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エルサレム、神の選ばれた場所 -前編-

TEXT: レベッカ・J・ブリマー(BFP国際会長)

いつの時代も人々を引き付けてやまないエルサレム。なぜ人々は、これほどまでにエルサレムに関心を寄せるのでしょうか。その理由を、聖書から学んでまいりましょう。

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エルサレム!まさにその名は感情的な反応を呼び起こします。30年近くエルサレム市長を務めたテディ・コレク氏は「誰もが二つの町をもっている。それは自分の町とエルサレムだ」と言いました。誰もがエルサレムに対して愛や憎しみや魅力を感じずにはいられません。私は旅先でいつも「エルサレムに住むのはどんな感じですか」と聞かれます。聖書やニュースに頻繁に出てくるこの場所に人々は引き付けられるのです。エルサレムのような場所は他にはなく、ここに住めることは特権です。

私の父は大勢の観光客をイスラエルに連れてきましたが、どのツアーでも目玉はエルサレムでした。エルサレムに続く丘陵をバスで上っていく時、父はツアーの方々と一緒にシオンの歌を歌ったものです。夫はツアーガイドですが、ツアー客がエルサレムや西壁に対して抱く印象をよく話してくれます。ユダヤ人は神殿の丘の西壁に引き寄せられ、この聖なる場所でよく涙を流しながら祈ります。同様にクリスチャンたちはここで感じる神の臨在に驚嘆します。最近ツアーでイスラエルに来た神学校のクラスメートが「西壁で泣いた」とフェイスブックに書いていましたが、これは珍しいことではありません。

エルサレムはこのような反応を呼び起こす場所です。それは、神が全地の中でこの場所をご自分の特別な住まいとして選ばれたからです。このことは何度も聖書に書かれています。

「主はシオンを選び、それをご自分の住みかとして望まれた(詩132:13)」

「あなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であり、わたしの聖なる山、シオンに住むことを知ろう。エルサレムは聖地となり…(ヨエ3:17)」

「今、わたしは、とこしえまでもそこにわたしの名を置くためにこの宮を選んで聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある(Ⅱ歴代7:16)」

エルサレムは神の町であり、神の聖なる山なのです!神はご自分の地上の住まいとしてエルサレムを選ばれました。神を愛する者は神の家に引き付けられます。同様に、神に対して陰謀を企てる者はこの場所に対しても陰謀を企てます。

神はとこしえにこの場所にご自分の御名を置くと言われました。コンピューターと衛星画像が発達した今日、神がご自分のサインの一部をエルサレムを取り囲む丘陵に書いておられることが分かりました。ヘブライ語の文字、シン(ש)はエル・シャダイ(全能の神)の省略形として使われますが、上空から見るとキデロンの谷とヒノムの谷とチロペオンの谷(注:Ⅱ歴代33:14「ギホンの西側の谷」)でシンの文字が形作られているのです。神は文字どおり、ご自分のことばを成就しておられます。

大王の都、エルサレム

「主は大いなる方。大いにほめたたえられるべき方。その聖なる山、われらの神の都において。高嶺の麗しさは、全地の喜び。北の端なるシオンの山は大王の都(詩48:1-2)」

「大王の都」という言葉はマタイの福音書にも出てきます。イエスは「しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。…エルサレムをさして誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです(マタ5:34-35)」と誓うことを禁じ、エルサレムの神聖さを強調されました。

詩篇の記者は誰を「大王」と呼んだのでしょうか。ダビデ王を指すと言う人もいますが、私は神ご自身を指していたと信じています。

王なる神

「すべての国々の民よ。手をたたけ。喜びの声をあげて神に叫べ。まことに、いと高き方主は、恐れられる方。全地の大いなる王(詩47:1-2)」。ここで詩篇の記者が強調しているのは、神が全地に及ぶ偉大な王であるということです。1節「国々の民」と訳されている言葉には「国々」という意味もあります。さらに2節で、神が「全地の大いなる王」であることを強調しています。つまり、神はユダヤ人だけの王ではなく、全地の王でありすべての民族の王なのです。

「主」という言葉はユッド-ヘイ-ヴァヴ-ヘイの神聖四文字で表されます。これは神の人格的な名前です。新改訳聖書では太字の「主」によってこの特別な名を表しています。神の名は口にしてはならないほど神聖なものなので、ユダヤ人は敬意を払って発音しません。代わりに主(アドナイ)とか御名(ハシェム)と言い換えています。クリスチャンは、ヤハウェとかジェホバという言葉を使っていますが、二つとも正確な発音ではないので、私はむしろイニシャルか主という言葉を使うほうが好きです。この、神の人格的な名前はタナハ(創世記〜マラキ)に6519回も出てきます。

他の多くの聖句にも、王にして支配者である神という考えが散見されます。神は王座に座し(詩103:19、エゼ1:26-28)、天の軍勢は神を取り囲み、神に仕えています(Ⅰ列王22:19)。神は地上の支配者を任命され(ダニ2:37)、自然災害を克服されます(詩29:10、93:1-4)。神の統治は力と栄光という言葉で説明されています(詩145:11-13)。神は義と聖と正義をもって行動されます。

「主は、ケルビムの上の御座に着いておられる」
James Steidl/shutterstock.com

「主は王である。国々の民は恐れおののけ。主は、ケルビムの上の御座に着いておられる。地よ、震えよ。主はシオンにおいて、大いなる方。主はすべての国々の民の上に高くいます。国々の民よ。大いなる、おそれおおい御名をほめたたえよ。主は聖である。王の力は、さばきを愛する。あなたは公正を堅く立てられた。あなたは、ヤコブの中で、さばきと正義を行われた。われらの神、主をあがめよ。その足台のもとにひれ伏せ。主は聖である。…われらの神、主をあがめよ。その聖なる山に向かって、ひれ伏せ。われらの神、主は聖である(詩99:1-5、9)」

詩篇99篇を読むと思い浮かんでくるのは、エルサレムの神殿の丘です。「主は、ケルビムの上の御座に着いておられる」。このケルビムは至聖所にあった契約の箱の一部でした。同様の表現は他にも5カ所(Ⅰサム4:4、Ⅱサム6:2、Ⅱ列王19:15、Ⅰ歴代13:6、イザ37:16)で見られます。私たちは主の聖なる山で礼拝するよう命じられていますが、これは神殿の丘のことです。神殿からは神のきよさが流れ出ていると考えられていたので、ユダヤ人は神殿の丘の一部を聖なるものとしていました。

あるユダヤ人による詩篇の解説書(アートスクロール刊)にはこうあります。「詩篇の記者は…きよさの源泉が幕屋と神殿であることを証明している。…レビ記19章30節が教えているように、私たちの神の聖なる臨在が宿る場所はおそれ多く、聖である」。多分これが、大勢の人々が西壁で涙を流す理由なのでしょう。エルサレムから天国へは市内通話で通じるという冗談を聞いたことがあります。ミドラッシュ(古代ユダヤの聖書注解書)にもこう記されています。「誰かがエルサレムで祈っているなら、それは栄光の御座の前で祈っているのと同じだ。『ここは天の門だ(創28:17)』と書かれているように、そこに天の入口があるからだ」

ロシュ・ハシャナー(ユダヤ新年/聖書ではラッパの祭り)の中心テーマは神の王権です。シモン・ヤコブソン氏は「ロシュ・ハシャナーでは、自分の生活の全領域を支配する唯一の絶対的権威者として神を受け入れます。そして、父であり王である神のあわれみ深い裁きに従うのです」と語りました。

ロシュ・ハシャナーの中心的な祈りである「王権(マルキヨット)」には、こう書かれています。「主よ、あなただけがあなたの栄光の住まいであるシオンの山(神殿の場所)と聖なる都エルサレムで、すべての御業を治められます。『主なる神は、シオンで全世代にわたって永遠に統べ治められる。主をほめたたえよ』と、あなたの聖なるみことばに書いてありますから」

後編では、神の都エルサレムを巡る現代の攻防について見てまいりましょう。

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