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イエスの死とユダヤ人 -後編-

BFP編集部 2004年9月

メル・ギブソン監督の映画『パッション』の公開以来、「誰がイエスを殺したのか?」ということが公に論議されています。長い間、ユダヤ人は「キリスト殺し」として迫害を受けてきました。これに対する明確な回答を得るべく、当時のローマ法廷でいかにイエスの罪状が取り上げられたのか、また、聖書のみことばがどう誤解されていったのかについて、後半を学びます。

ローマ法廷で取りざたされたイエスの罪状

(1)イエスはローマに税金を納めることを禁じた?

逮捕に先だって、イエスは神殿で次のような質問を受けています。「『ところで、私たちが、カイザルに税金を納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか。』

イエスはそのたくらみを見抜いて彼らに言われた。『デナリ銀貨をわたしに見せなさい。これはだれの肖像ですか。だれの銘ですか。』彼らは、『カイザルのです。』と言った。すると彼らに言われた。『では、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。』」(ルカ20:22-25)。

しかし、サンヘドリンでの尋問の後、次のことが起こっています。「そこで、彼らは全員が立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。そしてイエスについて訴え始めた。彼らは言った。『この人はわが国民を惑わし、カイザルに税金を納めることを禁じ、自分は王キリストだと言っていることがわかりました。』

するとピラトはイエスに、『あなたは、ユダヤ人の王ですか。』と尋ねた。イエスは答えて、「そのとおりです。」と言われた。」(マタイ27:11、ルカ23:1-3、ヨハネ18:33-37)。

(2)イエスは群集を扇動し、騒動を起こそうとした?

サンヘドリン、ヘロデ・アンティパス、そしてポンテオ・ピラトのイスラエル統治は、ローマの圧制の下で揺るぎないものでした。この三者は、自分たちの立場を保持するべく、政治的に結託していました。サンヘドリンの役割は、過度に人気を集め、政治的反乱のリーダーになる可能性がある人物を、ローマに引き渡すことでした。当然のことながら、ローマの法廷で、人望を集めている人物が公正に裁かれるはずがありませんでした。

イエスがラザロを死から復活させた時、イエスに従う人々が急増し、サンヘドリンでは会議が召集されました。「もしあの人をこのまま放っておくなら、すべての人があの人を信じるようになる。そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も奪い取ることになる。」(ヨハネ11:48)

裁判の前の日曜日、ロバの子どもに乗ってエルサレムに入城するイエスの姿を見た群衆は、シュロの葉を手に、「ホザナ!!」と叫びました。メシアとして入城されたイエスのお姿に、イスラエルの国家的回復のしるしを見いだしたのです(ルカ19:28-44)。

恐らくパリサイ人たちは、「イエスに向かって、『先生。お弟子たちをしかってください。』と言った。」(39節)のでしょう。「このイエスは、ローマの支配を転覆させようとしているのではないか……ちょうど祭り(過越)の時期で、エルサレムがユダヤ人の巡礼者でいっぱいになる。こんな時に暴動が起こったら……。」

この予想に、政治的に結託した三者は、不安に陥ったことでしょう。そこでカヤパは次のように結論付けたのです。「ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。」(ヨハネ11:50)

(3)イエスは反乱をたくらんでいたのか?治安妨害で有罪?

「反乱扇動―治安妨害」この理由のために、ついにイエスはピラトによって有罪と宣告されました。“王”という言葉は、この裁判の場面において、マタイ、マルコ、ルカ伝の中で頻繁に使われ、ヨハネ伝には12回出てきます。

「そこでピラトはイエスに言った。『それでは、あなたは王なのですか。』イエスは答えられた。『わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。』」(ヨハネ18:37)

イエスは、ピラトによって、“王”として、ローマ帝国に反乱をもくろんだとされ、有罪とされました。ヘロデとピラト、両者とも、この罪状を信じました。十字架の上に置かれたイエスの罪状書きには「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」とありました。イスラエルの救い主、メシアとしてではなく、政治活動のリーダー、「治安妨害者」とされたことは、どんなに主の御心を悲しませたことでしょう。

サンヘドリンが、イエスをローマ法廷に送ったもう一つの理由は、彼らが民衆に支持されていなかったことです。人々の支持は、イエスにありました。カヤパとサンヘドリンの議員は、商人たちを通して人々に過度な支払いを強いていましたが、イエスは神殿から両替商を追い出しました。この出来事によって、イエスは英雄となりました。

問題の種を取り除かなければならないとはいえ、ピラトはイエスとかかわりをもちたくはありませんでした。そこで彼はガリラヤの統治者であり、そのころエルサレムに滞在していたヘロデ・アンティパスの下にイエスを送りました。

新約の福音書は、反ローマの要素を醸し出さないよう、細心の注意を払って記されています。なぜなら初代教会は、続く300年間、ローマ統治下で生きなければならなかったからです。「(ヘロデは)イエスに会いたいと思っていたし、(ルカ23:8)」と穏便に書かれていても、実際にはイエスの親せきであるバプテスマのヨハネの首をはね、今度はイエスの命を狙っていることは、周知の事実でした。

しかしヘロデは、自分がガリラヤで支配者であり続けるために、ガリラヤのユダヤ人の間で人気の高かったイエスに、自分が手を掛けて処刑することは得策ではないと考え、ピラトが手を汚してくれることを願い、イエスを彼の下に送り返しました。

「この日、ヘロデとピラトは仲よくなった。それまでは互いに敵対していたのである。」(ルカ23:12)。これはルカ伝の謎めいた表現ですが、こうして見ると、なぜそうなったかがよく分かります。ここに、イエスを殺害せんとする、二人の人物によるローマの陰謀が見え隠れしています。

最終的に手を下したのはピラトでしたが、ヘロデとサンヘドリンに、毎回自分が手を汚すことを期待させたくはありませんでした。そこで皆がかかわって決定したことにし、自分の立場が悪くならないよう状況を操作し、注意深く巧みに演出を施しました。

「あの人には、死に当たる罪は、何も見つかりません。」(ルカ23:4、22)と宣言し、罪人バラバを引き出すことで、あたかも自分はイエスに好意的であるかのように見せ掛けました。彼は、サンヘドリンによって買収された群集が、何と応答するかを知っていました(ルカ23:13)。

民衆が「バラバを!」と叫んだ時、ピラトは非常に劇的に、「……群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。『この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。』」(マタイ27:24)という行動をとりました。この十字架刑の責任は、ユダヤ人の指導者たちが取るべきだという演出です。

ピラトがイエスに対して同情的に見えるのは、ローマからの攻撃を防ぐために、福音書の記者たちが、注意深く言葉を選んで表現した結果です。福音書が成立した時代、キリスト教はまだ、ローマで非公認でした。それゆえ、ローマ帝国とローマ人に対して、気を遣う表現にとどめるしかありませんでした。

もしピラトが本気でイエスを釈放する気があれば、ローマの執政官としての権限でそうすることができたはずです。ピラトはイエスに大変な痛みと苦しみを与えました。動物の骨や鉄のトゲがついた皮のムチで、背中の肉がむけるほどに打たせました。イエスはその痛みのために、十字架を担ぐことができませんでした。鋭いとげが付いたイバラの冠をイエスの頭部に押し付け、背には王の衣を着せてあざけりました。そして無残な十字架刑に処しました。

言語学的な誤解

みことばに含まれている単語が正しく理解されないことも、ユダヤ人に対する誤解を生む原因となりました。

マタイ27章24節から25節には、次のようにあります。「そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。『この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。』すると、民衆はみな答えて言った。『その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。』」

ルカ伝23章27節から28節には、こう記されています。

「大ぜいの民衆やイエスのことを嘆き悲しむ女たちの群れが、イエスのあとについて行った。しかしイエスは、女たちのほうに向いて、こう言われた。『エルサレムの娘たち。わたしのことで泣いてはいけない。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのことのために泣きなさい。』」

そしてヨハネは、こう記しています。「そこでピラトは彼らに言った。『あなたがたがこの人を引き取り、自分たちの律法に従ってさばきなさい。』ユダヤ人たちは彼に言った。『私たちには、だれを死刑にすることも許されてはいません。』

これは、ご自分がどのような死に方をされるのかを示して話されたイエスのことばが成就するためであった。」(ヨハネ18:31-32)……「ユダヤ人たちは彼に答えた。『私たちには律法があります。この人は自分を神の子としたのですから、律法によれば、死に当たります。』」(ヨハネ19:7)

イエスが復活された後、ヨハネはこう記しています。「その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。『平安があなたがたにあるように。』」(ヨハネ20:19)

これらの言葉をそれぞれ見ていきましょう。

「群衆」

“群衆”を意味する言葉は、ギリシャ語の“オクロス”で、複数形です。ギリシャ語の“群衆”である「オクロス」ですが、当時イスラエルで使われていたアラム語には、これに該当する言葉がありませんでした。ヘブライ語では「オクリーム」という言葉で、「すぐそばにいる人々」「近くにいる人々」を表しました。

集団の人数とは関係なく、むしろ、距離感を表しています。福音書には、イエスが十二弟子に語られる場面がありますが、その後「群衆の方を向いて」という表現が出てきます。これは、イエスが群衆の前で十二弟子と私的な会話をされたのではなく、近くにいた別の人々と話をされた、ということです。

ミシュナーに出てくるあるラビは、通常10人の弟子たちに向かって話しますが、この弟子たちは「オクリーム」の言葉で呼ばれ、たくさんの群衆ではなく、周りにいた人々を指します。

それゆえ、ピラトの官邸の中庭で、「十字架に付けろ」と叫んでいたのは、いわゆる「群衆」でも、大勢の人々でもなく、間近で見ていた、サンヘドリンに属する23人のサドカイ派の司祭たち、また、何が起こっているのか、単なる好奇心で足を踏み入れた見物人たちでした。祭司たちは、イエスが宮で両替商たちを追い出したことに腹を立てていたので、ここぞとばかり復讐をしたのです。

「娘たち」

十字架からイエスは女性たちに向かって「エルサレムの娘たち」と呼んでいます。この“娘たち”(ヘブライ語で“バノット”)は、大変興味深い表現です。人物の名前に続いてこの言葉を使うとき、その人物の娘たちを表します。

しかし、この言葉が「エルサレム」のように、“場所﨟と結び付けられて語られるとき、それは、“エルサレムの城壁の外に住む、社会からつまはじきにされた貧しい人々”を意味します(エルサレムの娘たち=エルサレムの貧しい人々)。

ですから「バノット」は、群衆そのものを指します。なぜなら当時、イスラエルの大半の人々が、城壁の外に住んでいたからです。有力な政治家、商人、聖職者たちは城壁の内側に住むことができました。ですから、イエスに付き従って歩き、イエスの上に起こっていることを目撃しながら涙を流していたのは、まさにこうした“群衆”でした。

「ユダヤ人」

ギリシャ語ではユダヤ人を指す言葉として“イオダイオス”が使われています。この言葉は、歴史家ヨセフスの著作に5千回使われていますが、うち4900回は、「ユダヤ地方の人々(ユダヤ地方―イスラエル南部。エルサレム、ヘブロンなど)」というふうに限定して使われています。

当時のイスラエル内では、“ユダヤ人”とは通常、厳密には“ユダヤ地方の人々”を指し、ガリラヤ地方の人々などは含まれていませんでした。ですから、この箇所に出てくる「ユダヤ人」という言葉は、実は「ユダヤ地方の人々」と訳されるべきなのです。なぜなら、ここで叫んでいたのはユダヤ地方の人々で、彼らが住んでいる地域で起こっていた出来事だったからです。

残念ながら、今日でもなお、“ユダヤ人”と呼ばれるすべての人々に対し、この“ユダヤ地方の人々”が発した言葉が適応され、この民族すべてが、イエスの死に責任あるようなとらえられ方をされています。

ローマ時代、離散地に住んでいたユダヤ人の数は、実際にイスラエルに住んでいたユダヤ人の数より多かったのです。当時、大半のユダヤ人はイスラエルにいなかったことになります。イエスの処刑の現場には、ローマ兵が大きく関与しています。

これに対して、現代のイタリア人は果たしてどう感じるのでしょうか。私はこれまで一人として、イタリア人が十字架のことで迫害されるのを見たことがありません。

しかし、ユダヤ人は違います。彼らは2千年も前に起こった十字架の出来事に対し、関係があると言われ、責任を追及されているのです。ですから、今後、この箇所を読むときには、「ユダヤ人」としているところを「ユダヤ地方の人々」と解釈するのが良いでしょう。

私たちにとってどんな意味があるのか?

イエスの死は、世界を救い、私たちを御許に立ち返らせるための救済計画の一部として、神ご自身が預言されたものです。

逮捕、裁判、十字架刑という、幾つかの場面において、語られた言葉、なされた行いは、確実に預言が成就したことを表しています。十字架刑は、イエスにとって驚くべきことではありませんでした。主のみことばをお聞きください。

「わたしが自分のいのちを再び得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです。」(ヨハネ10:17-18)

ユダヤ人はイエスを殺したのでしょうか?――いいえ、手を下したのはピラトとローマ人であり、腐敗したカヤパ率いるサンヘドリン議会がその陰謀の一端を担いました。そこにヘロデ・アンティパスもかかわっていました。ユダヤ人全員、あるいはローマ人全員が、イエスの死の責任を負っていたわけではないのです。

「キリスト殺し」のレッテルが、キリスト教の歴史を通してユダヤ人の上に張られてきたことは、決して正しいことではありません。サンヘドリン内の一部の人間がかかわり、または一部のユダヤ人たちが「その人の血はわれわれに、われわれの子孫にかかってもよい」と叫んだからと言って、それがすべてのユダヤ人に対して適応されることではないのです。

第一に、少数の人間が発した言葉が、民族的な意見とされ、それが全世代のすべての人間が負う責任となることは、正当化されることではありません。

第二に、もし、ユダヤ人がイエスの死の責任を負うのであれば、それは異邦人も同様です。なぜなら、実際にイエスの死刑を執行したのは、異邦人であるローマ兵だったからです。彼らはイエスを十字架に釘付けにしました。

第三に、イエスは、全人類の罪のために、進んでご自分を死に渡されました(ヨハネ10:17-18)。ですから、正確には、私たちの罪が、イエスを十字架に釘付けにしたのです。ユダヤ人の群衆たちでもなければ、ローマの軍隊でもありません。

第四に、死なれる前、イエスは次のように仰せられました。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)。もし、この件について、イエスがユダヤ人、そしてローマ人の両方を赦されているのだとしたら、彼らと同じ者である私たちが軽く扱われることがあるでしょうか。

第五に、最も重要なことですが、十字架にかけられた三日後、主は死よりよみがえられました。これこそ、キリスト教信仰の土台となる教えです(Iコリント15:14)。それゆえ、誰かに対し死の責任を負わせる必要はないのです。主は生きておられます。そして私たちは、父なる神が、この世界を愛され、ご計画をもって私たちを救い出されたことを信じる者たちなのです。ハレルヤ!!

エルサレムよりシャローム

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