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ティーチングレター

嘆きを喜びに変える -前編-

BFP編集部 2004年4月

今回のティーチング・レターでは、「死」と「嘆き」について学んでいきます。なぜわざわざ悲しいテーマを、ティーチング・レターの中で学ぶ必要があるのか、と読者の皆様は思われることでしょう。

しかし神は、私たちが死に直面する中で、“嘆き”を“喜びと希望”に変えてくださいます。聖書は、私たちが死に直面するとき(出エジプト33:4、 II サムエル3:31)、困難な状況に置かれるとき(詩篇43:2)、また自分の中に悔い改められていない罪を発見したとき(II コリント12:21)、“嘆き”が起こることを語っています。神がはるか遠くにおられるように思うとき、私たちの心は痛み、悲しみに満たされます。しかしそんなとき、神の処方箋は、私たちを御そば近くに引き寄せてくださることです。神は“最高にすばらしい親”として、私たちを慰めたいと願っておられます。またそれがおできになるお方です(ヨブ5:11)。

聖書時代のイスラエルの墓。
大人数の収容が可能であった。

イザヤ書51章で、神は救いを受けた者たちに、こう宣言されています。「義を追い求める者、主を尋ね求める者よ。わたしに聞け。」(1節)「彼らは喜び歌いながらシオンにはいり、その頭にはとこしえの喜びをいただく。楽しみと喜びがついて来、悲しみと嘆きとは逃げ去る。」(11節)

メシアの役割は、次の通りです。「シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現わす主の植木と呼ばれよう。」(イザヤ61:3)

死と悲しみから、喜びへと

死はすべての人に訪れます。不死身の人は誰もいません。愛する人や大切な友が亡くなるとき、私たちは嘆きの中を通らされます。悲しみを無理に封印しようとする人だけが、嘆くことを避けるのです。私たちの多くが、人生の中でこの嘆きに直面します。

歴史の中で、また考古学でも明らかにされているように、死とそれにまつわる一連の過程は、宗教の種類にかかわらず、すべての人間の中心テーマとなっています。神を信じていない人にとって、死がもたらす終わりについて考えることは、心が重くなることです。多くの人々にとって、死は神秘と恐れに包まれています。

しかしながら、聖書の神を信じる私たちにとって、死に関するさまざまな不思議の多くは、すでに解明されています。私たちもまた、死と、それに伴う悲しみを経験しますが、実際に、私たちの嘆きは喜びへと変えられます。私たちはただ、主によって与えられた“永遠の命”という希望を握るだけです。主を信じる義人にとって、復活は約束であり、死は神の御国において、別の次元へと移行していくことなのです。――私たちはこの世を去って、主にあっての永遠へと入っていくのです。

これは信じる者にとって、聖書的真理です。来世について、旧約聖書に土台を置いているユダヤ教では、魂の永遠性、死者の復活、メシア到来後の世界があることを認めています。新約の時代から、天国は救いの最終目標であり、死は信徒を神の許へと導く案内人であると信じていました。天国は神を信じる者たちが、喜びに満たされて楽しむ場所です。初期のクリスチャン、例えばローマにいた初期のクリスチャンは、カタコンベ(地下の共同墓地)に、宴会の様子、またたくさんの子どもたちが遊んでいる風景など、天国の想像図を描きました。故人に関する碑文などにも「神の許へと去った」「キリストと共に生きている」「星々の中で生まれ変わって、喜びに満たされている」などと記しています。

ユダヤ人とクリスチャン、この両者にとって、復活と神の臨在の中で永遠に生きることは、これから先に起こる、希望に満ちた出来事です。未来における復活は、神の権威の下、イスラエルの地と、エルサレムを中心として行われるメシア支配に結び付いています。

信者にとっても、死はいとしい人との完全な別れではないと知っていても、彼らに再び会うことを知っていつつ、それでもなお、死んでいく人々を悲しく思う事実に変わりはありません。嘆きはごく自然の感情です。しかし、主は“悲しみの代わりに喜びの油を”(イザヤ61:3)注いでくださり、“嘆きを踊りに”変えてくださる(詩篇30:11)と約束してくださっています。

聖書の中の“死”

聖書は、死、葬式、また喪に服することについて何と言っているのでしょうか。私たちは必ずこれらを経験しなければなりません。これらについて、聖書がどのように教えているのか学んでまいりましょう。

死は、アダムとエバの堕落によって、この世界にもたらされた罪(原罪)の結果です(創世3:22-24)。神は私たちを、肉体、魂、霊の三つの部分に分けて、ご自身のかたちに創造されました。

墓の入口を閉ざすのに大きな石のふたが用いられた。

それゆえ、イスラエル人にとって、死者を尊敬することは、大変重要なことでした。しかし同時に、異教の極端な習慣は避けていました。エジプト人は死者崇拝に走り、逆にギリシャ人は死者を弔うことを軽んじました。埋葬に関する決まりごとはなく、当時の伝統と慣習に従って行われていました。ただし聖書では、カナン人の葬儀をまねすることは、特別に禁じられていました。

死と埋葬について、聖書で触れられている数少ない箇所は次の通りです。「その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地を汚してはならない。」(申命21:23)「あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」(創世3:19)。また、死者に触れる場合に関する、いろいろな律法がありました(民数5:1-4、19:16、申命21:22-23)。これは埋葬に備えて、遺体をどのように扱い、どこに安置するかを定めたさまざまな注意事項でした。

聖書では、人が死ぬ理由を二つ挙げています。

その1―もともと神は地上のちりから人を造った。だから人は土に帰らなければならない(創世2:7、3:19、ヨブ10:9)。

その2―人は罪のゆえに死ぬ(創世2:22-24)。

ユダヤ人は、“死は消滅を意味するのではない”、と信じていました。その肉体はもともとの土に返る(伝道者3:20)。そして、魂は“シェオル(新改訳聖書で「よみ」)”(創世37:35)と呼ばれる永遠の場所へ向かう(民数16:33、詩篇6:5、イザヤ38:18)と考えていました。ダニエルの時代に啓示が与えられるまでは、肉体の復活があることも、ある人々は永遠の命を受け、残りは永遠の罰を受けることも明らかにされていませんでした(ダニエル12:2)。

エルサレムにある“ヤソンの墓”。
故人を記念するデザインとして典型的な例。

第二神殿期になると、サドカイ派とパリサイ派の間で、復活に関する教義の相違が起こりました。パリサイ派はメシアが来てイスラエルを救う際、死者の魂が地に戻ってきて、肉体が再生され、復活する、と説きました。サドカイ派は肉体の復活を否定しました。

新約聖書の時代に入り、永遠の命という概念が発達していきました。キリスト教の基本として、人は罪の中に生まれるが、イエス・キリストの死によるあがないを信じることで、罪を告白して赦され、天国で神と共に永遠の時を生きる、と教えられています。この信仰無しでは、神から引き裂かれ、地獄で永遠の時を過ごすことになるです。イエスが地上に再臨されるとき、肉体の復活があるという概念もまた、新約聖書の中で発展していきました(ヨハネ3:16、36、ローマ6:23、I コリント15:12-23)。

聖書の中の“喪”

家族、一族、部族、あるいはその集落の安全を支えるのは、そこに属する人々でした。今日、生きることは大変なように思いますが、聖書時代、こうした不安定さは比べようもなく厳しいものでした。それゆえ、父や母、近しい親類、また子どもが亡くなることは、人々にとって単なる感情的な喪失だけでなく、その集団にとって、容易に調整できない問題が生じる可能性のあることを意味しました。

夫よりも長生きした女性は、厳しい苦境に立たされました。彼女は夫の財産を相続することができませんでした。しかし、夫の身内の誰かが彼女と再婚するなら、彼女は夫の家にとどまることができました(申命25:5-6、ルツ3:12)。それ以上に、やもめは経済的な支援を受けることができませんでした。それゆえ聖書では、やもめを守り、大切にすることを義務付けています(申命10:18、14:29、24:17-21)。預言者マラキによると、やもめを圧迫した人物には、“魔術を行う者、姦淫を行う者、不正直な雇い主”が受けるものと同等の罰が待っているとされています(マラキ3:5)。

初期の教会では、やもめを世話するための特別な献金項目がありました(使徒6:1)。また、やもめ、孤児を大切にするよう教えられていました( I テモテ5:3-4、8-11)。ヤコブは彼らを世話することこそ、真の信仰であると説きました(ヤコブ1:27)。

ルカ伝7章11節から17節に記されている奇跡の中で、イエスは、ひとりのやもめが、たった一人の息子を亡くして嘆き悲しんでいるのに出会いました。こう書かれています。「主はその母親を見てかわいそうに思い、『泣かなくてもよい。』と言われた。そして近寄って棺に手をかけられると、かついでいた人たちが立ち止まったので、『青年よ。あなたに言う、起きなさい。』と言われた。」(13:14節)。おそらく彼女にとって、息子はたった一つの生きがいであり、社会福祉の保障と同じでした。その彼女の希望である息子を、イエスはお返しになったのです。

イスラエルでは、誰かが亡くなったという知らせは、広く伝えられていました。重要な人物が亡くなった( II サムエル3:31)、ある個人に大きな災いが起こった(II サムエル12:15-16)、または会衆全体、悪い知らせが来たとき(民数14:1-6)、そのニュースは大声で伝えられ、人は服を引き裂いて嘆きを表し(創世37:29-34、II サムエル1:11、3:31)、自分が喪に入ったことを近所の人々に知らせました。

喪の期間は通常7日間とされました(創世50:10)。喪の期間中、人々は食事や飲み物を携え、喪に服する家人を慰めにやって来ました( II サムエル3:35)。ユダヤ人は葬式の時に食される食事の規定を守りましたが、後にクリスチャンもそれを行いました。(今日ユダヤ人たちはいまだに“シヴァ”―ヘブライ語で“7”の数字を意味する―と呼ばれる1週間の喪の期間を守る。遺族は友人たちと共に泣いたり、笑ったりしながら時を過ごし、故人について思い出を語り合う。これは、愛する者の死を敬う行為であり、彼ら自身の魂が癒されるための期間である)。

悲しみの雰囲気をより高めるために、こうした“喪専門”の「泣き」を職業としている人々が雇われました。彼らはほとんどの場合、『泣き女』と呼ばれる女性で、葬式の場に招かれ、嘆きを盛り上げました(エレミヤ9:17)。エジプトの壁画には、泣き女が立ったまま髪を振り乱して泣く様子が描かれています。ここからも、このことが古代の中東において、広く行われていたということが分かります。

古代エジプトの壁画に描かれた“泣き”専門の女性たち。

“泣く”“叫ぶ”“服を引き裂く”といった行為のほかに、喪に服することの嘆きを表すものとして、胸をたたく(ルカ23:48)、頭を覆って裸足で歩く(IIサムエル15:30、19:4)、荒布を身にまとう(創生37:34、II サムエル13:19、エレミヤ6:26)、頭や顔、衣類に灰をかぶる、などがあり、これは、神と他の人々の前に身を低くする(ヨシュア7:6、Iサムエル4:12、 II サムエル13:19)思いを表す姿勢でした。喪に服する人々は足を洗うこと、ひげをそること、服を洗うこと( II サムエル19:24)を禁じられ、油や香をつけることも不可(II サムエル14:2)とされました。また、肉と酒を一緒に取ることも避けました(ダニエル10:3)。喪に服する人は、地べたの灰やほこりの中に座り、身を震わせて嘆き悲しんだのです(エゼキエル26:16)。

頭髪をそる、皮膚を傷つける(エレミヤ16:6)、ひげの一部をそるなどの行為はカナン人が行っていたもので、イスラエル人には禁じられていました(レビ19:26-27、21:5、申命14:1)。しかし、こうした風習は、律法よりもより強力なもののようです(エレミヤ16:6)。

次号、聖書の中の埋葬風習について学び、その中から見いだせる“嘆き”に対する神の真理を理解していきましょう。

エルサレムよりシャローム

〈次号へ続く〉

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