者など118人です。
現地に到着後12日間で手当を受けた被災者は1,150人、うち319人が外科手術を受けています。子どもたちを多く助けるため、今回は特別に小児科医9人が派遣されていました。
このイスラエルの野外病院で新しく生まれた子供は16人でした(このうち3例は帝王切開)。イスラエルの救援隊に助け出され男児を出産した母親は、感謝をこめて子どもに「イスラエル」と名付けました。
野外病院を閉鎖するにあたり、イスラエルは数々の医療機器の他、衛生器具、大型テント、マットレスや寝袋など30トンを現地に残してきました。
ハイチは地震が起こる前から孤児が多いことで知られトいます。この地震で孤児はさらに倍になったとも報告されています。
各国、特にアメリカからは孤児を養子に迎えたいという要請が殺到し、一部の子どもはすでに、養子縁組が実現しています。しかし、この動きに乗じて、子どもを人身売買や臓器提供のために連れ去る動きもあり、祈りが必要となっています。
イスラエル人家庭からも養子縁組の申し入れがあり、政府はこれを認める方向です。イスラエルに養子縁組される子どもたちはすべてユダヤ教徒に改宗することになっています。しかし、ユダヤ人の国としてのアイデンティティを維持したいイスラエルでは、異邦人の子どもの養子縁組については議論が出ています。
イスラエルにはZAKA、イスラエイド、など国際的に高い評価をうけている災害救出のボランティア団体がありますが、それぞれ現地に孤児院の設立計画を発表しています。
今回のイスラエルのハイチでの救出支援活動は国際的にも高い評価を受け、大手メディアがイスラエルを賞賛する記事を出しました。
1月31日には、「イスラエルは暴力的な国なのか、命を大切にする国なのか、二つのイメージ」とか、「ハイチでよいことをしてもガザでの罪は消えない」といった記事も出ていました。
ZAKAのメンバーによると、ハイチの被災地の惨状は、手足のちぎれかかった子どもたちや、道に無作為に転がっている遺体、悪臭など、ホロコースト生存者から聞く証言を思わせるものだったということです。
奇しくも1月27日はアウシュビッツ強制収容所が開放されたことを記念する日でした。アウシュビッツには130万人(うち23万人は子ども)が収容され、そのうち110万人がそこで殺害されました。
当時ヨーロッパには1100万人のユダヤ人がいましたが、その半分以上がホロコーストで殺害されています。ホロコースト解放記念日には、生き残った人々を中心に記念の行事が行われました。統計によると、昨年、アウシュビッツを訪問した人は130万人で昨年より10万人上回っていました。
1月20日、ドバイのホテルでハマス(ガザの反イスラエル武装組織)幹部の一人、マフムード・アルマブーフ(50)が毒殺されているのが見つかりました。
死因は毒物による心停止でしたが、遺体には、拷問の痕が残されていました。ドバイ警察によると、イスラエルの諜報機関モサドのしわざである可能性を示唆しています。
またハマスは、彼を殺害する動機があるのはイスラエルだけだとして、イスラエルを非難しています。アルマブーフの弟は、兄はこれまでにイスラエルの空爆で2回命をねらわれ、ベイルートでも毒殺されそうになったと証言しています。
イスラエルの防衛筋によると、アルマブーフは、1989年に、イスラエル兵2人を誘拐して殺害した人物で、20年前からイスラエルの指名手配リストに上っていました。また、アルマブホウはイランからガザへの武器搬入の鍵となる人物だったということです。アルマブーフ暗殺について、イスラエル側からは肯定も否定のコメントも出されていません。
先月ベイルートではハマスの指導者2人が殺害されており、ハマスはこれに関してもイスラエルの犯行だと非難しています。ハマスは報復として海外にいるイスラエル人をねらうと脅迫しています。エジプトでは実際にイスラエル人をねらったテロリストが20人以上逮捕されたとの情報があります。
ガザとの関係が再び悪くなっている中、昨年、イスラエルが行ったガザへの攻撃を戦争犯罪と非難する国連のゴールドステイン報告書が再びメディアの注目をあびて「ます。この報告書に対するイスラエル側による独自の調査結果が国連に提出されたためです。
ゴールドステイン報告書には、ガザ市民からの150件を超える証言と訴えが含まれており、イスラエルはそれに対する内部調査を行ってきました。
150件のうち、36件が犯罪に値する可能性があるとして調査をすすめていました。このほかにも、パレスチナ人からの100件と国防軍兵士からの内部報告500件などが調査対象となっていました。
イスラエル大手ハアレツ紙によると、今回、イスラエルが提出した報告書が、国連の告発に十分反論できるものではないとの懸念があります。首相が国防軍外部の調査機関による調査を命じたにもかかわらず、バラク国防相とアシュケナジ参謀総長が、国防軍内部での調査を主張したためです。その結果、内部調査だけに終わってしまい、公正な判断に欠けると言われてもしかたがない報告書になりました。
*この記事はガザに出入りを赦されている某大手メディア記者から聞いた情報です。
それをそのまま掲載します。
イスラエルとハマスの確執が深くなる中、悲惨な情報しか入ってこないガザの情勢ですが、現地の生活は意外に普通であるということです。
ガザとエジプトとのトンネルがイスラエルの治安にとって大きな課題となっていますが、そのトンネルによってガザ社会の物流が守られ、社会を潤しています。トンネルは大きいものではベンツ(車)が通れるほどだということです。
私たちは、ガザの人々が大変な飢えに苦しんでいるとの情報を受けていますが、ガザの内部ではトンネルからの物資と、国際社会からの支援物資で意外にうるおっており、飢餓に苦しめられていることはないということです。
ヘブル語が書かれた箱に入っている食料(イスラエルからの支援物資)がそのまま市場に並んで物資が売られていたり、“31アイスクリーム”のようなアイスクリーム専門店もあります。お金さえあれば普通に買い物ができます。
子どもたちも学校に行っています。超過密地域と評されていますが、広場などもあり、そんなに混み合っている雰囲気はありません。
男性が昼間からぶらぶらしているのは失業しているからではなく、昼までに仕事を終えて午後は休むというのがこの地域の一日の過ごし方だからです。選ばなければ仕事はあるようだということです。
ハマスのメンバーも、”人のよいおじさん“的な人もあり、気軽にインタビューに応じてくれるということです。一緒にハンバーガーを食べながら、インタビューしたこともあるとか。ガザの人々にとっての苦痛は、生活そのものの苦痛ではなく、ガザという地域から一生出られないという苦痛であると言えます。
イスラエルとパレスチナ自治政府との和平交渉は、イスラエルが東エルサレムや西岸地区で建設を続けているということから、頓挫したままです。
ネタニヤフ首相は、和平交渉再開に向けた妥協案として、西岸地区における10カ月間の建設凍結を宣言しました。しかしこれは「10カ月間新しく許可をだすことはない」ということであって、それまでに許可された建設現場についてはそのまま作業が続けられています。
また東エルサレムについては、「エルサレムはイスラエル領地であるから西岸地区とは同じ扱いにならない」として建設が続けられています。
パレスチナ側から見ると、10カ月間の凍結といっても、結局は何も変わっていないというのが現状です。そのため、イスラエル側の和平交渉の再開の申し入れを、パレスチナ側は受け入れません。
1月29日、イスラエルではツ・ビ・シャバットという小さな例祭がありました。この日は全国で植樹が行われます。
ネタニヤフ首相は、エルサレム郊外でパレスチナ側にくいこむエリアにあるユダヤ人の町、マアレイ・アドミムやグッシュ・エチオンに植樹し、イスラエルの領土であることを強調、さらには西岸地区の中心にあるアリエル市を訪問し、「ここは西岸地区の(ユダヤ人の)首都(キャピタル)だ。」と発言し、パレスチナ側との溝が深まった形となりました。
パレスチナ自治政府との関係のくすぶりが長引けば長引くほど、現地の入植者とパレスチナ人との暴力的な衝突の可能性が高くなってきています。
1月19日、エチオピアから新しく81人がイスラエルに移住しました。エチオピア移民の受け入れは2008年以来となります。
イスラエルは1991年15,000人のエチオピア・ユダヤ人を同国の内乱の中から救出しました。その後、2003年までに2万人を受け入れる計画で、エチオピアからの移住を受け入れてきましたが、2008年にその数が満ちたため、移住をいったん保留としていました。
しかしエチオピアにはまだ政府に移住許可を申請している人が8,000人残されています。
課題は基本的にエチオピアはキリスト教徒の国だということです。さらに、ユダヤ人が異邦人と婚姻することが多く、身元の証明が困難です。
今回帰還した81人は、すでにユダヤ人であることが証明されている600人の中の一部で、残り500人あまりが来年までには移住できる見込みとなっています。
彼らのほとんどは、家族や親戚が先にイスラエルに移住している人々です。イスラエルにいる家族たちは、エチオピアからの移住受け入れが遅れていることに対するデモを行っています。
ニュース情報源:GPO(イスラエル・プレスセンター)、イスラエル外務省HP、ハアレツ、エルサレムポスト、アルーツ7、イスラエルインサイダー、CNN、BBC、イスラエル国防軍HP、外務省HP、アル・ジャジーラなど
画像提供:www.israelimages.com、Isranet他
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