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安息日を覚えよ -後編-

BFP編集部 2004年7月

先月の前編では、安息日の意味について、みことばとヘブライ語の原語から学習しました。今月は、実際に現代のユダヤ人が安息日をどう守っているのかを学び、かつ現代の私たちに、安息日がどのように適応されるかについて考えたいと思います。

典型的な安息日

準備

安息日はユダヤ人にとって、創世記1章にある創造を基準として、日没から始まります。「こうして夕があり、朝があった。第一日。」――彼らはこの箇所から、聖書は一日が夕方、すなわち日没から始まると結論付けています。

ですから、金曜日の午後2時か3時ごろになると、保守的なユダヤ人は仕事を切り上げて、安息日の準備に取り掛かります。家はきちんと掃除され、家族は全員入浴し、着替えを済ませます。最上の皿と食器類が並べられ、祭り用のごちそうが用意されます。

安息日に“してはならない”とされるすべてのことを、前もって準備しなければなりません。電灯や電気器具は前もってスイッチが押されます。タイマーの設備がある家では、時間設定を行います。冷蔵庫の中の豆ランプも、開けたときに電気がつかないよう、取り外しておくか、またはランプを緩めておきます。また、安息日に取るすべての食事が、前もって用意されます。

一家の主婦によって安息日のろうそくに火がともされ、遅くても日没の18分前(18はヘブライ語でハイ=“命”を表す)までに祝福の祈りが捧げられることで、安息日が始まります。ろうそくは2本ともされますが、この2本は前編の後半で紹介した“ザホール(覚えること)”と“シャモール(守ること)”という、神の二つの戒めを表しています。男性は必ず、約45分間の短い夕拝に参加します。家族全員で、この夕拝に出席する人もいます。

家族への祝福

礼拝の後、家族はお祝いのごちそうをゆっくりと食べるために帰宅します。食べ始める前に、父親が子どもと母親のために祝福を祈ります。

息子たちのためには、創世紀48章20節でエフライムとマナセに与えられたヤコブの祈りが唱えられます。「そして彼(ヤコブ)はその日、彼らを祝福して言った。『あなたがたによって、イスラエルは祝福の言葉を述べる。「神があなたをエフライムやマナセのようになさるように。」』」心を合わせて、家族の将来のために協力し合った二人の少年たちの姿勢が、このように、何千年にもわたって、ユダヤ人の子どもたちを育てる基準となっているのです。

娘たちは次のような祝福を受けます。「あなたを神がサラやリベカ、ラケルやレアのようにしてくださるように。」これらの女性たちは皆、感受性が強く、洞察力に優れ、犠牲的精神に富んでおり、全能者である神と特別なつながりが与えられ、神から受けた賜物を他の人々のために、そしてユダヤ人のために用いました。その場にいない子どもたちのためにも、祝福の祈りが捧げられます。これは、愛と深いかかわりをもつ時間であることが分かります。

夫が妻を祝福するためによく用いるのが、箴言31章10節から31節のみことばです。これは妻が特別な存在であることを表すとともに、子どもたちにも、母親は尊敬するべき存在であることを示すものとなります。

ぶどう酒とパンの祝福の祈り

安息日の祈りを捧げる一家

それから主人は、神が安息日をきよめてくださるようにと、“キドゥーシュの祈り”をぶどう酒の聖別のために捧げます。

“キドゥーシュ”という言葉は“カドゥーシャ”“コデシュ”と同じ語根から来ており、“聖とする”“物質を霊的な基準へと引き上げる”ことを意味しています。

それからパンを食べるための祈りが捧げられます。「ハラー」と呼ばれる、一般的には女性の三つ編みの形をした、甘い卵入りのパン2個を前にして祈ります。2個のパンが用いられるのは、荒野を旅するイスラエルの民が、金曜日には普段の2倍のマナを集め、安息日にも引き続き食べたことを思い起こすためです(出エジプト16:22-30)。

パンとぶどう酒は、聖書では象徴的なものとして用いられていますが、神が必要を備えてくださるしるし、また和解や、新しい人間関係の成立、維持のための“契約の食事のしるし”としても用いられます。神との和解を象徴する“聖さん式”の起源も、ここにあります。

ユダヤ人にとって、食事の祝福の祈りは、食べ物を祝福してくださいという祈りではなく、食べ物を備えてくださった神への感謝として捧げられます。

食事

家族はそれから食事を始めます。一般的に安息日に料理をすることは禁止されています。ですから、シチュー類か、長時間かけて料理された食べ物、あるいは温められた物を食べることになります。安息日のために料理された食べ物は、専用の器具で温め直すことができます。

食事の後、「ビルカット・ハ・マゾン(食事後の感謝)」が捧げられます。この祈りは毎日捧げられますが、安息日には家族全員で、喜びを込めて、メロディーをつけてゆっくりととなえます。これが全部終わるころには、すでに9時、あるいはそれよりも遅くなっています。それから1、2時間、おしゃべりをしたり、聖書を学んだりしてだんらんを楽しんでから就寝します。

安息日

翌日、安息日の礼拝が午前9時ごろ始まり、正午ごろ終わります。礼拝後、家族は皆キドゥーシュの祈りを捧げ、さらにお祝いの食事をのんびり頂きます。典型的なこの午後の食事には、ホレントと呼ばれる、ゆっくり煮込んだシチューを食べます。

「ビルカット・ハ・マゾン」が捧げられる時には、もう午後2時ごろになっています。家族はしばらく聖書を学び、おしゃべりをし、午後の散歩に出かけたり、遊んだり、ゲームをしたり、あるいはゆったりとレジャーを楽しみます。昼寝をする人もいます。安息日が終わる前に三回目の食事をするのが習慣です。これは普通、午後の遅い時間に食べる軽食です。

ハヴダラー

安息日は、土曜日の日没後、三つの星が見えるようになった時、太陽が沈んでからおよそ20分後に終了します。

安息日が完結した時、家族はハヴダラー(「離別」「分別」の意)と呼ばれる完了の儀式を執り行います。

ぶどう酒や香辛料、ろうそくを前にして、神への感謝の祈りが捧げられます。ぶどう酒は皿の上に乗せられたコップに並々と注がれ、あふれ出すほど注ぎます。これは聖書的な喜びの象徴です。「私の杯は、あふれています」(詩篇23:5)とあるように。ろうそくがともされ、安息日の光を週日にも思い出せるようにします。

香料を穴の開いた入れ物にしまい、その良い香りを漂わせることで、去っていく安息日の余韻に浸ることができます。その香りが週日へと続いていく中で、過ぎ去った安息日を思い出し、次の安息日が近づいていることに希望を見出すのです。ハヴダラーの祝福の祈りは、聖なるものと俗なるもの、安息日と他の週日との区別を覚えるために唱えられます。

このように適切に守るなら、安息日は充実した日、家族にとって非常に落ち着きのある、元気を取り戻す日となります。ユダヤ人は、テレビをつけられないこと、車を運転できないこと、買い物ができないことを寂しくは思いません。むしろ家族と共に、また神と共に時間を過ごすことのできる、はるかに大きな利得のある日だと思っています。

土曜日と日曜日の論議

歴史的に、キリスト教会では、土曜日か日曜日か、どちらをクリスチャンの礼拝の日と定めるかという論議がずっと続けられてきました。

創世記2章1節から3節でも明らかにされているように、安息日は聖なる日と定められています。また、創造の第七日目を自ら休まれ、モーセに律法をお与えになるはるか以前から、すべての人類に神は手本を示しておられます。さらに、安息日を守るべきことは十戒の中でも教えられています(出エジプト20:8-11)。そして新約聖書は、十戒を無効とはせず、続けて守るべきものであると明示しています。

新約聖書には、安息日を守るようにという命令は記されていませんが、新約聖書の著者たちは、安息日を守ることを非常に大切にしていたことが分かります(モーセレイ2、RonMoseley,Sabbath,Sunday,Controversy,N.LittleRock,AR:MozarkPublications,2002)。

イエスとその弟子たちが、「安息日を守っていない」とパリサイ人から責められた時(マタイ12:3-5)、主は彼らの行動を、安息日を守っているのだと強調され、聖書から弁護されました。

主は安息日の四大目的を次のように教えられました。[1]良いことをする、[2]命を救う、[3]あわれみを示す、[4]男性、女性、動物を肉体的、霊的な束縛から解放する(マタイ12:7、12、マルコ3:4、ルカ13:16)。

福音書はイエスの昇天直後に書かれたのではなく、その後、30年から60年後に書かれました。初期教会はユダヤ人の教会であり、すべての人は神殿の破壊後(紀元70年)も、ずっと安息日を守っていたのです。そして新約聖書の記事では、それが当たり前のこととして記されています。

主イエスと弟子たちは、安息日にシナゴーグで行われる聖書朗読に、ナザレで参加しています(ルカ4:16)。使徒行伝の時代にも、弟子たちはシナゴーグに行っています(使徒13:14、42、16:13、17:1-2、18:4)。主がエルサレムの神殿の破壊を預言された時、主はそのことが安息日に起こらないように祈りなさい、と勧めておられます(マタイ24:20)。

パウロは異邦人に、シナゴーグで安息日に頻繁に語っています。パウロがエルサレム教会の兄弟たちに、律法と昔からの習慣を破っていると非難されたことがありました。しかし後に、非難した側の人々の再調査で、パウロが「律法を守って正しく歩んでいること」が分かりました(使徒20:16、21:20-24)。これは確かに、安息日を守っていたことも含まれているはずです。ですから、パウロの書簡の一部を用いて、“クリスチャンは安息日を守るべきではない”と証明しようとするのは正しくありません。

ガラテヤ書4章9節から10節において、パウロはガラテヤ人に向かって、彼らを、再び奴隷状態に追い込む、無力で無価値な教えに逆戻りしていると叱責しています。パウロは、彼らが各種の日や月、特別な季節や年を守っていると指摘しています。

パウロはこれらをユダヤ人に書いているのではなく、回心した異邦人に対して、再び昔の異教的な祭りに戻ってはならないと警告しているのです。パウロは、やがて来る祝福の影であるユダヤ人の休日や祭りから遠ざかるようにと言っているのではなく(コロサイ2:16-17)、彼らを奴隷状態に引き入れる異教の祭りを避けるようにと言っているのです。

それでは、どこから“日曜日の礼拝”が来たのでしょう。

初期の教会が書き残した著書には、紀元1世紀の終わり、新約聖書における幾つかの出来事、すなわち主の復活(マタイ28:1)、引き続いて主が日曜日に御姿を現されたこと(ヨハネ20:26)、エルサレムの教会に聖霊が降り注がれたこと(使徒2:1)が、週の最初の日に起こったと書かれています。

ヨハネもパトモス島において、日曜日に啓示を受けています(黙示1:10)。こうしたことから、日曜日は特別な日であると考えられるようになりました。また、初期教会の記録には、彼らが定期的に日曜日に集まっていたこと(使徒20:7、Iコリント16:2)、信者は日曜日を主の日とし、土曜日を安息日とし、日曜日と安息日の両方を守ったと書かれています。安息日は休みの日、日曜日は主の復活をお祝いする日とされていたのです(R・プリッツ『ナザレ派クリスチャン』より)。

キリスト教徒をローマの国教と定めた皇帝・コンスタンティヌスは、クリスチャンの礼拝日を土曜日から日曜日に変えたと誤って伝えられています。しかし実際には、日曜礼拝は、彼が4世紀の初めに権力の地位に就く150年も前から実行されていました。

しかしながら、コンスタンティヌスとニケア会議(325年)が下した決定に、クリスチャンが安息日を守る習慣を否定するようになった責任があることは確かです。この否定が、教会をユダヤのルーツ(根)から切り離し、次第にクリスチャンの祝日や礼拝に異教的な影響が入り込み、本来の意義を希薄にしてしまったのです。

初期の非ユダヤ人の教父たち(イグナティウス、テルトゥリアヌス、殉教者ユスティノスなど)は、日曜日を安息日と区別させようと努めました。しかしながら、彼らはユダヤ教の習慣には反対であり、彼らが残した注解書が、やがて教会をユダヤのルーツから切り離す決定を下す材料となり、クリスチャンが神のみことばと永遠のご計画、およびその目的を十分に理解し、解釈する妨げとなってしまったのです。

日曜日には働かない、という考え方は、538年にオルレアン会議から発生しています。人々が礼拝に参加するのを妨げないという規則が、この時に定められました。

カペナウムのシナゴーグ跡

“安息日を日曜日とした”のではありません。それ以前、日曜日は普通の労働の日であり、また礼拝の日でもあったのです。クリスチャンが日曜日の労働を完全に禁止したことは、主の昇天から900年後に初めて記録されました。

今日の私たちに対して意味すること

一部の人々は、安息日はイスラエル人(ユダヤ人)のみに与えられたしるし(出エジプト16:29、31:12-14、ネヘミヤ9:13、14、エゼキエル20:12)であるから、教会のためのものではない、という意見をもっていると思います。

しかしながら、一週間に一日の休みが与えられたのは、イスラエル人だけではなく、全人類に対しても同様です(創世2:1-3)。仮に安息日がイスラエルだけのものであり、異邦人には与えられていないとしても、私たちは祝福の共同相続人になったと、聖書に書かれています(エペソ2:11-13)。

イスラエルの契約に接がれ(ローマ11:11-32)、アブラハムの養子(ガラテヤ3:7)と認められている私たちは、安息日をも受け継ぎました。安息日を休日として守ることは、決して律法主義になれということではありません。安息日の祝福を受けることは、「自分の魂の回復」につながっています。

私たちは安息日を、「労働からの解放の日」と受け止めないで、むしろ、「神の与えてくださる回復の日、家族と共に過ごし、神と共に過ごす、神から与えられる自由の賜物を満喫する日」と理解するべきでしょう。それがイスラエルの血縁であっても、霊的イスラエルであっても、神がそのみことばを守る者たちに約束しておられる、祝福の相続人となることができるのです。

安息日は主からの賜物であり、休息と回復の日です。

イスラエルがこの神の賜物を拒否した時、神は彼らに語られました。
「お前はわたしの聖なるものをさげすみ、わたしの安息日を汚した。」(エゼキエル22:8)

その後、長い説教の後で、エゼキエルが建てようとしている神殿に関連して、神は祭司や人々に、「わたしの安息日を聖別しなければならない」(エゼキエル44:24)と命じておられます。神は、律法が与えられる以前に与えられた安息日を喜ばれ、将来に関しても同じようになさいます。

もし私たちがこの件について祈り、安息日を守る決断を下すなら、自分の毎週の生活の仕方を調整するために時間をつくらなければなりません。私たちは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあります。自分で自分を律法の下で奴隷化して安息日を守るのではなく、安息日が“自由”を約束するものだと信じることが大切です。

神との交わりには準備が必要とされます。神は完全な聖なるお方です。昼となく夜となく忙しい生活は、人の精神と感情、そして心に影響を及ぼします。この世は私たちの霊的な繊細さを鈍くする力をもっています。神は安息日をお定めになり、私たちが六日間この世で過ごした後、神に自分の心を集中させ、神の御心を求めることができる一日をお与えになりました。ちょうど陸上選手たちが競技のために準備するように、私たちも霊的な準備をする必要があります。

そういった意味で、少しでも安息日を守ることにトライしてみてはいかがでしょうか。ちょうど蛾が光に引き付けられるように、安息日が、いやむしろ神の御霊が、あなたを次第に、神との深い交わりに導き入れてくださることを知るでしょう。

エルサレムより――シャバット・シャローム

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