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反ユダヤ主義の歴史

今までクリスチャンが知りえなかった過去

イスラエルで十字架はタブーのわけを知っていますか?

もともとキリスト教はユダヤ教の一派(当時はナザレ派と呼ばれた)として始まりました。
聖書66巻は、2巻を除き、すべてユダヤ人の手によって書かれました。また十二弟子や初代教会の信者はほとんどがユダヤ人でした。何よりもイエス・キリストはアブラハムの子孫、ユダヤ人としてこの地上に生まれました。

反ユダヤ主義のはじまり

しかし異邦人信者の数がユダヤ人信者を上回り、やがて異邦人が指導者の立場に立ち始めると、もともとあったユダヤ性が次第に取り払われていきました。

こうして「イスラエル産」であったキリスト教が、ユダヤという根から分離し、欧米化していったのです。その結果、「ユダヤ人はキリストを殺したために、神から呪われる存在となりました。神はユダヤ人を捨て、代わりに教会を選民とした」という神学が教えられるようになり、こうした土壌の中で、反ユダヤ主義が形成されていきました。

ユダヤ人とキリスト教徒の溝

両者の溝は、379年の「キリスト教のローマ国教化」によって決定的になりました。以降、ヨーロッパを中心とするキリスト教国において、ユダヤ人迫害が深刻化していきました。

ホロコースト

反ユダヤ主義が頂点に達したのが、ホロコーストです。ナチスはルターの神学を用いて、ユダヤ人抹殺の是非を説きました。こうした迫害の歴史によって、ユダヤ人の心にはキリスト教への強い遺恨と反発が植え付けられてしまいました。親から子へ、連綿と受け継がれてきた痛みは容易に癒やされるものではありません。

イスラエルでは、学校の算数の時間に「+」という記号を使いません。代わりにローマ字のTが逆さになったような記号を用います。「+」が十字架を想起させるからという理由です。

このように大きく隔てられてしまった両者の溝を埋めるため、BFPは過去の過ちを悔い改め、奉仕を通して彼らの傷を癒やし、慰めるという使命を与えられました。貧しい人々に対する実際的な支援活動を通して、彼らに本当のイエス・キリストの姿を紹介しています。その愛を体験することで、ゆがめられたキリスト像を本来の姿に戻す働きに取り組んでいます。

ユダヤ人虐殺の歴史

■379年
キリスト教がローマの国教となり、ユダヤ教徒は公職から追放され、名誉をはく奪された。最初の反ユダヤ主義的政策。
■11世紀から13世紀
この間、8回の大規模な十字軍遠征があり、ユダヤ人虐殺が行われた。
■1479~1492年
スペインにおいて、ユダヤ人に対する宗教裁判が行われた。
拷問によるキリスト教への強制改宗が実施され、ユダヤ人追放令が出された。
■1555年
イタリアで、ユダヤ人をゲットー(隔離地域)に隔離する政策がとられた。
それに伴い、ヨーロッパ、北アフリカでも、ユダヤ人ゲットーが建設されていった。
■1871年
ロシアにおいてユダヤ人大量虐殺(ポグロム)発生。
■1903年
ロシアにおいて再度ポグロムが発生。
■1939年
ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人絶滅政策)が始まり、6百万人が「ユダヤ人である」という理由だけで虐殺された。

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