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イエスの死とユダヤ人 -前編-

BFP編集部 2004年8月

キリスト教の歴史において、「しゅろの日曜日」から「復活祭(イースター)の日曜日」までの1週間である“受難週”は、ほとんどのユダヤ人社会にとって、恐怖に満ちた期間でした。

クリスチャンは“キリスト殺し!!”という叫びと共にユダヤ人の町を踏み荒らし、彼らを痛めつけ、家屋や財産を破壊しました。イエスの死には何もかかわっていない人々に対し、復讐心をぶつけたのです。この週に、多くのユダヤ人が殺され、追放され、彼らの集落が破壊されました。

ヨーロッパでは、不況、疫病、戦争など、何か深刻な問題が起こった場合、多くにおいてユダヤ人は、それらの原因をつくった張本人として、スケープゴート(身代わりの羊)とされ、怒りのはけ口とされてきました。アドルフ・ヒトラーは、まさに同じ理由からユダヤ人撲滅を世界に提示し、600万人ものユダヤ人を殺りくしました。

4世紀末、アンテオケ教会の司教に、ヨハネス・クリソストム(通称“黄金の舌”)という大説教者がいました。

彼は、会衆の一部が、ユダヤの礼拝に参加し、ユダヤ人と交流をもっていたことが気に入らず、ユダヤ人、またその著作とかかわってはならないと会衆に警告しています。「ユダヤ人は神から見捨てられた者たちで、その罪に対しては、いかなるあがないも不可能である。」

クリソストムは、“キリスト殺し”が、ユダヤ民族全体の罪であるとしました。これは以後1600年間、反ユダヤ主義者によって唱えられ続けることになります。

俳優メル・ギブソンが監督した映画『パッション』の公開により、“誰がキリストを殺したのか?”という疑問が、公に議論されるようになりました。これは、私たちすべてのクリスチャンが的確に回答するべき、大切な質問です。

イエスの死をユダヤ人のせいとして非難する一方、この出来事に対し手を洗い“責任がない”と公言したポンテオ・ピラトには、本当にその責任がないのでしょうか。悪役はユダヤ人で、ローマ人は罪のない犠牲者と言えるのでしょうか。

この“誰がイエスを殺したか”を理解する重要性を、今月と来月の2回に分けて学んでいきます。今回、聖地研究所の設立者であり同僚である、ジェームズ・フレミング博士による研究から、幾つかの情報を引用させていただきました。

なぜ、主イエスは死なれなければなかったのか?

神学的には、クリスチャンは主イエスを、メシヤ、神の子、“世の罪を取り除く神の子羊”(ヨハネ1:29)と見ています。エルサレムに神殿があった時代、人々は動物をいけにえとして捧げ、その血が流され、死ぬことによって、罪のゆるしを得ていました。反抗的で罪深い性質をもつ私たちは、死に値する者たちなのです。しかしながら、神は、私たちの罪をゆるすために、十字架のあがないを与えてくださいました。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネ3:16-17)

この大いなる救いは、十字架の死によってしか与えられませんでした。神が求められる“完全な罪のいけにえ”、それが成されなければならなかったのです。そして神は、それをご自身で実行なさいました。完全な人であり、完全な神であられる主イエス、この方が地上に来てくださり、完全な者の生き方を示してくださり、すべての人間の犠牲となってくださったのです。

主イエスは、ご自身が十字架にかかられることを前もって預言しておられました。「あなたがたの知っているとおり、二日たつと過越の祭りになります。人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」(マタイ26:2)

「人の子が栄光を受けるその時が来ました。まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」(ヨハネ12:23-24)

“十字架刑”という舞台の役者たち

十字架――舞台はエルサレム、役者たちはユダヤ人とローマ人です。祭司たち、弟子たち、見物人、兵士、支配者、そして政治家――それぞれの役割は、この出来事が成るために、神が前もって定めておられました。

「イエスは(ピラトに)答えられた。『もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです。』」(ヨハネ19:11)

ゲッセマネの園でイエスが大祭司の手下たちに捕らえられた時、ペテロが刀を抜いて手下の一人の耳を切り落としました(ヨハネ18:10)。

イエスはペテロに刀を収めるように命じ、次のように仰せられました。「それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。」(マタイ26:53)

これらの主のことばからお分かりの通り、すべてはこのように起こるべく定められていたのです。

しかし後世の人々は「ユダヤ人がそうしなかったらこのことは起こらなかった」ととらえ、ユダヤ人をイエスの死の張本人として責めるようになりました。実際は神ご自身がお定めになり、人間的な思惑や感情などもすべて用いられ、起こるべくして起こった出来事なのです。では、どうして教会が歴史的に、このような敵意むき出しの告発を、ユダヤ人に向けるようになったのでしょう。

イエスの裁判と十字架刑の出来事に関する誤解の一つに、クリスチャンの目線を、ユダヤ人の指導者層に向けさせたことが挙げられます。また、教会が成長するにつれ、異邦人の指導者や信徒の数が多くなったことも影響しました。

さらに、ローマ帝国ではユダヤ教が認可される一方、教会は弾圧を受けていたこともあって、ユダヤ教自体に反発するまでになりました。こうして教会は、ユダヤという源から切り離され、ユダヤ人に対する最大の攻撃者となっていきました。

イエスの死にかかわるみことばを正確に読み、文脈に基づいて理解することで、ユダヤ人に対する迫害を生み出した、この悲しむべき歴史の誤解を明らかにしていきたいと思います。

●イエスを死に追いやったのは大祭司と長老たち?

「さて、夜が明けると、祭司長、民の長老たち全員は、イエスを死刑にするために協議した。」(マタイ27:1)

●ユダヤ人はキリスト殺しであり、その罪のために常にのろわれるべき存在?

「……しかし、彼らはますます激しく『十字架につけろ。』と叫び続けた。……すると、民衆はみな答えて言った。『その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。』」(マタイ27:23、25)

●ポンテオ・ピラトは、バラバの代わりにイエスを釈放するべく努めた、公正なローマの為政者だった?

「ピラトは祭司長たちと指導者たちと民衆とを呼び集め、こう言った。『あなたがたは、この人を、民衆を惑わす者として、私のところに連れて来たけれども、私があなたがたの前で取り調べたところ、あなたがたが訴えているような罪は別に何も見つかりません。ヘロデとても同じです。彼は私たちにこの人を送り返しました。見なさい。この人は、死罪に当たることは、何一つしていません。だから私は、懲らしめたうえで、釈放します。』」(ルカ23:13-16)

「……またユダヤ人たちのところに出て行って、彼らに言った。『私(ピラト)は、あの人には罪を認めません。』」(ヨハネ18:38)

「また、ピラトが裁判の席に着いていたとき、彼の妻が彼のもとに人をやって言わせた。『あの正しい人にはかかわり合わないでください。ゆうべ、私は夢で、あの人のことで苦しいめに会いましたから。』」(マタイ27:19)

「そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。『この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。』」(マタイ27:24)

これらのみことばをただ読む限りでは、ユダヤ人の罪を追及し、ローマ人のピラトをかばっているように見えます。

しかしながら、実際に企てられていた陰謀を理解するために、当時のユダヤ、およびローマの法律、また、サンヘドリン(ユダヤの最高立法機関)、ユダヤ地方を治めていたローマ人の執政官(ポンテオ・ピラト)、ガリラヤの執政官(ヘロデ・アンティパス)、この三者の間で企てられていた策術を把握する必要があります。また、言語学的にも、当事者たちが使った言葉が、いかに誤解の元であったかを知る必要があります。

ユダヤ人の尋問とローマの裁判

イエスの裁判――ここには完全に二つの異なった法廷システムが存在しました。ユダヤ教の法廷、つまりサンヘドリンは、宗教関係のことだけを扱いました。一方のローマ法廷は、生活に関係する民事を扱いました。

今日のイスラエルも同様で、宗教、生活(出生、結婚、離婚、葬儀、遺言書の検認)を扱う宗教法廷が、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と、宗教ごとに設置されている一方、一般の法廷は、民事、および刑事を取り扱います。2000年前とさほど変わっていないのが現実です。

イエスの時代、すべてのユダヤ人の町には、三人の裁判官が置かれていました。エルサレムにあるサンヘドリンは三つの法廷に分けられていて、それぞれ23名の議員で構成されていました。

国家にかかわる重要事項は、サンヘドリン全体が一堂に会し(69名の議員が集まる)、大祭司が加わることで、総勢70名となりました。イエスが逮捕された夜、連れていかれたのは、大祭司カヤパの官邸でもたれていた三つの議会のうちの一つでした。

それより先に、ヨハネ伝11章には、カヤパが民衆を扇動して、イエスを殺そうと計画していたことが伺えます。イエスの名声が高まり、己の地位が危うくなることを自覚したからです。

カヤパの官邸では、裁判ではなく、むしろイエスに対する尋問が行われました。なぜなら、サンヘドリンの権限は、ローマによって尋問を行うだけに制限されていたからです。したがって、サンヘドリンでは死刑宣告はもちろん、体罰を与えることもできませんでした。むしろこれはローマ側の権限でした。

ユダヤ教の法廷は、イエスをメシヤ(神の子)として認めることなく、神を冒涜したと判断し、民事の次元でイエスの罪状をでっち上げ、ローマの裁きに引き渡しました。「それから、イエスを縛って連れ出し、総督ピラトに引き渡した。」(マタイ27:2)。「そこでピラトは彼らに言った。『あなたがたがこの人を引き取り、自分たちの律法に従ってさばきなさい。』ユダヤ人たちは彼に言った。『私たちには、だれを死刑にすることも許されてはいません。』

これは、ご自分がどのような死に方をされるのかを示して話されたイエスのことばが成就するためであった。」(ヨハネ18:31-32)

ミシュナーと呼ばれるユダヤ教の教典によれば、ローマは地元イスラエルのユダヤ人ではなく、ローマの価値観に染められた離散先のユダヤ人を4人連れて来て、大祭司職にすえたと書かれています。

そのため、サンヘドリンはローマにおもねるようになりました。その大祭司の一族とは、イシュマエル家、フェオベ家、カトロス家、ハナン家でした。エルサレムで今日“シオンの丘”と呼ばれている場所に、かつてのサンヘドリンが置かれていました。

タルムードにある“ペサヒーム”という章には、これらの祭司一族についての批判が書かれています。祭司が縁者を良い地位に就かせて汚職を行っていたこと、大祭司の決まりきった偽善に満ちた祈りの態度、書類に署名しながらも後で心変わりするがゆえに信用が置けなかったこと、人々が神殿で捧げ物を捧げる時期になると、手下の悪漢たちを人々に送り、棒で殴って痛めつけ、捧げ物を出すようゆすっていたこと。

主イエスが神殿で商いをしていた両替商たちを追い出したのは、本来、神に祈りを捧げる宮である神殿を強盗の巣に変えたとして、商人たちからわいろを受け取って私腹を肥やしている祭司たちに対し、激しい怒りをもって反発したからでした。

この祭司の家系の一つがハナンの家で、福音書にも出てきますが、カヤパは彼の義理の息子に当たり、イエスが十字架刑に処された当時、カヤパを大祭司職に任命した人物でした。

カヤパは、最も堕落した大祭司の一人でした。1世紀のアレキサンドリアのユダヤ人であり、歴史家であったファイロは、カヤパは、袖の下をもらった時にだけ訴訟を取り上げ、重要な案件はすべて、盟友であるポンテオ・ピラトの方に送っていた、と記しています。

サンヘドリンで取りざたされたイエスの“違反”

(1)イエスは“モーセの律法を否定した”?

マタイ伝5章17節でイエスは仰せられています。「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。」

(2)イエスは“安息日を批判した”?

当時のユダヤ教の二大学派の一つ“シャマイ”の門下では、穀物を食べるとき、手の中でもんでから食べることを禁じていました。

しかし、もう一つの学派“ヒレル”では許されていました。マルコ伝2章23節から38節では、イエスの弟子たちが、安息日に麦の穂を摘んで食べたことに対し、シャマイの門下生だったパリサイ人から非難が起こりました。

対してイエスは、ヒレルの学派からの教えを背景に、弟子たちは安息日を破ってはいないとし、こう結論しました。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。」(27節)

(3)イエスは魔術によって人々を癒やした?

イエスは癒やしを行う人として知られていました。サンヘドリンが言う「悪魔的な力」によってでしょうか。

マタイ伝12章24節から28節にかけて、イエスは安息日に、癒やしの御業を行っておられます。「これを聞いたパリサイ人は言った。『この人は、ただ悪霊どものかしらベルゼブルの力で、悪霊どもを追い出しているだけだ。』

イエスは彼らの思いを知ってこう言われた。

『どんな国でも、内輪もめして争えば荒れすたれ、どんな町でも家でも、内輪もめして争えば立ち行きません。もし、サタンがサタンを追い出していて仲間割れしたのだったら、どうしてその国は立ち行くでしょう。また、もしわたしがベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているのなら、あなたがたの子らはだれによって追い出すのですか。だから、あなたがたの子らが、あなたがたをさばく人となるのです。しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。』」

(4)イエスは神殿に反発していた?

次のことが取りざたされました。「この人は、『わたしは神の神殿をこわして、それを三日のうちに建て直せる。』と言いました。」(マタイ26:61)。イエスは確かにそうおっしゃいましたが、それは明らかに誤解されて受け取られていたので、イエスはご自分を弁護されることなく、何もおっしゃいませんでした。

(5)イエスは偽メシヤとして、神を冒涜した?

メシヤであること、そこには何の罪もありません。ローマ帝国の圧政下にあった1世紀、少なくとも、メシヤを名のる六人の人物が現れ、偽者として終わっています。メシヤというだけでなく、神と同等の権威をもつことを宣言することは、神への冒涜ですから、このことでサンヘドリンがイエスを非難したことは分かります。

「それで、大祭司はイエスに言った。『私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。』イエスは彼に言われた。『あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。』

すると、大祭司は、自分の衣を引き裂いて言った。『神への冒 だ。これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなたがたは、今、神をけがすことばを聞いたのです。どう考えますか。』  彼らは答えて、『彼は死刑に当たる。』と言った。」(マタイ26:63-66)。「ユダヤ人たちは彼に答えた。『私たちには律法があります。この人は自分を神の子としたのですから、律法によれば、死に当たります。』」(ヨハネ19:7)。

イエスは真のメシヤですが、これをサンヘドリンは信じませんでした。ユダヤ教の記録によると、サンヘドリンの議員たちの大半は堕落していたので(ガマリエルやアリマタヤのヨセフを除いて)、彼らのほとんどが、イエスは神を冒涜していると判断しました(マタイ26:62-66、ヨハネ19:7)。

尋問の後、サンヘドリンはイエスを罰するべく、ローマの法廷に引き渡しました(マタイ27:1-2)。

しかし、ローマの法廷では、律法を破ったという罪を、置き換える必要がありました。メシヤを名乗って神を冒涜したこと、油注がれた者だけに属する権威があると宣言したことは、「民衆を煽動し、ローマに対しクーデターを企てた」という罪状に書き換えられることになりました。

来月は、“ローマの法廷でイエスはどのようにして裁かれたのか”、言語学的なミスによって生まれた誤解、この二つに焦点を置いて、イエスの死とユダヤ人との関係について明らかにしていきます。

エルサレムよりシャローム

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