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ティーチングレター

神の律法とクリスチャン -前編-

著/ノエル・サンダーソン(オリーブの樹集会 主幹)
編/BFP編集部

編集より――今月のティーチング・レターの著者は、ノエル・サンダーソン牧師です。師は、南アフリカのダーバンにある『オリーブの樹集会』の主幹であり、また『イスラエルのために行動するクリスチャン運動』の責任者であり、BFPの顧問の一人でもあります。今回、ローマ人への手紙の中に記述されている“律法”という概念についてメッセージを頂きました。

聖書全体において、“律法﨟と訳されている言葉ほど、クリスチャンに誤解される言葉はほかにないでしょう。ヘブライ語では“トーラー”あるいは“ハラカー”がそれにあたります。“ハラカー”の語源は“歩み”“道”という意味をもっています。

詩篇119篇105節から106節「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。私は誓い、そして果たしてきました。あなたの義のさばきを守ることを。」と記されています。ユダヤ人にとって、神のおきて(律法)は彼らを縛り付けるものではなく、むしろ、神の愛を表現しているものであり、おきて(律法)によって神は、どのように正しく生きて、神の豊かな祝福を受けるかを、私たちに示されたのです。

残念なことに、一般的にクリスチャンの律法に対する態度は非常に否定的です。あたかも神が、律法という厳しい戒めを与えたことで、とてつもなく大きな過ちを犯し、その過ちは新約聖書に表されている恵みによって正されなければならなかったというような、律法を否定する宗教的環境の中に浸ってきました。

しかし、旧約聖書には“ケセッド”、すなわち「恵み」が表されています。新約聖書にも千回以上にわたって“律法”あるいは“戒め”の二つの言葉が見出されます。言い換えると、昨日も、今日も、いつまでも変わらない神は、旧約と新約の両方の聖書に、恵みとおきて(律法)を与えておられるのです。神は決して変わることがありません。

新約聖書でパウロは、ローマの聖徒たちに手紙を送りました。その中で、6種類のおきて(律法)について語っていますが、その一つが「トーラー(律法)」です。この6種類のおきて(律法)の一つ一つが、私たちの生活における力の領域とその影響力を代表しています。このティーチング・レターの中で私は、聖書全体に見られるこの重要な概念の理解を深めるために、それらを取り上げて検討したいと思います。

モーセ律法「トーラー」

これは「モーセの律法」(Iコリント9:9)あるいは「神の律法」(ローマ7:22)と記述されています。学びを分かりやすくするために、これ以降はモーセ律法を「トーラー」と表記することにします。そうすることによって、パウロがローマ人への手紙の中で記しているその他の「おきて(律法)」と比較して識別する助けとなるでしょう。

このトーラーは聖書全体の核心であり、ユダヤ人にとって、神に対する理解の基盤そのものです。そのトーラーの中心部分に、私たちが「十戒」と呼んでいる教えが存在します。しかし、聖書の最初の五書全体が「トーラー」と見なされているのです(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記=モーセが書いたとされ「モーセ五書」と呼ばれる)。

パウロはこの「トーラー(律法)」について次のように述べています。

「律法なしに罪を犯した者はすべて、律法なしに滅び、律法の下にあって罪を犯した者はすべて、律法によってさばかれます。それは、律法を聞く者が神の前に正しいのではなく、律法を行なう者が正しいと認められるからです。」(ローマ2:12-13)

この「トーラー」に関しては、三つの重要な要素があります。

「トーラー」は神によって記された

クリスチャンはこの「トーラー」が石の板に記されたという事実に注目しました。それによって、トーラーが冷たく、装飾もなく、機能的なもので、厳しく裁くための教えであると見なしてきました。そして、これを直ちに主イエスの恵み、あわれみ、優しさと対比するという傾向にありました。

その結果、トーラーはクリスチャン信仰者の生活には、無関係なものとしてしばしば拒否されてきたのです。悲しいことに、私たちクリスチャンが注目したのは、石の板という側面であり、別の側面である神ご自身の御手が、これを書かれたということには注目しませんでした。

パウロは記しました。

「私たちの推薦状はあなたがたです。それは私たちの心にしるされていて、すべての人に知られ、また読まれているのです。あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。

……もし石に刻まれた文字による、死の務めにも栄光があって、モーセの顔の、やがて消え去る栄光のゆえにさえ、イスラエルの人々がモーセの顔を見つめることができなかったほどだとすれば、まして御霊の務めには、どれほどの栄光があることでしょう。」(IIコリント3:2-3、3:7-8)

私たちは神がお書きになり、そして新約聖書自身が「栄光ある」ものだとする律法の教えに、重きを置かなくてよいのでしょうか。もしそうするならば、私たち自身がそれによって貧しくなり、また一部のユダヤ人からは、聖書の根本を理解していないと言われることにもなるでしょう。拡大解釈をするなら、律法の否定は、神ご自身の拒否につながりかねません。

「トーラー」は神の義を表している

「トーラー」の中には、神ご自身のご性質、御心が啓示されています。問題は「神がどれほど義であられるか」という点です。神はどれほど聖なるお方であり、義なるお方であるかを議論するために、多くの時間を費やすこともできるでしょう。私たちは神が罪もなく、妥協もされず、すべての面で完全であられることを知っています。

肝心なことは、聖であられることに関して、神は私たちよりも抜きんでておられ、すべての面で私たちをはるかに超えておられるということです。もし神のご臨在の中で、栄光に満ちた御座の前で永遠の時を過ごしたいと願っているなら、私たちは神に似た者とされなければなりません。

トーラーは私たちが神に似た者ではないこと、また少なくとも神のあわれみがなければ、神に似た者となることはできないことを表しています。トーラーが、神はいかに聖なるお方であるかを示しているなら、同時に、私たちがその完全に聖なる状態からいかに程遠いかをも教えていることになります。聖なる者とされなければ、神を見ることはできません。トーラーは、神の完全さと同時に、人間がいかに欠けた、多くの必要を抱えた者たちであるかを表しています。

トーラーは私を地獄の淵まで導き、神なしの生活がどのように恐ろしい将来へと導くのかを指し示してくれます。私たちに、神以外に選択できる道があるかどうかを自問させるのです。神は私たちに、その道を、救い主を通して発見できることを示してくださいました。その救い主は私の不法、すなわち私の内に「トーラー」をもっていない生活ののろいを取り除き、永遠の命という賜物を与えてくださるのです。

「トーラー」は「恵み」と衝突しない

これは、“枝打ち(余分な枝を落とすこと)”という農夫による訓練です。もし、すべての葉っぱや実を結ばないつるをそのままにしておくなら、栄養が取られ、肝心な実を結ばなくなってしまいます。イスラエルでは、豊かな実を実らせるために、かなり頻繁に枝打ちをします。降水量が少ないため、それをしないと小さくて酸っぱい果実しかならなくなってしまうのです。

こうした枝は、他の枝の実りを阻むこともあります。ヨハネ伝15章2節には次のようにあります。「わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。」

「トーラー」と「恵み」は相対するものではありません。もし私たちが神との交わりのすばらしさを十分に理解しようとするなら、その両方が必要です。トーラーと恵みとはそれぞれを補い合います。私たちに与えられた偉大な救いを十分に、また深く味わおうとするなら、その両方が必要です。

ローマ人への手紙第7章で、パウロは以下のように記述しています。「ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。」(7:12)。またこうも言っています。「私たちは、律法が霊的なものであることを知っています。しかし、私は罪ある人間であり、売られて罪の下にある者です。」(7:14)

パウロはトーラーを軽んじるようにとは、決して教えていません。彼はトーラーを高く評価し、トーラーの中に啓示されている神の聖なる光の中で、自分自身の罪深さを深刻に見据えているのです。しかし、その彼を死の状態から引き上げたのは、救い主の恵みでした。死の状態とは、律法を通して見えてくる彼自身の真の姿です。

トーラーへの価値観が低いなら、神の恵みの深さを知るための、絶対的基準をもっていないことになります。その結果として、あまりにも多くのクリスチャンが神を恐れない生活をし、十字架の前で献身を表明したとは思えない生活をしています。トーラー(おきて)の介在しない恵みは安っぽいものであり、私たちを無責任な生活へ、無力な証しへと導くのです。恵みのないトーラーは死です。

トーラーは人間には到底到達できない、神の完全な標準を示しています。私たちが行う何事も、自分自身から出たものであるなら、神との隙間を埋めることはできません。ですから、私たちは「トーラー」のもつ四つの基本的な目的を考慮しなければなりません。

トーラーは、神の恵みを必要としていることを認識させ、思いが救い主に向かうように心を整えさせます。トーラーは神によって定められた「とりなし手」「代理人」として、この役割を的確に果たしているのです。

トーラーは善と悪には違いがあることを啓示します。「トーラー」は罪を示し、その罪が引き起こす問題について指し示します。

トーラーは世界の創造主であられる神の啓示です。神の御座の前で、いつか、すべての人類は、己の人生について申し開きをしなければなりません。神のみことばは、絶対に成就するものであり、避けることのできないもの、沈黙させることのできないものです。みことばによって、天と地にあるすべての者が、やがて評価されることになります。ですから、罪の中にある人々が、主によって油注ぎを受けた人々に怒りを燃やし、反逆しようとすることはあまり不思議ではありません(詩篇2:1-3)。

また全人類の救いの鍵を握るユダヤ人を、一人残らず抹殺しようとして、それを果たせないでいることも、あまり不思議ではありません。ユダヤ人は神のトーラーを運び、伝える人々だからです。トーラーは私たちを教え導く教師であり、罪によって死んでいることを教え、また救い主によって与えられる救いへと導くものです(ガラテヤ3:24)。

トーラーの教えは、神と人類の間における永遠の証しなのです。その教えをどう取り扱うかは、私たちが選択しなければなりません。神は私たちに選択する自由意志を与えておられるからです。

初代教会の信仰者たちはトーラーから福音を宣べ伝え、福音を証明し、ナザレのイエスこそが救い主メシアであると宣言しました。彼らの時代には、新約聖書はまだ書かれていませんでした。「そこで、彼らは日を定めて、さらに大ぜいでパウロの宿にやって来た。彼は朝から晩まで語り続けた。神の国のことをあかしし、また、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとした。」(使徒28:23)

福音の聖書的基盤は、事実、トーラー自体であり、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書ではありません。これらは、主イエスの生涯とその御業の記録であり、「トーラー」に示されている神学と、救い主への待望の上に成立しているのです。モーセ五書がなければ、四福音書は、メシアと、メシアによる御業を表現するのに不十分です。これらの上に、メシアの人類救済が成り立っているのです。

トーラーはこの人類救済物語の中心的基盤であり、四福音書は、神のご計画がいかに成就したか、いわゆる「その後に起こった出来事」を記しているのです。そのご計画は、イエスによって、十字架の上でなされたあがないの御業によって成就したのです。

イエスご自身が私たちに注意を与えておられます。

「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。
だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人を教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。」(マタイ5:17-19)

ですから、神の律法に関して、全く、あるいはほとんど知識をもっていないなら、私たちは神の救いのご計画の基盤そのものを見失ってしまうのです。私たちが歴史上の主イエスのユダヤ性を認めず、あるいは神の救いのご計画全体におけるイエスのユダヤ性がなぜ重要なのかを知らないなら、神のご計画の麗しさやすばらしさを見失ってしまうことになるのです。

この学びは、神ご自身と救いの計画に関する知識を深め、さらに良い弟子となることを目的としており、私たちを主イエスから逸脱させたり、引き離そうとするものではありません。ヘブライ的なルーツを学ぶのは、ユダヤ教主義者になるためではなく、私たちが神のみことばをさらに深く理解し、明確に知るための文脈化への試みなのです。

以上、ここまで、ユダヤ人にとって聖書の根幹を成す「トーラー」の概念について学びました。次号の後編では、パウロがローマ書で展開した律法のあり方について学んでいきます。

エルサレムよりシャローム

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